ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

ここはな

2008年02月08日 | 発信
心花~kokohana~  http://www.kokohana.com/

会場を埋めていたのは、ほとんどが  おじさん
心の中に花畑が広がりました。

アトラクションの演奏におじさんたちの心が洗われます。
15年ぶりくらいで参加しました。
昔は冬の観光としてよく参加したものでした。

NHK 「趣味の園芸」 須磨佳津江さんの講演会
「欲しがっている花が、いい花なんです。」

オープンガーデンを題材にした講演。
「人は感動したいんです。感動するとそれを人に伝えたくなります。
笑顔の輪が広がっていく花の力。」

「笑顔を造る仕事です。 私の仕事も、皆さんの仕事も演芸(園芸)です。」

「おめぇがたがPCガーベラんしょだけぇ。ブログ見てるぞやぁ」
「そうだらぁ 見てるかにぃ」http://pcgerbera.asablo.jp/blog/
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1982年初めてのオランダ

2008年02月06日 | 旅行記

変色しかかった古いアルバム写真に写る姿はみな若く、頭には今からは想像もつかない量の髪の毛がありました。

オランダで10年に1度開かれる花の博覧会「フロリアード」
会場はそのつど新設され、終了後は都市公園として整備されるという。
国を挙げての博覧会なのです。
亡くなられた山喜農園の先代社長さんを団長に堀之内から9名、総勢13名でオランダに渡りました。
南回りで22時間半のフライト、家を出てからは33時間かかったと思います。
当時のヨーロッパはとても遠いところでした。

当時日本の花消費は「床の間」を中心にした「生け花」や「テーブル花」が中心でしたので、会場の花展示を見てそのスケールの大きさに圧倒されながら思ったことは「こうして飾れば花は会場の主役になる。大量に売れるな」ってことでした。


日本からは大勢の花関係者がここに行って同じように感じたと思います。
8年後の1990年には大阪で花の万博が開かれ、花は大量消費時代へと進んで行った様に思います。

広大な敷地にはほかの花も沢山展示してありましたが我々の関心はやはり「ユリ」で初めての上向きのオリエンタル「スターゲイザー」を見るのも目的の一つでした。

当時ユリといえば「紅の舞」を中心にした「透かしユリ」が中心の時代で、オリエンタルは「内田かのこゆり」、堀之内では「パシフィックハイブリット」が作られているくらいでした。
破けたジーパンに不釣合いなネクタイを締めていますが、当時海外に行くのはVIPで、パスポートに貼る写真はネクタイ姿が常識のころだったのです。

ちなみにその10年前、1972年のフロリアードには、滝沢久寛氏(滝沢種苗の前代表)と星野 伊氏(元農協参事)の二人が赴いています。
その後滝沢さんは、冷蔵庫とメリクロン育苗施設を作られ、自作品種を中心に大規模切花農家へと発展していきました。
農協でも球根冷蔵庫が建てられ、堀之内は抑制ユリ切花産地へと発展していくのです。
海外を見た人が自らも世の中も変えていく。
お二方は堀之内にとって、勝海舟であり伊藤博文なのです。

この次は(いつになるか?)旅の航程や広大な圃場、洗練されたオランダの農家(会社)のことも書いてみます。   つづく

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我家のスキー歴

2008年02月05日 | 家族
昨日は巻内の93歳のおばあちゃんの葬式でした。
「巻」 とは本家をリーダーに、同じ血筋を引く家の集まりで、冠婚葬祭のときには「身内的感覚」で共に祝ったり儀式の運営を手伝ったりします。
葬儀の時は、家の回りの除雪をしたり家財道具を片づけたり、葬儀の案内をしたりして一切を取り仕切ります。
最近では葬祭センターがほとんどやってくれますので、そのお手伝い的な仕事です。
秋まではシャキシャキと動いていた人ですが、介護が必要になってからは家の内も外もきれいに片づけられていて、我々男衆の仕事はほとんどありませんでした。
女衆は台所を担当してお客の接待などで活躍します。
雑談の中で「この村八十以上が何人いる?七十以上は何人?」
いよいよ高齢化が深刻なものになって来ました。

子供たちが保育所の頃からスキーを買い与えました。
最初は薬師の下のほうでチンタラと足慣らし的な練習でした。
そのさいにインストラクターをしていた親戚の爺さんに「ずいぶん古風なスキーをはいてるね~」と言われて、思い切ってカービングを買いました。
その前10年ほどスキーは辞めていたのですが、カービングで滑ったとたんに昔の虫が目を覚ましたのでした。
193センチの「カザマエアフロ」 回しよいスキーの定番だったのですがカービングはあまりの操作性の良さに「目からウロコ」。
時代の流れは大ショックでした。
写真は2年目の五日町の頂上で撮ったお気に入りの一枚。
これから滑る「がけ」に対して気合を入れまくっている表情です。
うちの子は最初からガケを怖がりません。

3年目か4年目の八海山の頂上です。
よく年賀状に使ったポーズ。

次の年の妙高杉の原。
年に1回はビッグゲレンデに連れて行きます。

恒例の5家族旅行。
1年目は我家だけスキーをしましたが2年目は11人の子供たちがスキーをしました。
予定になかった親も影響されて、ジーパンのまま滑りました。
去年は雪が無くて誰も滑りませんでしたが、今年は母親たちが準備を整えてやる気を見せています。

最近はスキー場で待ち合わせて、子供たちだけで滑ることが多きなって来ました。
ボードの子のほうが多くなってきましたが「ボードよりスキー」と決め付ける因業おやじです。

音楽もスキーも子供が望んだことではなく、親の道楽を子供に押し付けているだけです。
若くて素敵な父親は我家には存在しないのです。
自己流、我流だが親が好きでやって来たこと、続けていること、そして年とともに完結していく姿を子供に見せていくことしかできないのです。

付いてきたければ来るだろう。
追い越したければ追い越すだろう。
あほだと思ったらやらないだろう。

30にして立つ。 40にして迷わず。
50代は何だろう。

今まで向かってきたことを完結させる年代ではないだろうか?
この年になって無理をしてまで設備投資をすることは、今までのがむしゃらに大きくしてきた経営をきちんとしたものに定着させるためのもので、完結に向かうための必要な投資なのです。

50代をドタバタせずに農業経営したいものです。
子供たちはもう親の生き方を見る年になってきています。

付いてきたければ来るだろう。
追い越したければ追い越すだろう。
あほだと思ったらやらないだろう。

あとは子供のキャラクターしだいなのです。

強烈に高齢化の進む村ですが、ここに住むことの意味と魅力は良く知っています。
というか、自分で作り出すことの必要性をよく認識しています。

3月中旬の野沢スキー旅行には親たちも張り切っているようです。
この前学校で6年生たち(もう背が高い)に取り囲まれて「野沢行くんだろうな」と脅されている。

ノンストップのダウンヒルにはヒカラビ君もお供をすると言っている。
他の子供たちもついてくるかもしれない。  イザ!
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ギャグよりすべる

2008年02月03日 | 家族
ヒカラビ一家の滑りをどうぞ。

天気はいまいちでしたが

50歳になった時「野沢のスカイラインコース6.6キロをノンストップで滑る」と誓いを立てました。
若い頃、ダウンヒル派だったのでロングコースを求めてあちこちさまよいました。

須原スキー場のジャイアントコースからふもとまでは2キロくらいだろうか?
2時間ほど滑ったあと、休憩してから一人で一気滑りをしてみたら。
楽勝だった。
「俺も行く」と、ヒカラビ君が付いてきたのでちょっとペースを落としてもう一回。無事完走。
さすがに2本続けたら腿がパンパンになった。
次も滑り出すと結局止まらずに滑ってしまう。
奥方まで調子に乗って一緒に完走。
結局後半の4本はすべてノンストップで滑った。

これで野沢での50歳の挑戦は何とかいけそうな気分になってきた。
問題は明日の筋肉痛だ。 いや、あさってか?
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チューリップ

2008年02月02日 | 発信
雪国チューリップhttp://blog.goo.ne.jp/yukiguni_tulip
魚沼の雪の中で栽培しているチューリップ。
ブログは娘さんと猫が力を合せて更新している。

高い燃料を焚いたからといって高く買ってもらえないのが花のきびしいところだ。
来週堀之内で行われる 「雪中花水祝」 で若い衆による即売会が行われる。
モノトーンの雪国で鮮やかなチューリップは大変人気があってすぐに売れてしまうのだ。

ここ数年、新潟産のチューリップがロシアに向けて輸出されている。
ロシアでは3月8日が国際婦人デー。祝日だそうだ。
会社でも小学校でも男性は女性に花などを贈るそうだ。
調査によると、ロシア男性が予定する女性へのプレゼントのトップは花で47%にもなるそうだ。
しかも大半が夜は家庭でお祝いをして過ごすらしい。
ロシアの男というとみんなプロレスラーみたいにいかつくて、ウオッカをあおっているようなイメージを持ってしまうが、結構家庭的なんだね。

いいマーケットがあるじゃないか。

先ごろのオランダ研修報告では、
「オランダの花といえば、低コスト、大量流通と思っていたら最近はヨーロッパもバブルで、高品質商品による新たなマーケットが誕生している。
それを支えているのがロシアの富裕層だ」。

全農さんに会うといつも「ユリもロシアに輸出しろ」と尻をたたくのだが、なかなか乗ってこない。

農業全体に蔓延している「ジリ貧感」。
必要なのはやる気を起こさせる刺激なんだがなぁ。
めざせモスクワだ!http://29g.net/html/081101.php

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スキャナーを買いました

2008年02月01日 | 家族
怒涛の1月が終わりました。
会議ミーティングが13回。出張が2回。

パソコンに向かうのは午前中だけ。
それでも確定申告の計算はほぼ終わりました。
償却資産税の申告書と源泉徴収税の一覧はおととい提出したので、立派なもんだ。

夕べは集会所で来賓の大勢いる最後の新年会でした。
昔は七草正月、11日正月、小正月、二十日正月。
そして31日が晦日正月。
1月中、正月をしていました。
うちの姉たちはなぜか1月生まれでしたが、31日は一人だけ年をとることのできなくなった姉の誕生日でした。



歩いて3分の集会所前に車を置いてきてしまったので、除雪車の先回りをして取りに行ってみると
某議員さんのワゴンがワンボックスカーのようになっていました。
???歩いて帰ったのか?。   呑んだら乗るなということです。

悩みぬいた集落の一区切りをつけての新年会だったのでえらく盛り上がりました。

昨日、すず妻さんに「道は乾いている」と嘘をつきましたが今朝はこの冬一番の降雪で、ひざ上くらいの新雪でした。
積雪は肩くらいの高さになってしまいました。

2月はスキャナーで拾った写真で昔話をしたいと思います。
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