ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

プレデター

2008年02月19日 | 観察
雪原に二筋の足跡が、

手前のはウサギの足跡だが奥のはなんだろう?

直線的なのはプレデター(肉食獣)の特徴だ。
おっ!何かいる

行ってみるべぇ
これはウサギだよなぁ
こいつはやっぱり

おい!隠れているやつ出て来い!

なぁんだ。ひょうきん者のいたちくんかぁ

雪掘りが 「や~んなった」 のでちょっとスノーシュー

コメント (8)
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訃報~ゴルフのこと

2008年02月19日 | 観察
日曜日の「サンデーモーニング」で中村寅吉の死を知った。92歳。

ゴルフの歴史となると必ず出てくること。
自分が生まれた年1957年、158cmの小男が世界の強豪を相手に日の丸を上げた。
カナダカップ(現ワールドカップ)で、小野光一選手と組んで団体戦を制覇。個人戦でも優勝、戦後復興期にあった日本でゴルフブームに火をつけた。

スポーツの世界で「世界」を相手に優勝することがどれほど大変なことかは誰もが知っていることだろう。
特にゴルフは「世界」との壁が厚い。
何せ、次に日本がワールドカップを制覇するのは45年も後になるのだ。

メジャータイトルといえば樋口久子の「全米女子プロ優勝」の1回きり。
それも挑戦8年目にしてのタイトルだ。男子はまだ壁が破れない。
当時のチャコ樋口といえば、日本では「出れば優勝」と言うほど強かった人だ。
ちなみに樋口久子の師匠が故中村寅吉だ。

父がゴルフを始めたころは第2次ゴルフブームで、AON全盛期だった。
青木、尾崎共に師匠は林由郎だ。よく「栗寛」が物まねをする林も小男だ。
体格や飛距離だけではうまくならないのもゴルフの魅力だ。
あのころ、早朝野球が一気に下火になり、多くの野球人がゴルフに転向した。
野球をしていたやつらは良く飛んだ。でも良く曲がった。
飛ばさないことを学んだやつはすぐにうまくなった。

「ゴルフのハンデは初めた年齢の半分までは普通にやっていればすぐに縮む」と言う。
「シングルの半数はゴルフを初めて3年以内にシングルになった人たち」とも言われている。

試合で多くのシングルたちとプレイしたが、ほとんどが「穏やかな紳士」だ(例外もいるが)しかもけして飛ぶ人ばかりではなかった。
確かに5年ほどで始めた年の半分のHCになった。
でもそこで止まった。

そこからの壁は自分で乗り越えるしかないのだが、そんな根性ももう無い。
愉しいゴルフのほうが似合う年になった。

昨日は背丈ほどの雪の壁にぶつかって、ブツブツぼやきながら壁のことを考えたのでした。
さて今日は別の屋根の壁に挑戦だ。(最近朝の更新が多い)
いざ!
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