ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

今年もいきなり雪下にんじん

2017年11月28日 | 発信

19日に積もった雪は20センチほど、農家を困らせるには十分な量だった。

最後の掘りっこと。ニンジン掘り。

話題作りで始めた人参生産も今や冬の看板商品、無理やりでも掘らねばならぬのだ。

12月からは学校給食納品が始まる。

これは昨日の画像でした。雪があると掘りづらい。

今朝はマイナス3度。霜が溶けるのを待って掘り取り続行。

シルバー人材総動員で総勢1ダースでほどのメンバーで作業、取りあえず葉付きのままでも持ち帰ることを優先。

犬は手伝わないし、、、、

育ちの悪い所を若干残して終了。2トン車4杯ほどの収穫、葉を落としたら半分くらいか。

今年は太ってない。はたして納品が足りるかな?

 

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日常

2017年11月25日 | 発信

葬儀からドタバタと1週間が過ぎ片付いたような片付かないような、、、、

たくさんの皆様からお悔やみのコメントをいただきましてありがとうございました。

ハウスの中では3ベッド目のウルイが伏せこまれてます。

主無くてもなれた従業員のおかげで予定通りに仕事は進んでおります。

解凍段階で少し引っ張ったものだから6日出庫のものはようやく地上に出たところ。

12月の初荷に向けての出荷は間に合いません。

冷蔵庫棟では球根の選別作業。

うちが選別するタクソン、エマニーともにサイズでかい。

来年は期待できます。

雪の中に出ると大はしゃぎする犬も家では寒がるのはなぜでしょう?

何十年ぶりかで書籍を買いました。日常が描かれてます。

 

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送り雪

2017年11月17日 | 家族

 11月16日、朝からのみぞれは初雪となり、辺りを冬景色に変えました。

畑に立つ丸坊主の木は柿の木です。

昨日移植してもらった。

基盤整備が終わるとこの畑を耕作するのは自分ではなくなるからです。

切ってしまっても良かったのだが、この柿の木にはたくさんの思い出が詰まっている。

昭和33年の春の画像。母の胸に抱かれているのは私です。

左端に写っている柿の木がこの柿の木。この木のそばの茅葺き屋根の家で生まれて17歳まで住んでいた。

左下にしゃがんで芍薬の花を持っているのが大正15年、寅年の1月11日生まれの父、寅一です。

11月1日から危篤状態、最後まで眠ったままで16日午前9時50分、息を引き取りました。

最後の夜に大きな声で寝言を言ったのがお別れの挨拶だったように思います。

終始笑ったような寝顔で見ていてもつらくない半月の付き添いでした。

91歳まで生きた理由は孫全員の成人を見届けるため。

15日間頑張った理由は、花の出荷もウルイの掘り取りも、パイプハウスの解体も全部終わるまで葬式を出さなくても良いようにと。

ありがとう、ありがとう と何度も泣きました。

 

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人面山

2017年11月14日 | 発信

町を挟んで対岸に見える山は、、、まるで人面山? 町を見守ってくれてるようだ。

昨日は晴れてウルイ掘りの最終段階に。

訳あって少し持ち越しになったが何とか掘り上げて収納。予想よりも200ケースは少なかった。

やっぱり雨の年は思ったほど株も太っていない。

昨日でユリは出荷終了。花屋の半年は終了した。

ニンジンの試し掘り。思った通りの葉ボケ状態。雨の年はすべてダメなのだろうか。

昨日も今日も病院から呼び出し。血圧が一時的にガクッと下がるようになってきた。59-43

急いで婆さんと駆けつけると又復活する。さすが夫婦の力。

秋仕事が終わるまだ見守っていてくれるのだろうか。

いよいよ魚沼にも雪マークの季節がやってきた。 

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11月11日

2017年11月11日 | 発信

11月11日、1並びの日、冬型の冷たい雨、、、、

ウルイの長期冷蔵株が4日前に出庫されてます。急いで床作り。

去年までとは仕様を変えて、2種類のコの字パイプで断熱材を挟み込む形に変えた。

横パイプが無い分成長の邪魔になる部分が無いのでロスを減らせる。

しかも少し幅が広がった分、株も多く入る。見た目もシンプルで組む時間も少なくて済みそう。

昨日は珍しくいい天気だった。柿もぎました。

雨栗陽柿と言うが雨の年の柿はやはりヘタに近い方が渋い。

晴れても少し乾くまでは掘り取りは出来ない。11時頃から掘り始めて8列位の掘り取りがやっとだった。

残りは8列。また雨、、、、しっかりした晴れの日がもう1日どうしても必要だ。

1月11日生まれの爺さんは11月1日から意識が戻らないものの容態は安定している。

11月11日、1並びの日。もしかしたらと思ったがさらに容態は安定している。

血中酸素量も100に戻った。

数秒に1滴の生理食塩水だけで10日。医者も驚く生命力だ。さすがタイガー。見習わねば。

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0度の朝

2017年11月06日 | 発信

 

初霜が降りましたねぇー、、、寒い。

 トゥレイガ、出荷最盛期。さすがにガンガン暖房しているハウスは揃う。

 本年最後の品種はリアン。初出荷。セット買いなので20センチ球は700本程度。

この時期は20が必要だ。

本日ウルイ超抑制株が初出庫。慌てて切り下を掘って冬用ハウスに衣替えを始めた。

もう冬作が始まるのです。

午後からはウルイの掘り取りを開始しようと思ったが一昨日の雨は思った以上の雨量だった。

丸々2日は晴れないと掘り取りは効率が上がらない。なので明日の準備だけ。

 寅年の1月生まれ91歳はその後もがんばっている。

秋仕事が終わるまで頑張るつもりらしい。

 とにかく晴れが続いてほしい。天気も気持ちも。 

 

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11月1日~11月2日~11月3日

2017年11月03日 | 家族

 ほとんど眠れずに病室で迎えた11月2日 朝。

ようやく誕生日だ。満60歳になれた。 この日が来るのをずっと待っていた。

何年か前、同級生が次々この世を去って落ち込んだ頃、誰かが呟いた一言 「 60の坂はきついんだな 」

その一言が苦になって何とか60歳を無事に迎えたかった。

きつい坂でも登った後はしばらく平坦な道が続くそうだ。

 

一昨日11月1日の朝の気温は1度。1並びにまた1を並べるほど冷え込んだ朝。

 大正15年(昭和1年)1月11日生まれ、1並びの日に生まれたのうちの爺さん。

11月1日の朝に突然息ができないほどにゼーゼーと苦しみだした。 夕べは晩酌もしたのに。

病院に連れていくと心不全と肺に少し水がたまっているらしい。早速入院。

手続きを済ませて家に帰ると 「 様態急変、すぐに来い 」

駆けつけるとすでに人工呼吸、すぐに婆さんを呼ぶ。

延命治療はするなと言われているので家族全員の中で呼吸器を外す。

最後の力でいびきをかく、、、、

 

一度は止まりかけた心臓は自力の呼吸で酸素を取り入れてきちんと脈を打っている。

もともと生命力のある人だけが生き残った年代の91歳。

生きる意志はまだまだしっかり有るようだ。

 

ほとんど眠れずに病室で迎えた11月2日、誕生日の朝。

脈拍、血圧、血中酸素量、呼吸数、、、、昨日より正常だ。

埼玉から駆け付けた姉と変わってもらって仕事に帰る。

子供たちも見舞いに帰って励ます。

2晩目もタンが絡んで吸引してもらうだけで容態は変わらず。

こうなるとこちらも欲が出て 「 4日にアメリカからもう一人の姉が帰るまで死ぬな 」と叱咤する。

 

11月3日。晴れの得意日だ。

雨続きの年もここに来てようやく晴れ間が出ている。

約10000株のウルイ掘り取り。1500箱の予定だ。

同時に来年用の畑に堆肥撒きも再開。

昨日今日のドタバタの中でも優秀な従業員に恵まれたおかげでかなりの掘り取りが進んだ。

ハウス作の最終作、トゥーレイガが始まった。秀品。

一年中災害のような悪天候の年の最後の最後に完璧な出来だ。

4日はヒカラビ君も定期演奏会http://www.rikkyo.ne.jp/sgrp/glee/sns.html

初のソロパートを歌うそうだ。残念ながら聴きに行けない。

 極貧の山奥で生まれ、高等小学校を出てすぐに東京に奉公、戦争に行きかけたところで終戦。

戦後すぐに花を作り始め、ずっとこの世界で生きてきた人。

後進の道を閉ざさない。これがこの人の歩く道なのだなと、ありがたく思う。

 

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