ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

我家のスキー歴

2008年02月05日 | 家族
昨日は巻内の93歳のおばあちゃんの葬式でした。
「巻」 とは本家をリーダーに、同じ血筋を引く家の集まりで、冠婚葬祭のときには「身内的感覚」で共に祝ったり儀式の運営を手伝ったりします。
葬儀の時は、家の回りの除雪をしたり家財道具を片づけたり、葬儀の案内をしたりして一切を取り仕切ります。
最近では葬祭センターがほとんどやってくれますので、そのお手伝い的な仕事です。
秋まではシャキシャキと動いていた人ですが、介護が必要になってからは家の内も外もきれいに片づけられていて、我々男衆の仕事はほとんどありませんでした。
女衆は台所を担当してお客の接待などで活躍します。
雑談の中で「この村八十以上が何人いる?七十以上は何人?」
いよいよ高齢化が深刻なものになって来ました。

子供たちが保育所の頃からスキーを買い与えました。
最初は薬師の下のほうでチンタラと足慣らし的な練習でした。
そのさいにインストラクターをしていた親戚の爺さんに「ずいぶん古風なスキーをはいてるね~」と言われて、思い切ってカービングを買いました。
その前10年ほどスキーは辞めていたのですが、カービングで滑ったとたんに昔の虫が目を覚ましたのでした。
193センチの「カザマエアフロ」 回しよいスキーの定番だったのですがカービングはあまりの操作性の良さに「目からウロコ」。
時代の流れは大ショックでした。
写真は2年目の五日町の頂上で撮ったお気に入りの一枚。
これから滑る「がけ」に対して気合を入れまくっている表情です。
うちの子は最初からガケを怖がりません。

3年目か4年目の八海山の頂上です。
よく年賀状に使ったポーズ。

次の年の妙高杉の原。
年に1回はビッグゲレンデに連れて行きます。

恒例の5家族旅行。
1年目は我家だけスキーをしましたが2年目は11人の子供たちがスキーをしました。
予定になかった親も影響されて、ジーパンのまま滑りました。
去年は雪が無くて誰も滑りませんでしたが、今年は母親たちが準備を整えてやる気を見せています。

最近はスキー場で待ち合わせて、子供たちだけで滑ることが多きなって来ました。
ボードの子のほうが多くなってきましたが「ボードよりスキー」と決め付ける因業おやじです。

音楽もスキーも子供が望んだことではなく、親の道楽を子供に押し付けているだけです。
若くて素敵な父親は我家には存在しないのです。
自己流、我流だが親が好きでやって来たこと、続けていること、そして年とともに完結していく姿を子供に見せていくことしかできないのです。

付いてきたければ来るだろう。
追い越したければ追い越すだろう。
あほだと思ったらやらないだろう。

30にして立つ。 40にして迷わず。
50代は何だろう。

今まで向かってきたことを完結させる年代ではないだろうか?
この年になって無理をしてまで設備投資をすることは、今までのがむしゃらに大きくしてきた経営をきちんとしたものに定着させるためのもので、完結に向かうための必要な投資なのです。

50代をドタバタせずに農業経営したいものです。
子供たちはもう親の生き方を見る年になってきています。

付いてきたければ来るだろう。
追い越したければ追い越すだろう。
あほだと思ったらやらないだろう。

あとは子供のキャラクターしだいなのです。

強烈に高齢化の進む村ですが、ここに住むことの意味と魅力は良く知っています。
というか、自分で作り出すことの必要性をよく認識しています。

3月中旬の野沢スキー旅行には親たちも張り切っているようです。
この前学校で6年生たち(もう背が高い)に取り囲まれて「野沢行くんだろうな」と脅されている。

ノンストップのダウンヒルにはヒカラビ君もお供をすると言っている。
他の子供たちもついてくるかもしれない。  イザ!
コメント
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