ヒカラビ一家の花日記

山の上に住む花農家から 魚沼発のあれこれを

アメリカのゴルフ場 2

2009年02月28日 | むかしばなし
ゴルフはアメリカではとてもカジュアルな存在だ。
ジーンズにTシャツスタイルは珍しくない。
1930年ごろの大恐慌以前は日本のバブル期と同じように高級な紳士のお遊びだったそうだが、その後はプロスポーツとしての発展とともに、普通のスポーツ、誰でもやる遊びとして発展した。
午後になると近くの高校のゴルフ部がそろいのシャツで大挙してやって来る。

写真のゴルフ場は川沿いだが、裏はすぐ牧場だ。
普通に共存している。

リーズナブルなコースのクラブハウスはいたって質素だが、プロショップはどこもしっかりしている。
コースに行って一人だと告げると、たいていすぐにどこかの組に入れてくれる。
4人で来ている組は意外と少ない。平日は一人や二人で来る人が一緒に回ることすごく多い。
スタート時に料金を払って終わったら勝手に帰るのがこちらのシステム。
途中でやめて仕事に行く人も多い。
昼食は売店でサンドイッチなどを買って食いながらプレイすることがほとんど。
昼食時間は設定されていない。

言葉は?  作法として話す言葉さえ覚えていけば、相手が何を言っているかは解らないにしても、ゴルフ用語はほとんど英語なのでなんとなく会話ができてしまう。
アメリカは移民の国だ。英語の話せない人なんて山ほどいるので寛容なのだ。

ドライビングレンジ (打ちっぱなし) にもよく行った。
日本の巨大な鳥かごのような練習場ではなく、ネットのないところや、両側から打つ500ヤードもある広いところもある。
芝の上から打たせてくれるところも魅力だ。


通ったコースにピンのプロショップがあったので、思い切ってアイアンセットを買った。
どこからともなく山ほど在庫を持ってきて丁寧に手の長さを測ってフィッティングしてくれた。
クラブプロの制度もしっかりしていているらしく、このコースはではレッスンも毎日やっていろ。
クラブ選びはプロっぽい人がやたら丁寧にアドバイスしてくれたが、何を言ってるかはさっぱり解らなかった。
当時のレートは125円くらいだったと思うが約1000ドルだった。
アメリカで買おうと決めてきていたのだが、日本で買う約半値で歴史に残る名器PINアイ2を手に入れたのである。

早速買ったばかりのアイアンでコースに出たところ、なんといきなり49で回れたのである。
それまでは大体ハーフ55~65だったものが。
ゴルフを始めて約8ヶ月くらいのことだ。

その年はそこまで。
次の冬は、ゴルフ武者修行にまたアメリカへ行くのである。
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消費者責任

2009年02月28日 | 発信
この春一番のショック、暮れに買った長靴がパックリ。

ホームセンターで買う安いものははずれが多かったので、今回は町の老舗靴屋さんで買ったものだ。
値段も2倍ほど、デザインも気に入ったものだったので悔しくて悔しくて。
思い切って電話してみたら、「持ってきてくれ」 とのこと。

結局、一冬履いた長靴がまた新品に交換となった。
店主いわく、「メーカーに返品しないと品質が良くならない」

商品の質を高めるには工場から消費者まで、みんなの連携が必要なわけだ。
粗悪品をつかまされたときはクレームをつけるのも消費者責任と言うものかも。

日本中の人が3食ともご飯を一杯だけでもを食べると、自給率が25%向上するほど米が必要になるそうだ。
農業問題も消費者責任の部分があるのでは?

だいぶ山も春めいてきて、水辺の草やコケは緑色になってきた。
昔はこんな沢も田んぼだった。
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ふきのとう視察 2

2009年02月26日 | 発信

2回目のふきのとう視察。IN群馬。
県の園芸研究センターと農家にお邪魔しました。

群馬県で育種されたオリジナル品種 「春いぶき」きれいな卵型、すぐには開花せずに長く葉をかむっている、玉がそろってやたら沢山付く、などなど。
みんなが、 「すげーすげー」 と驚く特徴ばかり。
たかがふきのとう、されど園芸生産物、商品として生産するには優れた品種である必要があるのだ。

しかし、パテントに守られていて、当面群馬県以外に苗を出す予定はないそうだ。

利根沼田地域では、蕗、ふきのとうで1億8千万も売り上げがあるそうな、、、びっくり!!!

今日は堀之内の農家だけでなく、広神地区、小出地区で冬の園芸品目に興味のある農家大勢で視察に行った。

現実味のある話しで、「やれ箱栽培がいい」 とか 「やれ組織販売はああがいい」 とか、
やたら真剣に盛り上がった。

考えてみたら、ここの産地って、尾瀬を挟んで魚沼と隣なんだよね。
なんか、連携できないかなぁと、、、
やたら真剣な視察でした。
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スキー教室2

2009年02月24日 | 発信
先週に引き続き、スキー教室のボランティアスタッフだ。
今回もEグループ、メンバーも前回と同じで助かった。
何せ、名前を覚えるのが一苦労なのだ。

朝はパンパンのバーンができていて子供たちもご機嫌に滑る。
ゲレンデをリスが横切るハプニングもあって、楽しいレッスンだった。

今日は何とかパラレルまで行きたいと思って、大きなボーゲン、斜滑降、シュテムターンを何本も何本も滑らせた。

頂上からは、社会科の勉強。
あこは何処、ここは何処と説明する。
今日は遠く堀之内の方まで見渡せる。

終了近くに雨になってきたが、女の子から 「もう1本」 と声が掛かる。
最後は自由滑走、好きなように飛ばせってことになった。
結局パラレルまでは教えられなかったが、最後男子はみんなパラレルでスイスイ滑っていた。
基礎だけ教えれば、後は勝手にうまくなるのかな?~と。
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アメリカのゴルフ場

2009年02月23日 | むかしばなし
遼君、残念ながら予選落ちでしたね。
でも、アメリカデビューがリビエラなので大体予想通りでした。
リビエラCCってメジャーもやった難コースだ。
ここの試合、前の呼び名ははロスアンぜルスオープン、日産オープン。
日本のツアーがシーズン前なので日本選手も沢山スポンサー推薦で毎年参加する。
金子が3位になったり、伊沢がプレイオフまで残ったりとおなじみの試合だ。
しかしラフはポロに使う芝、つまり馬が走り回っても大丈夫なほど茎の強い芝を使用している。
グリーンはポアナが混ざっているそうなのでややこしいわけだ。
ポアナってのは「すずめのかたびら」のことで、つまり芝が株なわけだ。
ちなみに、十日町CC信濃8番はポアナが繁殖してベント芝と半混ぜ。
しかもくだりに順芽と来ている。とてもややこしいのだ。

こんなグリーンは経験と開き直りが要求される。
遼君も苦しんだろうな。(父と比較してはいけないが)

サンタモニカ海岸からすぐの高級住宅地にあるこのコース、バブル期には日本の大物政治家が陰のオーナーとうわさされた。
たしか金とか○とかが付く名前だったと思うが、、、
とにかく大変な高級メンバーコースだ。

最後にアメリカでゴルフをしたのはもう7年も前だ。
ペリカンヒル、パブリックだがとてもリッチなコースだ。
アメリカに赴任したサラリーマンが日本に帰るときに「最後はペリカンでプレイして帰ろう」と言うくらいの憧れのコースらしい。
アメリカでは高級になればなるほど自然の地形を生かした、いわば群馬のコースみたいなトリッキーなコースが多い。
奥方が打っているP3は、ティーの前からずっとバンカーで左はガケとブッシュだ。

アメリカの住宅開発はコミュニティー単位で行われる。
大きな用地の中央に学校や銀行などを配置し周辺に住宅を建ててコミュニティー(集落みたいなもの)として開発し分譲する。
公園やゴルフ場も作り、コース沿いの家は高いそうだ。
海沿いでコース沿いの高級住宅地はミリオン単位だそうな。
ペリカンヒルも海辺に出てみたり住宅の中を縫ってみたりといろいろのコース取りをしている。
複雑に配置したほどコース沿いの家は沢山建てられるわけだ。

一般の平地の住宅地の中のコースは日が暮れると散歩の人も入ってくる。
老人たちは日本のお年寄りが温泉に通うような感覚で昼間ゴルフをしている。

ゴルフを始めたのは平成元年の初夏、その年の冬、アメリカに住む姉夫婦のところに遊びに行った。

義兄にクラブを貸してもらい「バック9プレイ」に連れて行ってもらった。
いわゆる早朝プレイだが、普通にスタートしたゴルファーがハーフを回り終える間、先着順で10~18番を格安でやらせてくれるのだ。

夜明けと共にスタートしたらすぐに2人が入ってきた。
こちらではサラリーマンが軽くプレイしてから出勤する。
見知らぬ人同士が合流するなんてことは普通のことなのだ。

次の日からは、一人で外人 ( こちらが外人 ) に混ざってゴルフ特訓をすることになるのだ。  つづく。


来週、遼くんはアリゾナでの試合。
砂漠の中に緑のじゅうたんを敷いたようなコースになるが、こちらは傾斜のトリックがあるはず。
はたして活躍やいかに?
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吹雪

2009年02月21日 | 観察


こんな日はJAKEでも聴きながらこたつにもぐっているのが一番。




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ロビーナ

2009年02月20日 | ぼやき

球根を出庫して解凍を始めた。
品種はロビーナが中心になってしまった。
注文した品種とはだいぶ変わってしまったが、この品種も良い思い出があるのでよしとしましょう。

冷蔵庫もヒーターを入れれば温蔵庫になる。
まずは解凍温度、徐々に温度を上げていき、ハウスに植えるのはまだまだ先、芽をある程度伸ばしてから。

オランダも球根の出来が悪く、注文にすべて応えられるわけではない。

ここ数年はオランダの球根は生産過剰で、農家の意欲が減退気味のところへ経済不況がやってきた。
さらに堀上げてみたら出来が悪かった。
農家の意欲はすぐに作に現れてしまう。

食料だけでなく、ある程度の自給の基盤が無いと球根切花も難しい時代かも。

今日は雨。
せっかく積もった雪がだいぶ減ってしまった。
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スキー教室

2009年02月18日 | 発信

またもや、この齢になっての初体験。
学校のスキー授業のボランティアスタッフ (インストラクターってほどではない)。
子供たちを技量と自己申告によって9つのクラスに分けて、父の担当するのは男子4人、女子3人のEクラス。
ボーゲンしかできない子をなんとかシュテムターンが出来るところまでとの課題なのだが、ご覧のとおりの猛吹雪。
しかも朝の圧雪の後に新雪が20センチほど積もった状態。
新雪と言っても2月の魚沼の新雪だ。

こうなるともう、怪我をさせないこと、スキーを嫌いにさせないことが課題になる。

転んだり、新雪にはまったり、スキーが脱げたりと悪戦苦闘だが、筋の良い子はすぐにすいすい滑れるようになる。
女子も「新雪おもしろーい」と言う子と「あたしだめー」って子が出てくる。

昼休を境に、一人が上のクラスに行き。一人が上のクラスから降りてきた。
一番くじけていた子の判断を担任の先生に任せたが、先生は下のクラスにおろさなかった。

午後になってゲレンデの状態も良くなったし、子供たちのくせも判ってきたので、一人づつ横を滑りながら教えた。
全員がシュテムターンとまではいかないが、ボーゲンではそこそこきれいになったのではないかと思う。

この条件で楽しめたかどうかは判らないが、女子の一人が 「迂回コースはつまらない」 と言ってくれたのでこちらの目的は達したかなぁーと。

それにしても、久しぶりのボーゲンで、モモとシッペタ(尻)の筋肉がヒクヒクしている。

父の子供の頃は、冬だけの雪中(節中?)分校があって、晴れるとスキー授業(遊び)だった。
スキーは長靴を紐で固定する「スイレン」と呼ばれる金具(方法)で、かかとが自由だったので走り回るのがスキーだった。
高学年になる頃から重たい靴をバネで固定する金具になって、転んで骨折する仲間もいた。
板も「ヒッコリーの単板」とか「俺のは合板だ」などという時代だった。
それから2.3年の間にグラスファイバーの時代が来て、カザマ、ひろさわ、オガサカなど国内スキーメーカーの黄金時代がやってくる。


さて、
むかーし昔のフォトじゃった。

毎年、春先にはスキー大会がわが村であった。
下の村の本校から児童全員が弁当とスキーをかついで登ってくる。
村の衆は朝から全員でコースをカンジキで踏んで準備をしてくれた。

そのときの一枚。

ヒカラビの父は、まだねんねこに包まって母親の背中で頭だけ写っている。
前列には「じゃりんこチエ」や「ちびまる子ちゃん」や「マルコメ君」が写っている。
我々分校の子はスキー大会では花形だった(毎日やってるから)。

この写真は大きくプリントして村の集会所に掛けた。
そのときは写真のネタで朝まで飲んだものだった。
右端のスキーを履いた若い父親は、70を過ぎた今でもバリバリ現役花農家だ。
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雪室貯蔵庫

2009年02月16日 | 観察

計画されている芽伸ばし用の予冷庫には雪室が一番適している。
湿度がたっぷり有って、ランニングコストが安い。

今日お邪魔した小千谷の雪室は、丸小屋をすっぽり雪で埋めて籾殻をかぶせて保温するタイプ。
0.8度で一年中温度変化が無いそうだ。
にんじん、ジャガイモ、酒、蕎麦など貯蔵していたが、味はまったく変化しないと語っていた。

ユリの芽伸ばしの場合10度~15度くらい。
もっと構造を勉強する必要があるが、とても興味深い雪室だった。

貯蔵してある蕎麦は雪室のおかげで一年中新蕎麦の味だそうだ。
雪室と蕎麦屋が同じ経営。
食べてみたが確かに腰の強いうまいそばだ。

今年は雪集めに苦労しているようだが今日は久しぶりに冬になった。

雪景色に新鮮さを感じる変な冬だ。


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スキーこどもの日

2009年02月15日 | 家族

毎月第3日曜はスキー子供の日でリフト券が無料だ。
今日ヒカラビ君は、ヤス、アラキ、シュンスケと須原スキー場に行った。
いつも行く小出スキー場と違い、須原スキー場はコース幅が狭い。
「一人勝手に飛ばすんじゃねえぞ!」と、よくよき言い聞かせて送り届けた。

ヤスはスキーを始めて2年目。
滑る度に上達するので面白くてしょうがない。
アラキは野球で鍛えた熱血スポーツ少年だ。
シュンスケは天才肌の子で、スポーツは何でもできる。2回目のスキーでパラレルターンをやってのけたそうだ。
でも、アラキとシュンスケはボードだ。
お調子者ヒカラビ君はこのコースで腕を磨いた、いわばホームだ。
張り切りすぎてコースから飛び出さなきゃいいがと少し心配なのだが、、、
タイプの違う4人が滑りにくい雪質の中、いつもよりきついコースを子供たちだけで一日滑るわけだ。

最近とても疑問に思うニュースを読んだ。
「鳥取県の小学校には学級委員がいない」

子供にはそれぞれ個性があって、能力にも差があり、分野ごとに得意不得意もある。
時には強いものが従えようとすることもあるが、一緒にすごそうと思えば、それぞれの能力と個性を認め合って協調するものだ。
その中から自分の一番伸びるところを見つけて磨いていく。
伸びるためには競争は絶対に必要なことだと思うのだ。
敗北の痛みは子供のうちのほうが小さい。

学級委員のことを子供たちに聞いたら一人が、 「俺、立候補したけどバトルに負けて落っちまった」 と笑いながら答えた。
こいつらは大丈夫だなぁと思うのです。


途中に見える閉鎖しているスキー場は 「元アクシオムスキー場」。
昔は「権現堂スキー場」といった。
市営のスキー場は5つあるが、どれも経営が苦しいと聞いている。
もし一つにしようといったら、ここが一番良いゲレンデだと思う。
もちろん、地元経済うんたらかんたらを抜きにしての私感だが。

位置は5つのスキー場のちょうど真ん中になる。
ふもとは初心者用、上に行くほど上級者用。
ゲレンデ幅も広く長い、ダウンヒルコースもある。
頂上の眺めも良く、立派なハーフパイプもある。
斜面は北西向きなので雪質もよくシーズンも長い。
駐車場も休憩室も広いし、おまけに温泉センター「神湯」がすぐとなりにある。
なぜ?と思うのだ。

優れたものが必ず生き残るとは限らない例がここにある。

迎えに来いと言う電話がまったく無いが、さすがに5時には迎えに行った。

それぞれが個性のまんまの滑り方で5時ぴったりに下りて来た。
やっぱりこいつらは心配要らない。


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