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故郷へ恩返し

故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。

うずまきたわしに負けた

2016-09-15 01:43:27 | よもやま話

これがエコたわしです。
左下隅の渦巻き模様のものが渦巻きたわしです。


妻のブログは人気があります。
なんと、550の記事が見られています。
びっくり、がっかりです。
妻は一週間に一回のペースで記事を書きます。
私は、毎日のように書いています。

彼女のブログの人気記事は、「うずまきたわし」です。
この記事を見に、大勢の読者が来ます。

洗剤が不要なうずまきたわしは、密かなブームです。
彼女のブログは弾けました。

近くの産直にエコたわしが売ってありました。
これも、洗剤不要と宣伝されています。
それより効果があるうずまきたわしです。
我が家でも使っていました。
汚れてしまいました。
教祖様は、次のものを作ってはくれません。

このうずまきたわしに、私のブログは毎日負けています。
彼女は、わたしのことを「おっと(夫)っと」と呼びます。

酒をこぼしそうになったり、事をし損ないそうになったりしたときに
発する語(広辞苑より)

まさに、私の人生は、「おっとっと」です。

酒こぼし 袈裟をべたべた くそ坊主

2016年9月15日

<<投稿後談>>
今日は、人の褌で相撲を取らせていただきました。
書くことが、何にも出なかったから助かりました。
ありがとう。
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急がば回れ

2016-09-14 04:33:46 | プロジェクトエンジニアー

今日のタイトルは、「急がば回れ」です。
例によって、
危険な近道よりも、安全な本道を回った方が結局早く目的地に着く意、
成果を急ぐなら、一見迂遠でも着実な方法をとった方が良い。(広辞苑より)

このもっとも過ぎる解説にどう答えを出して良いものやら悩みます。
若い時は、この本道が見えませんでした。
今の道(先輩が教えてくれる)が本道とも感じませんでした。
教えてもらうものの、あっちへぶつかり、こっちでごつんの繰り返しでした。
あきらめて、先輩が言う通りの道に入ったような気もします。
ぶれながら収束したのは、これしかないと諦めのような気持ちからでした。
もう40歳の直前でした。
なんと遠回りをしたことでしょう。
確かに急いでいました。
もっと近道(幸せになる道)はないものかと右往左往していたように思います。
やればできるじゃない。といい気にもなっていたのでしょう。
それは、たまたま上手くいったのでした。

私は、プロジェクトエンジニアーです。
迂遠の権化のような仕事です。
設計、積算、現場、監督、営業、サービスとなんでもやらなければなりません。
言ってみれば、大工の棟梁のような仕事です。
先輩は、決して近道を教えてくれませんでした。
分業が進む中、愚直なまで王道の回り道を教えてくれました。
回り道が、本道でした。
気付くのに、20年近くを要しました。

大きな会社は、分業制でした。
特化した専業の仕事に長けていました。
抜群の成長ぶりでした。
鵜呑みのような言い回しを何とも思っておられませんでした。
成長に継ぐ成長を成し遂げていました。

会社が回らなくなりました。
皆が、営業をしなければならない時に、ほんのわずかな営業マンが
日夜飛び回っていました。技術屋はひたすら受注するのを待っていました。
毎日、毎日暇でしょうがない。まさに宝の持ち腐れ状態です。
近道をしたつけが何十年後に来たのです。
倒産か合併かの選択肢しかありませんでした。

会社全体ではいっぱいあるが、個人の引き出しが少ない。
あれが駄目でも、これがある。
こんな訳にはいかない。手遅れでした。
近道は、前に進み過ぎて後戻りの分岐点さえ分からなくなっていました。

子どもの手を取り足を取り、促成栽培をしようとします。
誰が主役なのか忘れてしまうほどのモンスターの親が溢れています。
目的だとか効果だとか日常的に使ったりして、
自分の業務をこなすことに慣れ過ぎた大人像を見ることがあります。
黙って視ていれば良いものを。
転んだ子供は、自ら立ち上がります。
笑顔で見ていることが、子どもの安心につながると言うのに、
すぐに手を差し伸べてしまう。成長の芽を摘んでいるのがわからない。

急いだところで、何にも良いことはなかった。
傷を深くしただけでした。
その傷が癒えるまでなんと長かったことか。

本道は 草原抜けて まだ見えぬ

2016年9月14日
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男の色気

2016-09-13 07:26:19 | よもやま話

案外、周りの肉付きの良さに比較し唇が小さかったですね。
この男、酒造りを一手に引き受けているのだと言わんばかりの好男子です。
おかげ様で、美味しい酒をいただけます。


今日のテーマは、「男の色気」です。
女性に聞いても、しっくりとした答えは返ってこないようです。
ウフフとにこやかな顔をされてはぐらかされてしまいます。

「色気」と「色香」の違いはなんでしょう。
色気とは、愛嬌。おもむき。風情。異性の気をひく性的魅力。
色香とは、女の(あでやかな)容色。おんなの色気。(広辞苑より)

肉体的なことを書こうとすると、十人十色でさまざまな見解が予想されます。
筋肉質が良い。ぽっちゃりしてお布団のような安心感が良い。と意見が分かれます。

男にも、女にもはらはらドキドキさせてくれる人のことではないでしょうか。
言葉では、言い表せない切羽詰まった何かです。
いい女の前では、息がつまりそうです。

いやいや今日は、「男の色気」です。
下町の銭湯で、工事現場で背中いっぱいの刺青を見たことがあります。
近づきがたい印象でした。
話してみると、案外やさしかったりして、二度驚きました。

今日は特に風情について書きたいと思います。
ダンディー(dandy)とは違う。
バイオレンス(violence)とも違う。
たたずまい(佇まい)のようなことでしょうか。
生き方みたいなものでしょうか。
男の生き方に色気を感じる。
一生懸命であり、愚痴は飲み込み、
実は、人生を楽しんでおり、心が広い男のことでしょうか。

「生」を感じさせてくれる男のことでしょうか。
男の色気は、その人のこだわりのことのようにも思います。
いきざま。
壮絶であろうが、ひょうひょうであろうが、生きることに一生懸命な男のことでしょう。
仕事の時の真剣なまなざし、仕事が一段落してくだけた表情の
OnとOffの違いが鮮明であること。

なにより大事なことは、たいせつなものを守るためには、
とことん闘う(努力する)ことを選ぶ男のことではないでしょうか。
きっと、自分に打ち克つことを選ぶ。

そんなに頑張らなくてもいいわ。
と女性はいいます。
怪我でもされたら、あとが面倒だもの。
と口ではいうものの。うふふです。

まだまだ修行がたりないようです。

雄狸 雌を追いかけ 事故に会う

2016年9月13日


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あいまいな時間

2016-09-12 06:26:26 | よもやま話

今日のテーマは、「曖昧な時間」です。
曖昧とは、はっきりしないこと、まぎらわしく確かでないこと。(広辞苑より)
曖昧模糊、曖昧屋と曖昧はネガティブな意味合いが強いようです。

人は、曖昧な表現や態度を否定しがちです。
男だったら、はっきりしなさい。
とよく言われたような、感じたようなことがありました。

では、何故「曖昧」について語らず、「曖昧な時間」としたのか。
曖昧は、広辞苑で説明の通り、はっきりしないことです。
「曖昧な時間」、「曖昧な空間」は私達にとって大事な時間であり、空間と考えます。
出し物が終わり、後は何々をするだけの感じですと余韻を楽しめない。

優れた美術館の建物や庭は、一流の人が建てたり、設計・維持をしておられます。
優れた美術を観たあと、気づかれない程度に美意識の感動を、
一般社会までの帰り道の助走のような場(建物、庭)でクールダウンすることです。

優れた音楽会が終わった後、建物中に静かに流れている音楽のことです。

家でいう、縁側のような曖昧な空間で、人がよもやま話をする時間のことです。
物事は、スケジュール通りで、切ったように進まない。
曖昧な時間は余韻のようなものです。

美味しいものを引き立てる漬物だったり、お茶だったりします。
この曖昧な時間や空間のとり方が、一つの文化だと思えるのです。
つまり、おもてなしだと思えるのです。

外国のホテルの周りには、
さりげなく椅子とテーブルが裏庭や玄関に置いてあります。
内でもない、外でもない空間です。
レストランの外にあるテーブルと椅子がそうです。

私達は、酒を飲んで酔っ払います。楽しい時間を過ごします。
その後のことです。
静かに熱いお茶を飲んだり、ぼんやりした灯りの下で明日への準備をします。

国際会議でも同じようなことがあります。
激しい議論を戦わせた後に、
握手をしてそれぞれの組織に帰って行くまでの「間」のことです。
激しく言いあった相手を、もう一度リスペクトする時間です。
私は、こんな工夫をしたい。
飽くまで、主体ではない気づかれないような工夫です。
曖昧な時間や空間を作りだしたい。
それぞれの人が、各人各様の考えを持ち、行動します。
誰もが癒される「場」を作りたい。

子どもが出たり入ったりして、お母さんに話しかける場であり、
子どもが危険なことをしていないか見ることができる空間のことです。
それでいながら、秘密の会話も交わせる場作りです。

紙と木でできた障子であり、屏風のような衝立のことです。
日本家屋には、このような設計がされており、連綿と受け継がれています。
採光の工夫であったり、屋外の音を楽しむ中庭のことです。

「曖昧な時間」について思うことを書いてみました。

手袋を はめてはずして 温もりの

2016年9月12日
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何にもないがな

2016-09-11 02:07:59 | よもやま話

この地に来て、むっとしたことがありました。

市役所の人は、今度は自分で探検してください。
と言われました。
地図をくれるわけでもありませんでした。
商工会に行き、商工会が作った戸別地図をもらいました。
それを頼りに、地域を回りました。
何度回っても、迷いました。
都度、センターラインのある道まで車を走らせました。
いつしか隣町を走っていました。
地図は見てもわからない。人に聞こうにも歩いている人がいない。
しかたなく、大きな道のこっちは何々方面、あっちはどこそこへ行く道を頼りにしました。
見たことがある場所まで、車を走らせました。

むっとしたのは、名を表示するものが無かったからです。
都会なら、電信柱とか家の角とかに書いたものがあります。
第一、家に表札がありません。地図でどこの家か確かめようがありません。
ポストもありませんし、あったとて住所が書いてありません。

困ったことは、遠くに山は見えるが、どこまで行っても同じ風景が続くのです。
田んぼがあって、森があります。その繰り返しです。
うかつに森に入ろうものなら、行き止まりになる可能性がありました。

一か月経った頃、街燈に名がひっそりと書かれているのを発見しました。
上を見なければならなかったのです。
表札は、どこの家にもありませんから、知ってる家から何軒目かな。
仕事をしていたら、生業の看板くらいは出されていました。

何にもないのです。

すぐにナビを買いました。
ナビは、いつも遠回りを指示します。
だって、ナビは田舎道(舗装道路の近道)を認識していないのです。
ナビ業者もここの農道までは、調査の対象外のようでした。
したがって、ナビも頼りにはなりません。

市役所の人に、あなたの家は表札をあげていますか。
いや、まだです。つけようかなと検討しています。
ええ、何代も続いている家じゃないですかと思いましたが言いませんでした。
待てよ、そういえば我が家にも表札がないことに気付きました。
だけど、郵便は届きます。

何にもない。
これが、とっても良いことだと気づいたのは二か月後でした。
どこまで行っても同じ風景です。これが良いと気づきました。
かつてはあった派手な看板は、錆びて斜めになっていました。
こんなの要らない。
今では、ナビなしでも歩けます。端から端まで車で20分です。
迷い様がなくなりました。名もおぼろげながら覚えました。
仮に覚えてなくても、あそこ(私が知っている場所)を
曲がったあたりだと地域の人も教えてくれます。

自転車に乗るのは中学生くらいです。
歩く人がいないのは当たり前です。皆さん、車ですから。
バスも一日3便じゃ乗る訳がありません。
バスに乗っているのを見られて、近くの停留所から歩いて(家まで30分)いるのを
見られました。翌日には、新聞より早く、地域のあちこちに伝わっていました。
バスに乗ったんだって、都会の人は良く歩くね。と言われました。

何にもない。
どころか、一杯良いところがありました。
複雑な言い回しですが、何にもないところが良いのです。
県道から一本入った田んぼ道には、たくさん人が働いておられます。
店に入れば、何にも買わないでお茶を飲んで行かれます。

農作業をしていれば、頼みもしないのにアドバイスをいただけます。
それも通りがかる人が何人も。時々異なるアドバイスもあります。
水をやっちゃいけないよ。とおばあちゃんに教えてもらいました。
おばあちゃんが通り過ぎました。私はあわてて、水ホースを隠しました。

何にもないのが、よいのです。
迷い込むような森と田んぼが、かすんで見える山から山まで続きます。
こんな風景見たことがない。素晴らしい。

何もない 夢見るちから 夢つくろ  

2016年9月11日
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