症例(サーバリックス)2
サーバリックス後症候群:ディアナ、英国、ケント州、マーゲイト在住
私の娘は、学校が大好きな、ハッピーで健康的な普通の10代の女の子でした。娘はたくさんの友だちがいて、社交的で、外出が好きで、活発で、学校での活動にも積極的に参加していました。彼女の唯一の健康問題は、太りすぎでした。
2011年の10月、ディアナはHPV接種の同意書を学校から持ち帰りました。 私はインターネットでざっと調べて、癌に関する記事、またすべての女子生徒が接種していることを読みました。それで、同意することにしたのです。
ディアナは1回目の注射を2011年11月5日に受けました。その日は元気でしたが、その後数週間、腕がまだ痛いと言い続けていました。時間が経つにつれ、この痛みも無くなりました。2回目の注射を2012年の1月22日か23日に受けました。翌日、インフルエンザの様な症状がでて、全体に気分がすぐれませんでした。その翌日、ディアナは咳をするようになり、皮膚の色が変化し、とても蒼白く、気分が大変悪くなりました。夜になって、病院の救急外来へ連れて行きました。
娘は、胸部感染と喘息で入院することになりました。ディアナは7晩病院に留まり、ステロイドと抗生物質の混合物を与えられました。ステロイドを2日間服用した後、ディアナは肋骨と胸部が痛み始めました。医師たちは、娘の胸部感染のためであると言いました。入院中に、 医師は、娘のために喘息と体重クリニックでの診察の予約を手配しました。
ディアナが帰宅した後の続く5~6週間は、娘の疼痛が消えず、診療所、病院、救急外来と何度も行き来しました。疼痛は、腕、手、脚、足、頭、目、背中、肋骨と 身体の他の部分へも広がっていきました。娘は、一日中痛みに苦しんでいました。彼女はとても不安になり休むことも眠ることもできませんでした。ほとんど毎 晩、夜中の3時から4時まで起きていました。医師は、ディアナに数種の異なる用量の6~7種類の異なる痛み止めを処方しました。何も痛みには効き目があり ませんでした。吸入器も効果がありませんでした。
私たちは様々な専門医に診てもらうために何ヶ月も待ちましが、皆同じ血液テストをして、彼女を診察し、何も悪いところが見つからないと言います。何人かの 医師は、すべて彼女の頭の中の問題ではないかと言いました。医師に彼女の頭の問題だと言われることは、娘をとても憂鬱にさせます。娘は、残りの人生を痛み と共に生きていかなくてはならないと信じ始めています。 彼女の年で、そう考えることは楽しいことではありません。医師は精神科の診察を受けるように指示し、いま予約を待っているところです。
ディアナの健康問題のため、学校は、2月から10月のほとんどを病欠しました。私たちは学校と話し合って、必要なら授業を抜け出して休むことができるとい う条件で、時期を遅らせて授業に出席することを取り決めました。校医のチームが、私たちと一緒に、ディアナの必要に合わせて学校の時間割を決めています。 彼女は疼痛のため、もうバスで通学することはできません。家からバス停までの往復を歩くことは、彼女には不可能なことです。
娘は、もうどんなスポーツにも参加しません、参加しようと努力すれば更に痛みが強くなるのです。友だちに会うこともなくなり、何人かとは連絡を取り合うことも徐々になくなってきています。ディアナの生活は、本当に変わりました。
昨年1年の間に、ディアナは、疼痛、体重、喘息、眼科の専門医に診てもらいました。2013年1月に、ロンドンユニバーシティカレッジ病院で診察を受け、慢性疼痛症候群と診断されました。そこで、睡眠の問題を解消するための薬をもらいました。過去3週間、ディアナはいくらか休むことができましたが、痛みは依然続いています。次回の予約は2013年の8月で、それまで娘の痛みに関して何もすることができません。
ディアナの必要を満たすために、私たち家族もたくさんのことを変えてきました。私が娘を学校に送り迎えしています。病欠であった最初の数ヶ月は、私たちが 仕事をしている間は、親戚がディアナのお世話に家にきていました。少しでも寝心地が良いようにと、また痛みが和らぐかもしれないので、新しいベッドを購入 しました。娘の食事から乳製品を除いたところ、喘息の症状が完全に消失しました。体重が減り始めましたが、これは病気の症状ではありませ ん。また、有機食品だけを食べるようにして、これ以上化学物質が娘の身体に入らないようにしています。私たちは、注射の解毒をしようと思っています。私費 でホメオパシー医に診てもらい、アレルギーテストも行いました。
これが、ディアナの今までの軌跡です。
サーバリックス後症候群:ディアナ、英国、ケント州、マーゲイト在住
私の娘は、学校が大好きな、ハッピーで健康的な普通の10代の女の子でした。娘はたくさんの友だちがいて、社交的で、外出が好きで、活発で、学校での活動にも積極的に参加していました。彼女の唯一の健康問題は、太りすぎでした。
2011年の10月、ディアナはHPV接種の同意書を学校から持ち帰りました。 私はインターネットでざっと調べて、癌に関する記事、またすべての女子生徒が接種していることを読みました。それで、同意することにしたのです。
ディアナは1回目の注射を2011年11月5日に受けました。その日は元気でしたが、その後数週間、腕がまだ痛いと言い続けていました。時間が経つにつれ、この痛みも無くなりました。2回目の注射を2012年の1月22日か23日に受けました。翌日、インフルエンザの様な症状がでて、全体に気分がすぐれませんでした。その翌日、ディアナは咳をするようになり、皮膚の色が変化し、とても蒼白く、気分が大変悪くなりました。夜になって、病院の救急外来へ連れて行きました。
娘は、胸部感染と喘息で入院することになりました。ディアナは7晩病院に留まり、ステロイドと抗生物質の混合物を与えられました。ステロイドを2日間服用した後、ディアナは肋骨と胸部が痛み始めました。医師たちは、娘の胸部感染のためであると言いました。入院中に、 医師は、娘のために喘息と体重クリニックでの診察の予約を手配しました。
ディアナが帰宅した後の続く5~6週間は、娘の疼痛が消えず、診療所、病院、救急外来と何度も行き来しました。疼痛は、腕、手、脚、足、頭、目、背中、肋骨と 身体の他の部分へも広がっていきました。娘は、一日中痛みに苦しんでいました。彼女はとても不安になり休むことも眠ることもできませんでした。ほとんど毎 晩、夜中の3時から4時まで起きていました。医師は、ディアナに数種の異なる用量の6~7種類の異なる痛み止めを処方しました。何も痛みには効き目があり ませんでした。吸入器も効果がありませんでした。
私たちは様々な専門医に診てもらうために何ヶ月も待ちましが、皆同じ血液テストをして、彼女を診察し、何も悪いところが見つからないと言います。何人かの 医師は、すべて彼女の頭の中の問題ではないかと言いました。医師に彼女の頭の問題だと言われることは、娘をとても憂鬱にさせます。娘は、残りの人生を痛み と共に生きていかなくてはならないと信じ始めています。 彼女の年で、そう考えることは楽しいことではありません。医師は精神科の診察を受けるように指示し、いま予約を待っているところです。
ディアナの健康問題のため、学校は、2月から10月のほとんどを病欠しました。私たちは学校と話し合って、必要なら授業を抜け出して休むことができるとい う条件で、時期を遅らせて授業に出席することを取り決めました。校医のチームが、私たちと一緒に、ディアナの必要に合わせて学校の時間割を決めています。 彼女は疼痛のため、もうバスで通学することはできません。家からバス停までの往復を歩くことは、彼女には不可能なことです。
娘は、もうどんなスポーツにも参加しません、参加しようと努力すれば更に痛みが強くなるのです。友だちに会うこともなくなり、何人かとは連絡を取り合うことも徐々になくなってきています。ディアナの生活は、本当に変わりました。
昨年1年の間に、ディアナは、疼痛、体重、喘息、眼科の専門医に診てもらいました。2013年1月に、ロンドンユニバーシティカレッジ病院で診察を受け、慢性疼痛症候群と診断されました。そこで、睡眠の問題を解消するための薬をもらいました。過去3週間、ディアナはいくらか休むことができましたが、痛みは依然続いています。次回の予約は2013年の8月で、それまで娘の痛みに関して何もすることができません。
ディアナの必要を満たすために、私たち家族もたくさんのことを変えてきました。私が娘を学校に送り迎えしています。病欠であった最初の数ヶ月は、私たちが 仕事をしている間は、親戚がディアナのお世話に家にきていました。少しでも寝心地が良いようにと、また痛みが和らぐかもしれないので、新しいベッドを購入 しました。娘の食事から乳製品を除いたところ、喘息の症状が完全に消失しました。体重が減り始めましたが、これは病気の症状ではありませ ん。また、有機食品だけを食べるようにして、これ以上化学物質が娘の身体に入らないようにしています。私たちは、注射の解毒をしようと思っています。私費 でホメオパシー医に診てもらい、アレルギーテストも行いました。
これが、ディアナの今までの軌跡です。