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葉月のブログ

命題:ウイルスの糖鎖はヒトの糖鎖と同一なので病因とはならない

症例(サーバリックス)2 イギリス ディアナ

2013-08-02 | サーバリックス症例
症例(サーバリックス)2




サーバリックス後症候群:ディアナ、英国、ケント州、マーゲイト在住

私の娘は、学校が大好きな、ハッピーで健康的な普通の10代の女の子でした。娘はたくさんの友だちがいて、社交的で、外出が好きで、活発で、学校での活動にも積極的に参加していました。彼女の唯一の健康問題は、太りすぎでした。

2011年の10月、ディアナはHPV接種の同意書を学校から持ち帰りました。 私はインターネットでざっと調べて、癌に関する記事、またすべての女子生徒が接種していることを読みました。それで、同意することにしたのです。

ディアナは1回目の注射を2011年11月5日に受けました。その日は元気でしたが、その後数週間、腕がまだ痛いと言い続けていました。時間が経つにつれ、この痛みも無くなりました。2回目の注射を2012年の1月22日か23日に受けました。翌日、インフルエンザの様な症状がでて、全体に気分がすぐれませんでした。その翌日、ディアナは咳をするようになり、皮膚の色が変化し、とても蒼白く、気分が大変悪くなりました。夜になって、病院の救急外来へ連れて行きました。

娘は、胸部感染と喘息で入院することになりました。ディアナは7晩病院に留まり、ステロイドと抗生物質の混合物を与えられました。ステロイドを2日間服用した後、ディアナは肋骨と胸部が痛み始めました。医師たちは、娘の胸部感染のためであると言いました。入院中に、 医師は、娘のために喘息と体重クリニックでの診察の予約を手配しました。

ディアナが帰宅した後の続く5~6週間は、娘の疼痛が消えず、診療所、病院、救急外来と何度も行き来しました。疼痛は、腕、手、脚、足、頭、目、背中、肋骨と 身体の他の部分へも広がっていきました。娘は、一日中痛みに苦しんでいました。彼女はとても不安になり休むことも眠ることもできませんでした。ほとんど毎 晩、夜中の3時から4時まで起きていました。医師は、ディアナに数種の異なる用量の6~7種類の異なる痛み止めを処方しました。何も痛みには効き目があり ませんでした。吸入器も効果がありませんでした。

私たちは様々な専門医に診てもらうために何ヶ月も待ちましが、皆同じ血液テストをして、彼女を診察し、何も悪いところが見つからないと言います。何人かの 医師は、すべて彼女の頭の中の問題ではないかと言いました。医師に彼女の頭の問題だと言われることは、娘をとても憂鬱にさせます。娘は、残りの人生を痛み と共に生きていかなくてはならないと信じ始めています。 彼女の年で、そう考えることは楽しいことではありません。医師は精神科の診察を受けるように指示し、いま予約を待っているところです。

ディアナの健康問題のため、学校は、2月から10月のほとんどを病欠しました。私たちは学校と話し合って、必要なら授業を抜け出して休むことができるとい う条件で、時期を遅らせて授業に出席することを取り決めました。校医のチームが、私たちと一緒に、ディアナの必要に合わせて学校の時間割を決めています。 彼女は疼痛のため、もうバスで通学することはできません。家からバス停までの往復を歩くことは、彼女には不可能なことです。

娘は、もうどんなスポーツにも参加しません、参加しようと努力すれば更に痛みが強くなるのです。友だちに会うこともなくなり、何人かとは連絡を取り合うことも徐々になくなってきています。ディアナの生活は、本当に変わりました。

昨年1年の間に、ディアナは、疼痛、体重、喘息、眼科の専門医に診てもらいました。2013年1月に、ロンドンユニバーシティカレッジ病院で診察を受け、慢性疼痛症候群と診断されました。そこで、睡眠の問題を解消するための薬をもらいました。過去3週間、ディアナはいくらか休むことができましたが、痛みは依然続いています。次回の予約は2013年の8月で、それまで娘の痛みに関して何もすることができません。

ディアナの必要を満たすために、私たち家族もたくさんのことを変えてきました。私が娘を学校に送り迎えしています。病欠であった最初の数ヶ月は、私たちが 仕事をしている間は、親戚がディアナのお世話に家にきていました。少しでも寝心地が良いようにと、また痛みが和らぐかもしれないので、新しいベッドを購入 しました。娘の食事から乳製品を除いたところ、喘息の症状が完全に消失しました。体重が減り始めましたが、これは病気の症状ではありませ ん。また、有機食品だけを食べるようにして、これ以上化学物質が娘の身体に入らないようにしています。私たちは、注射の解毒をしようと思っています。私費 でホメオパシー医に診てもらい、アレルギーテストも行いました。

これが、ディアナの今までの軌跡です。

症例(サーバリックス)1 イギリス チェルシー・タウンゼンド

2013-08-01 | サーバリックス症例
症例(サーバリックス)1


クリスティン・タウンゼンド記

時として、世の親は、自分で下した決心を後悔するものである。HPV ワクチン接種により子宮頸がんから娘を守ろうとする試みが、私たちの生活を、娘の健康を取り戻し、教育を受ける権利を守るための絶え間ない戦いに変えるな どと、誰が予想できたであろうか。もしこうなることが分かってさえすれば。

私の娘は、英国、ケンブリッジ州、ピータバラ在住の、チェルシー・サシャ・タウンゼンドです。以下は、彼女に起こった事です。

サーバリックス: チェルシーの経験したこと

グラクソスミスクライン社のサーバリックス を注射する前のチェルシーは、とてもハッピーで、社交的で、自信に満ちた女の子でした。2歳で保育園に通い始めてから12歳で1回目のワクチン接種を受け るまでの間、病気で学校を休んだのは1日だけでした。 チェルシーはとても意志の強い自信に満ちた子どもでしたが、特に彼女が自信に満ちて、とても頭がよく、何事にも1人で立ち向かう性格であることに気がつい たのは、中学に入学した後 (彼女の友だちはすべて他の学校に進学したので全く友だちのいない環境で)でしたが、自分が強い人間であることを実証するためになら何事も厭わなかったで しょう。もし、友だちに「変人」だと言われたとしたら、彼女は「彼らが『変人』をお望みなら、そうわたしのことを呼ぶ正当な理由をあげなくては」と言っ て、左側の髪の毛は三つ編みにして、右側の髪は、そのままおろしておいたり、結んだり、カールにしたり、ストレートにしたりして学校に出かけたでしょう。 いつもぎりぎりまで挑戦するのが私の娘でした。彼女は小学校ではたくさんの友だちがいたし、中学1年生の時も、いつも友だちの家に泊まりに行ったり、自転 車で出かけたり、何時間も本を読み続けたり、地元の音楽バンドを聴きに行くことも始めていました。 チェルシーは友だちからも信頼されていました。

娘は、HPV ワクチン接種の初年度のプログラムに参加しました (接種日:2008年11月および12月、2009年5月) – 最初の注射の後、チェルシーはひどい頭痛に 悩まされるようになりました。その頭痛は、片頭痛治療薬で対処しましたが、その結果、彼女の表現によれば、学校にいるのに「欠席している」、例えば、授業 の最中であったり、休み時間に歩いている時、座ってお昼を食べていたり、誰かが話しかけていたりしても、言われた言葉が一言も聞えなく、自分が「頭の中に いない」ように感じたそうです。てんかんの疑いで検査することになりました。もちろん、てんかんの診断は間違いでした。

続く2ヶ月の間、2回目の‘サーバリックス’の投与もあり、チェルシー は関節の痛み、よりひどい頭痛、疲労感を経験し始めました。頭痛、吐き気、関節の痛みのため、週に2日間学校を休むようになり、8年生(中学2年生)の終わり頃には、それまでの副作用に加えて、極度の疲労が彼女を襲い始め、まるまる何週間も休むようになりました。また、短期感の記憶喪失、集中力欠如、および視覚障害を経験するようになりました。

2009年の夏休みの間に、 チェルシーは完全に疲労困憊した状態となり、起床時間が日々遅くなり、友だちと出かけるエネルギーもなくなるほどでした。いつも笑顔で社交的で人気者で あった彼女が、人生に何の興味もない内省的で自信のない女の子になっていました。食欲を失い始め、体重が減少し始めました。夏の終わりまでに、私のあんな に素敵だった娘は、ほぼ寝たきりになってしまいました。彼女は少なくとも日に20時間は眠り、十分な気力があれば、私や兄弟と一緒に食卓に 着くけれども、食欲はなく、食べ物の臭いで吐き気がしてくると私たちに話すこともあります。私はシングルマザーなので、毎日仕事に行かなくてはならず、 チェルシーは1人で昼夜眠りながら留守番をしています。ときどき、ベッドから起きて2時間ほどテレビを見るエネルギーがあることもありますが、しばらくす ると、再び完全な疲労困憊状態となって、顔色がなくなり、目から生気がなくなっていきます。

次の18ヶ月、チェルシーはこんなふうに生活しました。何週間も寝たきりで過ごし、 ベッドからでるのに十分なエネルギーがある「良い」日があって、更に内向的になり、何年も知っている人たちとの交流にさえ苦労し、調子の良い日でも、同じ 学校の人が自分を見て「フェイク(捏造)」と彼女を呼ぶことを恐れて家の外に出ようとしませんでした。それは、ソシアルネットワーキングのサイトで既に言 われていることでした。妊娠して学校を休んでいるという噂も出回っていました。幼いいとこを近くの公園で遊ばせているところを誰かが見たのです (これは、少しでも新鮮な空気が吸えるようにという私の策略でした)。遂に、2010年の終わりごろ、CFS(慢性疲労症候群)/ME(筋痛性脳脊髄炎)と 診断されましたが、私たちのかかりつけの一般医は、過去にもまた今も、1回目のサーバリックスワクチン接種後に病気が始まったという考えを受け入れること を拒否しています。診断のおかげで、チェルシー は1週間に3時間の個人指導を受けることができるようになりましたが、地方教育当局が手配した二人の教師は、彼女が何を必要としているかを特に理解しては いませんでした。

CFS/MEの診断に加えて, チェルシーは、甲状腺機能が低下していると診断され、現在サイロキシンを服用しています。この診断は2011年になされました。私たちの家族歴には、この病気はありません。

幸い、2011年の5月に、地方教育局に雇われた教師が優秀で、彼女の手助けにより、チェルシーは徐々に自信を取り戻し始めました。また、私は彼女を週に 一度CAMHS (小児・思春期精神衛生事業)に連れて行きました。そこで、精神分析医に診てもらい、抗鬱薬を処方されましたが、薬を飲んでもチェルシーは自分の気持ちに 全く変化がみられないと言って、3ヶ月で服用するのを止めました。精神分析医は、チェルシーの睡眠パターンを普通に戻すためのアドバイスもしました (この時期には、彼女は一度に数時間起きている日もありましたが、その時間帯は残りの家族が寝ている夜中でした(このため、彼女の孤立感や孤独感をさらに 増長させていました) 。また、CBT (認知療法)の心理療法士にも診てもらい、チェルシーとともに計画をたて実行の進み具合の調整を話 し合いました。CBTがほぼ何の成果も達成していないと感じ、「人間がそこに座って私に講義している」だけと表現する娘を、診察の予約に引っ張っていくこ とはとても辛かったです。けれども、今、大学受験のために心理学の勉強をしながら、自分の経験を振り返ると、CBTが大変役になったとわかったようです。





私がチェルシーの通う学校の教師であることから、私とチェルシーの「考えが甘い」とみなしていた地方教育局の出席監視課に よるいやがらせを何週間も受けることになりました。ある日の話し合いの場で、地方教育局の出席監視員が娘に「チェルシー、あなたのお母さんが刑務所へ行っ てもいいの?」と迫って脅すまでになったのです。 このコメントで私がどんなに腹を立て、なんとお返ししたかを説明する必要はないと思います。 彼らは方針を変え、私が朝の8時に学校に出勤するときチェルシーを一緒に連れて来れるように、私が娘を起こしベッドから出すよう、それは母の義務として、 と話した時、私は泣き崩れ、そしてチェルシーも泣き始めました (私たちは二人とも怒ったり不当な扱いを受けた時泣くのです)。私はその時こんな風に答えたと思います。「あなた方は、身体に閉じ込められた、以前の子ど もの影のような子を起こさなくてはならないことなんて今まで経験したことはなかったでしょう。彼らはあなたの声が聞えるのだけれど、目を開けることができ ず、枕から頭を持ち上げることなどとてもできない。あなた方は今までに、自分の子どもに何か問いかけて、彼らの唇は動くのだけど、ささやく元気さえなくて 何の音も聞えてこない、そんな経験をしたことがありますか?。数時間後に家に帰ったとき、朝に子どもに言った事のすべてをもういちど繰り返して、それが、 目を開けること、応答すること、ベッドから出ることが身体的に不可能であることを疑いの余地も無く実証している、そんな経験はありましたか?子どもの肌が 灰色がかった蒼白さで覆われ、蝋のようにやつれきっているのを見たことがありますか?子どもの目をのぞいてそこに何も見えなかったことはあった? 目に全く生気が無くなっていることは?目が闇で死んでいることは?」

職員の女性は顔色ひとつ変えずに、予定に組み込んであった次回の診察の日時を告げました(それは私の学校の授業のない時間帯のひとつと重なっていまし た)。学校に訪問して、私の授業の時間割を盗み見したのでしょう!!私たち二人が彼らの脅迫的な策略に屈しないとは思わなかったようですが、彼らが如何に 法律に違反しているかを事細かに説明する4ページにわたる手紙を書いて送った後はこそこそと内密に行動し始め、私たちを公に裁判所に訴えるように申し出た 時になってやっと、チェルシーだけが彼女の身体がどう機能するかわかるのであって、何時授業を受けられるかを決めるのに最適な人物だという事実に同意しま した。

2011年の夏にGCSE(中学終了時の資格テスト)の結果が届き、5科目でAの評価を、2科目でBの評価を得、BTEC(ビジネス・テクノロジー・教育 カウンセル)の科学のテストでは優を取りました。 チェルシーは今 Aレベル(高校終了時の資格テスト)のために勉強しています。残念ながら彼女のME(筋痛性脳脊髄炎)は昨年の間に悪化したようで、学校に通える日が、半 日ならば週に2度、あるいは1日中なら週に1度となってしまい、科目数を1つ減らさなくてはなりませんでした。これにもかかわらず、勉強を続けている2つ の科目ではAの評価をもらえそうですが、大学に入学するために、もう1年勉強を続けて、更に1つの科目とEPQ (長期自由研究) を履修する予定です。

チェルシー は自信を取り戻すために大変な努力をしています。長い間に多数の手紙を送り続けてやっと今、娘は出席できなかった授業でやった課題を先生から送ってもらっ ています。また、 AYME(MEに罹患している青年のための会)のウェブサイトのガイドラインのおかげで、学校はやっと、チェルシーが病気のために受ける権利のある規約に 関して法的な責任があることに気がつきました。ここに辿りつくまでの道のりは、長く激しい苦闘でしたが、これからも、グラクソスミスクライン社のHPV ワクチン接種サーバリックスにより元通りには戻らない身体と日々闘いながら、娘は大学入学を獲得し、彼女が選んだ仕事への軌道に乗るために頑張らなくては なりません。

私はチェルシーに、過去数年にわたって何度も、彼女の苦しみを私が変わりに受けられるなら、私はそうしたいと言ってきました。それは他のすべての母親も同 じでしょう。その度に娘は必ず、「ママ、ママに毎日こんな風に感じて欲しいなんてそんなこと全然思っていない、私の最悪の敵にだって望まないことよ」と答 えるのです。ここに座ってこの言葉をタイプしているだけで、私の目には涙があふれ、嗚咽がこみ上げてきます!

7年生と8年生(中学1年生と2年生)の生徒を受持つ教師として、ワクチン接種の数ヶ月前に女子生徒にチェルシーの症例について、彼女たちが私の娘の話を 親に話してくれることを期待して、話すようにしています。けれども、今私はこれだけでは十分ではないと思っており、もし私が彼女たちの親にこれらのワクチ ンがもたらした副作用に関する最近の資料を提供しないならば、私は自分の職業の「注意義務」を怠っていることになると思うようになりました。 私は、私が働く教育機関の校長に、青年の福祉に責任を担う事業所として、私たちは生徒の親にHPVワクチン接種プログラムを支持する情報と疑う情報の両方 を提供する道徳的かつ倫理的義務を負うことを納得してもらうために、話すつもりです。 もし私が、たった一人でも女子生徒の人生が元に戻らないほど変えられてしまうことを防ぐことができれば、私が娘の健康のためにとったギャンブルに対する罪 悪感が少しでも薄れることになるでしょう。

サーバリックスへの副反応に苦しむ娘をもつ他の母親たちに会って話し、自分が1人ではないと知ることに慰められました。私たちは自分たちの娘のことを他の 誰よりもよく知っており、このワクチンを接種する前は、健康で聡明な娘たちであったことを知っており、まるで一夜にして、彼女たちの人生は変わってしま い、それからは絶え間ない苦闘の日々を送っています。けれども、真実は自ずと明らかになり、私たちが求めた助けも尊敬も良識をも拒否した人びとは、 いつか彼らの取った行動に対して責任を負うこととなるでしょう。もし時計の針を戻すことができるのなら、本当に本当にそうしたいのです。