ガーダシル: 今までの私の人生で最悪の出来事
ジュリー・デイビッドソン
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私は、ジュリー、26歳です。ガーダシルによって受けた被害を話すことはとても大変なことだったので、接種以来あまり話さずにいました。私の心に受けた痛みはとてもひどいものだったので、ガーダシルなどまるで存在しなかったかのように振舞うほうが気が休まるものでした。この2年間、私は人生を盗まれたふりをして、毒を盛られたことは忘れようとしました。残念ながら、忘れることはできませんでした。毎日、起きるたびに、本当の悪夢を生きていることを思い知らされました。私は、他の少女が説明できない健康問題に苦しんでいることを知り、自分のことを話す決意をしたのです。彼女たちの診断は、心の病であるとか、あるいは何も治療法がないということでした。私自身と、これら何千という少女をつなげるものは何でしょうか。ガーダシルです。
ガーダシルの前の自分のことを考えると、それはまるで他人のことのようです。このワクチンは、文字通り、あらゆる面で私の生活を変えてしまいました。ある意味で、私は同じ少女ではないことを嬉しく思います。私は、衰弱する病に苦しむ人たちのことを以前よりも理解できるようになりました。何も考えずに車椅子の人の横を通り過ぎる代わりに、私は挨拶をし、そして泣くのです。彼らの苦闘がわかるから泣き、本当に心配してくれる他人がとても少ないことに泣くのです。私は誰が本当の家族で友達であるかを知りました。また真実を調べること、直感的に医学を信用しないことの価値を学びました。また、健康の本当の価値、それなしには何もできないことを知りました。これらのいくつかのことを除けば、昔の自分を失くしたことがとてもとても悲しいです。私はかつて非常に健康で活発でエネルギーに満ちた少女でした。私は、ジムのパーソナルトレーナーで、健康や運動に関するすべてのことに情熱を持っていました。私は、戸外での活動や、冒険が大好きでした。あらゆることに人生の美を見つけ出す自由な精神の持ち主でした。23歳で、たくさんの夢を持ち、未来をとても楽しみにしていました。
副鼻腔感染の治療の間に、ガーダシルと破傷風ワクチンを薦められたのです。どうして、医者のアドバイスに従ったのか?
2011年3月26日、23歳のとき、副鼻腔感染があって医者に行きました。そのとき、医者に、ガーダシルと破傷風ワクチンをするのが賢明だと薦められました。その後すぐ、私は気分が変になり、後悔しました。そして、副鼻腔感染で自分の免疫系がすでにフルに活動しているのに、ワクチンを受けることは賢明ではなかったと理解しました。私は母に電話して、恐くて泣きながら、何か悪いことが起きたと話したことを思い出します。私の直感は正しかったようでした。接種のあと数日で、極度の疲労が襲ってきました。日課をこなすのが難しくなりました。始終頭がぼんやりして、ときどき記憶がなくなりました。骨盤の痛み、吐き気、食欲喪失、2ヶ月で13キロやせました。絶えずインフルエンザにかかっているように感じていたので、パーソナルトレーナーの仕事をすることが難しくなりました。実際にインフルエンザのようなものではないかと思って、何回も仕事を休みました。7月までに、事態は急変しました。胸部から左の腕にかけてひどい痛みがあり、不整脈がありました。身体全体に刺痛があり麻痺する症状が、3回起きました。この時点で、私は何か深刻なことが起こっていることわかりましたが、それがどれほど深刻なことになるかは想像できませんでした。
ガーダシル後麻痺と中枢神経系損傷
2011年8月6日、ベッドで目が覚め、立ち上がろうとしましたが、床に転び落ちました。床の上で、左足が動かせないことを理解しました。数日後、同じことが右足に起こりました。両足が麻痺し、立ち上がることも歩くことおできなくなりました。10日間入院しました。ありとあらゆる検査を受けました。脊椎穿刺2回、CT スキャン、脳と脊椎のMRI、心エコー、腹部スキャン、たくさんの血液検査。医師たちは私のどこが悪いかはっきりとわからず、それで、高用量のステロイドの治療を受け、退院しましたが、病状はまったく改善していませんでした。9月には、朝起きたとき、右腕以外、首から下を動かすことができなくなっていました。首から下の麻痺でした。他の緊急病棟へ行き、1週間入院しました。さらに精密な検査を受けましたが、医者たちは原因がわかりませんでした。外来患者として神経筋専門医との予約をし、退院しましたが、このときも入院時から病状はまったく改善していませんでした。
これが、私と専門医たちと歩んだ2年間の始まりでした。今までに、多くの神経科医、神経筋の専門医、複数のリウマチ専門医、感染症の専門医、神経免疫医および神経生理科医にみてもらってきました。今のところ唯一の発見は、リウマチ因子が陽性であること、ANA価(抗核抗体価)が陽性であるころ、SED速度(赤血球沈降速度)が上昇していること、CK(クレアチンキナーゼ)が増加していることで、すべてのテスト結果は、身体の中で炎症がおきていること、そして私の免疫系が正常に機能していないことを示していました。これらのテストの結果が陽性であること以外にも、私は、括約筋が過活動性であると診断されました。もし、なんの根本的な原因がないとしたら、かつて健康であった23歳の女性が、どうして突然、過活動性膀胱と説明でいない神経疾患を発症するのでしょうか?
リウマチ専門医と神経科医は、長いこと私を相手に押し付けあって、自分の専門よりも相手の専門分野が私の診断にはより有効であると主張していました。そしてやっと、リウマチ専門医と神経生理科医が協力して私を見てくれることになりました。神経生理科医とリウマチ専門医は、検査の結果と、上位運動ニューロンに問題がある症状に基づいて横断性脊髄炎ではないかと考えました。検査で示された炎症は、おそらく脳および/または脊髄への損傷によるものではないかと説明しました。これについては、時間の経過を待つ以外何もできないといいました。今に至るまで、私の損傷や症状のどれも説明されていません。
ガーダシル後の一連の症状
ガーダシル後の私の症状は、麻痺、歩行障害、感覚異常、音に触覚に過敏、全身が震える、振戦、間接が硬く痛む、手足が青紫になる、副腎機能不全、内分泌障害、体重減少、吐き気、嘔吐、過呼吸、笑うこと、泣くことが制御不能、低血糖、匂いと化学薬品に過敏、暑さ寒さに不耐性、食欲不振、骨盤の痛み、過活動膀胱、胸の痛み、胸の動悸、息切れ、腫れ腺、記憶喪失とメモリのギャップ、混乱、脱毛、立ちくらみ、失神、簡単な日課を実行するのが困難な極度の疲労です。
私の身体的な症状は、処置するのにとても困難なものですが、このすべてが私の感情や精神にもたらした混乱は、それ以上に大変なものです。自由な精神の持ち主であった私は、今は人生を恐れています。車の運転中に、混乱し疲れて眠ってしまったらどうしようか。脚が突然動かなくなるかもしれないので、運転するのも一人でいるもの恐くなりました。病原菌に感染するかもしれないので、社交的なイベントも旅行へも行くのが恐くなりました。私は、風邪やウイルスで月に最低1回病気になりますが、そのたびに、私の回復は最低1ヶ月後戻りします。昔はとても自立していましたが、今は夫に完全に頼りきっています。昔はエネルギーにあふれていましたが、今はシャワーさえ疲労困憊します。かつて冒険や戸外活動が大好きであった少女は、今は、最近おこった極度のアレルギーのため外出することが恐くなっています。アレルギーが起こると、すでにフル稼働の免疫系が爆発し、私のすべての症状は悪化します。
でもこのことがもっとも痛みを伴う部分ではありません。もっとも困難で辛いことは、私がもし病気でなかったら、私の人生でやっていたであろうすべてを考えることです。たぶん、私は学校を終え、パーソナルトレーニングの事業を起こし、あるいは、子供を育てていたかもしれません。私は毎日病気で家にいながら、他の人たちがそれぞれの人生を生きていることを見ています。ある人たちは夢をかなえ、ある人たちは不運にも与えられた貴重なギフトを無駄にしています。私は毎日人生を渇望しているのですが、今は疲労し衰弱しているのでそれができないでいます。ガーダシルは、私を、自分の身体の中の檻に閉じ込めたのです。私はもやは未来を夢見ていません。なぜなら、私の身体が夢を実現することを阻むのではないかと思うからです。
でもあたなた病気のようには見えない
私は回復しようと闘っている間に、私は何度も、病気のように見えないといわれました。私は、病気の醜い部分をほとんどの人には見せないようにしているのです。私は、他の何千人の女の子と同じように毎日苦しんでいるのです。私たちは、理解されないので孤立しています。私たちはみな、沈黙の中で苦しんでいます。なぜなら、私たちは病気のように見えないとか、助ける方法はないとか、それは私たちの頭の中のことだとかいわれているからです。あるいは、私たちの病気には「病名」がないので、私たちのことを聴いたり信じたくない人たちに出会います。他の多くの人と同じように、私は最も必要としているときに友人を失いました。理解不足で、親戚の一部との間もこじれました。病気の後にあった人たちは、病気の下に閉じ込められた本当の私を知ることはないでしょう。私の夫は、自分が結婚した女性と人生をともに生きてさえいないのです。彼は、毎日新婚の喜びに満ちた生活の代わりに、私のお世話をしています。ガーダシルは私たちからそれを取り上げました。
ガーダシル後を治癒する試み
今私は、治癒することに焦点をあてて、毎日を過ごしています。いつか明るい未来がもてるように、改善から引き戻されないように注意して暮らしています。私の回復に手助けをしてくれた唯一の専門家たちは、自然および機能療法を実践しています。私の徹底した食餌療法とサプリメントプログラムにより、2年間車椅子ですごした後、はじめて歩くことができるようになりましたが、今でもまだ多くの症状に毎日苦しんでいます。2014年1月に、ホメオパシー医とともに、CEASE療法でワクチンを私のシステムからデトックスをする予定です。
私は、2年間の後で、自分の話を披露することに決めました。なぜなら、私たちを守るはずであったものにより美しい人生が破壊されることを傍観していることができなくなったからです。私は自分に起こったことにに意味があることを望み祈っています。もし私の話が、このワクチンの接種に反対するよう納得させることができなかったとしても、少なくとも、選択するまえに、調べることよう納得させることができるといいと思っています。調べることでわかります。私は注意も受けなかったし調べもしなかったことが、私の現実です。この話が、ガーダシルワクチンからあなた自身やあなたの愛する人たちを守ることに役立つことを望んでいます。
ジュリー・デイビッドソン
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私は、ジュリー、26歳です。ガーダシルによって受けた被害を話すことはとても大変なことだったので、接種以来あまり話さずにいました。私の心に受けた痛みはとてもひどいものだったので、ガーダシルなどまるで存在しなかったかのように振舞うほうが気が休まるものでした。この2年間、私は人生を盗まれたふりをして、毒を盛られたことは忘れようとしました。残念ながら、忘れることはできませんでした。毎日、起きるたびに、本当の悪夢を生きていることを思い知らされました。私は、他の少女が説明できない健康問題に苦しんでいることを知り、自分のことを話す決意をしたのです。彼女たちの診断は、心の病であるとか、あるいは何も治療法がないということでした。私自身と、これら何千という少女をつなげるものは何でしょうか。ガーダシルです。
ガーダシルの前の自分のことを考えると、それはまるで他人のことのようです。このワクチンは、文字通り、あらゆる面で私の生活を変えてしまいました。ある意味で、私は同じ少女ではないことを嬉しく思います。私は、衰弱する病に苦しむ人たちのことを以前よりも理解できるようになりました。何も考えずに車椅子の人の横を通り過ぎる代わりに、私は挨拶をし、そして泣くのです。彼らの苦闘がわかるから泣き、本当に心配してくれる他人がとても少ないことに泣くのです。私は誰が本当の家族で友達であるかを知りました。また真実を調べること、直感的に医学を信用しないことの価値を学びました。また、健康の本当の価値、それなしには何もできないことを知りました。これらのいくつかのことを除けば、昔の自分を失くしたことがとてもとても悲しいです。私はかつて非常に健康で活発でエネルギーに満ちた少女でした。私は、ジムのパーソナルトレーナーで、健康や運動に関するすべてのことに情熱を持っていました。私は、戸外での活動や、冒険が大好きでした。あらゆることに人生の美を見つけ出す自由な精神の持ち主でした。23歳で、たくさんの夢を持ち、未来をとても楽しみにしていました。
副鼻腔感染の治療の間に、ガーダシルと破傷風ワクチンを薦められたのです。どうして、医者のアドバイスに従ったのか?
2011年3月26日、23歳のとき、副鼻腔感染があって医者に行きました。そのとき、医者に、ガーダシルと破傷風ワクチンをするのが賢明だと薦められました。その後すぐ、私は気分が変になり、後悔しました。そして、副鼻腔感染で自分の免疫系がすでにフルに活動しているのに、ワクチンを受けることは賢明ではなかったと理解しました。私は母に電話して、恐くて泣きながら、何か悪いことが起きたと話したことを思い出します。私の直感は正しかったようでした。接種のあと数日で、極度の疲労が襲ってきました。日課をこなすのが難しくなりました。始終頭がぼんやりして、ときどき記憶がなくなりました。骨盤の痛み、吐き気、食欲喪失、2ヶ月で13キロやせました。絶えずインフルエンザにかかっているように感じていたので、パーソナルトレーナーの仕事をすることが難しくなりました。実際にインフルエンザのようなものではないかと思って、何回も仕事を休みました。7月までに、事態は急変しました。胸部から左の腕にかけてひどい痛みがあり、不整脈がありました。身体全体に刺痛があり麻痺する症状が、3回起きました。この時点で、私は何か深刻なことが起こっていることわかりましたが、それがどれほど深刻なことになるかは想像できませんでした。
ガーダシル後麻痺と中枢神経系損傷
2011年8月6日、ベッドで目が覚め、立ち上がろうとしましたが、床に転び落ちました。床の上で、左足が動かせないことを理解しました。数日後、同じことが右足に起こりました。両足が麻痺し、立ち上がることも歩くことおできなくなりました。10日間入院しました。ありとあらゆる検査を受けました。脊椎穿刺2回、CT スキャン、脳と脊椎のMRI、心エコー、腹部スキャン、たくさんの血液検査。医師たちは私のどこが悪いかはっきりとわからず、それで、高用量のステロイドの治療を受け、退院しましたが、病状はまったく改善していませんでした。9月には、朝起きたとき、右腕以外、首から下を動かすことができなくなっていました。首から下の麻痺でした。他の緊急病棟へ行き、1週間入院しました。さらに精密な検査を受けましたが、医者たちは原因がわかりませんでした。外来患者として神経筋専門医との予約をし、退院しましたが、このときも入院時から病状はまったく改善していませんでした。
これが、私と専門医たちと歩んだ2年間の始まりでした。今までに、多くの神経科医、神経筋の専門医、複数のリウマチ専門医、感染症の専門医、神経免疫医および神経生理科医にみてもらってきました。今のところ唯一の発見は、リウマチ因子が陽性であること、ANA価(抗核抗体価)が陽性であるころ、SED速度(赤血球沈降速度)が上昇していること、CK(クレアチンキナーゼ)が増加していることで、すべてのテスト結果は、身体の中で炎症がおきていること、そして私の免疫系が正常に機能していないことを示していました。これらのテストの結果が陽性であること以外にも、私は、括約筋が過活動性であると診断されました。もし、なんの根本的な原因がないとしたら、かつて健康であった23歳の女性が、どうして突然、過活動性膀胱と説明でいない神経疾患を発症するのでしょうか?
リウマチ専門医と神経科医は、長いこと私を相手に押し付けあって、自分の専門よりも相手の専門分野が私の診断にはより有効であると主張していました。そしてやっと、リウマチ専門医と神経生理科医が協力して私を見てくれることになりました。神経生理科医とリウマチ専門医は、検査の結果と、上位運動ニューロンに問題がある症状に基づいて横断性脊髄炎ではないかと考えました。検査で示された炎症は、おそらく脳および/または脊髄への損傷によるものではないかと説明しました。これについては、時間の経過を待つ以外何もできないといいました。今に至るまで、私の損傷や症状のどれも説明されていません。
ガーダシル後の一連の症状
ガーダシル後の私の症状は、麻痺、歩行障害、感覚異常、音に触覚に過敏、全身が震える、振戦、間接が硬く痛む、手足が青紫になる、副腎機能不全、内分泌障害、体重減少、吐き気、嘔吐、過呼吸、笑うこと、泣くことが制御不能、低血糖、匂いと化学薬品に過敏、暑さ寒さに不耐性、食欲不振、骨盤の痛み、過活動膀胱、胸の痛み、胸の動悸、息切れ、腫れ腺、記憶喪失とメモリのギャップ、混乱、脱毛、立ちくらみ、失神、簡単な日課を実行するのが困難な極度の疲労です。
私の身体的な症状は、処置するのにとても困難なものですが、このすべてが私の感情や精神にもたらした混乱は、それ以上に大変なものです。自由な精神の持ち主であった私は、今は人生を恐れています。車の運転中に、混乱し疲れて眠ってしまったらどうしようか。脚が突然動かなくなるかもしれないので、運転するのも一人でいるもの恐くなりました。病原菌に感染するかもしれないので、社交的なイベントも旅行へも行くのが恐くなりました。私は、風邪やウイルスで月に最低1回病気になりますが、そのたびに、私の回復は最低1ヶ月後戻りします。昔はとても自立していましたが、今は夫に完全に頼りきっています。昔はエネルギーにあふれていましたが、今はシャワーさえ疲労困憊します。かつて冒険や戸外活動が大好きであった少女は、今は、最近おこった極度のアレルギーのため外出することが恐くなっています。アレルギーが起こると、すでにフル稼働の免疫系が爆発し、私のすべての症状は悪化します。
でもこのことがもっとも痛みを伴う部分ではありません。もっとも困難で辛いことは、私がもし病気でなかったら、私の人生でやっていたであろうすべてを考えることです。たぶん、私は学校を終え、パーソナルトレーニングの事業を起こし、あるいは、子供を育てていたかもしれません。私は毎日病気で家にいながら、他の人たちがそれぞれの人生を生きていることを見ています。ある人たちは夢をかなえ、ある人たちは不運にも与えられた貴重なギフトを無駄にしています。私は毎日人生を渇望しているのですが、今は疲労し衰弱しているのでそれができないでいます。ガーダシルは、私を、自分の身体の中の檻に閉じ込めたのです。私はもやは未来を夢見ていません。なぜなら、私の身体が夢を実現することを阻むのではないかと思うからです。
でもあたなた病気のようには見えない
私は回復しようと闘っている間に、私は何度も、病気のように見えないといわれました。私は、病気の醜い部分をほとんどの人には見せないようにしているのです。私は、他の何千人の女の子と同じように毎日苦しんでいるのです。私たちは、理解されないので孤立しています。私たちはみな、沈黙の中で苦しんでいます。なぜなら、私たちは病気のように見えないとか、助ける方法はないとか、それは私たちの頭の中のことだとかいわれているからです。あるいは、私たちの病気には「病名」がないので、私たちのことを聴いたり信じたくない人たちに出会います。他の多くの人と同じように、私は最も必要としているときに友人を失いました。理解不足で、親戚の一部との間もこじれました。病気の後にあった人たちは、病気の下に閉じ込められた本当の私を知ることはないでしょう。私の夫は、自分が結婚した女性と人生をともに生きてさえいないのです。彼は、毎日新婚の喜びに満ちた生活の代わりに、私のお世話をしています。ガーダシルは私たちからそれを取り上げました。
ガーダシル後を治癒する試み
今私は、治癒することに焦点をあてて、毎日を過ごしています。いつか明るい未来がもてるように、改善から引き戻されないように注意して暮らしています。私の回復に手助けをしてくれた唯一の専門家たちは、自然および機能療法を実践しています。私の徹底した食餌療法とサプリメントプログラムにより、2年間車椅子ですごした後、はじめて歩くことができるようになりましたが、今でもまだ多くの症状に毎日苦しんでいます。2014年1月に、ホメオパシー医とともに、CEASE療法でワクチンを私のシステムからデトックスをする予定です。
私は、2年間の後で、自分の話を披露することに決めました。なぜなら、私たちを守るはずであったものにより美しい人生が破壊されることを傍観していることができなくなったからです。私は自分に起こったことにに意味があることを望み祈っています。もし私の話が、このワクチンの接種に反対するよう納得させることができなかったとしても、少なくとも、選択するまえに、調べることよう納得させることができるといいと思っています。調べることでわかります。私は注意も受けなかったし調べもしなかったことが、私の現実です。この話が、ガーダシルワクチンからあなた自身やあなたの愛する人たちを守ることに役立つことを望んでいます。
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