古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

かかしをつくりました。

2009年09月23日 04時52分17秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
『毎日が日曜日』というか『サンデー毎日』というか『全日空』というか。畑仕事をしていると曜日なんか忘れてしまいます。でも今年はシルバーウイークとかいって世の中の喧騒がかすかに伝わってきます。お勤めをもっている子どもたちが芋掘りにやってきました。
 案山子(かかし)をつくらせてやろうと待ち構えていたお爺さんとお婆さんは、早速孫たちをつかまえていっしょにつくりました。というか大人のほうが熱心につくって仕上げ、畑に立てました。
 でー、この案山子は畑に立って何を見張るのか。
 ふつう、案山子は田んぼに立って稲を見張ることになっています。しかし稲は植えてません。強いて役目を与えるとするなら大豆をハトが食べないように見張るくらいです。それなら11月に入って、大豆が乾いて落ちるようになってから立てればよい。それにハトは乾いた固い大豆はほとんど食べません。大豆を植えたとき芽を出すやわらかい双葉を好んで食べます。
 実は見張ってもらうことなんかどうでもよくて、とにかく案山子をつくって畑に立てたかったのです。それも大人たちが。というかお爺さんお婆さんが。だから案山子が立ったのを満足して眺めています。
 もうすぐ稲刈りの時期ですが案山子を見かけることはなくなりました。キラキラテープが張ってある程度です。そんなところに新参者が案山子を立てたりして目立つのはいかがなものか。
 と思わないではありませんがこれは高齢化するジリ貧農業への応援メッセージなんです。いま農業を支えている70代以上の人たちは、遠い遠い昔、祖先が稲を作り始めた頃からの『米つくり』が革命的に変化するのを体験しました。子どもの頃は牛に代かきをさせ、手で田植えをし、田を這いずりまわって草取りをし、鎌で畦の草を刈り、鋸鎌で稲を刈り、稲木に干し、足踏み脱穀機で脱粒し、籾摺り機でモミを摺り、水車で精米するのを体験した世代です。いまでは田植え機やコンバインが「アッ!」という間に仕事をしてしまいます。農薬や化学肥料は魔法のように効きます。夢にも描けなかったほどらくになりました。
 それがいいとかわるいとかでなく、そんな時代を生きてきた人たちへの共感と応援のつもりです。「ほー、案山子かー」とひと息ついてもらえたら。心に涼風がひと吹きするように。
コメント
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