古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

我が心のヌートリア……を退治するにいたるまで。(1)

2011年01月24日 02時35分24秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 ヌートリアを、篠山の雲部車塚古墳の濠ではじめて見たあの夕暮れの時間は、いまも心に残っています。1995年4月のことです。ヌートリアのことをあれこれ調べ、南米からはるばる日本に連れてこられ、なんとか生き延びて日本に住むようになった彼らの心を思い、迫りくる夕闇の中で哲学者のように深く考え込んでいるポーズに魅かれ、いつもヌートリアが心にありました。
 車塚古墳の近くに細工所(地名)という信号があり、そのそばにガソリンスタンドがありました。そこでガソリンを入れたとき、ヌートリアのことを尋ねたら、スタンドの所長はうれしそうに応対してくれました。「私も篠山川で見ましてね。あんな大きなネズミを見たことがないから、一瞬『放射能で突然こんなお化けネズミが出現したのか。これは大変なことだ』と思いましたよ」と話してくれました。彼の心のワクワクがよく伝わりました。
 人に会うとヌートリアが話題になるように仕向け、知らない人がいると得々と日本に住むようになった故事来歴の知識を披露し、いっしょに見に行こうと夕暮れの車塚古墳に案内しました。『ヌーリーちゃん』が登場する童話を書いたこともあります。ときどきヌートリアが出没して農業被害が問題になっている、とテレビニュースで報じられることはありましたが、我が心のヌートリアの地位は不動でした。
 さて時は移り場所は変わって2009年2月、三木市口吉川町の集落で暮らすようになって二年目のことです。我が家と畑の間にある小学校の運動場ほどの池にヌートリアが住みはじめました。成猫大の堂々たるヌートリアです。ワクワクがよみがえってきました。一匹だと思ったら二匹いました。「夫婦でこの池に住むようになったのだな」と思ったら、モルモット大の子どもが二匹いました。微笑ましい四匹家族で暮らすのだな、と畑の行き帰りに見ていたらイエネズミほどの大きさの子どもが五匹お母さんヌートリアのうしろをちょろちょろしています。これは肝っ玉母さんを中心に九匹の大家族です。
 その頃には村でも話題になり、学校から帰ってきた子どもたちやおばあさんたちも自転車を押したり手押し車を押したりして池までヌートリアを見にくるようになりました。ヌートリアたちは昼間でも池のまわりの草を食べ、1メートルまで近づいても逃げませんでしたから。ヌートリアは水辺に住み、前足には水かきがあって、両前足で食べ物をはさんで食べる仕草はとってもかわいいのです。
 ところがある日、畑に行ってみたら大根がかじられています。(2009年3月9日のブログの写真を再掲します)池から大根の畝までは100メートルくらい離れているのにみんなで食べに来たのでしょう。一畝全部、何十本という大根がかじられています。ヌートリアは掘り出したりできませんから地上に出ている部分をかじるのです。白菜もキャベツも……。  (つづく) 
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