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古希からの田舎暮らし

古希近くなってから都市近郊に小さな家を建てて移り住む。田舎にとけこんでゆく日々の暮らしぶりをお伝えします。

一里塚だったのでしょうか。

2011年01月08日 04時25分54秒 | 古希からの田舎暮らし 80歳から
 我が村のゴミステーションは美嚢川(みのうがわ)のそばにあり、そこに小さな橋がかかっています。乗用車は通れますが重量制限は2トンです。この橋のたもとに榎の大木があります。写真では手前の桜の木より高くそびえていますが、実は桜の木は道端に生えており、榎のほうはさらに5メートル下の河原から生えていますからほんとうはもっと高木になります。
 写真の左後方の山はとなりの西中です。むかしふもとの《蛇が池》から蛇がこの山にのぼり、頂上から龍になって天に昇った。という言い伝えがあり、いまも頂上に龍神さまが祀られています。この山の名前を西中の人に尋ねたのですが「名前はない」そうです。そこで我が家では便宜上《西中の山》と呼んでいます。でもときどきつづめて《西山》と呼んだりします。山頂への道は整備されており、4月上旬にはコバノミツバツツジのトンネルになります。でもふだんこの山に登る人はありません。ときどき我が家で思いついて孫たちと登るくらいです。
《西中》のとなりの《東中》の山は、背景のゴルフ場より低くて写真ではわかりにくいです。でも我が家の裏山であり、今年もときどきお参りすることにします。
 写真に写っている榎の手前の桜は、幹に空洞のある老木ですが4月にはきれいに咲きます。その足もとに祠があり、隣村の人がお世話をしているのでしょう。花が差してあります。いつ頃何を祀ったほこらでしょうか。また散歩のときに隣村の人に尋ねてみることにします。
 さてエノキという字は《木》ヘンの横に《夏》と書きます。榎は枝がよく繁り、樹形がよく樹冠が広い木陰をつくってくれます。この木を一里塚として全国のあちこちに植えたのは江戸時代ですが、それを受け継ぐようにいまも榎の大木があります。先日紹介した細川町金屋のローソン駐車場そばの榎も一里塚を受け継いだものでしょうか。
 なんでも榎を一里塚として全国に植えるようにしたのは徳川家康とか。家来が「何の木を植えましょう」と尋ねたら、家康は「ええきにせえ」とこたえた。それを家来が聞き違えて「えのき」になった。とよそのブログに書いてありました。ホントかなー。
 榎といえば篠山城の石垣の上に見事な樹形の榎の大木がありました。明日またつづきを。
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