浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「垂訓」

2024-05-20 23:58:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

 恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

こうすれば、一つ一つ取る時間が節約できるわけで、
父の体も少しは楽になります。
その田圃のすぐ近くは堤防でその上は平地になっており、
友達が来てワイワイ遊んでいるのです。
その中に好きな女の子がいたのです。

私はちょっとおませでして、
小学校一年でもう好きな女の子がいました。
「あの子、かわいらしいなあ」と、まあ私の初恋です。
その子もいっしょに遊んでいるので、
行きたくて行きたくてたまりません。

「男女の愛は苦しみである」とはよく言ったものです。
神の愛につながる純粋に精神的な愛、
アガペの愛には苦しみはありません。
しかし、幼い男女でさえも、
男女の愛には苦しみがつきまといます。


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「垂訓」

2024-05-20 00:07:07 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

      恩師のご著書「真理を求める愚か者の独り言」より


          第五章 心の曇りをとるための反省

      幼い頃から今日までの自分の姿を立体映像で見せられる

先の続き・・・

小学校一年の秋のことです。
取り入れで稲刈りをして干し、
乾燥すると田圃の真中にゴザを敷いて脱穀をするのです。
干してある稲束を脱穀する場所まで運ぶと、
父が足踏み機でギコギコ脱穀しては
済んだ藁を後ろに放っていくのですが、
その時、積んである束を父に渡すのが私の役目でした。

この稲束を父が最も受け取り易いように一つずつ渡すと、
父はザアーツと脱穀してパッと後ろに放ります。
すると、次の束を渡さなくてはいけないのですが、
父の手許の受け取り易いところへ持っていかないと、
「何をしているのか」と怒られます。
父のしやすいように次々と渡していくのです。



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