浄心庵・長尾弘先生「垂訓」

八正道と作善止悪

「御垂訓」

2019-08-14 00:09:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真は恩師「長尾弘」先生がネバダ州へ行かれた時、
グランドキャニオンを訪問見学されたスナップ写真です。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                  講演 三

「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

マクドナルド・ベインさんという方に、
イエス様がお入りになりまして、
お話されたものを書きとめたご著書があります。

その原著を沖縄の仲里誠吉先生が翻訳された
「心身の神癒」という本が出版されております。

この本を読ませていただきますと、
ほんとうに神と人間との関係について
分かりやすく書いていただいておりますね。

「神は大生命なり、神はこの大宇宙の中に隈なく偏在される
巨大にして偉大なるエネルギーであり、力であり、
すべてを調和させて下さる愛そのものである」
とありますようにすべてを生かし育てあげようとして下さる永遠にして
変わることのない巨大な愛がほんとうの神様です。

そして私たちは神様の御魂が一人一人に注がれているのを
知ることによって、完全無欠なる神が私たちの中に在られるという
理解が深まれば、現実の病気は消えていくはずです。
こういうことを「心身の神癒」という本の中に
書いていただいております。

ですから私たちは「内なる神、神なる我」を理解させていただき、
その理解度が深まれば深まるほど病気が治るようになっていることを
知らねばなりません。



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「御垂訓」

2019-08-13 00:00:05 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はシャルマーインド大統領に招待され大統領官邸に
招待された時のものです。


 ~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 三

「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

示す偏に申すと書くまことの神は宇宙の中でただおひと方であり、
それは自らの姿をこの大自然の中に現し、
私たちに「このように生きなさい。このように
生きてはならない」と示し申されるのがほんとうの神様です。

真の神は「形あって形なし、形あっては天地自然に現せし姿これなり、
形なくては汝らを生かさん力これなり」というお方です。
すべてのものを生かそうとして下さる大生命こそほんとうの神です。
そのお姿を見たければ私たち一人一人が神の御子であり、
神のいとし子であると知ることです。

つまり神様がご自身を示し現すために人間を造られたのですから、
人の悪口を言ったとしたら、これは神様の悪口を言ったことと同じです。
どなたに対しても、もし謗ることがあれば、神を謗ったことであり、
人を殴ってしまったら、神様を殴ったことになります。
このほんとうの神を知ってこそ私たちは日々の生活に安らぎを頂けます。

マクドナルド・ベインさんという方に、
イエス様がお入りになりまして、
お話されたものを書きとめたご著書があります。

その原著を沖縄の仲里誠吉先生が翻訳された
「心身の神癒」という本が出版されております。

この本を読ませていただきますと、
ほんとうに神と人間との関係について
分かりやすく書いていただいておりますね。


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「御垂訓」

2019-08-12 00:43:47 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 三

「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

この話も時々するのですが、この世に現実に自分があるのです。
ところがその自分が全く違う次元で話しているのが
分かる時があるのですね。

この世にありながら、あの世にも同時に生きているということが
はっきり分かるのです。
今この地上にこうして肉体を頂いておりますが、
私の心はあの世この世ともに生き通しているということが
自分で自覚できるのです。

ですから死の恐怖というものはいっさい関係がないのです。
人はみなこの世に生きていると錯覚を起こしていますが、
ほんとうはあの世この世を通して生きているのが私たちの実相です。
どういうことかと言いますと、
肉体はこの三次元世界の現象世界のものであり、
心は四次元以降に実在界のもので、実在界と現象界が一つとなって、
この世というものが現れているということですね。

また、「正法」の学びの中で大事なことは、
ほんとうの神様を知るということです。

神様はいっぱい在られまして、
ほんとうの神でない神があまりにも多いですから、
私は「まことの神」「ほんとうの神様」と呼ばせてもらっています。
キリスト教的には「父なる神」「天に坐します我らの父」、
或いは「私たちを造り給うた父なる神」といっている
この神こそまことの神様ですね。



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「御垂訓」

2019-08-11 00:02:42 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 三

「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

今はお陰様でこうして元気に飛び回っておりますが、
やがて腰が曲がり杖をついて歩くようなった姿を
皆様に見ていただくのでしたら、今、花と惜しまれる間に
散りたいと思うのも人情かと思います。

「先生、死んだらあきません。長生きして下さい。
先生が死んだら私ら難儀ですから、いつまでも生きて下さい。
もし無理だったら私が死ぬまで待って下さい。
私を天上界へ上げてくれたら、
もういつ死んでくれてもよろしいから・・・」
こんなことをおっしゃるのですね。

死にたいと言っているのに死んだらあかんとおっしゃるし、
それも自分のために言われるのです。
私たちは生死を越えなくてはいけません。
 
この話も時々するのですが、この世に現実に自分があるのです。
ところがその自分が全く違う次元で話しているのが
分かる時があるのですね。

この世にありながら、あの世にも同時に生きているということが
はっきり分かるのです。
今この地上にこうして肉体を頂いておりますが、
私の心はあの世この世ともに生き通しているということが
自分で自覚できるのです。

ですから死の恐怖というものはいっさい関係がないのです。
人はみなこの世に生きていると錯覚を起こしていますが、
ほんとうはあの世この世を通して生きているのが私たちの実相です。
どういうことかと言いますと、
肉体はこの三次元世界の現象世界のものであり、
心は四次元以降に実在界のもので、実在界と現象界が一つとなって、
この世というものが現れているということですね。
 

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「御垂訓」

2019-08-10 00:07:57 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


                   講演 三

「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

先々月の「道」の中に
満開や春の嵐に散る桜 我も散りたし口果てぬ間に

この歌を載せていただいて、お叱りを受けました。
「先生は死ぬというようなことを言ったらあきませんよ」と、
叱られてしまったのですが、
まあ今朝は朝食もいただかず飛んで出まして、
先ほどやっと家に着きお茶漬けを少し頂き、
満腹になるとしゃべるのがしんどいですから、
食事を控えてここにかけつけました。

帰って来る時、近鉄線に乗って私の肉体のふるさとである
国分を通過しました。
特急ですから国分駅には止まってくれません。
「ああ、お母さんが国分にいてくれるのに、
ちょっと挨拶ぐらいできたらなあ」と、
思いながら実家の側をとおりました。

自分の時間があれば自分の母親の顔も見に生きたいですし、
また私の顔を見ていただいたら喜んでもいただけます。
しかしそれさえ許されない今の自分に与えられた環境を
思いました時、ああ、辛いことだなあと思います。

またしんどい目をしてフラフラになりながら、
体の悪い方の癒しをさせてもらい、
その数があまりにも多くなってきますと、
エネルギーがなくなりまして、
お尻を持ち上げることもできないから、
今度は私が皆さんの周りを這いずり回って
治さなくてはいけないことになります。

エネルギーの限界、命の限界まで挑戦しまして、
「もうこんなにしんどいことがずっと続くのだったら、
朽ち果ててしまわない間に、いい加減に卒業できる
といいのになあ」と思うのです。


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「御垂訓」

2019-08-09 00:28:35 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


          講演 三

「また、生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

「父母に仮に呼ばれて客に来てまた立ち帰るもとのふるさと」

もとのふるさとに立ち帰るとは、この世を卒業した時のことです。
このことを普段から心の中へよく入れておくことです。
そうしますと死というものは別に怖い問題ではなく、
この世は魂の修行をするためにお父さんお母さんの縁を頂いて
お客様に呼んで頂いているだけで、帰るべき時が来たら
ほんとうの自分のふるさとに帰るのだということが分かると、
死を怖いと思わなくなります。

私は二十代に、この言葉に巡り合いまして、死の恐怖から逃れました。
ですから、死というものには、いっさい恐怖はなく、
いつお迎えを頂いても喜んで帰らせて頂く用意があります。
というのは、今日までの間に私がさせていただいたことを
あの世に帰りまして「これだけのことをさせていただきました」と
いって報告できるお土産を作っております。

ふるさとに帰る時に、日頃、私たちが神様の愛を
この肉体を通してどれだけ日々の生活の中で現せたか、
ほんとうの神様の御心をどれだけの方にお伝えできたか、
これが大きなお土産になるのではないかと思います。

善き行いを積み、人々の心にどれだけ安らぎを与えてきたかが
あの世に帰る時のお土産になります。
幸い私は少しお土産を作りましたので、
もういつ死んでも満足でございます。


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「御垂訓」

2019-08-08 02:56:01 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


講演 三

「また生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

先の続き・・・

父母に仮に呼ばれて客に来てまた立ち帰るもとのふるさと

もとのふるさとに立ち帰るとは、この世を卒業した時のことです。
このことを普段から心の中へよく入れておくことです。
そうしますと死というものは別に怖い問題ではなく、
この世は魂の修行をするためにお父さんお母さんの縁を頂いて
お客様に読んで呼んで頂いているだけで、帰るべき時が来たら
ほんとうの自分のふるさとに帰るのだということが分かると、
死を怖いとは思わなくなります。

私は二十代に、この言葉に巡り合いまして、
死の恐怖から逃れました。
ですから死というものには、一切恐怖はなく、
何時お迎えいただいても喜んで帰らせていただく用意があります。
といのは、今日までの間に私がさせていただいことを
あの世に帰りまして
「これだけのことをさせていただきました」といって
報告できるお土産を作っております。

私たちは肉体を頂きますと、生老病死の苦しみを受け、
自分自身の本性も忘れ去ってしまいます。

日々の生活を生き抜いていくことも大変です。
年を取るにことも大変です。
姿が醜くなることを避けることはできませんし、
病気にならないという保証は誰一人頂いておりませんから
何時病気にかかるかもしれません。
というのは、人間の肉体は四百四病の病の袋であるといわれていて、
その病が縁に触れていつ噴き出すかも分からないのです。


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「御垂訓」

2019-08-07 00:16:31 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


           講演 三

先の続き・・・

自分の心を自分の心の魔に支配されてしまって、
神様の御心に背いて、この現象世界を去ってしまうのが、
法に縁を頂けなかった時の私たちの姿です。

もし縁を頂けなかったとしたら、
今頃私はどうなっていたか分かりません。
欲望に振り回され、他を恨み憎み、
非難攻撃して自分の心を鬼のようにして
生きていたことと思います。
この姿は全く神のご意志に背いた生き方です。
 
「また生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」

私たちは肉体を頂きますと、生老病死の苦しみを受け、
自分自身の本性を忘れ去ってしまいます。

日々の生活を生き抜いていくことも大変です。
年を取ることも大変です。
姿が醜くなることを避けることはできませんし、
病気にならないという保証は誰一人頂いておりませんから
何時病気にかかるかもしれません。

というのは、人間の肉体は四百四病の病の袋であるといわれていて、
その病が縁に触れていつ噴き出すかも分からないのです。
 
また死は誰一人として避けることはできません。
どれほど善いことをしようが、悪いことをしようが、
大空の彼方に逃れても、水の底に逃れても、
山の奥の洞窟に逃れたとしても、死から逃れられるところはなく、
死は必ず訪れます。

この世の生を頂きますと、
必ず、乗り越えなければならないのは死という現実です。
しかし、どうしてもそれに対する恐怖が伴うのですね。
ですから、「死ぬのは怖い」と皆さんがおっしゃいます。

この誰も避けることのできない死を、
いかに迎えるかということですね。
それは常に自分の心を軽くすることです。
この現象世界は私たちの魂を修行させていただくところの
仮の宿であるということを自覚することです。



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「御垂訓」

2019-08-06 00:14:04 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


講演 三

先の続き・・・

「法」について、また先生について、
いろいろお懐かしいお話もございましたし、
私たちの知らない先生の日々の生活も聞かせていただいて、
「ほんとうに幸せだなあ」と思わせていただきましたね。
「心行」の解説は、前回「自己保存・自我我欲に明け暮れて
この現象界を過ぎゆく」というところまで学びました。

自我我欲と言いますのはキリスト教でいっているところの
「原罪」ではないかと思います。
肉体を頂いている限り避けることのできない罪が
自己保存と自我我欲です。
肉体を持つ限り、縁に触れますと次から次へと
この自己保存と自我我欲の思いが盛り上がってきます。

自己保存と自我我欲こそ私たちの心の中に巣を作って
住みついている悪魔の正体です。
私たちの内なる世界の、心の奥底のもっと奥底の世界は、
ほんとうの神なる我の世界ですね。

これこそキリスト教でいうところの「キリスト意識」です。
私たち一人一人の中に、真の神の御霊がちゃんと与えられています。
これを知ることによって最も大きな妨げをするのが自己保存と自我我欲、
そして後に出てきますところの都合が悪かったら
嘘を言ってでも相手を落とし入れようとしたりします。

自分を正当化するために、ありもしない事実をでっち上げてでも、
自分に都合の悪い人を落とそうとかかるのは、正に悪魔の仕業であり、
そのような思い、行いはほんとうの神様のご意志に最も背いた
行為です。

何故かと言いますと、神は大いなる愛であり、
すべてのものがお互いに幸せに暮らすように努力することが
神のご意志に添うことだからです。
もし、自分と相手を分離させたり、差別してしまいますと、
これはもう神のご意志に背きます。
神のご意志に背く者は全部偽者であり、悪魔であると見るべきです。



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「御垂訓」

2019-08-05 00:33:18 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はその昔、お釈迦様が大悟されたブッダガヤで
七か所場所を変えられて「法」の喜びを享受されたと云われている
同じ場所で恩師「長尾弘」先生も瞑想されているところです。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


         講演 三

先の続き・・・

しかし、高橋信次先生はおっしゃいました。
「正法の自力は最も偉大な他力を頂ける。正しい法を自ら行い、
実践した時、最も大きな他の力が働きかけ、
光と安らぎの世界に導いていただける」と。

まさにその通りで、私も自分からおしゃべりしたいと思うとか、
またこうしてたくさんの皆様の前でお話できるなどとは
全く想像もしなかったことで、
知らない間にこういう環境を頂いてしまったのです。
 
この間、東京へ行きました時、
信次先生の一番上のお姉様がわざわざ長野県の
佐久から東京に出てきて下さいまして、
夜、親しくお話させて頂きました。

夜十一時頃までは他のお客様が次々とお見えになり、
皆様がお帰りになってからお姉様とお話おりますと、
「もう休んでもらわなくてはいけません」と
お世話の方が気を遣われるのですが、お姉様が
「もう一服タバコをお吸いになってはいかがですか」と言われて、
吸ってしまいますとまた「もう一服いかが」と
言われて時間をのばして下さって、
三時過ぎまでお話させてもらいました。
「朝まででもお話したい」と、そのようにも言っていただきました。



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「御垂訓」

2019-08-04 00:35:29 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

添付のお写真はお釈迦様がご生誕になられたルンビニに建立されている
初代の摩耶堂です。
今は建て替えられて二代目の摩耶堂になっています。
恩師「長尾弘」先生は何度もお釈迦様の聖地訪問をされていますが、
この時が聖地訪問初回です。


~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


講演 三

先の続き・・・

「まあその内に、その内に自分の心が綺麗になれば先生の前に
出させていただける」と思って「その内に」と言っているうちに
先生が亡くなられましたから、
自分の怠慢と不精進とをいやというほど味わって自分を責めました。

亡くなられてから二年後、初めて四国に招いていただいた時、
皆様から「信次先生が亡くなられて、
私たちはいったいどうしたらいいのでしょうか」と
質問を頂きましたので、
「もし、高橋信次先生のような光の天使がお出ましになりましたら、
その時こそ一番先に馳せ参じて、
お役にたたせていただくことのできる自分を今造るべきだと思います。
                
私はその内その内という怠け心のまま時が過ぎてしまいまして、
先生にお目にかからせていただくこともできないで
辛い思いをしましたから、
今度こそ偉大な光の天使がお出ましになった時は、
私たちが一番に馳せ参じて、その手足と
なって使っていただける己を造りましょう」と、
昭和五十三年八月に誓いまいした。
あれからもう十一年が過ぎてしまいました。

今、私も全国から招いていただきまして東奔西走しておりますが、
まさかこんなことになろうとは夢にも想像していなかったことです。
最初はただ法を求めて下さる方、
信次先生が説かれた教えを聞いて下さる方、
また共に語り合える方があれば、どこへでも寄せていただいて
先生のお話をしたいという思いで、「先生はこういう方でした」

「こういうことを教えていただきました」
「このように学びました」といって、この大阪近辺で、
遠い所では四国で、お話させてもらっておりました。
これも天上界でちゃんと計画していただいた
レールの上に乗せてもらってただ
走り回るだけでしたが、日本国中、

また世界のあちこちからお招きいただく自分の今日ある事態が、
もう奇跡ではないかと思わせていただいております。


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「御垂訓」

2019-08-03 00:37:02 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


「己が前世の約束を忘れ自己保存自我我欲に
明け暮れて己の心の魔に支配され
神意に反しこの現象界を過ぎ行かん」

私たちはこのように完全なる愛の中に生きさせてもらいながら、
自分の肉体に意識・心が支配され、自分の前世の約束さえ忘れ去って、
自己保存・自我我欲に明け暮れています。

己の心の魔に支配されて神のご意志に背き、
この現象界を過ごしています。
この姿は法に縁のなかった方たちのこの世の最後の姿です。

しかし、私たちは今、法に縁を頂きましたから、
あの世に帰る時は神との約束を果たして帰りたいと思います。
「心行」の解説、今日は大変よく進みまして、
この辺りで終わらせてもらいます。
どうも長い間、ご清聴ありがとうございました。

講演 三

「心行」を書き残して下さいました高橋信次先生は
四十八歳にして年若くあのふるさとにお帰りになりました。
私が求め求め、やっと巡り合えました心のお師匠様に
僅か一年八カ月ほどのご縁でお別れしてしまいました。

その時は、いつもお話しますが、
自分の体らか骨も何も抜き取られてしまった
ような、もうこの体を支えるのも耐え難いようなショックと悲しみ、
辛さを味わいました。
正に気が狂ったように泣き叫んだものでございました。



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「御垂訓」

2019-08-02 00:01:20 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


「しかるに諸々の衆生は己の肉体に意識・心が支配され」

先の続き・・・

「心行」は深く理解させていただきますと、
私たちは神様のいとし子であったということまでちゃんと
書いていただいているのです。

「文底の秘文」つまり、文字の底に沈められた秘密の教えを
自分の魂の進化によって次々と頂くことができるのです。
私たちは肉体の外なる世界に支配されてしまいます。
この肉体とは外なる世界のもの、そして心・魂は内なる世界です。

一日のうちせめて五分でも十分でも結構ですから静かに坐って、
今日話させていただきましたことをずっと思い出しながら、
自分の心の内に入っていく練習をしていただけたら結構かと思います。
肉体という外なる世界に意識が支配されてしまいますと、
自分が生まれる前にした約束を全く忘れてしますのです。

「己が前世の約束を忘れ自己保存自我我欲に
明け暮れて己の心の魔に支配され
神意に反しこの現象界を過ぎ行かん」

私たちは生まれる前に自分が約束をさせていただいたことを
なぜ忘れるのかというと、肉体によって意識・心が支配されるからです。

そのために自分が前世において結んだ約束を完全に忘れていきます。
忘れる原因は自己保存と自我我欲に翻弄されてしまうからです。
その時、神のご意志に完全に背いております。

自己保存・自我我欲というのは外なる世界に与えられたものであり、
この肉体に与えられたものです。
そして内なるものは神そのものの意識です。



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「御垂訓」

2019-08-01 01:27:15 | 浄心庵 長尾弘先生垂訓

~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~


「しかるに諸々の衆生は己の肉体に意識・心が支配され」

先の続き・・・

このために、学者は性善説・性悪説という二つの両極端の
研究をなさっています。
人間は本来善か、本来悪か、また両方を唱える方もあります。
これは生まれてわずか十カ月の幼子が合掌しており写真ですが、
こんなに調和されたお顔とポーズをされています。

その性が悪であればこのような姿ができるはずがありません。
善悪の判断の基準も分からない幼子に光を入れさせておもらいますと、
このように自らの仏性・神性を現して合掌されます。

「人間は本来神の子なり」というのは間違いないと思います。
知らないから性は善か悪かといろいろ議論されるのですね。
私たちの魂の奥底に与えられているものは神の意識であり、
そして、善なる永遠不滅の生命が私たち一人一人の中に
与えられていることを知って下さい。

その時私たちは今まで知らなかった世界を知り、
人間として生まれ人間である
という想いから、本来人間は善です。
本来悪などということはありません。
しかし、神の意識の中は善悪を超えた愛によって満たされています。
このように幼子のお顔を見せていただいた時、
これは正に人は神の子であることの証ではないかと思います。



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