~ 恩師の「心行の解説」下巻より ~
講演 三
先の続き・・・
自分の心を自分の心の魔に支配されてしまって、
神様の御心に背いて、この現象世界を去ってしまうのが、
法に縁を頂けなかった時の私たちの姿です。
もし縁を頂けなかったとしたら、
今頃私はどうなっていたか分かりません。
欲望に振り回され、他を恨み憎み、
非難攻撃して自分の心を鬼のようにして
生きていたことと思います。
この姿は全く神のご意志に背いた生き方です。
「また生老病死の苦しみを受け己の本性も忘れ去るものなり」
私たちは肉体を頂きますと、生老病死の苦しみを受け、
自分自身の本性を忘れ去ってしまいます。
日々の生活を生き抜いていくことも大変です。
年を取ることも大変です。
姿が醜くなることを避けることはできませんし、
病気にならないという保証は誰一人頂いておりませんから
何時病気にかかるかもしれません。
というのは、人間の肉体は四百四病の病の袋であるといわれていて、
その病が縁に触れていつ噴き出すかも分からないのです。
また死は誰一人として避けることはできません。
どれほど善いことをしようが、悪いことをしようが、
大空の彼方に逃れても、水の底に逃れても、
山の奥の洞窟に逃れたとしても、死から逃れられるところはなく、
死は必ず訪れます。
この世の生を頂きますと、
必ず、乗り越えなければならないのは死という現実です。
しかし、どうしてもそれに対する恐怖が伴うのですね。
ですから、「死ぬのは怖い」と皆さんがおっしゃいます。
この誰も避けることのできない死を、
いかに迎えるかということですね。
それは常に自分の心を軽くすることです。
この現象世界は私たちの魂を修行させていただくところの
仮の宿であるということを自覚することです。