「ちばらき」へ旅してから4年め。
MHKでほんの一瞬目にした九十九里浜の濡れた砂に映る朝日の輝きが見たくて
何が何だかわからぬうちに旅に出た。
行ってみれば
私は鹿島の神様にお導きを受けていた。
自分の中には意識さえなかった「鹿島神宮」
そこで過ごした時間は私の心を浄化した。
今、私はあのころの苦しみが嘘のように
夫と睦まじく暮らしている。
とは言っても
いまだって、しょっちゅう喧嘩にはなる。
が、
喧嘩しているときの気持ちが以前とは違うのだ。
そして何よりも
夫への日々の感謝を感じることができているのだ。
旅立ちの神様、「鹿嶋発ち」のご本家
鹿島の神様に導かれ、支えられ、浄化されて
今の私がある。
そもそも、神社やお寺に参拝するというのは
己と対峙することに違いない。
清浄な神域の中で、清らかな波動に共鳴し
己自身の中の導きの声に気付くのだろう。
どこでもいい。
その時ご縁がある寺社を参拝してみるといい。
決して願い事はせず
ただ感謝して手を合わせるといい。
それを繰り返しているうちに
気づけば、ラッキーになっていたりする。
私のように、
知らず知らずのうちに
思いが変化したりもするだろう。
その変化こそが
神様のご利益かもしれない。
MHKでほんの一瞬目にした九十九里浜の濡れた砂に映る朝日の輝きが見たくて
何が何だかわからぬうちに旅に出た。
行ってみれば
私は鹿島の神様にお導きを受けていた。
自分の中には意識さえなかった「鹿島神宮」
そこで過ごした時間は私の心を浄化した。
今、私はあのころの苦しみが嘘のように
夫と睦まじく暮らしている。
とは言っても
いまだって、しょっちゅう喧嘩にはなる。
が、
喧嘩しているときの気持ちが以前とは違うのだ。
そして何よりも
夫への日々の感謝を感じることができているのだ。
旅立ちの神様、「鹿嶋発ち」のご本家
鹿島の神様に導かれ、支えられ、浄化されて
今の私がある。
そもそも、神社やお寺に参拝するというのは
己と対峙することに違いない。
清浄な神域の中で、清らかな波動に共鳴し
己自身の中の導きの声に気付くのだろう。
どこでもいい。
その時ご縁がある寺社を参拝してみるといい。
決して願い事はせず
ただ感謝して手を合わせるといい。
それを繰り返しているうちに
気づけば、ラッキーになっていたりする。
私のように、
知らず知らずのうちに
思いが変化したりもするだろう。
その変化こそが
神様のご利益かもしれない。