幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

季節の移ろいに思うこと

2011年08月29日 09時39分35秒 | ひとりごと
 夏と秋
  行き交う空の通い路は
       かたへ 涼しき風の吹くらん   
           
                  おおこうちみつね
 

うる覚えなので、間違っていたらごめんなさい。
この時期になると思い出す歌です。


もうひとつ


 ひまわりが むこう向いて 泣いてるよ       
                                 作者 わかりません



これは、まだ若い頃に 新聞で写真入りで目にしたものです。


 季節はまちがいなく移っています。

震災だ、放射能だと
人間たちが右往左往しているなかで
何も言わず、でも、着々と
季節は自分の「時間」を流し続けています。

まぶしい日差しは透明感を増し、静かさを伴うようになってきました。

こんな秋を
「白秋」と表現した
昔の日本人の感性をすごいと思います。


庭の洋種ヤマゴボウの実が赤黒く実りだし
ヒヨドリや野鳩が
それをついばみに来ます。

静かな空気は彼らの羽音に波立ち
静かな中にもたくさんの生命の営みがあることを思い出させてくれます。

放射能に汚染されてもヤマゴボウの実は実り、熟しています。

たくさんの犠牲者が出たというのに
山鳩は今日もただ、無心に餌をついばむのです。



震災を起こしたのも自然であるならば
季節を営ませるのもまた自然です。


自然は、良いことにも不幸な事にも
ただ、淡々と
淡々と過ぎていくだけなのです。




 幼い頃私はよくアリの巣を壊しました。


せっせ、せっせと、いそしんでいるアリたちの巣の入り口を
ぐちゃぐちやに壊し、出入りできないようにしてしまうのです。


アリたちは突然の災難に大慌て!!

それこそ、右往左往し、たいへんな騒ぎとなります。

けれど、次の日
同じ巣を見てみれば
それは、すでに修繕されており
アリたちは、何事もなかったかのようにせっせ、せっせと働いていました。


子供心にもそんなアリたちを「すごい!!」と思いました。

私にもし、アリの言葉が聞き取れるならば
もしかしたら、彼らも
「たいへんだぁー!!」とか
「もう、だめだ」とか
愚痴っているのかもしれません。

でも、幸いに(???)それを聞き取れない私には
彼らの「あきらめず」「愚痴らず」「ただ、淡々と」行動する姿しか見えません。

それをこの年になった今も感動でみつめるばかりなのです。



震災があり、津波があり
放射能が漏れ、海も田畑も汚染され
食物の安全性はなお一層危ぶまれ、
水も、電気も、ガソリンも不足して・・・
思えば憂鬱の種ばかり。




それでも季節は廻り
それでも、動物たちは生きようとする

・・・のです。



 私たち人間も
この地球上に生かされている一つの命にすぎません。


何が起こったとしても
時間は流れ、季節はめぐるのです。

ならば、
その中で生かされている私たちも
ただ、淡々と
淡々と生きていくのが一番なのでしょう。


明日を憂いて今日を過ごせば
毎日が憂鬱の連続になるだけのこと。

恐れたり、憂いたりは
何一つ良いことをもたらしてはくれません。



ヒヨドリや鳩やアリのように
目の前のことを無心に
一生懸命尽くすことのほうが
どれほど「今を生きている」ことになるでしょう。


確かに人間は「考える葦」かもしれませんが
人間だけが「考えられる」からと言って
それを「憂うる」ことに使う必要はないのです。
「憂うる」の行き着くところは「絶望」「病」しかありません。

多くの著名人の「自死」がそれを物語っています。





 劇作家の宮本亜門氏の父上がおっしゃったとか。



「人生は短い。
 悩んでいる暇などない。

 悩まなければそれで済む」