幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

今日も幸せ

2021年06月23日 11時05分33秒 | お料理


夫が用意してくれたランチです。

と言っても、お野菜餃子は私が作って冷凍しておいたもの。
お漬物も私が作る糠漬けです。


それでも、ここまで進歩しました。

盛り付けにも彼なりに気を配るようになりました。

餃子のおいしい焼き方は自分でネットで調べてもらいました。

会社に勤めていたころの「家事を手伝う」という感覚を、
「家事=生きているために必要な身の回りの自分の仕事」
とインプットし直すのには時間がかかります。

でも、あきらめず、根気強く、少しずつ、少しずつ、です。

それは、私の負担を軽くするのみならず、
私が先に死んだときの彼自身のためでもあるのです。



ベランダで川を眺めながら、そんなことを考えて、今日も幸せです。

幸せの形

2021年06月23日 10時48分03秒 | 暮らし
お誕生日のお祝いメッセージが届いた。    

家族でも、友人と呼べる間柄でもない、むしろ近頃疎遠な人から。


憶えていてくださったんだ、と、まず驚きがくる。

さすがの心遣いだなあ、と改めてお人柄に感心する。

私はカードを差し上げるどころか、彼女のお誕生日すら知らないのに、と申し訳なくもなる。

そして、
お祝いを言ってくださる人があることに感謝する。


直ぐに、お礼メールを返した。


けれど、そこまで。

彼女の誕生日を聞き出して、私も忘れずに…とかは考えない。

偶然知ることとなり、その時、お祝いを述べたいと思えばそうするけれど、

してもらったから、おなじことをして返す、という「ねばならない」的なことはしたくないからだ。



すべてにおいてそうありたいと思う。

したいからする、ただそれだけ。

誰のためでもない。ただ自分のため。

納得して、満足して、好きな形で生きていたいと思う。


Casa Nahual のことば

2021年06月23日 09時47分27秒 | ひとりごと
無農薬のお野菜や、あるいはの山から摘んできた草の中に、
ときどき、虫さんたちが混じっている。

虫さんたちをなるべく元の場所から連れ出さない様にと心がけて、
よく見て摘んだつもりだし、
袋に入れる前に、地面にたたきつけたりして虫さんたちを払い落としているつもり。

それでも時々、お家に連れてきてしまう。

羽のある虫さんならまだしも、アリさんだったりすると本当に心が痛くなる。

だって、アリさんは自分の巣以外には受け入れてもらえないし、
一匹では生きていけないのだと何かで読んだから・・・

たとえ、家の前の草叢に放してあげたとしても彼女は生きていけないんだと思うと本当に申し訳なくなる。

かといって、わざわざ連れて戻るにはすでに遠すぎる場所だし・・・(ここが冷たい私?!)


青虫さんも、彼(?)がついていたお野菜の一部と一緒に草叢まで置きにいく。
季節によっては寒かったり、暑すぎたり。
結局は生きてはいけないのかも…とやっぱり心が痛む。

そんな私に響いたシェアーハウス・Nahualのホームページのなかのことば。

すてきです。