幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

春の「おままごと御膳」 Part3

2021年04月28日 19時25分11秒 | お料理
きょうも「草」を摘んで来ました。    
   ヒメジオン・ハルジオン、ギシギシ、藪カラシ、ムラサキサギコケ、カラスノエンドウ、菜の花

この春は「草」を食べることに凝ってます。

楽しいんです、これが❣❣



はい、今日のメインはヒメジオンとハルジオン。  ←インターネットから


キク科の植物です。

灰汁が結構強いので、お塩と重曹を入れた熱湯で数十秒茹でてから、
直ぐに冷水に取り、あとは何度もお水を変えて一晩、灰汁を取りました。 




春菊?!みたいなお味?かな?

荏胡麻とカラシ醤油で和えました。  

美味しいです。
まさに春?のお味。





オオマツヨイ草は酢湯で数秒茹でて、冷水に取り、甘酢に漬けて、サラダにトッピング。
生でもいけるんですけどね~~~~   


今日も幸せな「おままごと御膳」

ごちそうさまでした~~~~~~  

ああ、しあわせ  




選択としあわせ

2021年04月28日 18時41分57秒 | ひとりごと
前回の続きです。

今度は私の言葉・・・かな?

「人生」「選ぶ」「紡ぐ」「ストーリー」という点で前回につながります。


さて、

私の中にいつも私を導いてくれている言葉があります。

誰の本だったのか、なんのための文章だったのか、全く覚えてはいないのですが、

でも、この言葉は私の生き方を支えてくれていると思っています。


‶ もし今、頭にピストルを押しあてられて、

  「こいつを殺さなければ、お前を殺す!!」

  と言われたら、あなたはどうしますか?


  何かの瞬間、たとえ誰になんと脅かされようとも、

  それを選択するのはあなた自身なのです。

  誰も、あなたの選択を阻害することはできないのです。


  この場合も、自分が生き残るために「こいつ」を殺すのか、

  自分が殺されても「こいつ」を殺さないか。

  それを選ぶのは他の誰でもなく、あなた自身なのです。

  それはあなたしか選択できないのです。

  どんな状況下にあっても、その一瞬、すべては自分で選んでいるのだということを

  私たちは自覚せねばなりません″



今まで、どんな人生を歩んできましたか?

それは満足のいくものでしたか?

いっていないとしたらなぜですか?


誰かによって、辛い括りを受け、
誰かによって、苦痛を与えられましたか?

誰かのせいで、そうなったのですか?

幼い子供のころはそういうことも多々あったでしょう。

けれど、ある程度、大きくなってからは、
どんなことがあったとしても、
その瞬間、自分がとった行動や考え方は自分が選んでいたんだということを、
そして同時に、
必ず真反対の行動や考え方を選択することもできたのだ言うことを自覚せねばなりません。

だから
私たちの人生は、何かに翻弄されているように見えたとしても、
結局は自分で選択し、自分でストーリーを作ってきたということなんです。

そして、それが、もし満足のいくものでないならば、
今すぐに紡ぎ直しが始められるということもまた忘れてはなりません。


この先、どんなストーリーにするのか、
自分で決めて、
人生のスイッチをオンにして、
今までとは反対の日々を紡ぐことが可能なのです。



私はいつも自分に胸が張れる自分でいたいと思っています。
自分を喜ばせられる自分でいたいのです。

そして、その「生きる基準」をブレさすことなく選択していれば、
現状がどうであれ、満足して、幸せでいられると思っています。

幸せとは心が満足すること、だから。   

病気になるというストーリー、治るというストーリー

2021年04月28日 18時02分07秒 | 波動
今日は「癒しの心得」 という本からご紹介いたします。

これは病気を治すことに関して上野圭一、山本竜隆、おのころ心平の三氏が
富士山静養園に集まって対談した記録です。

抜粋するのはおのころ心平の言葉です。

これは「病気を治す」ため、の言葉ですが、

それはまた、人生全般に言える大切なことでもあると思うのです。

ぜひ、そこまでくみ取ってお読みくださればうれしいです。

今日も、アクセスしてくださってありがとうございます。  



‶ 病気って、それだけで切り取ってみるのではなく、

  人生の中でその病気になった意味をどう捉えるかですよね。

       中略

  原因を一つか二つ引っ張ってきて、

  「これが病気の原因ですよ」とやっちゃうと、

  自分で原因を作ったという感覚が無くなっちゃうんですよ。

  たとえば化学物質であったり、

  環境破壊だったり、つまりは誰かのせいになっちゃう。

  誰かのせいになっている限りは、自分のストーリーではないので、

  自分で再び新しいストーリーを紡ぐことができない。

  まずは今ある環境の中で自分が選択してきた

  という自覚を持ってもらうことから始まります。

  もちろん、全部が自分のせいでなくても、

  「でも、そこには選択の関与はあったよね。

   自分の人生だよね
」という話を持っていければ、

  「だから、ここから先もあなたの人生の選択ですよね」と、

  そこから本人の治るストーリーが始まるんです。

  「医者に決めてもらおう」とか、「もう自分で考えるのは大変だから、家族が言った通りやろう」

  となっている限りは、自分でストーリーを作ることにならない。

  依存をしている限りはどうしてもだめなんです。

  自分でスイッチを押し、ストーリーを作る主人公にならなければ。

  命の原理って賢くて、「ああ、自分を放棄したんだな」

  となったら、それは命が失われてしまう方向になっちゃうんです。

  これは法則だなと僕は思っています。

  ストーリーが病気をつくってきたのだとしたら、

  治るストーリーをどうやってつくるか。

  大事なのはそこなんだと思います。″
   
                              オオマツヨイ草