ピカソの絵が織られたクッションを買った。
コンランショップでソルドアウトになる寸前
ようやく手に入れた。
新居の白いソファーのポイントになっている。
昔、ピカソの何がいいのかさっぱりわからなかった。
けれど、今は
「ピカソはやっぱりすごい!!」
と思うようになった。
特に
ラフに書かれた一筆書きのような物達が好きなのだが
どう頑張ってもあの「線」をまねることはできない。
如何にも簡単な
子どもの落書きのような「線」なのに
やっぱりそこにピカソの素晴らしさがあることを認めざる負えないのだ。
・・・・・と、
そんなことを最近思っていたら
昨日読んだ「もうひとりの熊谷守一」に
彼が自著「青蠅」の中で
〝好きな絵も尊敬する絵描きもいませんが
ピカソは好きな方です。
ピカソの絵はどこにあってもピカソだからです”
と言っていると書かれていた。
「青蠅」は20年も前に読んでいたのに
この言葉は全く印象に残らなかった。
その頃の私にはピカソの良さがわかっていなかったからだろう。
好きな熊谷守一が
同じようにピカソを好きだと言っているのがわかって嬉しい。
たかだかクッションなのだが
それは毎日、紛れもなく私を幸せにしてくれている。
コンランショップでソルドアウトになる寸前
ようやく手に入れた。
新居の白いソファーのポイントになっている。
昔、ピカソの何がいいのかさっぱりわからなかった。
けれど、今は
「ピカソはやっぱりすごい!!」
と思うようになった。
特に
ラフに書かれた一筆書きのような物達が好きなのだが
どう頑張ってもあの「線」をまねることはできない。
如何にも簡単な
子どもの落書きのような「線」なのに
やっぱりそこにピカソの素晴らしさがあることを認めざる負えないのだ。
・・・・・と、
そんなことを最近思っていたら
昨日読んだ「もうひとりの熊谷守一」に
彼が自著「青蠅」の中で
〝好きな絵も尊敬する絵描きもいませんが
ピカソは好きな方です。
ピカソの絵はどこにあってもピカソだからです”
と言っていると書かれていた。
「青蠅」は20年も前に読んでいたのに
この言葉は全く印象に残らなかった。
その頃の私にはピカソの良さがわかっていなかったからだろう。
好きな熊谷守一が
同じようにピカソを好きだと言っているのがわかって嬉しい。
たかだかクッションなのだが
それは毎日、紛れもなく私を幸せにしてくれている。