幸せになろうね 改め しあわせだね

日々の生活の中のほんの小さな出来事をどう捉えるかで
私達はすぐにも幸せになれるのです。

最期の言葉は

2013年03月14日 23時30分23秒 | ひとりごと
 父の介護のサポートで一週間、福井の実家に滞在。
父の症状は一月事に変化していく。

 先月はかなりの痴呆状態。
なにを言っても言葉は返ってこない。
ボーッとしていて、でも素直でかわいいおじいちゃんだった。


ところが!!
今月は
「痛い痛い」、「辛い辛い」を昼となく夜となく連発し、
30分に一度ほどトイレに行く(行っても出ない)状態へと変化していた。




しかも!!

なぜか、先月より意識がはっきりとしていて
時々会話が成り立ったり
記憶が正しかったりするのだ。


それはそれで有難いのだが
困ったことに
意識がはっきりすると同時に
性格の悪さが戻ってしまった。

可愛いおじいちゃんでなくなってしまったのだ。

自分の都合だけしか考えられず
世話をするものを罵倒したりするのだ。

悲しいかな。
わが親ながら情けないことではあるが
彼は、若いころからそうだった。

人をほめたり、認めたり
感謝したり、お礼を言ったり・・・
そういうことが苦手な人だった。


反対に
批判したり、罵倒したり
怒鳴ったりするのが頻繁だった。


 認知になった今も
何から何まで世話をしてもらっている今も
同じように
怒鳴ったり、罵倒したりすることしかできない。



 そんな父を見ていてつくづく思う。

人間、最後はどなたかのお世話にならなければならない。

そんな時
自分のためにも
お世話してくださる人のためにも
どんな言葉が残っていなければならないか。


痴呆になって
認知症になって
言葉をどんどん忘れて
それでも
最後に残るひとことが
「ありがとう」であれば
しんどい思いをしてお世話している人は
どんなに救われることか。
そうして
もっと
できるだけのことをしてあげたいと思うようになる。

そうであれば
お世話されるほうも助かるのだ。


やはりこれしかない。
全てを救うのは

ありがとう・・・・この一言のみだ。




年老いて
全ての言葉をなくしていく中で
この言葉だけは残すためにも
今から
この言葉をしっかりわが身に染み込ませておかねばならない。



ありがとう

全てを救う言葉。


ありがとう

全てを忘れても
最後の最後まで残っていてほしい言葉。


ありがとう
ありがとう
ありがとう

大切な
大切な
最期の言葉