go の let's goシニア

リタイヤ・・何でもヤリタイヤ
登山、渓流釣りを卒業して四季の花を愛でています

菊花展ー白山市松任運動公園

2022年11月13日 | 

菊花フェスティバルにいてきました、毎年開催している様

ですが、私が見に行くのは3年ぶりになります。

会場はいつもの松任運動公園の室内運動場です、期間は10月

24日から11月6日の日曜日まで開催されていますが、私は

11月3日(木、祝)に行きました。

室内に入ると菊の花が一杯展示されています、こんなに沢山の

花が展示されていると華やいだ雰囲気になります。

順番通り盆栽の展示から見る事にしました、盆栽の部は小菊が

主体となっています、石付きの作品や古木に着けた作品が主体

となっていました。

 

小菊を石に着けた作品が特別賞に選ばれていました。

こちらも小菊を石に付けて自然の景色を切り取った様に

表現しています。

小菊の細い根が下の土から水分と養分を吸い上げて

いるのでしょう、立派な小菊の花が沢山咲いています。

古木に小菊の花が咲いていますが、自然の景色を凝縮

したような作品です。

 

巴錦(とのえにしき)の部もありました、巴錦は花弁の内側が

深紅で、外側が金色の豪華な古典菊です。

現在栽培されている菊の寿命は短く、ほとんどが10年以内に

品種が消えてしまいます、その理由は同じように育てても花が

小さくなったり、挿し芽をしても発芽しにくい、背丈が伸び

にくい、等で育てる人がいなくなる為です。

巴錦について蘊蓄を一言話します、昔、加賀の殿様が参勤交代

で信州の小布施宿に立ち寄られ、そこに飾られている菊を大変

お気に召して名前を尋ねますが良く答えられないので、殿様は

この菊をこれから巴錦と呼ぶように命名されました、それから

地元の人々は「殿様菊」と呼ぶようになったということです。

巴菊は小布施にいた葛飾北斎が好んで描いた菊です。

約130年以上も変わらず立派な花を咲かせている古典菊です。

豪華です。

 

 

管物です、花弁が細くなっています、その花びらが中空に

なっていてそれから管物(くだもの)の名前がついたのです。

 

 

 

 

 

 

菊人形も展示されていました、菊造りは一日も明けられません

朝晩には水をやらなくてはなりません、一日たりとも怠ける

ことが出来ません。「菊さきて、今日まの世話忘れけり」の

言葉が身に沁みます、私には無理なようです。

 

 

外は欅並木が黄葉して落葉が駐車場に吹き寄せられていました。

菊はこのシーズに似合う花です、春から夏に咲く花は色々

ありますが、最後の菊の花をみて今年も終わりです、菊の

花は日本人の元となる花です、皇室の紋所も菊の紋章です。

 


小春日和₋紅葉

2022年11月06日 | 温泉

公園の銀杏の葉も色付き秋もたけなわになってきました、

2~3年前にはこのシーズンに登山をして紅葉見物やキノコ

狩りを楽しみましたが登山が出来なくなった今では近くで

紅葉を楽しんでいます、今月の2日は生憎の曇り空でしたが

雨の心配もなく暖かい日でした、その日に鳳凰殿に紅葉を

見に行ってきました。

 

鳳凰殿の周りには石作の七福神の象が配置されています、一番

最初は琵琶を弾いている弁天様です、弁天様の周りのモミジが

真っ赤に色着いて綺麗でした。

 

寺の周りの木々も色着いてすっかり秋の風情でした。

 

福禄寿様の象の周りの木もすっかり秋の景色になっていました。

 

 

 

 

綺麗に掃き清められた石庭は心が洗わるようで気持ちが和み

ます。

 

紅葉見物にはちょっと早い気がしましたがこのくらいの色

着きが綺麗だと思います。

 

自然石をくり抜いた手水鉢(ちょずはち)の飾り付けが楽しみ

だったのですが、昨年は紅いモミジと菊の花でした、今年は

薔薇の花も加わって賑やかな飾り付けになっていました。

最初の頃の色着いたモミジだけの飾り付けがシンプルでこの

場に合っていて良いように思います。

 

 

この鳳凰殿は正式名称を“倶利伽羅不動西之坊鳳凰殿”と言い

ます、創建は新しく1998年です、本殿は横が70mで台湾

檜造りです、本尊はこの山の頂上にある倶利伽羅不動尊に

なります、ここの本殿をお詣りしたことがありませんが実家

宗派が違うので敷居が高くてお詣りしたことがありません。

何はともあれ綺麗な紅葉を観賞することが出来ました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


秋の薔薇園

2022年10月06日 | 

秋の薔薇園に行ってきました、秋薔薇はNETで調べたら9月中旬

から10月中旬と出ていましたので10月2日に行ったのですが

蕾も少なく、花が開いて傷んでいました、見に来るのが少し

遅かった様です、傷んでいない花を選んで写してきました。

何の花でもそうですが、特に薔薇の花は花が満開になる前の

7分咲の時が色と姿が美しく写真映りがいいです。

その年の気候条件によって大分見ごろが変わるようです、今年

の夏は高温少雨でしたので平年並みとはいかなかった様です。

 

アレックスレット

 

フレンチレース

 

インカ

 

ラブ

 

インカ

 

讃歌

 

薔薇の花は遅かったようですので花見の人も少なかったです

春に薔薇を見に来たときは花見客が多すぎて綺麗な景色を

写そうと思っても人が映り込んでシャッターチャンスに

苦労しました。

 

讃歌

 

 

ジュビレ デュ プリンス ドゥ モナコ

 

 

 

プリンセス ドゥ モナコ

 

 

ゴールデン ボーダー

 

 

今年の秋薔薇は季を逸した感がありますが何とか写真を写す

事が出来ました、毎年同じ日にいっても綺麗な花が見られる

事が出来ないことが良くわかりました、その年の気候条件に

よって変わってくることが良くわかりました。

来年の事を言うと鬼が笑いますが、これから花を見に行く

時には良く確かめてから行きたいと思いました。

 

 

 

 


もう秋ですねーコスモスの花

2022年09月28日 | 

今年の夏は9月になっても猛暑が続きました、9月19日に

台風14号が北陸地方を直撃してから急に本来の秋らしい

気候になりました。

毎年秋になるとコスモスの花を見に富山県の夢の平スキー

場や医王山のイオックスアローザスキー場のコスモスの花

を見に行っていますが、goも寄る齢並みで長距離の運転が

安定になり控えています。

そんな事で今年は近場でコスモスの花を観賞しました、自宅

近くの犀川の河川敷にコスモスが群生している所があると

新聞で知りました、今日はここに行ってみました。

堰堤上の遊歩道の両脇にコスモスの花が沢山咲いていました。

折からの秋風に揺られてコスの花の香りが届く様なお天気で

清々しかった。

 

堰堤上の遊歩道を歩いてみましたが、両脇にコスモスの花が

競って咲いています。

 

 

 

 

 

黄色のコスモスの花が咲いています、やはりピンク色の花が

コスモスらしくて一番綺麗です。

 

 

 

この花を見る頃は陽も短くなって夏も終わりです。

 

空を見上げたら雲や空の色が夏の空と違っていました、空が

高くなったような気がしました。

 

去年までは遠出をしてコスモスを観賞していましたが、先の

様な事情で今年は近場でコスモスの花を観賞しました。

齢を重ねてくると行動半径が狭くなりますが、これからは

近くで話題を集めるようにしていきたいと思います。

 


郷土の歴史ー御経塚遺跡塚

2022年09月25日 | 歴史

私の住んでいる街の隣に野々市市(ののいちし)という市が

あります、その野々市市にお経塚という地名があります、語源

になったのはお経や経典を収めた「お経塚」は公園の片隅に

ひっそりと祀られています。

お経塚は仏教の末法思想からきているのだと云うことです、末法

思想とは釈迦の入滅後、仏教が衰退して世の中が混乱するという

考えです、日本では仏滅2千年に当たる平安時代の後半に(約千年

前)に社会的に流行したそうです。

                                2019・3月撮影

 

この街の歴史を遡ると縄文時代から人々が集落をつくって

生活をした遺跡が多数発掘されています、そのうちの一つ

お経塚遺跡を紹介します、場所は国道8号線と地方道が交差

する市街地になりますが、樹木に囲まれた敷地になります。

 

ぞの頃は周辺に広い土地もあったでしょうが一つの場所に

集まって集落をつくって暮らしていました、狩りの時や魚を

捕るときに集団作業をしていたのでしょう。

 

半地下の住まいはどの家の間取りも中央に炉があります、

炉は調理をしたり暖房になっていたことでしょう、また

夜は照明にもなったことでしょう。

大きな家には炉が二つある家もありました。

 

一棟だけ竪穴住居が復元されています、屋根には麦わらで

ふかれていましたがその頃は草で屋根を覆っていたのでしょう。

 

 

実際には水は流れていませんが川がそばにありました、この

川で飲み水を汲んだり洗い物をしていたのでしょう。

食べ物は木の実(クルミ、栗、栃の実、どんぐり等)

貝、魚、猪や鹿の肉、です、冬に備えて食料を確保しておく

事も大切なことです、食料を保存しておく建物もありました。

 

 

 

 

狩りは弓矢で仕留めていました、猪や鹿が一番の獲物でした

肉は食料にして、毛皮は衣料に加工して骨は魚を捕獲するとき

の釣り針やその他の工具に加工していたようです。

この地は海に近いし山の猟場に近い利点もあります、私たちの

郷土の歴史を知ると、この辺は住みよい場所だったことが分かり

ます。