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はげまるのぶら~り日記

横浜の渋い空間散策日記

異国情緒あふれる港町  横浜(120)   本牧チャブ屋(5)  戦後篇 (4)

2011-10-17 08:48:36 | 日記
本牧チャブ屋の戦後篇 の最終回であります

はげまるが「本牧チャブ屋」 と言う名前を初めて知ったのは 前にも書いた
野毛のジャズの老舗「ちぐさ」の店主 吉田 衛さんが書いた本
「横浜ジャズの物語」の中である

へ~  本牧にそんな外人さん御用達の遊郭みたいのがあったのか
横浜って 本牧って なんか歴史がすっげ~なぁ
なんて思っていた

その頃はげまるは本牧付近に引っ越してきたばかりであったので
その「本牧チャブ屋」さんの痕跡探しをした事があった

ちぐさのオヤジさんの本の地図は戦前の本牧チャブ屋地図であったので
痕跡などあるわけなど無い
おまけに戦後の本牧チャブ屋さんと場所が違う事も知らなかったので
とにかく本牧地区の裏通りを散策したのである

その時なんか怪しい古いアパートをたまたま撮っていたのである
もちろんその時 もしかしたら本牧チャブ屋の流れの痕跡を残しているのではないかいな
と感じて撮っていたのである

正解であった 「リリー荘」いう名前のチャブ屋さん


てくてくぼうやさんからのコメントです

<平成元年の地図ではこの場所は「リリー荘」となっているので、
前回の本牧チャブ屋さん地図の「ホテルリリー」の流れの建物なのかもしれませんね>


ひゃ~~  ありがとう御座いました 





この写真は20年前ぐらいに 前回書いた「ロイヤルホテル」付近の狭い路地の駐車場から撮ったモノ
(今だったらこの駐車場には家が建っているので こんなアングルでは撮れない)








凄く古いアパートで今にも解体されそうな感じであったが
猫ちゃんが玄関先にいる  と言うことは 人が住んでいるみたいである
玄関の入口付近が なんか普通のアパートではない事が分かる





拡大して見る

ほらね 玄関の木のドアの模様が洋風である
上の方のコンクリートにも 小さい鍵みたいな模様が見て取れる






ほらね

中に入ってみると昔の民間木造アパートと同じ感じで
真ん中の通路の両側には各部屋のドアがある
人が住んでいる気配は感じられない

とても華やからしき本牧チャブ屋さんの様相は見当たらない





二階の階段の上から撮った写真

階段のコンクリート製の手すりには空洞があり 薄いブルーの色がかすかに残っている
手すりの下側は濃いブルーで塗られている

う~ん  やはり 普通のアパートではないぞ~  こりゃ~






またまた  ほらね
これは間違いない 本牧チャブ屋さん関係 
そう アメリカ人さん関係のチャブ屋さんではないか

あくまで想像ではあるが
メイン通りの大きなホテル形態のチャブ屋さんは
一階で酒が飲めダンスも出来て 二階が女性とじゃんけんをする部屋
(なんだ)
それがチャブ屋さんの 上 とすると
もう めんどくさい酒もダンスも省略して 即じゃんけん大会に行ってもいいんだぞ~
の 外人さんが行くチャブ屋さんではないかいのお~

まあ チャブ屋さんの 並み  ですかいね
(牛丼ではないぞ)





二階の様子です






ここがトイレ兼 風呂場かな~

さて中でも散策するべぇか~  なんて思っていたら
下からここに住んでいる管理人さんが静かに二階へ上がってきた

管理人さんが住んでいたのである

「おい!  あんたここで何やってんだ!」

「ひぇ~  お代官様おらを許してくんろ~」

はげまるはカメラを見せながら 無断侵入撮影を詫び
いちもくさんに 退散したのである


その時に せめてこのアパートが チャブ屋さんだったかどうかぐらい
聞いておけばよかったのであるが
なにしろ 管理人のおじさんが凄い剣幕だったもんで
命からがら逃げるように退散したのである

今思いおこせば  あの時おじさんを殴ってでも 
トイレと風呂場撮っておけばよかったのになぁ
 (おいおい)

このアパートはそれから数年して普通のアパートみたいになっておりました






そのチャブ屋風アパート跡の様子です


ここで はげまるが生まれた鶴見区本町通りの話を書いてみる
本町通りあたりはその昔 鶴見では有名な色町 遊郭街であった
はげまるが子供の頃 朽ち果てた洋館風の建物に何度か無断で侵入して
かくれんぼなんかして友達と遊んだ記憶がある

洋館風の家中は 全て円形であり 色も原色をふんだんに使い
とにかく おとぎ話の世界の家みたいであった事をおぼろげながら覚えている

本牧チャブ屋さんも 多分そんな感じの洋館ではなかったのかな
なんて思ったのである

もちろん和風建物がほとんであり 友達の女の子の家がその関係の家の子で
家に行ったことがある
風呂場が2つか3つあって なんでこんなに風呂場があるんだろう
なんて驚いた記憶がある  当時の家のほとんどが
風呂無しの家の時代の話である






想像透視マンガです






本牧チャブ屋のオマケです

ロイヤルホテルの横にはその昔 川が流れていた 
現在ではその上には道路が造られていて その下に川が流れている感じである

その川の反対側にある 床屋さん

なんか窓の造りが 洋風である





この丸みを帯びた窓  本牧チャブ屋さん全盛のころからあるのかもね
(もう営業してない感じである  かなり前から)

 
本牧チャブ屋さん 散策のお話でありました。

異国情緒あふれる港町  横浜(119)   本牧チャブ屋(4)  戦後篇 (3)

2011-10-14 00:52:55 | 日記
お待たせしました
今回の散策において 今現在では地元本牧の語り草 地元本牧の謎と相成ってしまった
「本牧チャブ屋」のクライマックスであります

今回の散策でその「本牧チャブ屋」の全体像が明らかになるはずである
  どんどんどん (得意の太鼓の擬音であります)


横浜にはその昔沢山の遊郭街があったそうであるが ほとんど形跡さえ残って無い
横浜市の その○○○○関係に対しての無関心さには憤慨するばかりであり
 (○○○○関係の意味がよくが分からない人は退場してください)

黄金町のガード下は今では若者のアート街と成り果て 
あの薄暗いが活気に溢れていた街並み
あの怪しく官能的な赤い裸電球の四畳半は
一体全体どこに消えていったので~ぃ 



それでは怒りと興奮を抑えながら「本牧チャブ屋」の本題に入る事にする






毎度初めに出てくる写真であります
ここから始めないと話が進まないのである






この右側に後で地図を見てもらえば分かるが
かなり大きい渡○産婦人科病院があったのは 前回の散策で判明した





20年ぐらい前に撮ったポジ写真

その渡○産婦人科病院跡にあった バーでありもう廃業していた
このバーの右は空き地であるが






2005年 はげまるが初めて手にした デジタルカメラの名器
オリンパスC-2000で撮った写真では 右にはモダンな家が建っていた








この写真は先週撮ったモノ

今では駐車場になっていて この辺で「本牧チャブ屋」の香りと痕跡を残す建物は
冒頭の「オリエント」 (昔の名前は「アジア」)のみになってしまった





さらに渡○産婦人科病院跡の住宅を右手に見ながら歩いて行く






突き当たって左手方面を撮った写真である

なんとなんとコノ位置からの写真こそ




この有名な写真なのであります

はげまるが昔から こんなアメリカしていた本牧は一体全体どこさにあったんだべぇ~
なんて思っていた謎が解けたのである  
もぅ  うれしい 
感慨無量 歓天喜地 金声玉振(これはついでに勢いで書いた)






この本ははげまるが4~5年前に買った文庫本
とにかく昔の遊郭の写真が素晴らしいので買ったのであるが
得意のボケで買ったことを忘れていたのである

先日  う~ん  う~ん  待てよ  その昔遊郭の本買った事あるな~

なんて探して見つけだした本である

この年になると 探したら同じ本が何冊も出てきたり
ツタヤで借りてきたDVDが一年前に借りて見たやつだったり
それも半分ぐらい見てから気がついたりして  もぅ
楽しい毎日なのである
(半分ヤケクソ)





その本からコピーしたモノ

ほらね この本をしっかり読んでいたらこんなに散策で苦労しなかったなぁ

でも この本を読んでいたら
アノ楽しい立ち飲みでの地元の重鎮さん達の生の話は聞けなかったしな

改めて 散策の醍醐味は己の足でやる事 を肝に銘じたはげまるである





パナマホテルがあった場所





☆☆☆さんがコメントで知らせてくれた地図

サイズが小さくて読みにくいが 概要は十分に分かる素晴らしい地図であり
戦前の十二天のチャブ屋地図を残してくれた 野毛の「ちぐさ」の店主
吉田 衛さん同様 感謝するしかないのである

渡○産婦人科病院が大きのが地図からもハッキリ分かるのである






これも☆☆☆さんがコメントで知らせてくれた地図



昭和31年本牧商店街の住宅地図であり パナマホテルは 「ホテル ルビー」
となっている
まぁ  売春禁止法が発令され大きなチャブ屋さんは無くなりはしたが
その○○○○関係の形態は渋とく細々と続いていた事がわかるな

○○○○は永遠に不滅です (長嶋さんではないちゅ~の)

これ分からない人は 若い人ですね


尚 大きく地図が見たい人は はげまるの散策のコメントの中の
☆☆☆さんのコメントのサイトからダウントードして拡大してご覧ください





地図から見るとこれが「本牧チャブ屋さんのメイン通りですね






古そうなビルがあったので 軽く散策してみます
昭和31年本牧商店街の住宅地図には この建物も手前の駐車場にもホテルの名前を見る事が出来る





営業しているのは一軒だけみたいである









ここは工事関係の事務所になっていた





地元ガス山64歳の重鎮さんが 40年ぐらい前から建っていたと言う
ロイヤルホテル

チャブ屋さん地図では「ロイヤル」
昭和31年本牧商店街の住宅地図では「パーク ロイヤル」となている 






最後に ロイヤルホテルの自由の女神

ホテルはここのみになってしまった本牧地区
今でははすっかり住宅地化してしまい その華やかりし頃の思い出ノミが
かすかに残っている本牧チャブ屋さんの話でありました。


まだ続く


異国情緒あふれる港町  横浜(118)   本牧チャブ屋(3)  戦後篇 (2)

2011-10-11 08:05:14 | 日記
さて 本牧チャブ屋(3)  戦後篇 (2)であります


今回は 写真を撮りに行くこと三度
地元の重鎮からのインタビュー及び聞き取り
多数の人からの情報並びにはげまる独自の情報網等

そんなこんなでの散策であります






まずは てくてくぼうやさんからのコメントであります

<右端のいまはマンションになっている所はこのチャブ屋街のお姐さんたちの
検黴を行っていた渡○病院がありました。
ここで生まれた本牧っ子も多いのではないでしょうか。
すべてはうたかた、おぼろとなってしまいましたが・・・>


本牧のリオさんからのコメントです

<オイラもここで、生まれました。かなりの確立で渡○病院で、生を受けた人は多いみたいです。

飲んでいて、ここで生まれたと 聞くと親戚に思っちゃう(゜O゜;) >

いいな~
 コメントありがとう御座いました









☆☆☆さんからのコメント

<スナックオリエントがある場所にはアジアというお店があったようです>


う~ん 出だしから沢山の情報があり 前途意気揚々のはげまるであるぞえ





さて 話を進める前にまずは地元の重鎮からのインタビュー及び聞き取り
これをやらなくてはならない

これが難題であった
その当時の話を聞くために 本牧の町内会長の宅に出向く
あるいは 古い店に入って買い物ついでに話を聞く
あるいは飲み屋さんに入って飲みながら話を聞いてみる

う~ん  どれもこれも金がかかるし  もしその当時の事を知らない
若い人だったら お話にならないし

う~ん  う~ん (悩んでいる)

ピカッ  (はげあたまが光ったのではない)


ひらめいたのである

そうだジジィ達が集まる所 老人福祉施設ではなく
酒が飲めて気楽にインタビュー及び聞き取り
が出来る場所

 ふふふふ   立ち飲みである


早速 横浜銀行の斜前の角に位置する酒屋さんの立ち飲みに出向いたのである





ホット奴 100円 水100円 氷50円  ウイスキー角 二杯分460円
カリカリ梅 二つで 80円

今回の地元の重鎮インタビュー及び聞き取り費用は占めて 790円なり

はげまる両側には 地元ガス山に三代住んでいる 三代目の64歳の重鎮と
福島県出身で 若い頃本牧で仕事をしていて 福島に帰っていて又横浜に戻ってきた
酔っ払いの64歳の重鎮さん


はげまるは ホットヤッコをプラスチックのスプーンですくい
口の中にほおばりながらのインタビューである







なにしろ家にいても退屈である重鎮さん達は 話しがしたいのである
はげまるのインタビュー質問にも快く答えてくれる

ガス山の重鎮さんは凄くそのあたり詳しく話してくれて
フクスマの色の浅黒い重鎮さんは 酒の酔いとフクスマ弁が混ざって
半分は聞きとれず意味不明である


話によると ガス山の重鎮さんが子供の頃の思い出として
この脇の通りにも大きいチャブ屋さんが二軒ぐらいあって
自由の女神が建っているロイヤルホテルあたりが一番のメイン通りであったそうだ
 
買春禁止法が発令されて「本牧チャブ屋」跡は更地となり どんどん細かく区画整理され
現在の街並みになったそうである

たまに意味不明の合いの手を入れるフクスマの重鎮さん

そのうちガス山の重鎮さんは 意味が解らないフクスマの重鎮さんを
完全無視状態  一人でガンガン話し続けていった


はげまるは もう  ふんふん  ふんふん (犬のふんではないぞ)

と聞き入りメモをとるのであった

しばらくしたらガス山の重鎮さんは あまりにも意味不明の合いの手を入れる
フクスマの重鎮さんに疲れたみたいで

「お先に~」なんて帰っていったので 帰り際にお礼を言って
はげまるも後を追うようにして帰路についたのである

それからフクスマの重鎮さんはどうなったか
なんて まるっきり関係ないのである






立ち飲みやさんは この写真の左側にあります






その通りの出口角のあるビル

ここにも洋館風な建物チャブ屋さんのビルが建っていたそうだ

<☆☆☆さんからの地図から判明しました 
大黒屋さんの前は スターホテルというチャブ屋さんでありました>


次回は はげまるが4~5年目に買った本と 撮り溜めた写真と
 本牧チャブ屋地図   及び昭和32年頃の地図などを参考にしながら
(☆☆☆さんがコメントに入れてくれた地図)


を交えながら ねほりはほり書いていく事にする。

異国情緒あふれる港町  横浜(117)   本牧チャブ屋(2)  戦後篇 (1)

2011-10-08 04:18:03 | 日記
お待たせしました 
「本牧チャブ屋」戦後篇であります

はげまるは戦後生まれではありますが このチャブ屋さんは
はげまるが小学校に上がる前には消滅していたのであり
その詳しい散策など出来ないのが残念である



今回の写真では 前に本牧ベースの写真を送ってくれた 地元本牧のRIOさんが
今回も鮮明な写真を送ってくれたので感謝感謝感謝です
(転載可能な写真であります)







これは予告編でも載せた写真

今では信じられない光景である この光景が本牧にあったなんてね

もしそのまま横浜市が最重要保存地区「本牧チャブ屋街」として残していたら
今頃 本牧地区は全国各地から 物好きな輩がわんさかわんさか集まり
本牧地区は大賑わいだったろうな~

もちろん現在の赤レンガみたいに中で営業していて
チャブ屋さんの一階では酒が飲めて
綺麗なおね~さんが昔のスタイルの服装で酒なんぞ作ってくれたりして
ダンスも踊ってくれたり なんなら二階の個室に上がって
二人っきりで ジャンケンなんどしてくれたり
 (なんなんだ)

なんたって現在の本牧(マイカル本牧も含めて)ゴースト化しているもんね






この写真記事も 前の写真同様 神奈川新聞社の発行した「激流」からの転載であります

当時の本牧の熱気が伝わってくるような写真ですね


ここからはRIOさんが送ってくれた写真であります
(すべて1953年撮影)


















それにしても 今でも信じられない位に本牧は
「横浜の中のアメリカ」していたのがわかるな~

恐竜の化石なら掘ったら出てくるのにな  ホントくやしぃ~

未練たらたらの はげまるであります


訂正であります
この写真は元町商店街の写真
てくてくぼうやさんからのコメントでしりました


てくてくぼうやさんからのコメントです
 <3葉目~9葉目の写真を撮影された生駒實氏に敬意を表します
。ただ8葉目は手前から宝石商の山岡商会(KoKo!)・ジャーマンベーカリー・
奥は「ハム・ソーセージ」の袖看板が見えておりこれは大木商会のようですので間違いなく
元町の写真だと思われます。とは言え、
いつもは○まる様の仰るとおり写真の時を切り取る力の凄さを物語っており
先人たちの慧眼に平伏すのみです。>


知りませんでした ありがとう御座います
生駒實氏にも感謝です






この写真は はげまるがパソコン画面から写したモノ





本牧の大通りから見た一本裏の道
なにやら 洋風なカタチをした屋根のスナックが写り込んでいる

ど~やら この辺が戦後の「本牧チャブ屋」さんのメイン通りだったみたいである
次回の散策の時にはそのあたりを 
地元本牧の人達のインタビューなんぞ交えながら書いていく事にする。

緊急投稿  「横浜亭」  閉まりました   幻のトイレ

2011-10-07 01:07:21 | 日記
「横浜亭」先日から なんとか地下二階にあるトイレを撮るつもりで 
何度となく夕方出向いたのであるが いつも看板の電気が消えていたので
う~ん   これは怪しい  もしかしたら閉店かもな~
なん思っていたら

やはり閉店でありましたので 報告とさせていただきます

  



「横浜亭」の看板は明かりは点いて無い



解体工事が始まっているみたいである
また 新しい店でも出来るのかなぁ


今度 散策探検隊の服装でもして出向いて
工事中のおじさんにお願いして 撮影でもさせてもらえないかな~


「あの~  スイマセン 地下のトイレ撮らしてくれませんかいね~」

多分 気がふれたハゲのおじさんと思われ断られるのがオチだろうな

トイレだけでも撮りたかったなぁ 
       残念無念。