さて 本牧チャブ屋(3) 戦後篇 (2)であります
今回は 写真を撮りに行くこと三度
地元の重鎮からのインタビュー及び聞き取り
多数の人からの情報並びにはげまる独自の情報網等
そんなこんなでの散策であります
まずは てくてくぼうやさんからのコメントであります
<右端のいまはマンションになっている所はこのチャブ屋街のお姐さんたちの
検黴を行っていた渡○病院がありました。
ここで生まれた本牧っ子も多いのではないでしょうか。
すべてはうたかた、おぼろとなってしまいましたが・・・>
本牧のリオさんからのコメントです
<オイラもここで、生まれました。かなりの確立で渡○病院で、生を受けた人は多いみたいです。
飲んでいて、ここで生まれたと 聞くと親戚に思っちゃう(゜O゜;) >
いいな~
コメントありがとう御座いました
☆☆☆さんからのコメント
<スナックオリエントがある場所にはアジアというお店があったようです>
う~ん 出だしから沢山の情報があり 前途意気揚々のはげまるであるぞえ
さて 話を進める前にまずは地元の重鎮からのインタビュー及び聞き取り
これをやらなくてはならない
これが難題であった
その当時の話を聞くために 本牧の町内会長の宅に出向く
あるいは 古い店に入って買い物ついでに話を聞く
あるいは飲み屋さんに入って飲みながら話を聞いてみる
う~ん どれもこれも金がかかるし もしその当時の事を知らない
若い人だったら お話にならないし
う~ん う~ん (悩んでいる)
ピカッ (はげあたまが光ったのではない)
ひらめいたのである
そうだジジィ達が集まる所 老人福祉施設ではなく
酒が飲めて気楽にインタビュー及び聞き取り
が出来る場所
ふふふふ 立ち飲みである
早速 横浜銀行の斜前の角に位置する酒屋さんの立ち飲みに出向いたのである
ホット奴 100円 水100円 氷50円 ウイスキー角 二杯分460円
カリカリ梅 二つで 80円
今回の地元の重鎮インタビュー及び聞き取り費用は占めて 790円なり
はげまる両側には 地元ガス山に三代住んでいる 三代目の64歳の重鎮と
福島県出身で 若い頃本牧で仕事をしていて 福島に帰っていて又横浜に戻ってきた
酔っ払いの64歳の重鎮さん
はげまるは ホットヤッコをプラスチックのスプーンですくい
口の中にほおばりながらのインタビューである
なにしろ家にいても退屈である重鎮さん達は 話しがしたいのである
はげまるのインタビュー質問にも快く答えてくれる
ガス山の重鎮さんは凄くそのあたり詳しく話してくれて
フクスマの色の浅黒い重鎮さんは 酒の酔いとフクスマ弁が混ざって
半分は聞きとれず意味不明である
話によると ガス山の重鎮さんが子供の頃の思い出として
この脇の通りにも大きいチャブ屋さんが二軒ぐらいあって
自由の女神が建っているロイヤルホテルあたりが一番のメイン通りであったそうだ
買春禁止法が発令されて「本牧チャブ屋」跡は更地となり どんどん細かく区画整理され
現在の街並みになったそうである
たまに意味不明の合いの手を入れるフクスマの重鎮さん
そのうちガス山の重鎮さんは 意味が解らないフクスマの重鎮さんを
完全無視状態 一人でガンガン話し続けていった
はげまるは もう ふんふん ふんふん (犬のふんではないぞ)
と聞き入りメモをとるのであった
しばらくしたらガス山の重鎮さんは あまりにも意味不明の合いの手を入れる
フクスマの重鎮さんに疲れたみたいで
「お先に~」なんて帰っていったので 帰り際にお礼を言って
はげまるも後を追うようにして帰路についたのである
それからフクスマの重鎮さんはどうなったか
なんて まるっきり関係ないのである
立ち飲みやさんは この写真の左側にあります
その通りの出口角のあるビル
ここにも洋館風な建物チャブ屋さんのビルが建っていたそうだ
<☆☆☆さんからの地図から判明しました
大黒屋さんの前は スターホテルというチャブ屋さんでありました>
次回は はげまるが4~5年目に買った本と 撮り溜めた写真と
本牧チャブ屋地図 及び昭和32年頃の地図などを参考にしながら
(☆☆☆さんがコメントに入れてくれた地図)
を交えながら ねほりはほり書いていく事にする。
今回は 写真を撮りに行くこと三度
地元の重鎮からのインタビュー及び聞き取り
多数の人からの情報並びにはげまる独自の情報網等
そんなこんなでの散策であります
まずは てくてくぼうやさんからのコメントであります
<右端のいまはマンションになっている所はこのチャブ屋街のお姐さんたちの
検黴を行っていた渡○病院がありました。
ここで生まれた本牧っ子も多いのではないでしょうか。
すべてはうたかた、おぼろとなってしまいましたが・・・>
本牧のリオさんからのコメントです
<オイラもここで、生まれました。かなりの確立で渡○病院で、生を受けた人は多いみたいです。
飲んでいて、ここで生まれたと 聞くと親戚に思っちゃう(゜O゜;) >
いいな~
コメントありがとう御座いました
☆☆☆さんからのコメント
<スナックオリエントがある場所にはアジアというお店があったようです>
う~ん 出だしから沢山の情報があり 前途意気揚々のはげまるであるぞえ
さて 話を進める前にまずは地元の重鎮からのインタビュー及び聞き取り
これをやらなくてはならない
これが難題であった
その当時の話を聞くために 本牧の町内会長の宅に出向く
あるいは 古い店に入って買い物ついでに話を聞く
あるいは飲み屋さんに入って飲みながら話を聞いてみる
う~ん どれもこれも金がかかるし もしその当時の事を知らない
若い人だったら お話にならないし
う~ん う~ん (悩んでいる)
ピカッ (はげあたまが光ったのではない)
ひらめいたのである
そうだジジィ達が集まる所 老人福祉施設ではなく
酒が飲めて気楽にインタビュー及び聞き取り
が出来る場所
ふふふふ 立ち飲みである
早速 横浜銀行の斜前の角に位置する酒屋さんの立ち飲みに出向いたのである
ホット奴 100円 水100円 氷50円 ウイスキー角 二杯分460円
カリカリ梅 二つで 80円
今回の地元の重鎮インタビュー及び聞き取り費用は占めて 790円なり
はげまる両側には 地元ガス山に三代住んでいる 三代目の64歳の重鎮と
福島県出身で 若い頃本牧で仕事をしていて 福島に帰っていて又横浜に戻ってきた
酔っ払いの64歳の重鎮さん
はげまるは ホットヤッコをプラスチックのスプーンですくい
口の中にほおばりながらのインタビューである
なにしろ家にいても退屈である重鎮さん達は 話しがしたいのである
はげまるのインタビュー質問にも快く答えてくれる
ガス山の重鎮さんは凄くそのあたり詳しく話してくれて
フクスマの色の浅黒い重鎮さんは 酒の酔いとフクスマ弁が混ざって
半分は聞きとれず意味不明である
話によると ガス山の重鎮さんが子供の頃の思い出として
この脇の通りにも大きいチャブ屋さんが二軒ぐらいあって
自由の女神が建っているロイヤルホテルあたりが一番のメイン通りであったそうだ
買春禁止法が発令されて「本牧チャブ屋」跡は更地となり どんどん細かく区画整理され
現在の街並みになったそうである
たまに意味不明の合いの手を入れるフクスマの重鎮さん
そのうちガス山の重鎮さんは 意味が解らないフクスマの重鎮さんを
完全無視状態 一人でガンガン話し続けていった
はげまるは もう ふんふん ふんふん (犬のふんではないぞ)
と聞き入りメモをとるのであった
しばらくしたらガス山の重鎮さんは あまりにも意味不明の合いの手を入れる
フクスマの重鎮さんに疲れたみたいで
「お先に~」なんて帰っていったので 帰り際にお礼を言って
はげまるも後を追うようにして帰路についたのである
それからフクスマの重鎮さんはどうなったか
なんて まるっきり関係ないのである
立ち飲みやさんは この写真の左側にあります
その通りの出口角のあるビル
ここにも洋館風な建物チャブ屋さんのビルが建っていたそうだ
<☆☆☆さんからの地図から判明しました
大黒屋さんの前は スターホテルというチャブ屋さんでありました>
次回は はげまるが4~5年目に買った本と 撮り溜めた写真と
本牧チャブ屋地図 及び昭和32年頃の地図などを参考にしながら
(☆☆☆さんがコメントに入れてくれた地図)
を交えながら ねほりはほり書いていく事にする。