末吉町一丁目の信号をドンドンと黄金町方面に歩いていく
(またドンドンだなぁ)
昔からある渋い建物が今でも見られるのがうれしいなぁ
このあたり昔から夜にでもなると チラホラと女性が立っていて
男がひとりでとぼとぼ歩いていると
「おに~さん 遊んでいかない~ ○万○千円~」
(○はご想像に任せます)
時代と共に立っているおね~さん達も 日本人から外国人に
変わって行き
中には凄いエキゾチックなおね~さんもいたりして
片言の日本語でズバリ
「○万○千円~ ホテル代こみ~」
この短い単語ふたつで商売をしているみたいで
ホテルに入って名前を聞いても「○万○千円」 と答えるそうである
(お断り 人から聞いた話です)
まぁ ようするにだね
世界各国の若い女性と コンビに感覚で知り合える
この通りなのである
(お断り 今は知りまへんへん)
それにしても 渋さ満点の窓である
その建物の裏側から撮る
屋根の庇あたりが戦後すぐに建てられた感じを物語っている
はげまるが若い頃 このあたりを歩いていると
こんな感じのアパートが多々あったなぁ
それと このあたりにくると 立っているのは
おね~さんではなく オカマさんが多く
ドスが少し利いた高めの声で
(どんな声なんだ)
「おに~さん ど~お~ うっふ~ん」
と声がかかったそうである
(人から聞いた話であります)
駐車場にあった タイの有名なTAXI(名前は知らない)
ひゃ~ 懐かしいなぁ
はげまるは昭和の時代に二度ほどタイに旅して
この乗り物に何度も乗った思い出がある
暗くてよく分からないのでストロボを発光した
ようするにスクーターを改造したみたいな乗り物である
タイ語は さっぱりわかりまへんへん
これからの写真は タイに旅した時のモノ
ほらね 「TAXI」と書いてあるでしょ
はげまるがタイの夜に乗ったTAXIです
タイからバスでチェンマイに向かう幹線道路にて
この通りで数少ない昭和の民家
お待たせいたしました
今回の題 昔の景色 「黄金劇場」の写真
この写真は先日☆☆☆さんから頂いた 昔の写真の一枚であります
(1997年に撮ったモノ)
これは先週 はげまるが撮った写真
☆☆☆さんが撮った写真と比べてみると
右側の民家みたいのはすべて マンション化している
左側手前の渋い建物は駐車場になっていた
「黄金劇場」はまだ建物が残っていてうれしい限りである
その昔は屋根の上にそびえる「黄金劇場」のネオンが
赤々さんさんと輝いていたのが思い起こされるなぁ
つい最近まで営業していたのかもしれない
そのあたりは不明
ばんどさんからの書き込みです
<黄金劇場さんは2月22日に風営法違反の摘発を神奈川県警に受けて
それ以降営業を停止しています。>
だそうです ありがとうございました
この二階に続く階段は
踊り子さん専用の階段だったのかなぁ
もしかしたら二階には踊り子さんの子供の託児所があったりしたかもなぁ
なにしろその昭和の時代 キヤバレーの二階がホステスさんの託児所
なんていうのはざらにあったしなぁ~
なんて想像が妄想に変わっていくのであります。
ここでまたしても☆☆☆さんからの
生々しいコメントがありましたので
重要情報としてここに記載いたしました
<中に入ると、意外や意外、立ち見が出るほどの超満員
客の年齢層は高く、踊り子嬢が「アラ、おじいちゃん元気だったの?」
と常連客を気遣う
するとおじいちゃんは、その踊り子に手を合わせ、
拝むような仕草をしておどけてみせる
場内からどっと笑い声が上がる
、実に和気藹々としたムードでした。
ポラロイドショーでは、
お気に入りの踊り子の写真を1000円で撮ることが出来ます
いい年をしたおじさんたちが、1000札を握り締め、列に並び、
順番に嬢の写真を撮ります
出来上がったポラロイドを大事そうに持ち帰るときの
、彼らの幸せそうな顔が印象的でした
今回の摘発の元になった「猥褻」なイメージとは程遠い
、アットホームな空気の中で
ささやかな庶民の楽しみを共有できる空間、
それが黄金劇場でした
気さくな経営者のオバちゃん、
長年寝食をともにしたであろう従業員、
そして憩いの場を奪われた常連のおじいちゃんたちの
今が気になります。>
渾身のリポート ありがとうございました
ひきづづき さも次郎さんからの生々しいコメントです
<末吉町四丁目の信号を左に行きまして
南吉田小学校を右に行った辺りに、
ストリップ劇場 横浜セントラルがあったそうです
ここは、伝説の劇場で踊り子のジプシーローズや
芸人の由利徹さんなどが出ており賑わったようです
当時、合法とはいえ場内の売店でヒロポンを売っていて
楽屋の隅には、<チュウシャ場>と看板があり
天井からゴムで注射器が吊るされていたそうです
由利さんの話によると、日本広しといえこんな所は
横センだけみたいです。>
ひゃ~~ すごいですね
ありがとうございました
(またドンドンだなぁ)
昔からある渋い建物が今でも見られるのがうれしいなぁ
このあたり昔から夜にでもなると チラホラと女性が立っていて
男がひとりでとぼとぼ歩いていると
「おに~さん 遊んでいかない~ ○万○千円~」
(○はご想像に任せます)
時代と共に立っているおね~さん達も 日本人から外国人に
変わって行き
中には凄いエキゾチックなおね~さんもいたりして
片言の日本語でズバリ
「○万○千円~ ホテル代こみ~」
この短い単語ふたつで商売をしているみたいで
ホテルに入って名前を聞いても「○万○千円」 と答えるそうである
(お断り 人から聞いた話です)
まぁ ようするにだね
世界各国の若い女性と コンビに感覚で知り合える
この通りなのである
(お断り 今は知りまへんへん)
それにしても 渋さ満点の窓である
その建物の裏側から撮る
屋根の庇あたりが戦後すぐに建てられた感じを物語っている
はげまるが若い頃 このあたりを歩いていると
こんな感じのアパートが多々あったなぁ
それと このあたりにくると 立っているのは
おね~さんではなく オカマさんが多く
ドスが少し利いた高めの声で
(どんな声なんだ)
「おに~さん ど~お~ うっふ~ん」
と声がかかったそうである
(人から聞いた話であります)
駐車場にあった タイの有名なTAXI(名前は知らない)
ひゃ~ 懐かしいなぁ
はげまるは昭和の時代に二度ほどタイに旅して
この乗り物に何度も乗った思い出がある
暗くてよく分からないのでストロボを発光した
ようするにスクーターを改造したみたいな乗り物である
タイ語は さっぱりわかりまへんへん
これからの写真は タイに旅した時のモノ
ほらね 「TAXI」と書いてあるでしょ
はげまるがタイの夜に乗ったTAXIです
タイからバスでチェンマイに向かう幹線道路にて
この通りで数少ない昭和の民家
お待たせいたしました
今回の題 昔の景色 「黄金劇場」の写真
この写真は先日☆☆☆さんから頂いた 昔の写真の一枚であります
(1997年に撮ったモノ)
これは先週 はげまるが撮った写真
☆☆☆さんが撮った写真と比べてみると
右側の民家みたいのはすべて マンション化している
左側手前の渋い建物は駐車場になっていた
「黄金劇場」はまだ建物が残っていてうれしい限りである
その昔は屋根の上にそびえる「黄金劇場」のネオンが
赤々さんさんと輝いていたのが思い起こされるなぁ
つい最近まで営業していたのかもしれない
そのあたりは不明
ばんどさんからの書き込みです
<黄金劇場さんは2月22日に風営法違反の摘発を神奈川県警に受けて
それ以降営業を停止しています。>
だそうです ありがとうございました
この二階に続く階段は
踊り子さん専用の階段だったのかなぁ
もしかしたら二階には踊り子さんの子供の託児所があったりしたかもなぁ
なにしろその昭和の時代 キヤバレーの二階がホステスさんの託児所
なんていうのはざらにあったしなぁ~
なんて想像が妄想に変わっていくのであります。
ここでまたしても☆☆☆さんからの
生々しいコメントがありましたので
重要情報としてここに記載いたしました
<中に入ると、意外や意外、立ち見が出るほどの超満員
客の年齢層は高く、踊り子嬢が「アラ、おじいちゃん元気だったの?」
と常連客を気遣う
するとおじいちゃんは、その踊り子に手を合わせ、
拝むような仕草をしておどけてみせる
場内からどっと笑い声が上がる
、実に和気藹々としたムードでした。
ポラロイドショーでは、
お気に入りの踊り子の写真を1000円で撮ることが出来ます
いい年をしたおじさんたちが、1000札を握り締め、列に並び、
順番に嬢の写真を撮ります
出来上がったポラロイドを大事そうに持ち帰るときの
、彼らの幸せそうな顔が印象的でした
今回の摘発の元になった「猥褻」なイメージとは程遠い
、アットホームな空気の中で
ささやかな庶民の楽しみを共有できる空間、
それが黄金劇場でした
気さくな経営者のオバちゃん、
長年寝食をともにしたであろう従業員、
そして憩いの場を奪われた常連のおじいちゃんたちの
今が気になります。>
渾身のリポート ありがとうございました
ひきづづき さも次郎さんからの生々しいコメントです
<末吉町四丁目の信号を左に行きまして
南吉田小学校を右に行った辺りに、
ストリップ劇場 横浜セントラルがあったそうです
ここは、伝説の劇場で踊り子のジプシーローズや
芸人の由利徹さんなどが出ており賑わったようです
当時、合法とはいえ場内の売店でヒロポンを売っていて
楽屋の隅には、<チュウシャ場>と看板があり
天井からゴムで注射器が吊るされていたそうです
由利さんの話によると、日本広しといえこんな所は
横センだけみたいです。>
ひゃ~~ すごいですね
ありがとうございました