「イセビル」のすぐ前の道路は昔 大岡川の支流「派大岡川」と言う川が流れていて
それを埋め立てて首都高速横羽線になった事は前に書いた
今の大通り公園の下には「吉田川」が流れていた
昔の横浜は運河交通が中心であったのが分かる
さて 「イセビル」に隣接している吉田町商店街の道路側い面しているビルの一角に
「都南ビル」とういうビルがある
そのあたりを中心に書いて行こうと思う
この入口に建っている「斎藤ビル」も古いビルである
右の歩道の木の植え込みの右側には 川が流れていたのである
その歩道を歩いてみる
カメラの「ミヤマ」の文字が見える
はげまるが30年位前には よく通ったカメラ屋さんである
「斎藤ビル」の隣の「都南ビル」が見えてきた
「都南ビル」(静岡中央銀行)は「イセビル」より一年遅く建てられ
昭和3年築である
この写真を見て あれ~ なんか変だな~ と思いませんか
正面玄関が すこし斜めに造られている
正面玄関の扉の扉どころか 二階のバルコニーの窓も同じに
建物の壁面とは違う角度で取り付けられている
これを「謎」と言わずに居られるけ~ぃ
これを「謎」と言わずに どうするんで~ぃ (鼻息あらいな)
そこで「横浜の近代建築」というサイトからの記事を
得意の無段転載である
<伊勢佐木モールの人波から外れたところにある都南ビルは、
比較的目立たない存在です。
利用者は正面口より裏側の通用口から入る方が多いようです。
そのためか、建物裏側のタイルは新しいものに貼り替えられているようで、
おかげで正面側の建設当時からのスクラッチタイルは保たれたままです。
この建物には面白い特徴があります。
正面玄関の扉や2階バルコニーの窓が、
建物の壁面とは違う角度で取り付けられている事です。
私が推測するに、入り口を正しく東に向けたということなのでしょうか。(仁木)>
とうい真面目な記事が書いてあるが
その仁木さんにしても よく分からない 推測であると書いてある
う~ん う~ん
謎は謎を呼び 嵐は嵐を呼ぶのである
ここではげまるが一人で う~ん う~ん なんて浪花節みたいに
唸っていても らちがあかない
先に進めないので 誰かさん
「謎」の答えを知っていたら 教えてくださいませ。
追加記事
この「謎」によんぼうさんという方が
「表通りの道と平行になるよう斜めに造られてのではないかいな~」
とコメントがありました
地図を見て見ると 「都南ビル」は台形風に建てられていて
確かに表通りと斜めに造られた角度が同じに見えるのである
かなり確立が高いのではなのか と思ったので
手打ちと相成りました
ぱんぱん(手を打った音)
「都南ビル」の隣にあるビルも凄く古く
はげまるが学生の頃は二階には セガがやっていた コバサーキット
と言うミニチュアカーのレーシング場があって
浜のお金持ちの子弟やら 遊び人風の悪ガキ
はげまるみたいな並みの庶民の若者達が 屯(たむろ)していた
おぼろげな記憶ではあるが たしかレーシング場の前には
音楽喫茶(生バンドが出ていた)であったと記憶している
(高校生の頃に入った記憶がある)
もしかしたら隣の隣のビルかもしれないが
なにしろ45年ぐらい前の記憶である
一階のカワイピアノの展示場も昔からあった
とにかくこのあたりのビルの裏側の横には
のんびりと川が流れていた
昭和の時代の話である
さて 吉田町商店街の表通りから この「都南ビル」あたりを見てみると
「都南ビル」には「静岡中央銀行」の看板は見当たらない
銀行のビルという感じはまったくしない
食いもの屋さんの看板が外に出ていた
「横浜の近代建築」からの転載写真をみると ちゃ~んと
「静岡中央銀行」の看板が見て取れる
このあたりの経緯は わかりまへんへんへん
吉田町商店街に建っているビル群のほとんどは
40年以上前から有るビルばかりであるが
通りの反対側の古いビルの一階の店の様子は激変している
最近では洒落たバーが数軒並んでいたりして 昔の面影は少ない
もちろん昔からの老舗も何軒かありますよ
<使用カメラ キャノンD60 キャノンS90 シグマSD14>
お知らせ
イセビルの記事に 下の写真を加えました
それを埋め立てて首都高速横羽線になった事は前に書いた
今の大通り公園の下には「吉田川」が流れていた
昔の横浜は運河交通が中心であったのが分かる
さて 「イセビル」に隣接している吉田町商店街の道路側い面しているビルの一角に
「都南ビル」とういうビルがある
そのあたりを中心に書いて行こうと思う
この入口に建っている「斎藤ビル」も古いビルである
右の歩道の木の植え込みの右側には 川が流れていたのである
その歩道を歩いてみる
カメラの「ミヤマ」の文字が見える
はげまるが30年位前には よく通ったカメラ屋さんである
「斎藤ビル」の隣の「都南ビル」が見えてきた
「都南ビル」(静岡中央銀行)は「イセビル」より一年遅く建てられ
昭和3年築である
この写真を見て あれ~ なんか変だな~ と思いませんか
正面玄関が すこし斜めに造られている
正面玄関の扉の扉どころか 二階のバルコニーの窓も同じに
建物の壁面とは違う角度で取り付けられている
これを「謎」と言わずに居られるけ~ぃ
これを「謎」と言わずに どうするんで~ぃ (鼻息あらいな)
そこで「横浜の近代建築」というサイトからの記事を
得意の無段転載である
<伊勢佐木モールの人波から外れたところにある都南ビルは、
比較的目立たない存在です。
利用者は正面口より裏側の通用口から入る方が多いようです。
そのためか、建物裏側のタイルは新しいものに貼り替えられているようで、
おかげで正面側の建設当時からのスクラッチタイルは保たれたままです。
この建物には面白い特徴があります。
正面玄関の扉や2階バルコニーの窓が、
建物の壁面とは違う角度で取り付けられている事です。
私が推測するに、入り口を正しく東に向けたということなのでしょうか。(仁木)>
とうい真面目な記事が書いてあるが
その仁木さんにしても よく分からない 推測であると書いてある
う~ん う~ん
謎は謎を呼び 嵐は嵐を呼ぶのである
ここではげまるが一人で う~ん う~ん なんて浪花節みたいに
唸っていても らちがあかない
先に進めないので 誰かさん
「謎」の答えを知っていたら 教えてくださいませ。
追加記事
この「謎」によんぼうさんという方が
「表通りの道と平行になるよう斜めに造られてのではないかいな~」
とコメントがありました
地図を見て見ると 「都南ビル」は台形風に建てられていて
確かに表通りと斜めに造られた角度が同じに見えるのである
かなり確立が高いのではなのか と思ったので
手打ちと相成りました
ぱんぱん(手を打った音)
「都南ビル」の隣にあるビルも凄く古く
はげまるが学生の頃は二階には セガがやっていた コバサーキット
と言うミニチュアカーのレーシング場があって
浜のお金持ちの子弟やら 遊び人風の悪ガキ
はげまるみたいな並みの庶民の若者達が 屯(たむろ)していた
おぼろげな記憶ではあるが たしかレーシング場の前には
音楽喫茶(生バンドが出ていた)であったと記憶している
(高校生の頃に入った記憶がある)
もしかしたら隣の隣のビルかもしれないが
なにしろ45年ぐらい前の記憶である
一階のカワイピアノの展示場も昔からあった
とにかくこのあたりのビルの裏側の横には
のんびりと川が流れていた
昭和の時代の話である
さて 吉田町商店街の表通りから この「都南ビル」あたりを見てみると
「都南ビル」には「静岡中央銀行」の看板は見当たらない
銀行のビルという感じはまったくしない
食いもの屋さんの看板が外に出ていた
「横浜の近代建築」からの転載写真をみると ちゃ~んと
「静岡中央銀行」の看板が見て取れる
このあたりの経緯は わかりまへんへんへん
吉田町商店街に建っているビル群のほとんどは
40年以上前から有るビルばかりであるが
通りの反対側の古いビルの一階の店の様子は激変している
最近では洒落たバーが数軒並んでいたりして 昔の面影は少ない
もちろん昔からの老舗も何軒かありますよ
<使用カメラ キャノンD60 キャノンS90 シグマSD14>
お知らせ
イセビルの記事に 下の写真を加えました