(前回からのつづき)
兼六園から県道10号線を挟んで向こう側には金沢城跡があります。この地には戦前は陸軍第九師団司令部という帝国陸軍の拠点があり、戦後は国立の金沢大学のキャンパスになっていましたが、89年から95年にかけて随時大学が移転したことに伴い、以降は城跡公園として整備されてきました。
見下ろすのは兼六園と金沢城に挟まれた県道10号線ですが、兼六園と金沢城の間には歩道橋があり、そこから行き来することができようになっています。
石川門から入りますが、ここまで早朝から新幹線に乗り、降りたら満杯のバスに揺られ、その後茶屋街を歩きどおしですっかりくたびれてしまったおじさんたちは入ったところの休憩所で少々ブレイクタイム。そもそもこの日は秋の金沢とは思えないほど暑い日だったのですが…。
前方に見えるのは新しい金沢城公園を象徴する建物のひとつである五十間長屋です。01(平成13)年に再建されたもので、戦の際に二ノ丸を守るための施設ということで、石落しや鉄砲狭間となる格子窓が見られます。
金沢城の実質的な正門とも言われる河北門ですが、石川門、橋爪門と共に「金沢城三御門」と位置づけられているようです。10(平成22)年に再建されたものです。
(つづく)
兼六園から県道10号線を挟んで向こう側には金沢城跡があります。この地には戦前は陸軍第九師団司令部という帝国陸軍の拠点があり、戦後は国立の金沢大学のキャンパスになっていましたが、89年から95年にかけて随時大学が移転したことに伴い、以降は城跡公園として整備されてきました。
見下ろすのは兼六園と金沢城に挟まれた県道10号線ですが、兼六園と金沢城の間には歩道橋があり、そこから行き来することができようになっています。
石川門から入りますが、ここまで早朝から新幹線に乗り、降りたら満杯のバスに揺られ、その後茶屋街を歩きどおしですっかりくたびれてしまったおじさんたちは入ったところの休憩所で少々ブレイクタイム。そもそもこの日は秋の金沢とは思えないほど暑い日だったのですが…。
前方に見えるのは新しい金沢城公園を象徴する建物のひとつである五十間長屋です。01(平成13)年に再建されたもので、戦の際に二ノ丸を守るための施設ということで、石落しや鉄砲狭間となる格子窓が見られます。
金沢城の実質的な正門とも言われる河北門ですが、石川門、橋爪門と共に「金沢城三御門」と位置づけられているようです。10(平成22)年に再建されたものです。
(つづく)