goo blog サービス終了のお知らせ 
赤い彷徨 part II
★★★★☆★☆★★☆
再起動、します
 



先日の京都遠征は前日土曜日の21:30頃に京都駅に到着。大阪に住む友人(らーめんの師匠)夫妻が車で迎えにきてくれて、ホテルにチェックインした後にぷらぷら歩いて辿り着いたはいから屋@木屋町にてやきとりを啄ばみながら飲む。「保津峡どり」というのがある以外はとりたててご当地っぽさもないチェーン店だが、お手軽に安く飲めてよかった。京都のいわゆる繁華街である木屋町は、この日は大学の卒業式か何かとかぶっていたようで、ご覧のとおり路上に若者たちがうじゃうじゃいてうざいうざい。いや「うじゃうじゃいてうざい」という意味では我々浦和者も余り人のことは言えませんが。


卒業おめでとう(棒読みで)

酒を飲みながらべらべら話しているうちに気がつけば日付も変わっており、夫妻と別れたオレたちはタクシーに乗り込み祇園に向かう。するとほどなく、なぜか警官に止められる。やましいことはないのにちと焦るが、どうやら運ちゃんが間違ってSOSボタン?を押してしまったようで、ご覧のとおりランプが真っ赤に光っていて、おいおい大丈夫かよっつーことで止められたらしい。いくらオレらが強面だからってそりゃねーだろと。運ちゃんはどっかに電話して消す方法を聞くなどして一生懸命これを消そうとしたが結局ままならずわずか数十m進んだだけで敢えなく降車。オマエら祇園のどこに向かってたんだとかその後どうしたんだとか無粋なことは聞いてくれるな。


笑うなよ・・・警官が見ている。

翌朝は必死こいて8時前に起き上がり、巷では有名なイノダコーヒ本店へ(「コーヒー」でなく「コーヒ」らしい)。前日の友人の嫁さんのご実家情報で「開店前から並ぶ」らしいと聞いてはいたのだが、本当に行列が出来ていて改めてびっくり。結局10分ちょい待ってやっとこさ入店。ラーメン屋で行列に並ぶことはあっても、喫茶店で行列に並ぶ日が来ると思わなかった。


これは午後に通りかかったときの写真

そしてメニューの写真に釣られて朝っぱらから「ビーフカツサンド」を喰らう。朝っぱらから「ビーフ」って学生時代の吉野家以来かも・・・(貧相な食生活ですいません)。しかも1,680円て・・・多分人生史上最も高価な朝飯だったんじゃねーかなと。いや陳腐なグルメリポーターみたいな言い方だが、衣はカリカリしてて噛むとビーフから肉汁ジュワーって感じでマジうまかったっす。てか朝飯に1,680円も払って不味かったら張っ倒すってもんですがね。


この写真じゃ肉汁ジュワー感が伝わらない・・・。上に乗っているのはベーコン。

そしてコーヒーも無論うまかった・・・。思わずでお土産で豆買っちまいました。そんなこんなで朝っぱらから腹いっぱいになってしまい、前の晩に飲んだ師匠も加わり3人で昼飯にラーメン喰う予定もあったので腹ごなしだっつーことで、徒歩で市内散策へ向かう。


後ろに見える灰皿も年季モノでイカす。これはいいものだ・・・。

(つづく)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




前回からのつづき)

9月末の韓国・チョンジュ(全州)遠征のついでに韓国内をぶらぶらしたときの話がそのまま放置になっていたので、今更ながら雪で外出する気にもならない徒然に、残っていた最後のキョンジュ(慶州)での話を中心に書き記しておく。何か今となっては遠い昔の出来事のような気がする。いやまあ昔なんだが。そういえばニュースで「(水曜に日本代表とする)タイ代表が「韓国の強豪」全北現代に2×0で快勝」ってやっていて、正直失笑を禁じえなかったな。

ソックラム(石窟庵)を後にし、プルグクサ(仏国寺)へ。この日は雨だったし、そもそもタクシーを借り上げてしまっていたのだが、どうやらこの間はハイキングコースにもなっているらしいので、また訪れる機会があればそういうのもトライしてみたいもの。今期のACL韓国代表の1クラブとして、慶州に比較的近い浦項が出場しているので、行くチャンスはあるかもな。



デカデカと「佛国寺」と書かれた門をくぐり、橋を渡って歩いていく。敷地内は韓国の修学旅行生のガキどもが席巻していて、コイツらがまたうるさいわ落ち着かないわで雰囲気を台無しにしてくれる。しっかり監督しろ先公!(死語ですがスクール☆ウォーズを見たばかりなものでご容赦ください)



ガキどもの騒音にもめげずに歩を進めていくと、眼前に石でできた高い階段が2つ。写真はうち右側にあった橋で、青雲橋・白雲橋という橋(ネット情報によれば、2段に別れた上の16段が白雲橋、下の18段が青雲橋)。どうみても階段なのに橋と呼ばれているのは、上にある門を越えて釈迦如来の彼岸世界に渡るための橋だからっつーことらしい。



ただし上にある門そのものからは「彼岸世界」に入ることはできず、横から入ることになっていたと記憶している。そんなこんなで中に入るといくつかの塔と「大雄殿」と抱えれた建物が目に入ってくる。そして最初に思ったのが「『伽藍配置』きたあああああ!」という、えらくマニアックなものだった。ううん、アジアに生まれてよかったああああ!



いや、昨年の悪夢のナビスコ杯準々決勝の際に訪れた大阪の四天王寺もこの「伽藍配置」といわれる構造になっていたわけです。それで解説かなにかで「伽藍配置は、朝鮮半島などでも見ることができる」という記述があって、ACLで韓国行ってこの目で確かめてやろうと思っていたもので、変な感慨があったわけで、別に伽藍配置フェチとかではないので誤解なきよう。



大雄殿には本尊である釈迦牟尼像が置かれ、両脇に文殊菩薩、普賢菩薩の像が並んでいます。大雄殿の前にある2つの塔はタボタプ(多宝塔)とソッカタプ(釈迦塔)。写真にちょっとだけ写っているのは恐らく前者。



これはチョンジュでも見られた極彩色。オレが見て回ったような寺院では基本的にこういうカラーリングがほとんどだった。鮮やかなものです。

さて、まあ、また気が向いたら続くということで・・・。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




「旅」というのはやや大げさだけれど、日曜に訪れたフクアリの周辺情報についてほんのちょっと。



JR蘇我駅に到着するとご覧のとおり、ジェフ、いやフットボールクラブのホームという感じが前面に出ており、他クラブとはいえ、一Jリーグファンとしては盛り上がってるように感じられて何となくうれしいものだ。まあJR東日本がスポンサー?だからということなんだろうけど。



駅のデッキからは彼方に高炉を望むことができる。もう10年以上前になるが、当時の川鉄(現JFEスチール)千葉の高炉を見学させてもらったことがあるので何となく感慨深い。しかし製鉄所の傍にフットボールスタジアムというのは何となくイングランドっぽいんじゃないかなんて勝手に妄想してみたりして。



この日はバックスタンドでの観戦となったが、噂で聞いていたとおりピッチが近く傾斜もそこそこあって非常に見易かった。また、ゴール裏の声援が屋根で反響してピッチに広がっていって、あらためて埼スタにも屋根があればなあなんて思ってしまった。でもチケットがやや高め(バクスタは天皇杯、しかもゾーン指定なのに3500円もした)なのと、その割に椅子が安っぽいのと、通路がかなり狭いのと、生ビールが600円ってのはちょっとなあという感じ。まあチケット代についてはあれだけ見易ければわからんでもないか・・・。てか日産スタの2階席に1万4千円出すよりはマシかw

試合後は、前の日にナビスコ決勝行ったにも関わらず観戦に付き合ってくれた職場の後輩とともに駅に帰る道を左に曲がって10分ちょっと?(少なくとも埼スタからイオンよりは全然近いと思う)歩いてアリオで飯。2Fにレストランの集まったエリアがあり、そこで身長180cm超の野郎2人で沖縄料理を喰った。帰りはアリオと蘇我駅を結ぶ無料循環バスが10分間隔で出ているので、これで駅まで戻れるので便利かもしれない。ちなみにフクアリの隣の広大な空き地にもやがて某ショッピングモールが出来るらしいので、試合前後の飲食環境は一層良くなるのではないだろうか。スタ飯も充実しているという噂だし、正直うらやましい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回からのつづき)

翌朝起床。前日のタクシーの運ちゃんと朝9時半にホテル前で落ち合う予定だったためチェックアウト。運ちゃんは時間どおりホテル前で待機してくれていた。約束どおりチルマヌウォン(7万ウォン)で5~6箇所回ってくれるか正直まだよくわからなかったが、とりあえず最初はソックラム(石窟庵)に向かうとのこと。この日は生憎の雨、霧で見通しも最悪な中、山道を登っていった。まあチョンジュ(全州)まで暑かったので、涼しくなって有難い部分もあったけれども。

石窟庵はトハムサム?(吐含山)という700m級の麓にあり、新羅時代の751年に金大城(キムデソン)という時の宰相によって建設が開始された仏教寺院。韓国の国宝であり、世界遺産にも登録されている。時間にして10数分だったか、石窟庵に到着。駐車場のところで「ここで待っているからゆっくりみておいで」ってなことを運ちゃんに言われる(ちなみにタクシーだと駐車場代がタダなんだとか)。日本の京都や鎌倉同様、拝観料を支払って入場し、ひとりてくてくと歩いていく。さすがコテコテの観光名所だけあって日本人ツアーの姿もちらほら。



この上の方に見える建物が石窟庵で、ドーム上の中に釈迦如来坐像が置かれている。中での写真撮影は禁止されているのでこちらででもご覧頂くとして、そこにも書かれているように保存上の理由からその釈迦如来坐像はガラス越しで見ることになる。最近ついに仏像の顔をしげしげと見つめるようになってきてしまった加齢な自分は、ガラスの向こうに鎮座する釈迦如来のご尊顔を堪能。ではまさにお坊さんと教徒?の方々がお経を上げている最中で、なかなか絵になる光景だった。


上の写真の下の方にある建物。こちらでもお坊さんがお経を上げてて、内面はなかなか煌びやかな感じだった。

実のところ見所はあんまり多くはなくて、と多分ここまで(だと思う)。ひとまわりして運ちゃんのところに戻る。歩いている途中に「東海まで○○km」みたいな表示があったのに思わず(・∀・)ニヤニヤとしながらタクシーに戻る。次はプルグクサ(仏国寺)へ。

(しつこいけどまだつづく)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回からの続き

そんなこんなで市外バスターミナルに到着。さーて料金はいくらかなっと顔を上げてみると、何と表示はすべてハングル。高速バスターミナルには行かなかったからわからないけど、少なくともこっちのバスは余り外国人観光客が乗ることを想定していないってことかな? いずれにせよ、幸いハングルを「読む」ことはできるので、地名の横にある数字を頼りに料金(チョンジュ(全州)からキョンジュ(慶州)まではわかった。チケットカウンターで、旅行ガイドにハングルで書いている「キョンジュ」という文字をしっかり見せながら「キョンジュ!」と言ってチケットを購入。

しかし16,000ウォン程度だったはずが8000ウォン程度で済んでしまって、はて、と思って渡されたチケットの行き先をよく見ると「ッチョンジュ」、つまり恐らくは「清州」となっていてガックリ。まったくわざわざ字まで見せたのに何で間違うかなと…。気を取り直して再度カウンターに向かい、チケットを指差し「イヤイヤイヤ」みたいなポーズをしながら「アーニョーアーニョー(違う違う)、キョ(ここ強調)ンジュ」と言うと差額だけ請求されてチケットを発給しなおしてくれた。

時刻表を見ると次の慶州行きは11:00発で幸い10分後。バスの発車場所は行き先別に15以上はあったが、何とか「キョンジュ」という表示を見つけて早速その番号の乗り場の列に並ぶ。やがてバスが到着したのだが、この列が一向に動かない。列で自分の前にオモニと一緒にいた魔裟斗似のイケメンに「キョンジュだよね?」と確認すると、「ネー」(ああ)とのことなので、よくわからないがとりあえずズカズカ前に進んでいく。バスの入口で「キョンジュだ」と言うと何か聞かれたので適当に「ネー、ネー」と言ったら行列を差し置いてバスに乗らせてくれた。

「ラッキー」と思ってバスの奥に行くが、どうも席が空いていない。そうこうしているうちにバスは出発。そして何度探しても空席はひとつとしてない。自分の後ろにもヒスパニック系の兄ちゃんがいて、そいつも同様席がない様子でニヤニヤしている。日本ではまず有り得ない状況だが、かといって1時間後の次のバスを待つのは絶対嫌だったので、しょうがない立っていくかと決心。普段サッカー観戦で2、3時間立ちっぱなしなんてザラなので、正直長時間立つことにあんまり抵抗がなかったりするわけで。

しばらく立っていると、車掌というか、第2運転手というかが近寄ってきて新聞紙を渡される。一瞬状況が理解できなかったが、どうも「この新聞紙を敷いて床に座れ」ということらしい。中途半端な気遣いなのか、はたまた単に通路に立たれると運転の邪魔だからなのか(多分後者)はわからないが、とりあえず座ることに。しかしこれから慶州までは少なく見積もっても3時間以上はかかるわけで、だったら立っている方がよっぽどマシかなという気もしたが、とりあえず大人しく座ることにする。観光バス形式の通路に座るなんて経験、今後死ぬまでないと思うので(?)、まあ貴重な経験だと思って楽しんでみようと。


ちなみにバスの通路に座るとだいたいこんな光景w 予想どおりケツは痛くなるわ、サービスエリアに寄ったときはみんなが帰るまで立ってなきゃいけなくて不便だわで大変だったが、それでも途中から高速道路に乗り、テグ(大邸)などを通って3時間半で無事慶州のバスターミナルに到着した。しかしケツ痛っ。

バスターミナルから中心部にあるキョンジュヨク(慶州駅)に徒歩で向かう。10分ほどで到着すると駅前に銀行があったので、円を、不足しつつあったウォンに換金する。韓国の銀行も日本同様窓口はごった返していたが、これまた日本の銀行よろしくタスキを掛けた案内係みたいな人がちゃんといたので、とりあえずそのおじさんに英語で「円に両替したい」と言ったらちゃんと窓口に繋いでくれて助かった。ホテルや空港よりレートは良かったと思う。

それから観光しようかなと思っていたたが、さすがにバスで床に座って3時間半は堪えたのか疲労を感じ、この日は駅からそのまま宿に向かうことに。宿は中心部から離れた仏国寺の傍に取っていたため、電車で移動しようと思い駅で聞いたところ何と1時間半来ないとのことだったので駅前でタクシーを拾って連れて行ってもらうことに。

このタクシーの運ちゃんもやっぱり話しかけてきまくりで、ただここは観光地だけあって多少日本語も話せるようだったが、何でも娘が京都大学にもうすぐ留学に行くんだとかで自慢話が多い。途中、彼は突然娘の携帯に電話していきなり代われというので何かと思ったら、日本語が話せる娘が「『明日観光するなら11万ウォンで6~7箇所回ってやるがどうだ』と父が言っています」とのことwだったので、ちょっと警戒して「残念オレは5万ウォンしかない」と言ったら「なら7万ウォンで5~6箇所でいいよ」と言ってきた。ちっこいおっさんだったのだが、山の中でいきなり武器でも出されたらかなわんなと頭を過ぎったが、タクシー会社所属の車両でちゃんと名刺も出してきたので、そのオファーを受諾することに。翌日朝9時半にホテル前で落ち合おうということで別れた。

この日の宿泊は「慶州コーロンホテル」。この旅のなかで唯一「安宿」ではないホテルになり、某サイト経由で一泊11,774円だった。「森の中のヒーリングホテル」などと旅行ガイドで紹介されているホテルに三十路すぎたおっさんがひとりで泊まったわけだが、とりあえず自殺志願者と疑われるようなことはなかったようで…。


ご覧のとおり本当に山の中にあって静かに過ごせるホテルで、夕方16時半に到着してこの日は部屋でこの景色を眺めながらまったり。ここまで慌しい旅路だったこともあり、久々に長時間ゆっくりできてちょうどよかった。テレビをつけるとACL準々決勝「アルカラマ×ソンナムイルファ」が放送されていて、アウェイの地でソンナムが勝利、準決勝の相手となったことを知った。

(つづく)


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回のつづき

翌日、遅くまで試合の録画中継を観ていたせいでかなりしんどかったが、何とか頑張って朝8時には起床。ホテルから一人で散歩に向かい、途中またコンビニの前のスペースでコーヒーで一服しつつ、ホテルから歩いていける距離にあった「ケクサ」(客舎)へ。李氏朝鮮時代にお客さんを迎えて様々な儀式を行っていた場所で、一部が現存しているらしい。



韓国で見た寺社仏閣などの歴史的建造物は、この後に向かうキョンジュ(慶州)などでもこの手の「極彩色」が多かった。このケクサはいまでは市民の待ち合わせ場所や憩いの場として使われているとのことだったが、確かに朝っぱらからこんなところで読書に勤しむおっさんとお姉さんがいた。ホテルに帰る道すがらでは、うぃあーさんと思しき方々を2組ほど目撃。当日はほとんどの人が試合終了後そのままバスでソウルに帰ってしまったなか、チョンジュ宿泊組はかなり珍しい方に入るのだろうな・・・。

実はこのチョンジュで韓国人の友人と会う予定だったが、ドタキャンを喰らう。ここまでトラブル続きでもはや小慣れていたのでさしてショックにも思わず、また浦和の勝利でかなりご機嫌だったこともあり、それならばということで、サッカーでもなければ死ぬまで訪れることのなかったであろうチョンジュの町を少しばかり観光をすることにする。てか、チョンボクのラフプレーを思えば正直2度と対戦したかないが・・・、まあそういうわけにもいかないのかな。

とりあえずホテルをチェックアウト。宿泊したチョンジュクワングワンホテル(全州観光ホテル)は某サイト経由で予約、一泊7,700円だった。繁華街に近いところにあるので決して静かではないが、値段相応で悪くないホテルだと思う。ちなみにここにも時計もアラームもなかったw

チョンジュは遡れば百済の都で、李氏朝鮮を築いたイ・ソンゲ(李成桂)の祖先の生地とか。60万都市らしいが、街並みは実にこじんまりとしていていかにも地方都市といった趣。ちなみに心底どうでもいいけどユンソナの出身地らしい。



地図を頼りにとりあえずプンナムン(豊南門、上の写真)へ徒歩で向かう。豊南門は、全州府城にあった東西南北の4つの門のうち、唯一現存している南門とのことで、ソウルの南大門と同じ形をしているらしいが、規模はかなり小さい。写真ではちょっと見難いが「湖南第一城」の「湖南」とはチョルラプクド(全羅北道)の別名らしい。



そしてそのままキョンギジョン(慶基殿)へ。こちらはイソンゲをはじめとした朝鮮王朝歴代の王様の肖像が奉納されている建物で、1410年に建立されたもの。ここでも建物は極彩色で彩られていた。チョンボクの名所旧跡は全体的に地味な感じが否めないが、薀蓄を読みながらぷらぷらするのはなかなか悪くない。こんなところでもところどころ日本語の解説もついているものもあったわけだが。



ここらでチョンジュ中心部のみどころはほぼ網羅したと判断し、半島の東端の方にあるキョンジュに向かうことに。路線図を見た限り鉄道だと乗換が多くて面倒そうだったので、ここは敢えてバスで移動することに。タクシーを拾って「コソクポストミナルカジ」(「高速バスターミナルまで」と言ったつもり)と告げる。すると運ちゃんにバスの行き先を聞かれたので、「キョンジュ」と応えると「それなら市外バスターミナルだよ」とアドバイスしてくれて、そっちへ向かう。この親切な運ちゃん、こっちが彼の韓国語をほとんど理解できなくても粘り強く話しかけてきてくれて、それはそれは正直やや疲れたが、まあ悪い気はしない。「チュッキュ(蹴球)でチョンジュに来た」といったら「ソンス?」(選手?)と言われて苦笑い。選手がバックパッカーやってるわけねーだろっつーの。こっちが「いやいや応援だ」と言ったら今度は運ちゃんが苦笑い。

(まだまだつづく)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回のつづき

 ようやくチケットもぎりを通過してスタジアムの中へ。こちらのゴール裏を除いてスタンドはまだ閑散としていた。ピッチの上では何やら太鼓の演奏の練習が繰り広げられ(後でわかったことだが、ハーフタイムショーに向けた練習だったらしい)、メインスタンド側ではワシントンらが現れベンチに腰掛けており、のんびりムード。最近岡田主審らに対してよく行うように、試合前にピッチ内を巡回する審判団がこちらにやってくると大きな拍手で迎える浦和ゴール裏。そしてこれに拍手で応える審判団。まあ、これについては結果的に成果があったのかもしれないw



やがて選手たちがアップのためにピッチに現れると、「赤き血のイレブン」のチャントが始まり、いよいよ臨戦態勢に。陽が沈み徐々にあたりが暗くなり、開始時間が迫るにつれて人が増えていく向こう側のゴール裏とバックスタンド。何だかんだと3万人以上の観衆が集まったようだったが、試合中の反応を見る限りじゃバックスタンドは普段サッカーを見てない、恐らくはヒュンダイグループの企業動員っぽい感じがありあり。

浦和のゴール裏にも、物珍しさか韓国人が何人か紛れ込んでいたのを目撃。うちひとりのおっさんは「オノシンジ、オノシンジ」と呟きながらうろうろしていて、変なところで伸二の知名度をあらためて実感させられる。そうこうしているうちに、まだ練習中だってのに向こうのゴール裏2階で発炎筒が焚かれる。人間やっぱり火を見ると興奮するのか、これでさらにテンションが上がる。試合開始後は浦和側でも無数の発炎筒が焚かれ、日本国内では消防法の関係で禁止されていることもあってか興奮はますますもって高まり、いよいよ血沸き肉踊るといったモードに。


この日の発炎筒第一号。怪しい手が透けてますがシンレイ写真じゃありません・・・

試合内容については今更語るまい。自分もかなりテンパっていて、ハーフタイムには若干息苦しくなるほどだったが、そんななかだからこそ開始早々の達也のゴールには大いに勇気づけられた。普段のリーグ戦なら開始早々のゴールにはきょとーんとしてしまうのだが、いきなりネジが2、3本飛んで行った感じ。

相手のゴール裏が発炎筒を焚いて火力に物を言わせてくることはある程度想定していたが、まさか試合中のピッチの、しかも「浦和の選手に向けて」ロケット花火のようなものを打ち込むことまでは予想していなかった。そして審判の判定が気に喰わない時や試合後には無数のペットボトルがピッチに投げ込まれ(ただしこれについては浦和でも投げ込んだバカがいた)るなど、物々しい雰囲気。挙句の果てには試合終了時にチョンボクの選手が審判に中指まで立ててたようで、まあなんつーかもう・・・・・・・面白いねw

試合を2×0で快勝して意気揚々としていたところ、突然打ち上げ花火が上空に2発上がり、盛り上がる浦和ゴール裏。自分とこのクラブが無様に負けたのに花火を上げるとは、スタジアムの雰囲気と違って随分と懐の深いものだと感心しつつ、しかしまた随分と凄い勢いで警備がこっちに走ってくるななどとその場では思っていたのだが、後でどうやらこっちのゴール裏が上げたものだったことを知る。チョンボクに負けたのはせいぜい火力くらいだとな思っていたが、結局火力でも浦和が圧勝だったようでw

それにしても"We Are Diamonds"歌ってるときはさすがに目から汗が出ました。いや、常日頃から滝沢先生に「勝ってから泣け」って指導されてるオレは途中で堪えましたけどね。

-----

さて試合後。チョンジュ市内の中心部に宿を取っていた自分は、簡単に言えば埼スタで試合を観た後浦和駅近くに出て宿泊先に行かねばならないような状況であったため、タクシーを拾う必要があった。念のため試合前にボランティアの日本語が出来る女の子に聞いたみたところ、タクシーは試合後ホーム側の方で拾えるとの案内を受けていたのでその点ではやや安心していたのだが・・・。

さすがに試合が物々しい雰囲気で終わったこともあり、念のためユニの上に用意しておいた真っ黒なパーカーを羽織ってカモフラージュしてホーム側へ向かった。タクシーを求めて道路をうろうろするものの、これが一向に捕まらない、というかタクシーがそもそもあんまりいなくて、これはさすがに焦った。一応前述のボランティアのお姉さんたちの名誉のために言っておくが、タクシーについて質問したところ、彼女ら自身ではわからなかったため、わざわざ駆け足でスタッフに聞いてきてまで回答してくれたので、彼女たちなりに最善は尽くしてくれたのである。ちなみに大学で日本語を勉強している女子大生だったようで、にこやかに応えてくれて大変好印象だった。つか駆け足で戻ってきて息を切らせながら応えてくれたときはむしろ萌えたw 要はスタッフ氏ねと。

引き続きうろうろしていると、赤装束の人たちが道端で佇んでいたため、すがるような思いで話しかけてみると、やはりチョンジュ市内のホテルに行くためにタクシーが必要なんだとかで、こちらも焦っていたため、図々しくもその方々3人と一緒にタクシーを待たせて頂くことに。このお三方、どうやらソウルから電車でいらして、車内で知り合った男性1名とご夫婦の計3名だったらしいのだが、電車で来るとは本当に逞しいわ・・・。

しかしそれでもタクシーは来ない。挙句に車で通り過ぎるチョンボクサポに中指を立てられる。まあ負け犬どもに「車の中から」中指立てられたところでむしろ「おうおう、くやしいのうw」という感じでうれしくなっちゃうくらいなんだけど、正直このときはもうそれどころじゃねーんだバカって感じで。。。

そうこうしていると目の前でRV車が停車。車内にはチョンボクの蛍光緑のユニが見えたので、すわ、喧嘩を売られるか、と構えたところ、車内の温和そうなチョンボクサポは意外にも「どこまで行くんだ?チョンジュ市内なら送っていくぞ」と。メガネかけた小太りなチョンボクサポがこのときばかりは天使に見えました。

車内では英語やら韓国語やらでサッカーを中心にいろいろと話した。曰く「ポンテはいい選手だ」「マグノ・アウベス(以前チョンボクに所属)は今でもオレたちのヒーローだ」などなど。一人の方が韓国語がある程度話せるようで、おかげでかなりコミュニケーションが取れていた。自分は学生時代韓国語が第一外国語だったなんて口が裂けても言えないw

そんなわけ無事チョンジュの中心部まで送ってもらい、握手をして御礼を言って別れたのだった。こんなとき、お礼として渡せる浦和グッズを余計に持ってきておくべきだったと激しく後悔。長年使っているお気に入りのタオマフはさすがに渡せなかった小物なオレ・・・。でも本当にありがとう、いやカムサハムニダ。助けてもらったから言うわけじゃないけど、韓国人のこういう情に厚いところは、オレ結構好きです。それだけにあの「沸点の低さ」が何とも惜しい。

その後は地図を頼りにうろうろして、一路宿泊先のチョンジュクワングワンホテル(全州観光ホテル)へ。途中ヤンキー車みたいなのが大音量で音楽を流しながら走り去っていって、へえ韓国にもあんなのいるんだなあなどと思っていると、どうも聞き覚えのある曲。耳を凝らしてみると「♪らぶれぼりゅうしょん つぅうぇんてぃわん フーッ!」っていまどきモー娘かよ!w

無事にホテルに到着。フロントにはそれぞれ制服と、なぜかジャージにピンクのヤンキースの帽子を被った2人のお姉さんが。2人ともかわいくて愛想がよかった。「おやすみなさいー」とか日本語で言ってくれて再度萌えました。ちなみに韓国では女性が野球帽を被っている姿をテレビでも街角でも良く見かけたので、恐らく女性のファッションアイテムとしての地位を確立しているのだろうと思う。

部屋はせっかく韓国に来たのだからと、敢えてオンドル(韓国の伝統的床暖房)部屋にしてみたが、まだ暑い時期にオンドルに泊まっても板の間に布団敷いて寝るので背中が痛くなるだけだったわけだが(´・ω・`) シャワーを浴びてテレビをつけると試合の録画中継が放送されていて、あらためてチョンボクの許しがたいラフプレーに憤るとともに、2点目が一番酷いラフプレーをしていたチョンボクの4番のクソオヤジのオウンゴールだったことを知り大爆笑。ええと、韓国語で「天罰」ってどう言えばいいんだっけ?


オンドル部屋

(まだつづく)

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




前回のつづき

いよいよ試合当日。ソウルからチョンジュ(全州)までの、概ね東京から浜松くらいの距離の道程は、こちらの管理人であるせぼんさんの企画されたソウル→全州ワールドカップスタジアム(試合会場)のバスツアーに往路だけ参加させて頂いた。朝9:30にロッテホテルのロビーに集合だったのだが、何せこの旅はのっけからボロボロの状況だったため、念には念を入れて前日に集合場所まで歩いて確認し、当日も早めにホテルをチェックアウトして出発した。

さすがに少し早すぎたので途中のファミマ(他にセブンイレブン、ミニストップなど日本でもお馴染みのコンビニがあった)でスタバのコーヒーを買い、お店の前に置かれたテーブルのところに座ってしばしまったり。韓国のコンビニは店内か店外で必ず座って飲み食いできるようになっていて、半ばバックパッカーだった自分としては重宝した。ボーッとしているといきなり日本語で「お疲れ様です」と話しかけられたのでびっくりして顔を上げると、にこやかな顔をした紳士が。この時点で既に自分もユニを着ていたので、「同業者」を見かけて話しかけてくれたというわけ。少々お話しさせて頂いたところ、グループでレンタカーを運転手込みで借り上げてチョンジュに向かわれるのだとかで、いやはやうぃあーさんは本当に逞しいなと感心。そういえば普段よく拝見しているサイトにもそんな記述があったので、もしかしたらその「中の人」のお一人だったのかも。こんな登山家みたいなやりとりも遠方アウェイならでは。

ロッテホテルのロビーに到着すると、既に赤装束に包まれた人たちがわらわらと集まっていた。しばらくして10時前後にツアーバス用の発車口から出発し、まもなく高速道路に乗る。するとどうだろう、前々から聞いてはいたがいわゆる旧盆であるチュソク(秋夕)のUターンラッシュで高速道路の反対側は進めども進めどもず~っと渋滞。日本よりレーンが多いにも関わらず、日本のUターンラッシュを見慣れた我々の想像をも絶するレベルで渋滞が延々と続いていた。恐らくチョンジュに着くまではずっと渋滞と認識できるような状況だったようにおぼろげに記憶している。まあ、韓国国民の1/5以上がソウルに居住していて、人口密集度は東京より上らしいので、道理と言えば道理ではあるが。


赤いいなごの大群に取り付かれた「古宮(コグン)」前。肝心のビビンパの写真は撮影失敗・・・

とりあえず2時間半ほど(だったかな?)でチョンジュに到着。このツアーはお昼ごはんとして、ソウルのミョンドン(明洞)にも支店があり、「食」の都市であるチョンジュ伝統の味を楽しむことができるという「コグン(古宮)」のチョンジュ本店に立ち寄り、ビビンパ発祥の地でビビンパを頂くというオプションがあった。真鍮でできた器が新鮮だったが、味はまあ、驚くというほどではなく普通に美味しかったという感じ。この「コグン」もご覧のとおり赤く染め上げられ、それを見た地域住民が目を白黒させている姿が見られたが、途中立ち寄ったSAでも、既にあちこちのブログで言われているようにさながら国内アウェイのよにうぃあーさんたちが席巻していて流石に度肝を抜かれた。


全州(チョンジュ)ワールドカップスタジアム

その後スーパーで買い物を済ませていよいよスタジアムに到着。試合会場の全州ワールドカップスタジアムはご覧のとおり豊田スタジアムと似た外観。中に入ってみるとそのトヨスタとカシマを足して2で割ったような感じで、もう抜群の見易さのサッカー専用スタジアムだった。ところが、その折角の器も所々メンテナンスが行き届いておらず、例えば椅子が汚れていてその下には蜘蛛の巣さえ張っているような状態で、申し訳ないが「宝の持ち腐れ」という感じで少々残念。


チョンボクのチームバスだろう


ここは韓国だぜ?w

そして、時間が経つにしたがって押し寄せる波のようにツアーバス(最終的に80台集まったとか)が続々とやってきて、その中からわらわらと赤い人たちが現れ、のんびりとしていたムードだったスタジアムの周辺があっという間に真っ赤に染まっていく様は壮観だった。


「AFCチャンピオンズリーグ 9月26日 19:00 全北現代×浦和レッズ 応援団バス駐車場」と書いてあると思われる(間違ってたらすんません)

開門時間になると「赤き血のイレブン」のチャントを歌いながら入場が始まりますます意気盛んに。しかし、どうもチケットもぎりを一列でやっていたようで列は遅々として進まず肩透かしを喰らう。国内アウェイだったら怒号が飛んでいるところだっただろうがw、この日はさすがに言葉が通じないとあってか粛々と列が進むのをみんな待っていた。

(つづく)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回のつづき

試合前日のシメは南山韓屋村(ナムサンハンノマウル?)。明洞からでも歩いていける距離にある施設で、要はソウル市内に点在していた伝統的家屋を一箇所に集めて見せ物にしている場所。どうせ空いているだろうと思って行ったみたら、この日は秋夕のイベントか何かで地元の人々でごった返していてやや当てが外れた。ただ、思いもよらず(恐らく伝統的な)舞踊や演奏が無料で見られてちょっと得をしたかもしれない。まあ、いずれにせよ司会のお姉さんが美人だったのでそっちに視線を奪われがちではあったが。


白い衣装の女性が舞い踊る

数百年前のヤンバン(支配層)から中流までいろいろな階級の人々の家屋があったのだが、思いのほか天井が低く、やっぱり人間随分と大きくなったんだなあとあらためて実感。また、韓国伝統のオンドル(床暖房)の様子なども見られて興味深かった。しかし如何せん人多過ぎで、もうちょっと静かにゆっくりと見たかった。てか、ここに限らず韓国人は博物館とかでもかなり騒々しいなという印象が今回は残ったのだが。


伝統的家屋の後ろにはソウルタワーが聳え立つ

名所旧跡系ならソウルには他にもいくつかあるのだが、今回は時間的にこれだけで我慢して翌日の試合に備えてゆっくり寝ようということで、南山韓屋村を後にする(まあ来年以降もACLで韓国を訪れる機会はまたありそうな気もするしw)。ホテルに戻って荷物を置いてどこかで夕飯を貪ろうと思っていたが、ドッと疲れが出てしまい、結局ホテルの角にあってヒマそうにしていた屋台で「たこ焼き」をしこたま買い漁ってしまった。ホテルでビールで一杯やりつつたこ焼きを腹いっぱい食べながら、テレビで初めて「冬のソナタ」(原題は「冬の恋歌」という意味らしい)を見た。そのうちに段々と眠くなり、翌朝はバスツアーの集合が9:30ロッテホテルのロビーにてだったのだが、アラーム付き時計を手に入れていたため安心してそのまま安らかに就寝。

(つづく)

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回のつづき

とりあえず時計とカメラが必要ということで、ソウルの街をぷらぷらしてみるものの、秋月(チュソク)の影響でさすがの明洞も午前中は営業しているお店もまばら。この期間(今年は9月24~25日の3日間)韓国は旧盆で、いわば日本の正月のようにみんな都市部から実家に帰ってしまういわば帰省ラッシュの時期。そして、この25日(火)はいわば1月2日のようなものだから、まあさもありなんというところ。


地下道に下りる階段にはモトローラ携帯の宣伝のベッカム様が(ちなみにベッカム様上半身裸のセクシーショットは両乳首の部分が削られていて、やはりどこの国にもそういうヤツはいるのだなと・・・。ちなみに今後写真は使い捨てカメラの写真を現像したものをさらに携帯で撮影したものゆえ画質落ちます。ええ、ブロガー必死ですw)

ビエンナメガネの店長さんによれば、それでも明洞なら午後にはぼちぼち店が開くと思うとのことだったので、仕方なく空いていたスタバで時間を潰すことにする。そういえば、このソウルの明洞だけでなく、韓国の街全体、少なくとも都市部は結構歩道にゴミが散らばっていて汚ねーなという印象が残った。

そして客もまばらなスタバでキャラメルマキアートで一服しながら作戦?を練る。それまで実はデジカメでも買おうかと思っていたのだが、冷静に考えるとここでデジカメを購入すると高い上に説明書から画面まで全部ハングルというとんでもないものを買うことになる。完全に思考能力が低下していたせいか、そんな当たり前のことにここでようやく気づき、とりあえず使い捨てカメラを買うことにする。また、安ホテルで部屋にアラームどころか時計さえない状況なので、翌朝の全州(チョンジュ)行きのツアーバスの集合時間に間に合うためにはアラームつきの、しかも持ち運び可能な時計が必須となるので、これは「ソウルのアメ横」こと南大門市場(ナンデムンシジャン)で購入することにする。


ソウルタワー

このうち使い捨てカメラはコンビニで易々とゲット。しかし同じ使い捨てカメラでも明洞のコンビニでは数千ウォンで買えたものが後で訪れた慶州(キョンジュ)では1万ウォン以上と、結構値幅があった。カメラ付携帯を使うようになってからというものの、使い捨てカメラなどついぞ使っていなかった、恐らく数年ぶりだと思う。その後、とある食堂(シクダン)に入って韓国人に囲まれながら辛いものオンパの昼飯を済ませてヒーヒー言いながら南大門へ向かう。

南大門市場もさすがに営業しているお店の方が少ない感じだった。いきなり「独島は民族の自尊心」という横断幕がかかっていて吹き出しそうになった。なるほど雰囲気的にはアメ横っぽいと言えばそうかも。しかしこの猥雑感、足立区民的には何の違和感もないわけだが。ぷらぷらしていると時計屋があったので、ポケットサイズのアラーム付デジタル時計を購入。5000ウォンといわれ、とりあえず「ッカカチュセヨ!」と言って値切ろうとしたが「いやいやこれは十分安いわ。あんた日本人だな?」てな感じで返される。観光ガイドに載っているもんだからきっと来る日本人がみんな言ってるんだろうなw


まさかこんなものを買うことになろうとは・・・

ここまで結構な時間と距離を歩いていたし、またこの時点で15時前後だったこともふまえて、この日の遠目の観光はやめることに。てか、そもそも翌日大事な試合があるのだから、そのサポートに差し障ってはいかんということで(このあたりカタギの方には理解できない行動原理かと思いますが・・・)無理はせず、とりあえず中心地から徒歩でいけそうな「南山韓屋村」に行くことにする。伝統家屋が見られるところらしいので、名所旧跡好きな自分的に楽しめそうかなっつーことで。

(つづく)

あ、とりあえず当方24日のチケットは確保しました。某団体動員説は本当だったようで、ビジター側自由席に至っては既に完売!朝っぱらからぴあの窓口でその「動員されてるっぽい人」がいないかワクワクしながら探してしまったのは内緒だw

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




とりあえずACLも一息っつーことで、今更ながら韓国の旅珍道中の記録でも。

出発当日の24日(月)、代理店からもらったフライトスケジュールを一瞥して、韓国へ向かう飛行機は21:30発だとそれまですっかり思い込んでいたが、実は「21:30現地着」で「18:45成田発」だったことに気づいたのが16時過ぎw 絶望的とわかっていてもとりあえず必死で成田に向かう。しかし、出発ターミナルに到着したのが出発時間ではもうどうにもならない。代理店に電話すると「残念ながらもう今日のソウル便はありません。明日以降ですね。ちなみに明日の便を即日発券すると手数料が2万円かかります。」、目の前が真っ暗になって成田のベンチにしばし佇む。

すると、携帯に代理店から着信。「さらに調べたらアシアナ航空の20:30発の最終便がまだありました!正規料金で6万5千円ほどになりますがそれでよければなんですが…」との報、多少躊躇したものの、ここまできたらもう後には引けない。急いでアシアナ航空のカウンタに向かい事情を説明、チケットを購入しゲートへ急ぐ。「後先考えずに」とはまさにこのこと。チェックインを済ませたところで、さらにメガネを忘れたことに気づくが、とりあえずソウルに行けることで幸せ一杯というお気楽なオレはさほど気にしない。

ソウル到着は22:30。手持ちの旅行ガイドに乗っていたリムジンバスらしきものが待っていたので「シチョンヘン(市庁行き)?」と行き先だけ確認して飛び乗る。ちなみに1万6千ウォン。バスは高速道路を抜け、漢河(ハンガン)を渡りソウル市街へ。しかしメガネがないもんで視力0.2では外の様子がおぼろげにしか見えず、せっかくハングルが読めるのにまったくの役立たず。

それで、みんな降りたので終点かと思って降りたらまだだったようで…とりあえずうろうろして観光者用の地図と睨めっこしながら歩を進めてみるもよくわからず。時刻は既に0時を回っており、人影もまばらで、治安は良いというソウルといえどもさすがにやばいかなと思ってタクシーを拾うことにする。いわゆる一般タクシーだったが、ホテルの場所を示したらやや戸惑いながらもちゃんと3300ウォンほどでそこまで行ってくれたので、まあ良心的だったのだろう。てか、いくら観光で来た外国人と言えども、夜中に乗り込んできた180cm超の大男相手にボる勇気がなかったということだけかもしれないが。

宿は清渓川沿い、長沙洞にある“セントラルホテル”。一泊7000円程度でやや古い施設だが、野郎一人で素泊まりする分には十分だと思う。部屋に入り、ようやく落ち着けるぜと、とりあえず一息つく。ふと、タクシーに乗る前まで弄っていた携帯が見当たらないことに気づく。恐らくはタクシーに置いてきたのだろう。どうにかならないかと旅行ガイドを見ると「タクシーに乗ったら領収書をもらうようにしよう。忘れ物などしたときはそこに電話すればオッケー!」とか書いてあり、もらっているわけもなく文字通り「あとの祭り」。勿論、メガネもなかったので会社名もはっきり見えずわからない。ようやく宿に到着して一安心したのも束の間、再び絶望のズンドコへ。

そうはいっても落ち込んでいても仕方ないのでその旅行ガイドを読み漁り、メガネについては日本語が話せるお店が結構あることを知る。アメリカにいた頃に韓国人は妙なメガネをかけているやつが多いなと思っていたが、どうも韓国ではメガネは日本に比べればクールなもので、みんなオーダーメイドで良く言えば個性的なものをかけているおようだ。安く購入できることもあり、観光できた日本人がついでにメガネを作って帰ることも多いらしい。それまでまったく知らなかったのだが。

翌朝、疲れを押して8:00には起床。9:30開店という明洞(ミョンドン)にある「ビエンナメガネ」にまさに開店時間にキッカリに駆け込む。まさに店長さんが看板を出しているところに飛び込んだ。店長さんは日本のメガネ専門学校に通っておられたとのことで、日本語ペラペラで思った以上にスムーズにメガネを作ることができた。最初の方は韓流スターみたいなフレームを勧められたがさすがに固辞し、日本でかけても問題ないモデルにする。



で、できたのがこのメガネ。店内に貼られていた紙を見ると、どうもこのビエンナメガネという店はCanCamなんかでも紹介されたことがあるようだ。CanCamで紹介されたお店に三十路のオッサンが早朝から特攻(ブッコミ)かけるとはなかなかシュールではないか。実は、このメガネをかけて半島をふらふらしたところ、韓国人(のおばさん中心)に2、3人に「美男子ニダ」と過分なお言葉を頂いたので、CanCamにちなんで「愛されメガネ(はあと)」と名づけることにする。目力UP↑間違いなし!!これで10万ウォンなら安いもんじゃね?なあそう云ってくれよ!!

ま、これだけ悪いことが重ねればさすがに浦和は勝つだろ、と精一杯のポジティブシンキングをして、良好な視界のもとソウルの街へ繰り出す。とりあえず携帯がないので写真も撮れなきゃ時間もわからねぇ。翌日はもう試合なので、この一日で何とリカバリーせねばっつーことなのだ。

(つづく)

コメント ( 3 ) | Trackback ( 0 )




本当にしつこい関西遠征の記録。いやさすがにこれで最後にします。

試合の翌日、台風一過でむしろ暑く感じるほどになった大阪の街をぷらぷら。最後は御堂筋線動物園前駅から天王寺駅まで怪しげな街並みを横目に歩き続け、半ばへろへろ状態で四天王寺に辿り着いた。天王寺駅からすぐ、というほどでもなく結構歩いた印象。



詳しくはこちらにでも譲るとして、要はかの聖徳太子が建立したわが国最古の仏教寺院。なお、上記公式HPによれば、ここの「伽藍配置は『四天王寺式伽藍配置』といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。 その源流は中国や朝鮮半島に見られ、・・・」とある。今度の韓国遠征では慶州あたりも見てこようと思うので、この伽藍配置が朝鮮半島にもあることをこの目で確かめられるかな?



その回廊からの眺め。手前が五重塔で、奥が金堂。さらにその奥は講堂。講堂には十一面観世音菩薩と丈六阿彌陀如来の仏像が祭られていたが、何となく見とれてしまった。仏像に見とれるというのは歳を取った証拠だろうか・・・。ちなみに講堂の中は撮影禁止にて写真はありません。



五重塔。こちらに祀られていた四天王の木像もある種荘厳な感じがした。逆光気味だったせいか妙にオーラありげな写真になったかな?



逆からの写真。手前が金堂で奥が五重塔。空模様が実に台風の通り過ぎた後っぽいですな。



聖霊院。こちらには聖徳太子が祀られているらしい。残念ながらちょうど本日の営業終了後だったので中は見られず。



中門(仁王門)。余りよく写ってないけど、右側が那羅延金剛力士、左側が密迹金剛力士。

とまあ、時間もあまりなくて見られたのは大体こんなところだったのだが、HPであらためて確認してみるともっともっと見所はたくさんあった模様。まあ大阪はまた来る機会があるだろうから、もっとじっくり見てみたいなと。

この後は御堂筋線で一路新大阪へ(実は途中の中津駅で降りて麺屋「らいよはうす」に寄ったが、残念ながら(恐らく)連休ということで休み)。午前中は台風の影響で壊滅状態だった新幹線も18時過ぎまでにはほぼダイヤどおりに運行しており、大過なく予定どおりに帰京。遠征全体としては短時間でいろいろと見て回れてよかったが、いかんせん試合内容(と天候)がねぇ・・・。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




我ながらさすがにしつこいと思うが、まだ続く関西アウェイの旅。

八坂神社から金閣寺に向かう途中、バスの中からチラっと山鉾が見えた。で、せっかく祇園祭期間中の京都に来たんだからということで、竜安寺から京都駅に向かう市バスを四条河原で下車してやっとのことで山鉾を発見、パチリと写したのが上の写真。台風が迫り来るなかで山鉾が見られただけでも良しとしておこう。

京都、そして八坂ということで触れておくと、当方はスクール☆ウォーズの大ファンで、以前伏見工業高校を詣でてアホな写真を晒したことさえある。このスクール☆ウォーズ映画版における大木大介である「後藤信吾」は「八坂の信悟」だと今日の今日まで思っていたが、実は「弥栄の信悟」が正しかったようだ。弥栄中学校という、当時やはり荒れていた学校の出身ということらしい。いやはや勉強になった(?)

さて、翌日。台風も過ぎたこの日は、「ぷらっとこだま」の新幹線が18時過ぎ発だったこともあり、大阪市内をうろうろすることに。昼飯に梅田でラーメンを食い仲間と別れ、その後一人で御堂筋線に乗り動物園前駅へ。新世界やジャンジャン横丁のあたりをぷらぷら。よく大阪と言うと「大阪のおばちゃん」が代名詞のように扱われるが、個人的には胡散臭さ満点の「大阪のオッサン」の方が面白い。この界隈はまさにそんな「オッサン」の宝石箱。肥えたインド人女性が、昼間っから路上で酔っ払って居眠りしているそんなオッサンを怪訝そうな顔で見ていた光景はなんともシュールだった。


通天閣に上ろうかと思ったが、行列が出来ていたので萎えてやめた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




次に金閣寺、竜安寺方面に向かうため祇園バス停まで出て、御目当ての便を待つ。体感的には30分ほどかかっただろうか、疲れもあってうっつらうっつらしていると、ようやくその名も「金閣寺前」のバス停に到着して降車。何かもう修学旅行生みたいな行程だ。


コテコテの観光スポットだけあっていろんな人種の外国人の方々を含めごった返していた。何より一番ヴィジュアルに訴える史跡と言えるのだから、さもありなんというところではあるが・・・。しかし個人的にはどうも金ピカというのは品がないように思えてしまい、正直余り有難みを感じない。庭園自体は風情があるので、この建物がブチ壊しているようにさえ思える(高橋慶彦の褐色の肌には金のネックレスが似合っていたのだが、これはどうも・・・)。とりあええず天邪鬼で裏から写真を撮ってみた。


むしろこういう苔が生している光景に(;'Д`)ハアハアしてしまうのは変態でしょうか。いや、これは金閣寺から歩いて行ったら結構時間のかかった竜安寺の石庭のそばにあるものなんですが。これほど見事に苔が生しているのは久しぶりに見た。そういえば苔口って最近見ないな。


竜安寺の「回遊式庭園」。名前がよくわからんかったが、要は池の周りをぐるっと回れるからこういう名前らしい。たくさんあった蓮の葉っぱがデカかった。雨のなかうろうろするアヒルを一匹目撃。


いわずもがなの「石庭」。みんな縁側?でべったり座っていていっぱいでゆっくり見ることはできなかった。ここも外国人はたくさんいて、ガイドさんと思しき人に"Don't step on here.(敷居を踏まないように)"と言われ、"Why?"とか素朴な疑問をぶつけていた。説明に窮するだろうな・・・。


「宇宙」とはよく聞くが、正直あんまり宇宙感なし。それにしてもこの石庭、英訳が"Rock Garden"となっていたのは激しく違和感。どこぞの遊園地のアトラクションかとw


え?まだ続きますよ?

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




しつこく関西遠征ネタを引っ張ってなぜ悪いか!?ということで・・・


「ねねの道」も越えてさらに北へと歩を進めて八坂神社へ。自分の地元・熊谷の一大イベントである「うちわ祭」もこれまた祇園祭系のもので、そこで配布されるうちわに「八坂神社」(どうやら熊谷にある京都の八坂神社の末社らしい)の文字があった。小学生の頃からそのうちわを見て育ったため、漠然といつしか訪れてみたいなぁと思っていた場所だったりした。とは言っても、謡曲が奉納されていた他、神輿?が展示してある程度で、お祭りらしい雰囲気はまあ多少感じられたが、基本的にはフツー・・・か。



そして八坂神社そばの「やよい」へ、ちりめん山椒をお土産に買おうと立ち寄ってみる。すると中にレストランが併設され、着物を着た上品なおば様に勧誘される。じゃこを使ったお茶漬けとパスタがハンパなくうまそうで思いっきり釣られ、11時過ぎにもかかわらずここで早めの昼飯を取ることにした。


こちらがお茶漬け定食(1,350円)。お茶漬けと漬物のコンビネーションはもちろん、白味噌も激ウマだった。でも20代までだったら物足りなかったかもしれない・・・それだけ歳を食ったということだろうか。何てことを思いながらもうまいうまいと調子に乗って結局4杯も飯を食ってしまい喰いすぎる(ご飯とお茶はおかわり自由)。


こちらはデザート。

ただ、まあ、あれだ、あんまり野郎2人で行く感じの店ではないと感じる人もいるだろうな
オレはあんま気にしないけどw

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ 次ページ »