給食室からこんにちは

2007年10月10日より高見幼稚園で、週4回の自園和食給食を行っています。ご意見などお寄せ頂ければ幸いです。

柳原白蓮の生き方、愛し方・・・にふれて

2007-08-18 23:19:28 | 給食室からこんにちは!
先日、飯塚の旧伊藤伝右衛門邸に行きました。筑豊の炭鉱王・伊藤伝右衛門の邸宅は2300坪の中に300坪の建物がある和洋折衷の近代和風住宅です。

 この煌びやかで贅を尽くした邸宅よりも,私が気になったのは華族出身の白蓮(子)の一生です。伯爵家の娘で佐々木信綱門下に和歌を学んだ才媛の女性・子の自分を貫き通した生き様です。

 瀬戸内寂聴さんが「柳原白蓮の生き方、愛し方」を語っている部分です。

 世間体を気にせず、自分に正直に生きた女性・白蓮。離婚は今と違って、大きなハンデイキャップになった時代に、最初の結婚で一児を設けながら2度の離婚。そして宮崎龍介との命をかけた不倫・覚悟の恋。その後、貧乏所帯の中で添い遂げた愛。本当の恋はすべてなげうつもの。打算ではないんです。その覚悟があるかどうかを白蓮は私達に問いかけているように思えます。・・・と結んでいます。


 女性の自立と言うのは今の時代でも厳しい。その当時、姦通罪や世間体など女性にとって非常に厳しい社会の中で、自分の才能を磨きながら、激しく強く自分に正直に生きた・美しく・逞しい女性・白蓮!
 龍介との間に一男一女をもうけるが、戦後その愛児の戦死もあり、白蓮は平和運動に参加。また晩年に緑内障で両目失明。龍介の介護のもと、歌を詠み享年81歳で長逝。龍介はその4年後78歳で死去。波乱の人生の白蓮ですが晩年の夫婦二人の優しく穏やかな顔は美しい…と感動した。暑いこの日、白蓮館の数少ない資料に目を吸いつけられていた私です。

 白蓮のうたより

 ひるの夢あかつきの夢夜の夢さめての夢に命細りぬ
 女とて一度得たる憤り媚に黄金に代へらるべきか
 月影はわが手の上と教へられえさびしきことのすずろ極まる

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
私は白蓮にはなれませんでした (けいこ)
2008-04-27 22:45:13
私は必死で好きな人がいました。
世間体も自分の財産も子供も
全部捨ててその人と一緒にいたいと思っていました
けれど、いざ家を出るとなったときに勇気がありませんでした。
その人が弱気になったように見えました。
奥様が離婚はしないといったのが
決定的に思えました。

でもそれは私が勇気がなくて
打算的になったのです…
人のせいにして自分が逃げたのだ…
今はそう思います。

白蓮からは笑われるでしょう…
意気地なしだと。
だから今でも私の心はなんだか
釈然としない後悔にも似た
そんな感情が残るのでしょうね。
自業自得なんですね…
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