ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

原作読書:「王の帰還 上」の魅力

2005年09月28日 | 指輪物語&トールキン
さて、現在「王の帰還」上を読んでいるのですが、いや~やっぱり面白いですね!
初読時から「王の帰還上」が一番好きだったのですが、その理由が今回なんとなくわかったような気がします。
「王の帰還上」では、キャラクターがそれぞれ活き活きと描かれているからなんですよね。(フロドとサムとゴクリごめん・・・)
メリーとピピンは別れたことで一気にそれぞれの個性を出し始めるし、エオウィンも本当の意味での登場は「王の帰還」からと言っていいくらいだし、セオデンのホビットへの優しさがはっきり見られるのも「王の帰還」に入ってからだし。アラゴルンとレゴラスとギムリの3人もますます絆が強まり、とても自然な信頼関係になっているのが窺えます。
ミナス・ティリスでのピピンを読んでいて、その屈託のなさ、メリーが言うところの「踏んでも叩いても壊れない快活さ」がかわいいなあと思いましたが、メリーのところを読んだらやっぱりメリーの方がずーっといいですよ!(笑)
皆自分を置いて行ってしまったと感じるメリーの気持ち(このあたりは映画でもちゃんと汲み取ってましたね)、本当は戦うなんて考えられないけれど、でも自分は行くんだと懸命な気持ち、自分をお荷物のように感じながらも必死について行こうとする気持ち、いいんですよねえ。
本当に、この「力が無い者の恐怖と勇気」の描写は見事だと思います。実際に戦場に行ったことのあるトールキンならではなのかもしれません。このあたりが映画では単に勇敢なだけになってしまって物足りないんですが・・・
同時に、ガンダルフがピピンを連れて行った理由もわかるなあと。やっぱりピピンが一番そばについてないと心配な子なんですよね(笑)
メリーは、ガンダルフにもアラゴルンにも「一人で大丈夫」と思われているお兄ちゃんみたいなものですね。それでも、信用されているからと言っても、構われないのは淋しいものですよね。それで、言うことを聞かずに戦いに行ってしまうんだなあと、今回はしみじみ思いました。
それにしても、エオウィンに「どなただか存じませんが、本当にありがとう!」と言うメリーがかわいい・・・(笑)
そして、デネソールとピピン、セオデンとメリーの関係が思っていた以上に対比されていることにも気付きました。
デネソールがピピンに近習の仕事を命じた時、「時間がある時には余に話をするのだ」と、ほとんどセオデンと同じことを言っているんですね。
そして、歌えるかと聞かれたピピンが、この館に似合うような歌は歌えないと言うと、遠い異国の歌を聴いて、せめて自分たちのやっていること(=戦い)が無駄ではないと思える、というようなことを言うんですね。(原文の台詞今出せなくてあれなんですが(汗))
これって、やっぱりデネソールも、ホビットの存在に、セオデンや他の人たちと同じような安らぎのようなものを感じていたんだな、ということにならないでしょうか。まあ、言い方はかなり怖いですけど・・・(汗)
それから、死者の道についてアラゴルンから話を聞くときのギムリがいいですね~。皮肉な言葉を明るい感じで言っていて。ギムリがアラゴルンやレゴラスに現実的で皮肉な反論をしている場面は微笑ましいなあと思います。ホビットたちとは別の意味でホッとさせてくれる存在ですね。(レゴラスも多分そうなんですが、私的にはやっぱりギムリが・・・(笑))
なんとなく、瀬田訳の優しい雰囲気のせいのような気がするのですが。原文で読んでもこうなのかなあ。
そうそう、ヘルム峡谷でメリーに燦光洞のことを話していて、「どう、行ってみようかレゴラス」なんて言い出すギムリがかわいいですよね、本当に(笑)
なんて、「王の帰還」でキャラクターが魅力的に描かれていることについて書くつもりが、単にメリーとギムリ(とデネソール)のことを書いただけになってしまったような・・・(汗)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする