ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

トールキン作品の女性たち

2018年04月08日 | 指輪物語&トールキン
この記事はTolkien Writing Dayに参加しています。

ここ数年、ハリウッド映画では、フェミニズムに配慮された作品が増え、女性の描かれ方が従来の作品のような定型的なものではなくなって来ています。子どもの頃からいわゆる「女の子向け」な作品よりもSF、ファンタジーのような世界観の作品が好きだった私は、そういった作品で女性の出番が少ないことにつまらなさを感じていたので、最近の傾向はとても嬉しいです。子どもの頃にこういう作品を見たかったなあと。
そんな私でしたが、指輪物語を初めて読んだ時には、女性キャラクターの描かれ方が今まで読んだことのないようなものだったので、驚くとともにとても気に入ったものでした。
まずはガラドリエルが、「奥方」と言われつつも、明らかにケレボルンよりも力があるようだし、実質ロスロリアンの支配者のように描かれていたのに驚きましたね~。
そして、何よりエオウィンですよね。男装して戦いに行く女性キャラクターはそれまでにも読んだことがなくはなかったのですが、男性の添え物のような描かれ方が多かったと思います。愛する人を守るために戦うとか…。戦いでも男性の補助的な役割だったり。
しかし、エオウィンの場合、アラゴルンを慕っていたということもあることはありますが、彼女が戦いたかったのは自分で勲を上げたかったからですよね。アラゴルンが好きだったのも、男性として愛したというよりも、勲の一部としてだったのだとアラゴルン自身に看破されています。
そして、エオウィンの何よりすごいところは、男性の補助ではなく、戦いの主役として魔王を倒してしまったところですね。翼ある獣の首を一刀両断した場面は鳥肌が立ちましたし、「人間の男には倒せない」という魔王の言葉に笑い声をあげて兜を脱いでみせるところも、カッコよすぎて震えました。
映画のおびえながらも頑張るエオウィンも良いのですけど、やっぱり原作のエオウィンのカッコ良さが見たかったかな、というのはありますねえ…。
戦場でのカッコ良さだけでなく、女性だからと戦いに行けず閉じ込められて鬱屈とした思いを抱え、療病院でも欝々としていたエオウィンの気持ちには色々と共感するところもあって、トールキンて結構昔の人なのにどうしてこんな女性を描けるの?と不思議に思ったものです。
魔王を倒したエオウィンが、ファラミアと恋に落ち、戦うのをやめた結末も、私はがっかりとは思いませんでした。主人公であるフロドも戦うことを放棄していたからです。この物語では戦わないことが是とされるのだなと。
アラゴルンはその後も戦いに赴いていましたが、だからアラゴルンは主人公ではないんだな、と解釈してました。

そんな女性を描いたトールキンは、女性に理解がある人なのかな?と当初は思っていました。確かに指輪物語でも女性はわずかしか出てきませんし、ホビットについてはロベリアしか出てこない有様ですが、数が多いかどうかよりも、魅力的に描かれているかどうかの方が重要だと思ったのです。(そういえばロベリアも夫よりも息子よりもインパクトのあるキャラクターですね)
しかし、「或る伝記」を読んで、結婚後のエディス夫人のことを知って「あれ?」と思い、「終わらざりし物語」の「アルダリオンとエレンディス」を読むに至って「あれれ???」となりました。典型的な「男は視野が広く世界に出たがるが、女は狭い世界に留まりたがる」という描き方だったので…考えてみたらエント女のエピソードもそうですよね…

というわけで、トールキンが女性に理解があった、という幻想はあっけなく崩れたのですが、それにしても、やはりトールキンの作品に出てくる女性は、女性から見て魅力的だなあと思うのです。
ガラドリエルもエオウィンももちろん魅力的ですし、ロージーもロベリアもそうだし、典型的なお姫様設定なアルウェンにしても、アラゴルンよりも身分も年齢も上、というのもあるかもしれまんが、男性の添え物、とは感じませんでした。フロドにペンダントを渡す場面のイメージが強いのもあるのかもしれません。
シルマリルでも、自由奔放なアレゼル(末路はあれですが…)、やはり女性の方が力があるメリアン、そしてなんといってもやはりベレンより身分が高い上に、囚われのベレンを救出してシルマリルを奪還する活躍を見せるルシエン・ティヌーヴィエルなどなど、女性は出てくるとたいてい魅力的です。
HoME読書会に参加させていただいて、Fall of Gondolinを読んだら、楚々としたお姫様かと思っていたイドリルが、強い意志を持ち、戦いでは雌虎のような活躍をする強い姫だったと知ってびっくりしました。(そしてさらにイドリルが好きになりました(笑)

どうしてトールキンが描く女性がこのようになったのか、ということを本気で調べようと思ったら、書簡集やHoMEなどもすべて読破した上で研究しなければならないと思いますが、とてもそんな英語力も時間もないので(^^;)とてもおおざっぱな仮説になってしまいますが…

まず、エオウィンについてですが、以前にみあさんがご紹介くださって知ったのですが、オシァンというケルトの古代の叙事詩集(で合っているでしょうか?)の中に、武具をつけて戦場に出て戦う女性が出てくるものがいくつかあるそうです。
トールキンがこの叙事詩からヒントを得たのかどうかについてのはっきりした記述があるかどうかわかりませんが、きっとこのあたりの影響を受けているだろうなあと思いました。なんだ、トールキンのオリジナルの発想ではなかったんだ、と思いましたが(^^;)
ただ、オシァンを読んだ作家はたくさんいたでしょうが、他の作品にエオウィンのようなキャラクターがよく出てくるわけではないので、そこをくみ取ってエオウィンを生み出したのはやはりトールキンのオリジナリティだなあと思います。しかも魔王を倒すという重要な役割で。

そして、トールキンの描く女性には強い女性が多いと思うのですが、そこには母メイベルのイメージがあるのでは、とも想像します。
女性だけで生きていくのは困難な時代に、夫を亡くし子どもを二人抱えた状況で、親族に反対されてまでカトリックへの信仰を貫き、子供たちを教育しようと努力したメイベルは、とても強い女性だったのではないかと思います。そして母の意志を汲んで自身もカトリックの信仰を貫いたトールキンは、その強い母を敬愛していたに違いないと思います。
トールキンの作品の中では、トゥーリンの母モルウェンに、特にメイベルの影響を感じます。あそこまで強い女性ではなかったとは思いますが…
もう一つ、きっとエディス夫人の影響もあるのでしょう。エディス夫人の人となりについてはあまり情報がないので、何ともわかりませんが、高貴なルシエンのモデルになったくらいですから、その愛情には敬愛の気持ちもあったのではないかと想像します。(余談ですが、トールキンの伝記映画がいくつか控えていますので、エディス夫人がどう描かれるのかも楽しみです。)
この、身近な女性たちの存在が、トールキンの描く女性キャラクターが女性から見て魅力的である理由ではないかと思います。身近な女性に敬意を持っていたから、女性キャラクターが皆敬意を持って描かれているのではないでしょうか。だから女性から見て不快ではないし、魅力的なのではないかと。

少し前に、アカデミー賞受賞作品の女性の台詞の割合を比較したデータが回ってきて、まあ予想どおりLotRでははかなり少なかったですね。登場人物自体が少ないので仕方ないですよね。
トールキンは多分女性を描くのはそんなに得意ではなかったのでしょうが(^^;)、魅力的な女性が描けないなら、無理して女性を出さない方がよほど気持ちよく読める、と個人的には思っています。
数少ないけれど敬意を持って描かれたトールキンの女性キャラクターは、やはり女性から見ても魅力的だなあと思うのです。
コメント (2)
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