ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

公開講演会「トールキンとゲルマン神話」

2018年10月07日 | 指輪物語&トールキン
立教大学で行われた、公開講演会「トールキンとゲルマン神話」に行ってきました。
ツイートで流れて来て気になったものの、常に睡眠不足気味なので座学は寝てしまうかも…という心配もあって、お誘いいただかなかったら行かなかったと思います。ありがとうございます。

この公開講座は、ボン大学、ソウル大学、立教大学の交流で、院生向けの講義のためにジーメク教授が来日したのにあたり、一般にも公開して講演会を開いてくださったということだそうです。(もっとちゃんとメモ取ってればよかった…うろ覚えなので違っていたらすみません)
ドイツ語での講義に通訳が入るもので、スクリーンの資料もすべてドイツ語でほとんどわかなかったのが残念でしたが、内容はとても面白かったです。全然眠くならなかった(笑)

講演の内容をまとめるなどと大それたことはしませんが(汗)興味深かった内容について、覚書ついでに書いておきたいと思います。

冒頭の話でさらっと言っていましたが、エルフは中世以降に生まれたものなので、今回のゲルマン神話の中には出てこないと。言われてみれば確かに神話の中にエルフが出て来るの見たことないですね。エルフは神話の中の存在というよりは、民間伝承のようなものですよね。
そのエルフを自らの創作の中でトールキンが重要視したのはなぜなのか、なんて気になってしまいました。時間があれば質問してみたかったですね。
ちなみにこの説明のためだけにわざわざ映画の画像を使っていてちょっと笑いました。

エッダの中のドワーフたちの名前が出てくるあたりを朗々と詠唱されていたのが迫力があってさすが、でした。

また、質疑でも質問が多く出たのが、オーディンの性質がガンダルフ、サルマン、サウロンにそれぞれ現れているという話でした。
特に注目を集めたのが、サルマンの中にある要素、異国(アマン)からやってきた、という設定でした。オーディンがアジアから来た、という説があるのだそうです。
これについて質問が後で出ましたが、中世ヨーロッパではアジア(と言ってもせいぜいトゥルヤ=トルコ)から移ってきた、という概念はごく普通にあったそうです。なるほど、民族大移動の記憶がこんなところに現れているのですね。
サウロンについては、オーディンにルシフェル(ルシファー)の要素が入っているとのことでした。ルシフェルもまた中世以降に現れた存在ですが。
(どちらかというとサウロンよりモルゴスがモロにルシファーですけど…)

そして、最後にトロールの話が結構長かったのですが、これも面白かったです。
もともとトロールは「人間より小さい」ものだったのだとか。トールキンは巨人として描いていますよね。このトロール=巨人という概念、トールキン特有なのか、他にもそういう発想はあったのか、ちょっと気になりました。(これも時間があったら質問したかった)
20世紀半ば以降、欧州ではトロールが「不細工で滑稽な存在」に変化して行ったそうです。子ども向けの物語に出てくることが多かったためではないか、とのこと。とにかくトールキンの描いたトロルとはかなり違うものになっていますね。ファンタジーの世界ではトールキンの「大きくて危険なトロル」が基本になっているのが面白いところです。(危険な、という部分については、もともと中世では人間を食べる野蛮な存在だったところを引き継いでいるのかなと思いましたが)

質疑で面白かったもの。トールキンはイギリスの神話を作りたかったと言っているけれど、イギリスというよりは欧州の神話を使って書いているのでは?という質問に、「私もそれは疑っている。95%はスカンジナビアの神話だと思う」と答えていたのは笑えました(^^;)

あとは、オーディンの要素がガンダルフ、サルマン、サウロンにあるというお話だけれど、ラダガストは?という質問には「考えたことなかったけどラダガストにもオーディンの要素はあると思います」と。ラダガストにはあんまり興味ないんですねジーメク先生…(^^;)
(通訳の先生がラダガスト知らなくて、伝言ゲームみたいになっていたのが面白かったです(笑)

というわけで、短い時間でしたが、とても面白い講演でした。
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トールキン展に行ってきた話

2018年09月19日 | 指輪物語&トールキン


この記事はTolkien Writing Dayに参加しています。

8月にオックスフォードで開かれているトールキン展Tolkien:Maker of Middle-earthに行ってきました。
第一報を聞いたのは昨年のいつ頃だったかな?オックスフォードのボドリアン図書館でトールキンの原稿を展示する展覧会があると聞いて、軽い気持ちで「じゃあ来年の夏はイギリス行くか~」と決めました。
ボドリアン図書館の本館には小さな展示スペースがあって、そこでの展示を見たことがあったので、その程度の地味なものなのでは、と思っていたのですが、具体的な話が見えてきたら思ったよりも大規模なのでびっくりしてしまいました…ウェストンライブラリーなんて立派なものができてたんですね…(2015年オープンのようです。私が最後にオックスフォード行ったの2014年1月でした)余談ですがカフェのところのトイレが誰でも入れるので、オックスフォードの真ん中にいいトイレスポットができましたね~(海外旅行ではトイレスポット確保大事です…)
トールキンの原稿と言えば、以前シアトルのファンタジー展で数点展示されているのを見たことがあったのですが、とっても読みづらい教授の手書き原稿が主で、こういうのがメインだったら大分マニアックで地味だなあ、と思っていたのです(^^;)
(ちなみにシアトルで展示されていた原稿のうち1枚は今回同じものが展示されていました。登場人物ごとの表になった時系列表です)

ウェストンライブラリーの展示室は思ったよりはこじんまりした一室でしたが、そこに十分な展示物がありました。
原稿がちゃんと見やすく立てられていて、シアトルの展示はよろしくなかったなあと…(ガラスケースの棚に平らに展示されていたのです…)
手書き原稿だけではなく、挿絵の原画や地図の下書き(数年前に発見されたものですよね)などがむしろメインで、ケースに貼りついて必死に解読しなければならないようなことにならず、マニア以外でも興味深く見られる展示だなあと思いました。(そういう手書き原稿ももちろんありましたが(^^;)
おそらく、新しく見つかった地図の下書きの展示は今回の目玉だったのではないでしょうか。
挿絵や地図、スケッチなどの展示が多く、トールキンのクリエイターとしての側面を強調した展示のように感じました。この展示を見ていると、言語学者で大学教授である学者が片手間に物語を書いた、などというものではなく、もともとトールキンの中には深い想像とイマジネーションの源泉があって、根っからのクリエイターだったのだな、ということをまざまざと実感させられました。

以下、これから展示をご覧になる方にはネタバレになるかもしれませんが、個別の展示の感想を。

ホビットの挿画の原画には、素人と称しつつ、トールキンの画力に改めて唸りました。ジョン・ハウ展の時にも、印刷で見慣れた絵が原画だとどれだけ美しいか、というのを思い知りましたが、まさか教授の絵にも同じ感想を抱くことになるとは思っていませんでした。教授ごめんなさい(^^;)
ペン画の細かいタッチにも驚きましたし、水彩の色使いの美しさは息をのむようでした。本当に原画だと全然違うのですよ…!
グワイヒアの絵の空と雲の水色と白の美しさも素晴らしかったし、個人的には裂け谷の野原と野の花の色使いが一番好きでした。
スマウグと黄金の赤と金の細かい描写も美しかったなあ。
実は地図がらみ?で、ポーリン・ペインズさんの絵の原画も展示されていてラッキーだったのですが、(あの地図の文字、全部レタリングだったんですね…!)やはりプロの力量は違うなあと思いつつも、教授の絵にも独特の魅力があって素晴らしいなあ、と思いました。画家としてのトールキンの評価が俄然上がりました!
学生時代に書いたオックスフォードの街並みののペン画も上手いんですよね。以前から「サンタクロースからの手紙」に描かれたオックスフォードのモノクロの風景が美しいなあと思っていたのですが。
「サンタクロースからの手紙」の原画も展示されていました。最初の頃の手紙の宛先がダーンリー通り2番地になっていて、リーズのあの家にいた頃から始めたんだなあと、直前にリーズで家を見てきていたので感慨深く思ったり。

そして、なんといっても地図ですね。指輪物語を書き進めながら、地図を自分で描いて照合していた様子がわかって、ものすごい緻密な作業だなあと…。細かい地形を手書きで書いて、紙が足りなくなって継ぎ足したり、夢中になって書き進める姿が目に浮かぶようでした。

それと、「なんだこれ!?」と思ったのは、指輪物語の原稿の下書きを、なぜかカリグラフィで、英語とテングワールで清書したものがあったことです。何のために!?…趣味で、としか言いようがありませんよね(汗)HoMEに収録されている幻のエピローグに出てくるアラゴルンからサムへの手紙(これも展示されてました!)の共通語とエルフ語の併記も、このあたりの発想から来ていたんだなあと思ったり。

教授がマザルブルの書のページの焼け焦げまで再現したものを作った現物も展示してありました。このページの話を初めて知った時は笑ってしまったのですが、まさか本物を見る日が来るなんて、と感慨深い以上になんだか笑えてしまいました。

原稿や創作物以外にも、家族写真や教授が実際に使っていた遺品など、よく展示させてくれたなあ、というようなものがありました。おそらく戦時中に教授が持ち歩いていたエディス夫人の写真入れなんてあって、よく残ってたな!と思うと同時にちょっとグッと来ました。実際に毎日この写真を眺めていたのかなあと…
幼少期に父親に書いた手紙や、戦地で亡くなった友からの最後の手紙など、涙腺が緩む展示も…

トールキンにあてたファンレターも展示されていましたが、中には著名人のファンレターもあり、デンマークのマルグレーテ女王(当時は王女だったそうですが)の手紙には女王のイラストが同封されていたようで、こんなところでデンマーク女王の直筆原画まで見ることになろうとは!と(笑)

他にも興味深い展示がたくさんありますが、すべての感想を書いている時間もないので、特に心に残ったものについて書いてみました。

無料ということもあり、マニアばかりではなくちょっと興味がある、程度の人もたくさん見に来ていたと思います。
あ、印象に残ったファミリーが。スペインから来たらしき家族で、ベビーカーの子と幼児を連れた一家だったのですが、立体地図を見て幼児がいきなり「モリアはどこ?」と聞くと、お父さんがすかさず「ここだよ」と指さしていたという…(ちょっと違っていたけどだいたい合ってた)こんな幼児のうちから英才教育している束一家なのか!と(笑)

展覧会は10月下旬までやっていますので、イギリスに行く予定のある方、行ってみても良いかなという方、ぜひ足を運んでみてください。
入場は無料ですが、入場が時間指定になっているので時間の予約は必要です。先にあげたHPからも予約できます。(予約手数料1回1英ポンドかかります)平日であればまず当日でも予約できるかとは思いますが。
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トールキン作品の女性たち

2018年04月08日 | 指輪物語&トールキン
この記事はTolkien Writing Dayに参加しています。

ここ数年、ハリウッド映画では、フェミニズムに配慮された作品が増え、女性の描かれ方が従来の作品のような定型的なものではなくなって来ています。子どもの頃からいわゆる「女の子向け」な作品よりもSF、ファンタジーのような世界観の作品が好きだった私は、そういった作品で女性の出番が少ないことにつまらなさを感じていたので、最近の傾向はとても嬉しいです。子どもの頃にこういう作品を見たかったなあと。
そんな私でしたが、指輪物語を初めて読んだ時には、女性キャラクターの描かれ方が今まで読んだことのないようなものだったので、驚くとともにとても気に入ったものでした。
まずはガラドリエルが、「奥方」と言われつつも、明らかにケレボルンよりも力があるようだし、実質ロスロリアンの支配者のように描かれていたのに驚きましたね~。
そして、何よりエオウィンですよね。男装して戦いに行く女性キャラクターはそれまでにも読んだことがなくはなかったのですが、男性の添え物のような描かれ方が多かったと思います。愛する人を守るために戦うとか…。戦いでも男性の補助的な役割だったり。
しかし、エオウィンの場合、アラゴルンを慕っていたということもあることはありますが、彼女が戦いたかったのは自分で勲を上げたかったからですよね。アラゴルンが好きだったのも、男性として愛したというよりも、勲の一部としてだったのだとアラゴルン自身に看破されています。
そして、エオウィンの何よりすごいところは、男性の補助ではなく、戦いの主役として魔王を倒してしまったところですね。翼ある獣の首を一刀両断した場面は鳥肌が立ちましたし、「人間の男には倒せない」という魔王の言葉に笑い声をあげて兜を脱いでみせるところも、カッコよすぎて震えました。
映画のおびえながらも頑張るエオウィンも良いのですけど、やっぱり原作のエオウィンのカッコ良さが見たかったかな、というのはありますねえ…。
戦場でのカッコ良さだけでなく、女性だからと戦いに行けず閉じ込められて鬱屈とした思いを抱え、療病院でも欝々としていたエオウィンの気持ちには色々と共感するところもあって、トールキンて結構昔の人なのにどうしてこんな女性を描けるの?と不思議に思ったものです。
魔王を倒したエオウィンが、ファラミアと恋に落ち、戦うのをやめた結末も、私はがっかりとは思いませんでした。主人公であるフロドも戦うことを放棄していたからです。この物語では戦わないことが是とされるのだなと。
アラゴルンはその後も戦いに赴いていましたが、だからアラゴルンは主人公ではないんだな、と解釈してました。

そんな女性を描いたトールキンは、女性に理解がある人なのかな?と当初は思っていました。確かに指輪物語でも女性はわずかしか出てきませんし、ホビットについてはロベリアしか出てこない有様ですが、数が多いかどうかよりも、魅力的に描かれているかどうかの方が重要だと思ったのです。(そういえばロベリアも夫よりも息子よりもインパクトのあるキャラクターですね)
しかし、「或る伝記」を読んで、結婚後のエディス夫人のことを知って「あれ?」と思い、「終わらざりし物語」の「アルダリオンとエレンディス」を読むに至って「あれれ???」となりました。典型的な「男は視野が広く世界に出たがるが、女は狭い世界に留まりたがる」という描き方だったので…考えてみたらエント女のエピソードもそうですよね…

というわけで、トールキンが女性に理解があった、という幻想はあっけなく崩れたのですが、それにしても、やはりトールキンの作品に出てくる女性は、女性から見て魅力的だなあと思うのです。
ガラドリエルもエオウィンももちろん魅力的ですし、ロージーもロベリアもそうだし、典型的なお姫様設定なアルウェンにしても、アラゴルンよりも身分も年齢も上、というのもあるかもしれまんが、男性の添え物、とは感じませんでした。フロドにペンダントを渡す場面のイメージが強いのもあるのかもしれません。
シルマリルでも、自由奔放なアレゼル(末路はあれですが…)、やはり女性の方が力があるメリアン、そしてなんといってもやはりベレンより身分が高い上に、囚われのベレンを救出してシルマリルを奪還する活躍を見せるルシエン・ティヌーヴィエルなどなど、女性は出てくるとたいてい魅力的です。
HoME読書会に参加させていただいて、Fall of Gondolinを読んだら、楚々としたお姫様かと思っていたイドリルが、強い意志を持ち、戦いでは雌虎のような活躍をする強い姫だったと知ってびっくりしました。(そしてさらにイドリルが好きになりました(笑)

どうしてトールキンが描く女性がこのようになったのか、ということを本気で調べようと思ったら、書簡集やHoMEなどもすべて読破した上で研究しなければならないと思いますが、とてもそんな英語力も時間もないので(^^;)とてもおおざっぱな仮説になってしまいますが…

まず、エオウィンについてですが、以前にみあさんがご紹介くださって知ったのですが、オシァンというケルトの古代の叙事詩集(で合っているでしょうか?)の中に、武具をつけて戦場に出て戦う女性が出てくるものがいくつかあるそうです。
トールキンがこの叙事詩からヒントを得たのかどうかについてのはっきりした記述があるかどうかわかりませんが、きっとこのあたりの影響を受けているだろうなあと思いました。なんだ、トールキンのオリジナルの発想ではなかったんだ、と思いましたが(^^;)
ただ、オシァンを読んだ作家はたくさんいたでしょうが、他の作品にエオウィンのようなキャラクターがよく出てくるわけではないので、そこをくみ取ってエオウィンを生み出したのはやはりトールキンのオリジナリティだなあと思います。しかも魔王を倒すという重要な役割で。

そして、トールキンの描く女性には強い女性が多いと思うのですが、そこには母メイベルのイメージがあるのでは、とも想像します。
女性だけで生きていくのは困難な時代に、夫を亡くし子どもを二人抱えた状況で、親族に反対されてまでカトリックへの信仰を貫き、子供たちを教育しようと努力したメイベルは、とても強い女性だったのではないかと思います。そして母の意志を汲んで自身もカトリックの信仰を貫いたトールキンは、その強い母を敬愛していたに違いないと思います。
トールキンの作品の中では、トゥーリンの母モルウェンに、特にメイベルの影響を感じます。あそこまで強い女性ではなかったとは思いますが…
もう一つ、きっとエディス夫人の影響もあるのでしょう。エディス夫人の人となりについてはあまり情報がないので、何ともわかりませんが、高貴なルシエンのモデルになったくらいですから、その愛情には敬愛の気持ちもあったのではないかと想像します。(余談ですが、トールキンの伝記映画がいくつか控えていますので、エディス夫人がどう描かれるのかも楽しみです。)
この、身近な女性たちの存在が、トールキンの描く女性キャラクターが女性から見て魅力的である理由ではないかと思います。身近な女性に敬意を持っていたから、女性キャラクターが皆敬意を持って描かれているのではないでしょうか。だから女性から見て不快ではないし、魅力的なのではないかと。

少し前に、アカデミー賞受賞作品の女性の台詞の割合を比較したデータが回ってきて、まあ予想どおりLotRでははかなり少なかったですね。登場人物自体が少ないので仕方ないですよね。
トールキンは多分女性を描くのはそんなに得意ではなかったのでしょうが(^^;)、魅力的な女性が描けないなら、無理して女性を出さない方がよほど気持ちよく読める、と個人的には思っています。
数少ないけれど敬意を持って描かれたトールキンの女性キャラクターは、やはり女性から見ても魅力的だなあと思うのです。
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シアトルのファンタジー展でトールキンの生原稿を見たこと

2017年12月07日 | 指輪物語&トールキン
トールキンアドベントカレンダー7日目の記事です。

2013年夏にシカゴにTTTサントラ生演奏上映を観に行ったのですが、その時にシアトルのEMP博物館でファンタジー展というものをやっていて、そこでなんとトールキンの生原稿が展示されているという情報を得ました。TORnの記事はこちら
実は同時期に同じ西海岸のバークレーでサーイアン&サーバトリックのNoman's Landを上演していて、日程的にどちらかしか行けなかったので迷ったのですが、結局トールキンの原稿の方を選びました。生マッケラン様には会えなかったけど、Noman's Landはその後NT Live Theaterで映画館で観られたから、選択としては正解だったかもしれません。
この原稿というのは、ミルウォーキーのマーケット大学が所蔵しているもので、展示されていたのはごく一部でした。
マーケット大学のサイトはこちらです。(実は全然読んでいないのですが…)年に数回閲覧可能な日が決まっていて、2018年はこちらの日程で公開されるようです。ただ、来年はオックスフォードでトールキン展が開かれ、マーケット大学所蔵の原稿も展示されるようなので、時期が重なると展示内容が少なくなる可能性ありますね。どのくらいの原稿が展示されるのかわかりませんが。

EMP博物館というところは、ロックやSFの常設展(ジミ・ヘンドリクスの展示が有名みたいです)がいくつかあり、並行して特別展も行っているようです。ファンタジー展はその一つとして行われたもののようでした。
様々なファンタジー映画の衣装や小道具が展示されていました。古いものではプリンセスブライドストーリーとか(プリンセスブライドストーリー欧米でなんだか人気あるみたいですね。私も好きですけど)があり、よく保管されていたなあと。近いところではナルニアとかハリポタ、GoT(ゲームオブスローンズ)の展示もありました。ちょうど日本でハリポタ展をやっていた時期だったと思うのですが、シリウス・ブラックの衣装があって、これだけこっちに来てるんだな、思ったものです。

トールキンの原稿は、最初のコーナーを過ぎてメインの部屋に入ってすぐのところに、ガラスケースに入って展示されていました。
他の展示はフラッシュ焚かなければ撮影可能だったのですが、トールキンの原稿のところだけは撮影禁止でした…
展示されていたのはトールキンの原稿3枚-LotRから2枚、ホビットから1枚と、LotRの手書きの時系列表、そしてワシントン大学のバウアー教授という人にあてた手紙でした。最後の手紙はなんなんだろう…と思いましたが、おそらくシアトル地元のワシントン大学に保存されていたものなのかもしれません。

LotRからは、モリアの扉のイラストが描いてある完全手書きの原稿と、ガンダルフがモリアで墜落する場面あたりの、タイプ原稿に手書きで追記がある原稿、ホビットからは袋小路屋敷でドワーフたちが竜の話をしているあたり、でした。
手書き原稿を見て、トールキンは絵も字も上手いんだなあと思いましたが、手書き文字は達筆すぎて解読困難でした(^^;)

タイプ原稿の追記部分も、手書き文字はかなり読みづらく、頑張って読みましたが少ししか読めませんでした…。
解説プレートにはTrotter(Striderの前の名前)とelfstoneとなっていたところがアラゴルンに直されている、と書いてありましたが、他にも興味深いことがいろいろありました。
モリアでアラゴルンがガンダルフを助けようと橋に戻る場面で、ボロミアも一緒に行くように付け加えられていたり、橋を渡る時に、「アラゴルンが先頭、ボロミアがしんがり」という部分も付け加えられていました。ボロミアの出番が少ないと思ったのか、あるいは後でデネソールにピピンがボロミアのことを話す時の整合性のためでしょうか?

ホビットの原稿は、今日本で読める第二版の内容とはかなり違いました。改定前を知らないので、改定前のものなのか、それ以前の段階で出版されなかったものなのかわかりませんが…
解説では、竜の名前がpryftanからスマウグに訂正されているとあって、確かに訂正されてました。
しかしそのほかに、ビルボが自分から牛うなりの話をしていたり、それをグローインが「その話ならよく知ってます」と遮っていたり、地の文で「ゴルフが好きなグローインが-」となっていたりして、びっくりしました(^^;)
そして、Bladrthinという名前が出て来ていたのですが、グローインが「Bladrthinにいいバーグラーがいると聞いてここまできた」というようなことを言っているので、ガンダルフの前の名前?と思いました。が、ガンダルフという名前も出て来ていたんですよね。ちょっと謎でした。
中つ国wikiによると、やはりガンダルフの前の名前なんですね。名前が混在していたのはなぜでしょう。単に訂正漏れかもしれませんが。

LotRの時系列表は1949年から1950年ごろに書かれたもののようで、フロドとサム、ガンダルフと他の旅の仲間、人間と友たち(味方くらいの意味でしょうか?)、オークと敵たち、に分かれてしました。自分でも整理するために作ったのでしょうか。

読めたのはわずかな原稿でしたが、それでもとても興味深かったです。一人でガラスケースに貼り付いて読んでいて、係の人に怪しまれてました(^^;)マーケット大に行けばもっとたくさん見られるんでしょうね。来年のオックスフォードでのトールキン展ではどのくらい見られるのか楽しみです。

他の作家の原稿では、ル・グィンのゲド戦記のプロット?の手書きメモや、G.R.R.マーティンの「炎と氷の歌」の原稿などがありましたが、G.R.R.マーティンなどはもう完全にPCで書いたものを打ち出したものでした。もう今どき手書きで原稿を書く作家はいないでしょうね。
そう思うと、トールキンが手書き原稿を遺す時代の人だったことには感謝しないといけないかもしれませんね。
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「農夫ジャイルズの冒険」について語りたい

2017年12月02日 | 指輪物語&トールキン
トールキンアドベントカレンダー2日目の記事です。
2日目から地味な記事で申し訳ないですが…

トールキンの魅力と言えば、言語学や神話伝承への深い造詣から生み出される壮大な二次世界、というのがまずあるでしょう。その代表になるのは「シルマリルの物語」をはじめとする第一紀、第二紀のエルダールやエダインの物語だと思います。
しかし一方で、イギリス人らしい(多分)ユーモアと皮肉、神話伝承に対するパロディ精神もまたトールキンの魅力の一つだと思います。「ホビット」には色濃く出ていますし、「指輪物語」でもホビットたちの場面を中心にユーモアの場面は出てきます。
個人的に大好きなのは、「王の帰還」の療病院でのアラゴルンとガンダルフとヨーレス、本草家の場面です。悠長にかみ合わない会話を続けるヨーレスと本草家、辛抱強く話し続けるアラゴルン、我慢できずに癇癪を起すガンダルフ。あの悲愴なぺレンノールの戦いの直後で、まだファラミアとエオウィンが重病で寝ているという状況で、なんでまたこんな場面を書いたのか。その感覚がまた好きで、感動的な数々の場面と並んで好きな場面の一つです。
そのユーモアとパロディ精神にあふれた、それのみで書かれたと言っても過言ではないのが「農夫ジャイルズの冒険」になると思います。

私は大好きな「農夫ジャイルズの冒険」ですが、現在はユーズドでしか入手できなくなっているため、読んだことがない方も多いかと思います。私が持っているのはトム・ボンバディルの冒険などと一緒に収録されているトールキン小品集でしたが、評論社のてのり文庫で単独出版されていた時もあったようです。図書館にはあると思いますので、読んだことがない方はぜひ一度読んでいただきたいなあと思います。
と言いつつ、これから書くのは読んでいない方には思い切りネタバレなのですが…。これから読む予定でネタバレを避けたい方は、本編を読んでから記事を読んでいただけたらなあと思います(^^;)

この「農夫ジャイルズの冒険」(Farmer Giles of Ham 直訳すると「ハム村の農夫ジャイルズ」ですね)は1949年に出版されたそうで、邦訳の訳者あとがきでは「指輪物語を書き上げた開放感から一気に書き上げたのでは」と言われています。しかし、「或る伝記」によると、実際には1930年代には原型ができていたとのこと。むしろ「ホビット」を書いた後に手すさびに作ったのでは、という気がします。
当初は簡単な短い物語だったのが、1938年のある日、オックスフォードのウースターカレッジで論文の講演をする予定が書き進まず、思い立ってこの作品に手を入れて朗読したところ、学生に受けたのだそう。そこで出版社に持って行くと出版が決まったものの、戦争があったために遅れて1949年にようやく出版されたそうです。
この物語はナルニア国ものがたりや「ビルボの別れの歌」でお馴染のポーリン・ペインズの挿絵が使われていますが、この作品がポーリン・ペインズが世に知られるきっかけとなったそうです。これから読む方はぜひボ―リン・ペインズの挿絵にも注目してみてください。

さて、この作品の魅力についてですが、とにかくユーモアとパロディ精神に満ち溢れています。終始ふざけていると言っても過言ではないくらいに。
そんな話の筋や登場人物(動物)たちは、「ホビット」に通じるものがあると思います。トールキンの二次世界の中で異質な存在であるホビットの、その生まれた経緯もなんとなく感じられるような気もします。

まずは主人公の農夫のジャイルズ。この人がまずおじさんです。ビルボもフロドもおじさんと言っていい年齢ですが、独身貴族というかどこか優雅な雰囲気がありますが、ジャイルズは所帯持ち。しかもやかましい奥さんに頭が上がらないという正真正銘のおじさんです。実はそんなに年じゃないのかもしれませんけど、奥さんに頭が上がらないという時点でおじさん度高いですね。

このジャイルズ、ホビットのように臆病ではないけれど、特にすごく勇気があるわけではありません。欲深くはないけれど、それなりに打算的で頭は良く、もらえるものはもらっておくという感じ。英雄物語の主人公としては、ホビットといい勝負で似合わないですね。
ジャイルズは自分の土地にやって来た巨人や竜を、自分の土地を守るために成り行きで追い払い、王様から竜退治の役目を押し付けられることになります。
ちなみにジャイルズが使っていた武器「ラッパ銃」ですが、「美女と野獣」の映画でガストンが居酒屋でぶっ放していたのラッパ銃だよな…と思って見ていました。庶民的な武器ですね。

このジャイルズの飼い犬が喋る犬ガームです。喋る犬というとフアンを思い出しますが、フアンとは似ても似つかない、ものすごくおしゃべりでお調子者で臆病で、あんまり役に立ちません。しかも名前の由来、多分地獄の番犬ガルムですよね…(^^;)
そしてこのガーム、ジャイルズが竜を倒しに行く時に、なんとお供しないのです(笑)さっさと隠れて逃げてしまうという。最初に読んだ時「ついて行かないのか!」とびっくりしました(笑)

そしてもう一頭の重要なキャラクターが、ジャイルズの年老いた灰色のめす馬です。なんと名前もありません。ジャイルズを乗せて竜退治に駆り出されるのですが、いざ竜が現れた時、勇敢な軍馬たちが皆逃げてしまった中、このめす馬だけが逃げずに踏みとどまるのです。カッコイイ!
しかしその踏みとどまった理由も、勇気があるというよりは、年取ってて速く走れないので逃げても間に合わないし動くのが面倒、という。その現実的なドライさ、諦めているからこその冷静さが、逆に勇敢な軍馬たちよりも彼女を勇敢にさせているというのがまた面白いなあと思います。

このように登場人物たち(ジャイルズ以外動物ですが…)が英雄とはほど遠いところに、トールキンのパロディ精神とユーモア、皮肉も感じますが(ガームなんて自分で作ったフアンのパロディでもあるような)、こういうところは大きな物語に巻き込まれたホビットのキャラクター造形に通じるものがあるかなと思います。

そしていよいよ竜との対決ですが、ジャイルズは結局全く戦いません。「ホビット」でもビルボたちはスマウグと全く戦わないで終わるのがすごいな…と思いましたが、最後はバルドが戦って倒します。(映画ではドワーフたちがスマウグと戦いますが、個人的には「ビルボたちはスマウグと戦わない」というのが肝だったので、少し残念でした)「農夫ジャイルズ」では本当に全く戦わないのです。これも初読時「戦わないのかー」とびっくりしたものです。
どうやって竜退治をするのというと、話し合いです。ビルボとスマウグの対話も面白かったけれど(スマウグがおだてられていい気になるところとか)最後にはビルボは失敗してしまい、やはりスマウグの恐ろしさを感じさせて終わります。
ところが「農夫ジャイルズ」では、竜はジャイルズに言い負かされて言いくるめられてしまいます。大量の宝物をどうやって持って帰るのか、という話はスマウグとビルボの会話にも出てきましたね。(こちらはスマウグが言うのですが)「ホビット」でも竜を倒して宝物を手に入れてめでたしめでたし、ではなく、今度は残った宝物を巡って争いになる、という現実的な発想が面白いな、と思いましたが「農夫ジャイルズ」の竜退治の展開にも近いものを感じます。
もしかしたらトールキン少年は竜退治の物語に惹かれながらも、「倒したあとの宝物どうするんだろう」という疑問を持っていたのかな、なんて想像してしまいます。或は大人になってから思うようになったのかもしれませんね。
ホビットたちもジャイルズも、ファンタジーの世界にありながら、どこか現代人に近い感覚を持っているように思います。それってファンタジーの世界を描きながら現代人の感覚を物語に持ち込んだ、トールキン自身の視点なのかな、と思ったりもします。
最後にはジャイルズに言いくるめられたドラゴンは小さくなってしまいますが、これってもしかしてよく中世の絵画に出て来る聖ゲオルギウスの竜退治の竜がやけに小さいのに着想を得たのではしょうか??

この物語は出版されそれなりに評判も良く(と言っても指輪物語が出版されヒットした後に売れたそうですが)、トールキンもジャイルズの息子が活躍する続編を構想していたそうですが、「或る伝記」によると、戦争によってその後物語の舞台となったオックスフォードシャーの田園風景が失われたことで、書くことができなくなったそうです。トールキンにとっては田園風景も含めての物語だったのですね。どんな愉快な物語だったのか、読んでみたかったです。

という訳で私にとっての「農夫ジャイルズ」の魅力について書きなぐってみました。未読の方に読んでいただきたいと思いつつネタバレという、中途半端記事ですが(^^;)
もし、「前に読んだけどあまりピンと来なかった」という方がいたら、ぜひもう一度読んでいただきたいなあと思います。
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バルドのテーマ、ギリオンのテーマのこと(ホビットサントラ語り)

2016年12月08日 | 指輪物語&トールキン
再びTolkien Wrightig Day参加の記事です。
またしてもサントラの話ですが…(ネタがない)

ホビット映画のサントラに出て来るテーマは、残念ながらLotRほど劇的に変化して成長したものはあまりなかったかなと思います。映画は同じ三部作ですが、そもそも原作がLotRよりもずっと短い物語で、登場人物も舞台となる土地もずっと少ないですから、仕方ないことなのですが。
そんな中で、唯一劇的な変化を遂げたのが、バルドのテーマとギリオンのテーマだと思います。
闇の森の王国のテーマ(Woodland Realm Theme)も色々と変化している点では面白いのですが、テーマとして物語の中で成長している、というのとはちょっと違いましたし。(LotRで言うとロリアンのテーマと同じような扱いかもしれません)
トーリンのテーマもそんなに変化はなかったし、ドワーフ関連のテーマは変化するというよりも新しいテーマが出て来るという感じでしたし。
ビルボの単独のテーマが残っていたらまた違ったかもしれないなあと思ったりするのですが…

さて、そもそもバルドのテーマとかギリオンのテーマって?と思う方も多いでしょう。
まずバルドのテーマですが、DoSではバルドが舟にドワーフたちを乗せて湖を進む場面などで流れています。正直ちょっと冴えないというか、地味なテーマで(^^;)私もDoSのデラックス版サントラCDのライナーノートに楽譜が出ていなかったら認識できなかったと思います…(汗)
このバルドのテーマについて、「悪役のテーマかと思った」とおっしゃった方がいて、なるほど、と思ったことが。映画のバルドは最初敵か味方かわからないような感じで出て来るので、敢えて不気味な感じにしたのかなあと。
それにしてもバルドにしては冴えないテーマだなあ、とDoSの時点では思っていた訳です。

一方ギリオンのテーマは、同じくDoSでバルドの家からギリオンの大弓を見たトーリンたちが、スマウグと戦うギリオンを回想する場面で流れます。ここではホルン(とトロンボーン?)、次いでヴィオラとチェロ(多分)でゆったりとどこか物悲しく流れています。

このバルドのテーマ、ギリオンのテーマが、BoFAでは劇的な変化を見せるのです。
まずスマウグの襲来に人々が逃げ惑う中、バルドが牢を抜け出す場面で、あのDoSでは冴えない感じだったバルドのテーマが、華やかで勇ましいメロディに変化して流れるのです! DoSでは後半部分が胡散臭げに(汗)半音上がっていたところ、4音(完全四度)上がって長調になっているのが、華やかな変身の肝かなあと思います。
そしてバインが黒い矢のことを思い出し、舟から飛び出す場面で、今度はギリオンのテーマが打って変わってテンポも速く、勇ましいアレンジで流れます。ここはギリオンが遺した黒い矢を表すのと同時に、ギリオンの子孫でもあるバインの勇気も示しているのかもしれません。
その後、バルドが物見の塔の上で黒い矢を手にスマウグと対峙する場面でも、朗々とギリオンのテーマが流れます。ギリオンのテーマはDoS EEの特典映像に映った楽譜には「Gilion/Bard」となっていましたから、ギリオンのテーマでありつつ、バルドも表しているテーマなのでしょう。
そしてバルドが折れた弓でスマウグに立ち向かうことを決める場面で、バルドのテーマが再び華やかに流れます。
ちょっと話が逸れますが、ここでバルドのテーマ、ギリオンのテーマが盛り上がってスマウグを倒すのではなく、バルドの家族のテーマ(仮)の少年合唱の優しいメロディに変わるところがまた良いなあと思います。

ギリオンのテーマのBoFAでの変化は、LotRでのゴンドールのテーマ(Realm of Gondor)を思い出させるところがあります。FotRのエルロンドの会議では物悲しくホルン1本で流れていたテーマが、RotKの予告で華やかに堂々と流れた時の驚きは忘れられない衝撃でした。
映画のバルドは色々とアラゴルンと被せているなあと思わせるところがあるのですが、このギリオンのテーマの使い方もその一つじゃないかなと思っています。
(他にも、バルドがトーリンとの交渉が決裂して馬で走って戻る場面で、アラゴルンのテーマと同じ三音のフレーズが使われているんですよね。ここ一ヶ所だけですけど。場面の絵面的にもアラゴルンが角笛城に到着する場面を彷彿とさせます)

そして、DoSで冴えないだとか悪役みたいだとか思われていた(^^;)バルドのテーマの華やかな変化は、そのまま映画のバルドの華やかな英雄への変化を表しているようで、そのテーマの使い方の妙に唸ってしまうのでした。

このスマウグ襲撃からバルドが倒すまでの一連の場面の音楽、サントラCDのトラック名だとFire and Waterは、スマウグのテーマが次第にテンポを上げて緊迫感を増して行くところをはじめ、情景描写としても、一連の場面の音楽としてのまとまりも、LotR、ホビット映画のサントラの中でも名曲と言って良いのではないかと思っています。ホビットサントラの中では一番好きかも…
(ちなみにエレボールの表門前でエルフ軍とダイン軍が一触即発、の場面の闇の森の王国のテーマとダインのテーマが絡み合うところのCDバージョン(The Clouds Burst2:39~)もすごく好きなのですが、映画本編では大ミミズが出て来るのが早すぎて一瞬しか流れないのが残念です…)

ただ、バルドのテーマもギリオンのテーマも、この場面が最高潮で、この後は発展して行かないのですよね…そのあたりがちょっと残念です。
やはりテーマの使い方はLotRサントラには敵わないかなあ、と思ってしまうところでもありますね…
とはいえ、もちろんホビットサントラも名曲がたくさんありますし、LotRと共通のテーマ・モチーフが使われているという楽しみもありますし、何と言ってもドワーフの音楽がたくさん出て来るし、名サントラだと思ってます。
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なぜ私はThe Journey Thereが好きなのか

2016年12月02日 | 指輪物語&トールキン
またしてもTolkien Wrighting Dayの参加記事で書いてます。珍しくお題に沿った内容で。

まず、「The Journey Thereって何?」と思う方が大半でしょう…(^^;)これはLotR映画のサントラのテーマの一つです。
一番わかりやすいのは、フロドとサムがガンダルフと別れて二人でホビット庄の中を旅し始める場面でしょう。ここでバウラン(アイリッシュフレームドラム)のリズムをバックに弦楽器で流れるのがThe Journey Thereです。(と言ってもサントラ完全版のライナーノートで名前が挙がるまでは名無しのテーマでしたけど…)
麦畑でサムが立ち止まり、「ここから先は行ったことのない場所です」というところで、オーボエとホルンの物悲しいメロディの掛け合いになり、やがてホビット庄のテーマから旅の仲間のテーマへと変わって行く、心温まる場面です。

この割と地味なテーマが、実は私がLotRサントラの中で一番好きなテーマなんです。
なぜこのテーマが一番好きなのか…それは遡ること14年前、何回目かの(多分10回目くらい)FotR鑑賞の時でした。
ガラドリエルの水鏡の場面で、奥方が「最も小さな者が世界の運命を変えるのです」とフロドに語りかける場面で、このテーマが使われていることに気が付いたのです。ここではホルンでより物悲しく流れています。
このことに気が付いた時、電撃に打たれたような衝撃を受けました。ああ、これ意図的に同じメロディが使われているんだ!と。
もちろん、ホビットのテーマや旅の仲間のテーマが繰り返し使われて、それぞれホビットや旅の仲間の場面で使われていることには気づいていました。でも、登場人物のテーマがサントラで出て来るのはよくあることで、そんなに重要視はしていなかったのです。
でも、このテーマが違う場面で違う楽器で使われていることに気が付いて、このサントラに出て来るテーマは、単に登場人物を表す表面的なものではなく、登場人物の心情も表しているんだ、クラシック音楽やオペラやミュージカルのテーマ、モチーフのように…!ということに気が付いたのです。

このことに気が付いて以来、「他にもテーマ、モチーフがいろいろあるはず…!」とサントラの中からテーマ、モチーフを探し出すのに夢中になりました。
当時はまだサントラについて触れられている媒体がほぼ全くなく、ファンの中でもほとんど話題になっていませんでしたから、一人黙々と作業していたようなものでしたが、でも楽しかったなあ。
いわば私がLotRサントラにのめりこむきっかけになり、LotRサントラの世界の扉を開いてくれたテーマでもあるのです。それでとても思い入れがあるのです。
サントラにテーマやモチーフを使うケースは他にもありますが、ここまで大がかりにテーマ、モチーフを組み込んだサントラは、今でも他に類を見ないのではないかと思います。

その後、TTTではThe Journey Thereは登場せず、もう出て来ないのかな…と思っていたところ、RotK冒頭、フロドとサムとゴラムが歩き出す場面で再び流れた時は感無量でしたね……。

そんな私が大好きなThe Journey There、サントラ完全版のライナーノートで初めてテーマ名が明らかになったものの、説明はほとんどなく、消化不良な状態でした。
そのライナーノートを書いたDoug Adams氏がサントラ解説本The Music of the Lord of the Rings Filmsを出版し、どんなことが書いてあるのか…と楽しみにしていたのですが…
本の中で書かれたいたのは、このテーマのWeakness and Redemptionという別のテーマ(裂け谷の音楽のバックで流れる短調のアルペジオと言えばわかるでしょうか?)との類似の指摘と、Weakness and Redemptionが音が上がって下がるのに対し、上がり続けることで不吉さが増幅されている、というような短い説明のみで、ええ~、と…
私にはあのテーマはそれだけのものとは思えないんですよね。思い入れがありすぎるからかもしれませんけど(^^;)

The Journey Thereがはっきりと出て来るのは、FotRの2回とRotKの1回です。
最初に出て来るフロドとサムが旅する場面では、初めての土地に踏み出すサムを勇気づけるようにフロドがビルボの言葉を話す場面で、静かにホルンでホビット庄のテーマに変わり、更に初めて流れる旅の仲間のテーマへと変わります。(SEEだとサブタイトルで先に流れちゃいますけど)
RotKでは、このテーマが流れたすぐ後にアイゼンガルドに向かうガンダルフたちの場面に変わり、旅の仲間のテーマの最初の三音の下がって戻るフレーズ(Back and Again)に繋がります。そしてサブタイトルが出るところで希望を感じさせるゴンドールのテーマにつながり、次第に明るくなってアイゼンガルドでの仲間たちの再会の場面に向かいます。フロドとサムと仲間たちの絆を示すように。
この二つの場面とも、不安な状況から、勇気や希望を見出す場面につながっているように思うのです。
水鏡の場面では、他のテーマにはつながりませんが、麦畑の場面と同じ物悲しいメロディをバックに語られる「もっとも小さな者が世界の運命を変えるのです」という言葉が、絶望的な状況の中の一筋の希望を感じさせます。
これは私の贔屓目すぎかもしれませんが、このテーマは、ただ不安を募らせるというだけのテーマではなく、不安の中から希望を見出すことを表しているテーマなのでないかと思うのですよね…。
確かに、他のフルで使われず前半部分だけ使われている場面では不安を表しているようですけれど、それならそれでそういう場面とフルで曲調が変わるところまで流れる場面の違いも書いて欲しかったなあと思ってしまうのでした。

というわけで、今までなかなか語る機会がなかった、The Journey Thereについて思う存分語らせていただきました(笑)
なぜThe Journey Thereが好きなのか、だけではなく、なぜLotRサントラが好きなのか、という話にもなったかなと思います。
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LotR in Concert(サントラ生演奏上映)のすすめ

2016年09月22日 | 指輪物語&トールキン
Tolkien Writing Dayの企画で記事を書いています。(最近企画参加でしか記事かいてませんが(^^;)

以前日本でも公演があった、Lord of the Rings Symphonyに代わって、最近ではLotR in Concertというのが世界各地で演奏されています。
in concertとなっていますが、実際のところは映画の画面に合わせてオーケストラの生演奏でサントラを演奏するというものです。最近は日本でも色々な映画で行われていますね。
(LotRもやればいいのに…と思うところですが、映画自体の上映権が切れているので難しいでしょうか…)

最初にサントラ生演奏上映があったのは、スイスのルツェルン。LotR SymphonyのCDの録音も行った21st Century OrchestraとLudwig Wicki氏の指揮で行われました。
女声ソリストはLotR Symphony後期から登場したKaitlyn Luskさん。未だにほとんど全てのコンサートのソリストを勤めています。
その後NYなどでも演奏されましたが、当時はまだ21st Century Orchestraが遠征しての演奏でした。そりゃ3時間超のサントラ演奏するの大変だよな…と思っていたのですが、最近は各地のオーケストラで演奏されるようになってきましたね。本家ロンドンシンフォニーでもありましたし、フランスやアメリカの一流オケによる演奏もあります。
指揮もLudwig Wicki氏がすることがほとんどですが、違う指揮者による指揮も増えています。3時間超のスコアを指揮するの準備から大変だよな…まあオペラもそんな感じかな?(いや3時間超のオペラはあまりないと思う…)
ドイツではここ数年毎年のように怒涛のコンサートラッシュがあります。ドイツ人LotRホント好きなんですねえ。

生演奏上映は、トップの写真のように、ステージ上に大きなスクリーンが出て演奏されます。オーケストラの段差は最低限なので、管楽器は客席からは全く見えません…(コーラスが更に上に控えてますからね…)
台詞が聞こえない場合にそなえてか、英語圏でも英語字幕つきの上映です。台詞が聞こえなかったことは私が聴いた範囲ではなかったですが。
指揮台に映画の画面が映るモニターがあり、音楽が始まる少し前、始まるタイミング、終わるタイミングに画面に太い線が流れて来て、それを合図に指揮していました。多分映画のサントラを録音する時と同じ方法だと思います。
これを生演奏でやるのってすごい技術ですよね…!Ludwig Wicki氏は映画のサントラの録音の仕事などもしているようなので慣れているのでしょうが。

このコンサートで特筆すべきは、映画本編で未使用の音楽が演奏されるということです。FotRでは多分ありませんが、TTT、RotKではかなり未使用音楽が演奏されますよ。
基本的にサントラ完全録音盤に準じていると思われます。ただ、完全録音盤はSEEバージョンですが、コンサートでは劇場版サイズという違いがありますが。
あと、劇場版ですが3作とも途中休憩があります。休憩後の開始時には間奏曲のようなサントラのダイジェスト演奏があって嬉しいです。

私は2013年からシカゴ、フィラデルフィアでそれぞれ2回のコンサートに行きました。
シカゴはシカゴ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団というアメリカ屈指のオーケストラの演奏でしたので、これは行かねばと。指揮はどれもLudwig Wicki氏、女声ソロはKaitlyn
Luskさんでした。
フィラデルフィア管はLotRシンフォニーをやったことがあるのですが、シカゴ響はシンフォニーもやったことがなかったので、このコンサートをやると聞いた時はびっくりしたものです。
これでアメリカ5大オーケストラでシンフォニーもサントラ生演奏上映もやっていないのはボストン響とNYフィルということになりますが…ボストンはボストンポップスもあるのにLotRはやりませんねえ。ジョン・ウィリアムズと関係が深そうなのでそれでかなあとか(^^;)
シカゴもフィラデルフィアも素晴らしい演奏でしたが、特にフィラデルフィアのコーラスが素晴らしかったですね。よくオケは素晴らしいのにコーラスが今イチ、ということもあるので、両方揃っているのはなかなか貴重ですよ。

夏の時期のコンサートは、野外音楽場で行われることが多いです。オーケストラがシーズンオフということもありますが、野外のイベント的な扱いですね。
野外の音楽場は壁がありませんから、音響はかなりスピーカーに頼ることになるので、正直音響は今ひとつです…映画の音声と一緒の演奏なので、ホールでももしかしたらマイクに頼る部分も多いのかも知りませんが。一度ホールでの演奏を聴いてみたいなあと思っていますが。
野外の開放感からか、はたまたコンサートでなく映画を見に来ている気分なのか、観客は結構うるさいです…(汗)エンドロールの途中で帰ってしまったりも。(演奏続いてるのに!)
でも映画の場面に合わせて拍手が起きたり歓声が起きたりするのは楽しいとも言えます。私は正直もうちょっと落ち着いて演奏聴きたいですけど(^^;)

ちなみに来年はフィラデルフィアでRotKをやるのではないかと思われるので、万一行きたくなった人がいた時のためにフィラデルフィアの会場への行き方・帰り方について。
フィラデルフィアの会場であるMann Centerは、フィラデルフィアのダウンタウンからは比較的近い公園内にあるのですが、アメリカらしく交通機関がなかなかありません。車があればどうってことはないのですが…(でも駐車料金すごく高いらしいです(汗)
シャトルバスがダウンタウンから出ていますが、行きは到着が開演15分前とギリギリでちょっと心配…(渋滞もあるでしょうし)
ということで、私は路線バスで近くまで行って歩きました。38番のバスとかが会場の近くまで行きます。
しかし路線バスにありがちですがどこで下りるのかすごくわかりづらいです…昨年は運転手さんが教えてくれたので何とかなりましたが、親切でない人だと教えてくれないこともあり…
今年はgoogle mapのオフラインマップをDLして行ったので助かりました。オフラインでも現在位置表示されるんですよね。
帰りはシャトルバスで帰るのが楽ですが、こちらはバス停についてもどこのバス停だか全然教えてくれず…(汗)しかも行きの路線図と違う行き方するんですよね。昨年は乗客も軽くパニックでした(^^;)今年オフラインマップで確認しながら乗っていたところ、一旦行きの出発地点まで行って、そこから行きの順番に回っているようでした。(ただし一方通行もあるので全く同じではないという…)もしシャトルバスで帰る場合は、オフラインマップ必携かも(^^;)
(ところでこのサイトのシャトルバスのルートマップ、前よりわかりやすくなってる…評判悪かったのかな(^^;)

という訳で、サントラ生演奏上映のお勧めになったかわかりませんが(^^;)こんな感じですよ、というご紹介でした。
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PJ映画における17年ギャップ問題(?)について

2016年06月21日 | 指輪物語&トールキン
またしてもTolkien Writing Dayの参加で久々に記事を書いています…

PJ映画での大きな改変の一つとして、この「17年ギャップ問題」があると思います。(勝手に命名してます…)
原作ではビルボの111歳の誕生パーティーからフロドの旅立ちまで17年あるのですが、映画ではこの17年がすっ飛んでしまって、フロドが33歳のまま(多分)旅立ってしまっているので、17年のズレが生じてしまっているのです。
(ここではフロドがすぐに旅立ったと仮定して17年としていますが、実際には1年後とかだったりする可能性もありますね…面倒なのでここでは17年ということにします。)

この改変のおかげで色々ややこしいことになっていると思うのですが、映画ではそのあたりの設定し直しとか一切言及されてませんね…もう辻褄が合わなくなってしまうから敢えて触れてないのだと思いますが(汗)
ファンも、この17年ギャップのことは敢えて考えないようにしている方が多いのかなという印象です。
ホビットの映画化が決まった時に、「裂け谷にエステル10歳がいるのでは!」と言っている方が多かったのですが、私は「いや17年ズレてるから、アラゴルン27歳でもう野伏生活してるんじゃ…」と思ってました。
実際、BoFAの最後にスランドゥイルがレゴラスに、北のレンジャーの長に会うように、と言っているところから、やはりアラゴルンは既に野伏として活動しているようなので、やっぱり27歳だったんじゃないかな?と思いました。
このあたりをちょっと整理してみたいかな、と思って今回の記事を書いてみることにしました。
(別に映画の設定の改変をフォローするわけではないんですけど…(^^;)

年表にあてはめるととてもややこしくなるのですが、そうでもしないと説明のしようがないので、仮に年表を作る作業をしてみたいと思います。

まず、フロドの旅立ちを17年ずらすのですが、17年動かさなければならないものの方が少ないので、後ろにずらしてしまうと楽なのですが、そうするとさらにややこしくなってしまうことが判明したので、とりあえず17年前に動かすことにします。
ビルボの誕生パーティーが3001年、フロドの出発が原作だと3018年ですが、映画ではフロドの出発も3001年とします。
ここで「17年前に動かない=他のものと17年ずれて来る」のは、まずビルボとフロドの生年月日です。3001年にビルボ111歳、フロド33歳でなければならないからです。
そしてもう一つ、五軍の戦いも「動かない=17年ずれる」ものになります。なぜなら、映画でしっかりと「60年前」と字幕が出てしまってますので…ビルボ51歳の時でなければならないのです。
(ここでふと、もし映画のビルボをフロドみたいに若くしたら、年号いじらなくて良かったのではと思ってしまいました。いやマーティンビルボが絶対良かったですけど)

ほとんどのLotRに出て来る登場人物は、生年月日が17年前にずれます。アラゴルンはTTT SEEで87歳と明言していますから、五軍の戦いの時には-60歳で27歳ということになります。原作からは+17歳、生年月日も17年前にずれることになります。
メリピピ、サムは生年月日が17年早くなることで、誕生パーティーの時の年齢=出発時の年齢になります。(映画の彼らの年齢が原作と同じとして)

また、先日さやうぇんさんがおっしゃっていて気付いたのですが、原作では五軍の戦いの時のゴンドールの執政はトゥアゴンなのだそうですが、映画ではエクセリオンであることが明言されています。
原作では五軍の戦いは2941年、エクセリオン二世の治世は2953年からです。
五軍の戦いを基点にエクセリオンの治世を17年前にずらすと、2936年となり、エクセリオンの治世ということになるのではないでしょうか。映画でそこまで考えていたのかどうかはわかりませんけど…(汗)

余談ですが、アラゴルンがソロンギルとして活動?を始めたのが原作では2957年、17年ずらすと2940年となります。ということはもうこの頃にはソロンギルと名乗っていた?スランドゥイルの話しぶりではまだレンジャーとして活動していそうなので、このあたりは少し年数ずれるのかもしれません…またややこしいことに(汗)
しかし、いずれにしても映画では五軍の戦いの時点から近いうちにアラゴルンがソロンギルを名乗るのだとすると、やはり五軍の戦いの時点でエクセリオンの治世になっているというのは整合性があるかなと思います。


さらに余談ですが、映画ではセオデンがアラゴルンがセンゲルと戦ったことを覚えていて、アラゴルンがそれを「よく覚えておいでだ。まだほんの子どもだった」と言っています。
セオデンの生年月日を原作どおりにして17年前にずらすと、五軍の戦いの時点で11歳ということになります。11歳は「よく覚えておいでだ」と言われるほど子どもですかね…
原作だとセオデンはベレンノールの時点で71歳ということになっていますが、映画のセオデンはそこまでの年齢には見えませんでした。
セオデンに関しては、更に5、6年生年月日をずらして、ベレンノールの時点では60代とするのが妥当かな、と思っています。そうすると五軍の戦いの頃はティルダと同年代か少し下くらいかな、とか。

あと、五軍の戦いに出て来る登場人物は、五軍の戦いの時点の年齢を基点にするので、たいていは「生年月日が17年動かない」ことになると思います。
映画の年齢が原作と違いそうな人物は、映画の年齢を基点にすることになるでしょう。
ここで一つ例外が。ギムリの生年月日を17年前にずらすと、五軍の戦いの時点で79歳になります。キーリ(77歳)より年上になってしまいます。
これだと「若くて連れて行ってもらえなかった」という理由と合わなくなるので、ギムリの生年月日も「17年動かさない」方になるのかなと。ということはギムリはLotRの時点で17歳若い122歳になるわけですが、これはそんなに違和感ないかな?

そして「ホビット」に出て来る人間たち、バルドとバインについてです。
バルドもバインも原作で年齢は明らかにされていませんが、原作では指輪戦争の際にはバルドの孫のブランド王が谷間の国を治めていたことになります。
パインはホビット映画の時点で12、3歳かな?と仮定すると、60年後には72、3歳。まだ生きていてもおかしくないですね。まあもう少し若くして亡くなっているかもしれませんが。
バルド、パインについては、生年月日の調整よりも、在位年代が変わって来る感じかもしれませんね。映画では出て来ないから考えなくて良いかもしれませんが。

こうして考えると、エルフは17年くらいはどうとでもなるので楽ですね…(笑)

あと、原作ではフロドが灰色港から旅立つのは指輪棄却から2年後で、エラノールが生後半年ですが、映画ではエラノールが2、3歳、サムの第2子のフロドも生後数か月のようなので、4年後くらいですかね。ここでも年数ずれてきますね。
そして、トーリンの年齢が若くなったことで、スマウグのエレボール襲来が一体何年になったのか、というのは、もう説明つかないですね…

という訳で、映画の17年ギャップに整合性を持たせる試みでした(^_^;)
本当は年表を図にしたら少しはわかりやすいと思うのですが、技術的にも時間的にも間に合いませんでした…いつかこっそり年表添付するかもしれません…
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トールキンにとってのドワーフ(とホビット)

2016年04月06日 | 指輪物語&トールキン
Tolkien Writing Dayの企画参加で書いた記事です。(最近こんなことでもないとブログ更新しなくなってますが(汗))

ここ数年ずっと気になっていたことなんですが、ちょっとまだ私が書くのは早いかなと思いつつ、そんなこと言ってると永久に書けないので、見切り発車で書いてみることにしました。
ちょっと各方面で炎上しかねない内容かもしれませんが…(^^;)
しかも、この内容を考えている最中、昨年猪熊葉子辺見葉子先生の講座でトールキンのドワーフの変遷のような内容があったそうで…それ聞いてないでこんなもの書いていいのかというのもありますが(汗)
HoMEにもドワーフについて書かれたものあるみたいだし、本来なら原典にあたってよく調べてから書くべきところなんでしょうが、あちこちから入って来た情報の切れ端から思いついたことを書いてますので、そのあたりもお含みいただければと…(最初から逃げ口上(^^;))
あと、昨年参加させていただいた(というか用意していただいた訳文を読んでただけですが…)HoME読書会のアスラベスの回が今回の内容を考えるにあたって非常に参考になりましたので、申し添えさせていただきます。

トールキンのドワーフの扱いがひどい(?)ということは、ホビット映画公開以降、ドワーフ好きの方々からよく聞かれるようになったように思います。
私も、トールキンは指輪物語→ホビット→シルマリルの順で読んだので、特にシルマリルの第一紀のドワーフの扱いには「えっ?」と思ったものです。(シルマリルはエルフ視点で書かれているから、という意見もありますが…)
そもそも、ドワーフはアウレがこっそり作ってしまったというのがすごい設定だなと…。最初に読んだ時は「ふーん」と思った程度でしたが、トールキンについて、特に敬虔なカトリックであることを知ってからは、これひどいなと。だって「神の子」じゃないわけですよ……。
どうしてトールキンがドワーフにこんな仕打ち(汗)をしたのかと考えるに、ドワーフの性質のことが思い当たります。
金銀財宝に強い欲望を持ち、受けた仕打ちは決して忘れずに復讐心が強い。ドワーフのカッコいい部分でもありますが、キリスト教精神から言うと、あまり誉められた性質ではないなあと。(キリスト教について詳しく知っているわけではないのでイメージですが)
悪ではない、けれどその性質は必ずしも誉められたものではない、ということで、エルが作ったのでない、という設定にしたのではないかと…。
ではなぜわざわざそんな存在であるドワーフを登場させたのかということですが。
トールキンのドワーフの名前が古エッダから多く取られているのは良く知られています。私は北欧神話やケルト神話に詳しくはないですが、トールキンの描くドワーフの性質、黄金への渇望や激しい復讐心などは、そういう神話・古伝承によく出て来るモチーフだと認識しています。
これは全くの私の想像ですが、トールキンはキリスト教精神からは外れると思いつつも、そういう神話に出て来る粗野なモチーフに惹かれる部分もあったのではないでしょうか…。
私が初めてアザヌルビザールの戦いについて読んだ時、その凄絶さに絶句し、同時に、大きな犠牲を払いながらも鉄のように復讐を貫徹したドワーフたちに強く惹かれました。
そんなエピソードを考えたトールキン自身が、ドワーフの性質をただ神の御心に添わない良くないもの、とだけ考えていたとは思えないのですよね…。
トールキンが考える「ドワーフ的なもの」に魅力を感じつつも、キリスト教精神から言うと認められない、そんな葛藤から、ドワーフのあの設定が生まれたのではないかと。そして、初期のドワーフの扱いがひどいのもそのせいではないかなと。私は今のところそんな風に考えています。

ここでちょっと話が逸れますが、それではホビットは何なのか、ということですが。
ホビットについては謎が多く、はっきりエルが作ったという記述は残っていないようですが、まあ逆にエル以外が作ったというのは考えにくいので、エルが作った、と考えて良いのかなと。
ただ、理想の神の第一子であるエルフ、それを引き継ぐ運命を持った人間(このあたりアスラベスに出て来た内容から拝借しています)、というようなドラマチックな運命は、どうもホビットには与えられていないように思います。
ホビットと言えば、素朴で、賢くはないし、諍いもないわけではないけれど、基本盗みも殺人もない平和な世界に生きている種族です。
これも私の想像ですが、トールキンにとってのホビットは、キリスト教精神に照らして庶民レベルで理想的な存在、なのではないでしょうか。「神の存在を知る前の素朴な存在」という感じかもしれません。
そんなホビットの中から、西に向かうことを許された、ビルボ、フロド、サムは、ホビットの中から出た聖人のような存在なのではないかなと思います。

「ホビット」では、そんな存在であるホビットとドワーフが一緒に旅をします。ビルボは最初は理解できないと思っていたドワーフたちにいつしか親愛の情を抱くようになり、ドワーフたちも次第にドワーフとは全く違うホビットであるビルボを受け入れ、尊敬するようになって行きます。
その最高潮が、トーリンとビルボの別れの場面にあると思います。
スマウグの黄金に心乱されたトーリンは、最後の時になり、こう言います。
「わしはもう、ありとある金銀をすてて、そのようなものの役立たぬところへおもむくのじゃから、心をこめてあなたとわかれたいと思う。―もしわしらがみな、ためこまれた黄金以上に、よい食べものとよろこびの声と楽しい歌をたっとんでおったら、なんとこの世はたのしかったじゃろう。-」
キリスト教精神から離れた存在であったドワーフが、ホビットの存在によってキリスト教的な価値観に目覚める場面、とも言えるように思います。(異論のある方もいらっしゃると思いますが…(^^;)
五軍の戦い以降、ドワーフの間ではビルボは尊敬される存在となります。そしてそんな風にビルボが尊敬されるようになって以降成人した若いドワーフたちの中から、ギムリが登場する訳です。(ドワーフの成人何歳かよくわかりませんけど…)
ギムリはビルボの行いについては良く知っていて、ビルボに対してもホビットたちに対して既に敬意を持っていました。(フロドたちについては、尊敬というよりも護らねばならない存在と思っていたようですが。)
そんなギムリは、一人異種族の中で旅をするうち、奥方を崇拝し、レゴラスやアラゴルンと友情を結ぶなど、ドワーフとしては驚くほど開放的な存在となります。
そのギムリに、奥方はこんな預言をしています。「そなたの手には黄金が満ちあふれるでありましょう。しかもそなたは黄金に心を奪われることはありませぬ。」と。
確かに、「指輪物語」本編の中で、ギムリはドワーフの性質としての金銀財宝への欲望というものをほとんど見せません。最初に「指輪物語」を読んでいたので、その後「ホビット」やシルマリルのドワーフの性質を知って、逆にギムリの財宝に対する潔癖さ?に違和感というか不思議な気もしていました。
これは、ギムリが、自らの種族の殻を破り、他者を受け入れることによって、ドワーフの運命の呪縛から解き放たれた、ということにはならないでしょうか。
ギムリがドワーフとしては異例として西に渡ることを許されたのも、そのためということも考えられるんじゃないかなと思うのです。トールキンにとってのドワーフの完成形?がギムリなのではないかと。

というのが、今の時点で私が考えるトールキンにとってのドワーフ像とその変遷、です。
結局はギムリ最高、という結論になっているような気がしなくもないですが…(^^;)
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