ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

久々にTTTを見て

2004年07月04日 | 旧指輪日記
最初にサントラ関連の話です。Meet Howard Shoreのイベントレポでもちょっと書いていましたが、Music from the MOVIESのLotRサントラ特集号が7/2に発売になったようです。こちらで購入できますよ。
昨日シネプレックスわかばでTTTを見て来ました。一度DVDで見ているんですが、大画面で集中して見て、かなり以前と印象が違っている部分があるのにびっくりしました。
一番驚いたのは、RotKを見る前には違和感があった場面が、そんなに違和感なく観られるようになっていたところです。もっと具体的に言うと、TTTではどうも原作との違いがしっくり来なかった人物について、以前ほど違和感を感じなくなったというか。
まずはエオウィンですが、SEEの追加シーンの、アラゴルンに「女子供の世話をしろと言われた」と詰め寄る場面、以前はなんだかベタな愛の告白シーンに見えて好きになれなかったのですが、今回は素直に観られたばかりか、エオウィンがかわいく見えました。これはRotKのエオウィンを見て、映画でも戦いたいと思っていたのは決してアラゴルンへの恋心のためではなかったのだ、というのがわかったから安心して見られたのかも。
ファラミアのオスギリアスの回想も、なんだか映画のファラミアにもすっかりなれたみたいで(汗)デネソールにしても、「映画ではこの人たちはこういう人なんだ」と割り切れるようになったみたいです。
そして一番びっくりだったのは、サムのアイゼンガルドでの長口上にそんなに違和感を感じなかったんです。RotKを見てしまった後に見ると、「サムってあんなだよな」となんか納得できてしまったようで(汗)ついに私も映画のサムは原作とは別人、と割り切れるようになったようです。
しかし一方で、RotKを見る前にはあまり違和感を感じていなかったフロドとゴラムに違和感を感じるようになってしまいました。ゴラム、TTTであんなにかわいそうに描いておいて、RotKではあんななんだよなあ・・・と思うと、素直に見られなくなってしまいました(汗)
そしてフロドは・・・改めてTTTではなんて影が薄いんだ、と思いました(大汗)TTTのフロドはRotKのフロドの苦悩を前倒ししているのだとずっと思っていましたが、前倒しにした分RotKでどうなったかというと・・・どうなんだろう、うーん(汗)
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ガンダルフのこと(続き)

2004年07月02日 | 旧指輪日記
昨日は灰色のガンダルフが愛しいと書きましたが、映画の白のガンダルフも好きです。ビジュアル的にもカッコイイし(笑)何よりも、せっかちで傍若無人なところが原作のガンダルフに近いように思えて好きです。イアン・マッケランの灰色のガンダルフは、慈愛に満ちた人格者という面が強調されていて、「変幻自在でよくおこる」魔法使いな面がちょっと物足りないなあと思っていたもので。
それだけでなく、映画で白のガンダルフを見ていると、なんだか悲しくなってしまうのです。
昨日、白のガンダルフは灰色のガンダルフとは別人格の別人だと思うと書いたのですが、でも一方で、灰色のガンダルフと同一人物であるということもまた真実なのだと思ったりしています。上手く書き表せないのでちょっと矛盾しちゃうのですが(汗)
灰色のガンダルフはモリアで死んで、イスタリとして遣わされて中つ国で長い時を過ごしてきた「灰色のガンダルフ」の生はそこで終わったのだと私は思っています。新しく送りなおされた白のガンダルフは、灰色のガンダルフが遣り残した使命を果たすため、束の間中つ国に遣わされたのだと私には思えました。使命を果たしたら中つ国を去る前提で、わずかな間だけ中つ国に、仲間たちのもとに戻って来てくれたのだと。
そう思わされたのは、TTTでのローハンの厩でのガンダルフの「今は時間がない」という言葉でした。ああ、ガンダルフは戻って来たけれど、それはわずかな間だけなのだな、と・・・決然として迷いのない、けれど愛情深いところは変わっていない白のガンダルフの姿を見ていると、やはり「もうすぐガンダルフとはお別れなんだ」と思ってしまって、時々ヘンなところで涙腺が緩んでしまったりします(汗)
そんなガンダルフが、戴冠式でアラゴルンに見せる「御世に祝福を」という言葉と静かな笑顔、そして灰色港でホビットたちに見せる優しい笑顔と「Farewell, my brave hobbits」という言葉、フロドに差し伸べる優しい手・・・。
灰色港では色々なことが悲しいですが、ガンダルフとの別れは最も悲しいことのひとつです。永い間中つ国を見守り、ホビットたちを見守ってきたガンダルフがついに中つ国を去ってしまうということも、エルフたちが行ってしまうこと以上に「大いなる時代」が終わってしまうことの象徴なのだな、と思ったりします。
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ガンダルフのこと

2004年07月01日 | 旧指輪日記
最近、コンサートでも先日見たFotRでも、妙にモリアで泣けてしまって、どうしてかなあと考えるに、やはり灰色のガンダルフとのお別れが近い、と思ってしまうからなんだろうなあ、という結論に達しました。
物心ついた時からお話の中で死んだ人が生き返るというのが許せなかった私は、「指輪」でガンダルフが復活することについてずっと考えていました。
PJ映画とイアン・マッケランのガンダルフの解釈は、かなり私のガンダルフ解釈を助けてくれました。特に、灰色と白のガンダルフの違いについて、明確に変えていてくれたのが良かったです。
そして、「終わらざりし物語」のイスタリの章を読んで、自分の中である程度ガンダルフについての解釈がまとまったかな、と思いました。
中身?がマイアのオローリンだという点では、灰色も白も同一人物と言って良いのでしょう。でも、中つ国に遣わされるにあたって、人間の肉体を与えられ、長い間中つ国で暮らす間に、元々のマイアのオローリンとはまた違った「イスタリのガンダルフ」としての人格になって行ったのではないかと思うのです。
バルログと戦った後、灰色のガンダルフは間違いなく死んだのでしょう。そして、新しい肉体を与えられ、再び中つ国に戻された白のガンダルフは、灰色のガンダルフとはまた違う人格=別人なのではないかと。
白のガンダルフは「迷いがなくなっている」というイアン・マッケランの言葉にも思うところがありました。灰色のガンダルフは、長い間中つ国の人々と共に生きて来て、中つ国の人々への愛情も深くなり、その分迷いや苦悩もあったのではないかと。フロドが指輪所持者になってしまったことについて、灰色のガンダルフは心を痛め、悩んでいたはずです。
白のガンダルフは、中つ国への愛情を失ったわけではないけれど、元のマイアとしての存在に近い段階?の存在になったのではないでしょうか。同じ視点で迷い、心を痛めるのではなく、高いところから見守る存在になったのではないでしょうか。
白のガンダルフが優しさを失ったわけではないけれど、イアン・マッケランが言うところの「迷い」を持った灰色のガンダルフの存在はとても愛しく思えます。そんな灰色のガンダルフとの別れを思うと、モリアでも、ロリアンでも、そしてネン・ヒソイルでフロドがガンダルフの言葉を思い出す場面でも、しみじみと悲しくなってしまうのです。
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ウェナムさんのこと

2004年06月30日 | 旧指輪日記
ウェナムさんとは映画でファラミアを演じたDavid Wenham氏のことです。(なんで「さん」かというのは・・・なんとなく語呂がいいので(汗))
今回「ウェナム」表記普及委員会に参加させていただくことにしたのですが、特にウェナムさんのコンテンツがあるわけでもなく、あんまり伝播?する機会もないので、ここでちょっと書いておこうと思います。
この委員会の趣旨はこちらをご覧いただければと思います。
初めて「デヴィッド・ウェンハム」という名前を見たのがいつかは覚えてませんが、英語は全然できない私ですが、「これは『ハム』とは読まんでしょー」とすぐに思ったものです。だってイギリスの地名によく「~ham」というのがありますけど、hはまず発音しないですよね。バーミンガム(Birmingham)が良い例だと思いますが。これは「ウェナム」と読むに違いないなあと言うわけで、個人的には「ウェナム」と書いたりしていました。ウェンハムと書くこともありましたが。
と思ってたところに普及委員会さんの存在を知り、微力ながら参加させていただくことにしたのでした。「ウェンハム」だと思ってると、もしかしてどこかでご本人様にお会いする機会があった時にも、呼んでも振り返ってもらえないと思いますし・・・(そんな機会たいがいないと思いますが(汗))
そんなわけで、今後はうちのサイトでは「ウェナム」で行きますのでよろしくです。まあ、あまり書く機会ないかもしれませんが・・・(汗)
そのウェナムさんですが、昨日本屋で「スターログ」にインタビューが載っていたのを見ました。「自分のフィギュアなんて気味が悪い」というような発言をしていたのには、ファラミアフィギュア買いそうになった私としては思わず笑ってしまいましたね(笑)
あと、ファラミアについていくつか語っていたことに「ほー」と思いながら読んでいました。前から思ってはいたのですが、映画での登場人物の解釈は、最終的には監督の責任だとしても、やはり演じる俳優の解釈に大きく左右されるのだなあと。
ファラミアはTTTでは意図的に改変させられていましたが、私はTTTのファラミア結構好きだったんですよね、最初から。それって原作のファラミアに思い入れがないからかなあとも思っていましたが、根底にウェナムさんの的確なファラミア解釈があったからかなあ、と思ったりしてます。
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Farewell, my hobbits

2004年06月28日 | 旧指輪日記
最近ギムリ"ホビッツに傾きがちなのですが(笑)ふと思いたって、ギムリの原作での最後の台詞を原文で見てみました。(なぜか今まで一度も観たことがなかったのです)そうしたら、「ご機嫌よう、ホビットさんたち!」という部分が"Farewell, my hobbits!"となっていて、「おおっ」と思ってしまいました(笑)my hobbitsって、ホビットたちへの親愛の気持ちが現れていて、なんかちょっとじーんとしてしまうのですが・・・。
英語のこういう場合の"my"という言葉、血縁関係でもない限りなかなか日本語に訳すと妙な感じになってしまうのは仕方ないのですが、ちょっといいなあ英語、と思うところですね(笑)
映画の裂け谷でもビルボがフロドに向かって"My lad"と呼びかけているところがあって、これは字幕だか吹き替えだかでは「私のフロド」と訳されていましたが、義理の親子だからこれはokなんですかね。
この瀬田訳では、「ホビットさんたち」という微妙な言葉の使い方が優しくていいなあ、と思います。欲を言えば、farewellは「ご機嫌よう」よりは「さよなら」とか「元気でな」とか、もうちょっとお別れの寂しさが感じられる言葉の方が良かったかなあとも思うのですが。明るい中にも、ね。
ところでこの"Farewell, my hobbits!"という言葉を見て思い出したのが、映画の灰色港でのガンダルフの台詞です。"Farewell, my brave hobbits"というあの言葉、ガンダルフの優しい顔と共にとっても好きなのですが、そうか、ギムリの台詞からもらったのかあ・・・とまたちょっと感慨深くなってしまいました。
ちなみに原作ではガンダルフはここでは"dear friends"=「親愛なる友よ」と呼びかけているのですが、絶対"my brave hobbits"の方がいいです~! 誰がここの脚本書いたか知りませんが、褒めてあげたいです(笑)
でも、そうなると、ギムリのお別れの"Farewell, my hobbits!"はSEEでも聴けない公算が強くなりましたね。かぶってしまうから。ちょっと残念だなあ・・・
そう言えば、映画のギムリはアラゴルンのことをよく"my laddy"と呼んでますよね? この"lad"という言葉のニュアンスは私はよくわからないのですが、この呼び方、ギムリのアラゴルンへの微妙な親愛の情が感じられて、ちょっといいかな、なんて思ったりします。かわいがってる、みたいな。ジョン・リス=ディヴィスがヴィゴよりも年齢が上なせいもあるかもしれませんね。
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シネプレックス行ってきました

2004年06月27日 | 旧指輪日記
今日はシネプレックスわかばにFotR SEEを観に行きました。
ネットで予約できることを知ったので、ネット予約して行きました。売り切れてはいませんでしたが、結構人が入っていたので、当日だったら前のほうとか端っことかしか買えなかったかも。何よりも、ちょっと寝坊してしまって(汗)ギリギリになってしまったので、予約しといてよかったです。チケット売り場は結構地元の人たちで混んでました。
さて、噂のシネプレックスは、確かに音がすごかったですね~。衝撃で座席が振動したりしてました~。ガンダルフの花火でまで振動してたりして(笑)ブリー村の場面も、雨が本当に降ってるような臨場感でした。
あと、アラゴルンが鹿を持ってくる場面、東劇で初めてアラゴルンの歌が結構早い段階から流れていたことを知ったのですが、今日は更に、ホビットたちの話し声も入っていることに気がついてびっくり。
一番印象的だったのは、ガンダルフがエルロンドの会議でモルドール語を話すシーンでしたね。ガンダルフの台詞よりも指輪の声が大きく聞こえて、まるで初めて見るシーンのように思えてしまいました。サントラもすごくはっきり聞こえて、いまさらながら「あ、こんなとこでこんな楽器が・・・」なんて聴き取れてしまったり。音楽聴くだけでも価値ありでした(笑)
でも、こんなに音響がいいのに、たまにフィルムの音が「ぶちっ」と切れるのがなんだかなあ、でしたが・・・もったいない。
コンサート後初めてFotR観たのですが、「カザド=ドゥムの橋」とかコンサートの方がカッコ良かったなあ、とか思ってしまいました。ショアが踊りながら振ってる場面も思い出してしまいました(笑)
内容の方ですが、今回なぜかモリアで妙に泣けてしまって(汗)一番泣けましたね。なんでだろう・・・コンサートでもモリアでかなり来たので、コンサートの影響かな、とかも思ったりするのですが・・・それとも最近の私のツボがモリアなのかな? 自分でもよくわかりません(汗)
何が来たかというと、ガンダルフがフロドに話す言葉なんですが・・・もしかしたら、灰色のガンダルフともうすぐお別れなんだ、と思ってしまったのかもしれません。
そうそう、土日の10時の回ではくじ引きでプレゼントがもらえるのですが、抽選なのかと思ったら、全員何かはもらえるみたいで。私はTTTのプレス用プログラムをもらいました♪ 来週も同じものだったら笑うな~。
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ギムリとホビットたち

2004年06月24日 | 旧指輪日記
さきほど久々にギャラリーにちゃんとした名画(笑)をupしました。キリ番ゲットでリクエストさせていただいたさやかさんのイラストです。ありがとうございました!
メリピピとギムリという、私的には一番嬉しいけれどどこでも見たことがないという組み合わせをお願いしたところ、ホビット庄にギムリが訪ねてきたという設定で描いてくださいました!3人でパイプ草ふかしているのが嬉しいですね~♪
メリピピギムリの最大の見せ場?のアイゼンガルドでの再会シーン、映画ではちょっと物足りない部分があったのですが、それにはパイプ草のせいもあったのですよね。
原作では、メリピピに対するギムリの怒りの焦点は、パイプ草だったと思うのですよね。自分はずーっと我慢していたパイプ草を、心配していたメリピピが呑気にふかしているのを見た時のギムリの脱力感&怒りは想像に余ります(笑)
でも、映画ではギムリパイプ草は持ってるようなんですよね。角笛城で戦いが終わった後も一服してたし。そこがちょっと残念です。仲良くパイプ草をふかしている3人を見ると、アイゼンガルドの再会の場面が思い起こされて嬉しくなってしまいます。
そう言えば、ずっと気になっていたのですが、ギムリはその後ホビット庄を訪ねたことはあったのでしょうか。「エレボールへの遠征」で、ギムリが「ぜひホビット庄を訪ねてみなければ」というようなことを言っていましたが。
「追補編」では、ギムリがピピンとその後も交流があったことが書いてありますが、どちらかというとゴンドールで会っていたような雰囲気があります。はなれ山からゴンドールに、その後燦光洞に移住したギムリ。ホビット庄は遠かったのではないかなあ、なんて思ってしまうのです。ギムリ馬乗らないし。
でも、さやかさんのイラストのように、ホビット庄でメリーとピピンがギムリをもてなしていたりしたら嬉しいですよね。
ただ、その時にはもうフロドはいなかったんだろうなあ、なんて思ったりも・・・ギムリの最後の台詞、「だが全員が集まることはもう二度とあるまいなあ」という言葉を思ってしまいます。
あの場面のギムリの台詞は、その前の「さあ、ホビットさんたち、これであんたたちもきっと無事に家まで帰れるよ。それで私もあんたたちの危険を気遣って夜目を覚ましていることもないだろうよ」という台詞も大好きで、映画で出てこなくて残念です。SEEではあるかなあ・・・
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指輪音楽の話再び

2004年06月23日 | 旧指輪日記

今日の写真はホリウェル通り99番地のトールキンの旧居です。前回行った時思いっきり車が停まってて上手く写真が撮れなかったので、今回はリベンジ撮影?です。古びていて上の方はゆがんでいたりするのですが(汗)赤い塗装がかわいい感じですよね。
さて、ネタもないので同じような話が続くのですが(汗)またしても指輪関連音楽の話などを。
興味はとってもあるのですが、どうも映画騒ぎが続いていてあまり聴けていない指輪関連音楽、今私が持っているのはトールキン・アンサンブルのAt Dawn in Rivendell、ドナルド・スワンのThe Road Goes Ever on、ヨハン・デ・メイの交響曲第一番のロンドンフィル演奏のオーケストラ版、ボブ・カトレイのMiddle Earth、モストリー・オータムのMusic Inspired by the Lord of the Rings、Bo Hanson のThe Lord of the Rings、そして映画のサントラとラジオドラマのサントラ、ということになります。少ないと思ってたけど、こうして書くと結構ありますかね?(汗)FotR上映終了後、ネットめぐりを始めるまでのわずかな間だけ関連音楽漁りに夢中だったもので(笑)
色々なジャンルがありますが、やはり指輪にはクラシックが一番しっくりするかなあ、と思います。ケルト音楽とかも合うかもしれませんが、あまり聴いたことないのでわかりません(汗)
「指輪」の音楽には二つのポイントがあると思います。トールキンが構築した中つ国の世界観、特にエルフの世界を音楽で表現することと、「指輪物語」のストーリーから感じられる感動を音楽で表す、ということではないかと。この双方をバランス良く表現するのはなかなか難しいことなんだろうなあ、と思います。
ドナルド・スワンの曲には完全にこの「エルフらしさ」がなくて、そういう意味では物足りなくもあるのですが、でもいい曲なんですよね。私は大好きです。
トールキン・アンサンブルは、中つ国の音楽を暗く捉えているように思えますが、そんな中でも泣けますしね・・・
ラジオドラマは、トールキンアンサンブルとドナルド・スワンの曲のちょうど中間のような印象を受けました。ちょっとドナルド・スワンよりかな・・・これもとても好きなのですが。
でも、この二つのバランスという点では、ハワード・ショアの映画のサントラが一番いいかな、という気がしています。中つ国の文化を楽器や音楽のスタイルで表現しつつ、音楽で感動させてもくれますしね。
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出てこなかった人たち

2004年06月22日 | 旧指輪日記


今日の写真は、オックスフォードの植物園にある、トールキンが愛したヨーロッパクロマツです。行くたびに(ってまだ2度目ですが、他の方の写真とか見ていると・・・)微妙にベンチの配置が違っているのですが、今回は少し離れたゆっくりと見上げられる位置にベンチがあり、足の疲労もあって30分以上ゆっくりしてしまいました。間近で見ると、細い枝の先まで皆カール?(汗)していて、そういう伸び方をする樹なんだなあと不思議な感じでした。だからこんな不思議な造形をしているのでしょうね。
BBCラジオドラマ、まだ本編聴いてないのですが(汗)各章のブックレットをパラパラとめくりつつ、キャストなどを見てみました。これによると、せっかちとベアギルが出てこないのでしょうか・・・キャストに書いてないので。うーんショックかも・・・
以前TORnでのPJ映画に出てこなくて残念だったキャラクターは、というアンケートではトム・ボンパディルとイムラヒル大公がトップを争っていたようですが、私としては一位ベアギル、二位せっかち、なんですよね。(TORnのアンケートではベアギル最下位だったような・・・(涙))
どちらも映画に出なかったのは残念ですが、まあ仕方ないよなあとは思います。せっかちの台詞なんかは木の鬚に言わせてしまえば、と私が脚本だったとしても思ったでしょうし(笑)ベアギルは、ベレゴンドすら出ないのでは仕方ない、というところですが、ワンシーンでいいから出てくれたら嬉しかったのになあと思います。でも、ラジオドラマには出てくれるかと思っていたので、もし本当に出てないならとてもショックです・・・
しかし、よく考えてみたら、ラジオドラマって13時間分なんでしたっけ? 映画よりずっと長い、というイメージでいたのですが、PJ映画だってSEEなら11時間近くで、実は2時間くらいしか違わないんですね。
なんだか意外な気が・・・(2時間は大きいかもしれませんが)なんだかんだ言っても、あれだけの長さをかけて「指輪」を映像にしてくれた、ということはすごいことかもしれませんね。3時間で3部作全てを網羅しようとしたら、ただ筋を追うだけの作品になってしまっていたでしょう、きっと。あれだけ長いからこそ、メリピピやギムリもちゃんと(映画なりにですが(汗))描いてくれたんですよね。短い時間の中でだったら、彼ら(特にギムリ(汗))が真っ先にカットされていたでしょうから・・・
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30000hit御礼!

2004年06月21日 | 旧指輪日記

今日の写真はオックスフォードの聖メアリー教会の塔からの風景です。真ん中の塔がある建物がエグゼターカレッジのチャペルです。左手の大きな木があるあたりがトールキンが学生時代をすごした部屋がある建物だと思います。
前回混んでいて上れなくて今回リベンジだったのですが、思ったほど高くなかったです(汗)そして、塔の階段がとても狭いので、混んでいる時に順番待ちするのはかなり辛いかと・・・この程度の高さなら、シェルドニアン・シアターからでも眺められる、というのは丸面さんに教えていただいた耳より情報?です。聖メアリー教会が混雑していたらぜひこちらでどうぞ。私も今度行ったらそちらに挑戦してみたいと思います。
さて、昨日カウンターが30000を超えました。開設当初は年に10000も回ればいいかな、と思っていたので、2年経たないうちに30000hitというのにびっくりしています。まあ、RotK公開時の盛り上がりのおかげなのですが。
好き勝手なことを書きなぐっているだけなのですが、こんなにたくさんの方に来ていただいたのだなあと思うと、ありがたいというかお恥ずかしいというか・・・(汗)月並みな言葉ですが、いらしてくださる方々、そしてリンクしてくださっているサイトの皆様方に感謝、感謝です!
それから、1ヶ月近く経ってしまいましたが(汗)Meet Howard Shoreのレポートをupしました。レポートとしてはどうってことない・・・というか、トランスクリプトの要約が主だったりしてしまったのですが(これも英語聞きとれなかったがために・・・)、インタビューの内容が面白かったりしたので、英語のスクリプト読むの面倒くさい、という方はお読みいただくと面白い話もあるかもしれません。(誤要約している場合もありますので、正確には原文のスクリプト読んでいただきたいですが・・・)
しばらくコンサートで盛り上がっていましたが、ラジオドラマの音楽を聴いたら、また原作よりの気分になって来ました(汗)やはり、映画では全然イメージ違ってしまったエント絡みの音楽で泣けてしまうんですよね。トールキン・アンサンブルのクリストファー・リー様演じる木の鬚も良かったですが・・・PJ映画でも、TTT SEEの木の鬚がエント女の詩を詠む場面は良かったですけどね。あそこの音楽も大好きです。
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