ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその5

2006年08月31日 | 旅行
ようやくトーマス・マンめぐり最終回です(笑)
ミュンヘン2日目の最後に、見つけられなかったプレートがあるはずの家の場所を確認するため、日本語okのネットカフェに行きました。
ここで確認して、当時の番地とは違っていることが判明。現在の番地を確認し、ついでに1軒漏れていた家も発見し(笑)翌日リベンジすることにしました。いやしかしネットって便利だ・・・
しかしどうもここのネットカフェの冷房で風邪を悪化させた気が・・・(汗)

明けて3日目、なぜかまた熱が上がっているような感じで、フラフラしつつもでかけました(汗)
まずは1軒漏らしていたBarer Str.69番地の家に。割と宿の近くの通りでした。

1階はカフェでオシャレなシュヴァービングらしい雰囲気です。
この家には1898年5月から11月まで住んでいました。

続いてプレートリベンジ編に(笑)
まずはフランツ・ヨーゼフ通りの家です。ここは25番地のはずが2番地になっていました。番地が変わったのか・・・?

この家には1905年から1910年まで住んでいました。結婚して移り住んだのですね。この家でエーリカ、クラウス、ゴーロ、モーニカの4人の子供が生まれています。
トップの写真はこの家にあるプレートのひとつ。トーマス・マン、カーチャ夫人、この家で生まれた4人の子供たちの当時の肖像が、カラフルな色で描かれています。なかなか素敵なプレートなのですが、この後生まれた子供たちが入っていないのがかわいそう(汗)

こちらはもうひとつのプレート。当時の家の写真?です。やっぱり全然変わっちゃってるんですねえ・・・

もうひとつのプレートリベンジ編、Feilitzhch Str.の家です。

ここは、もともと5番地だったのが現在は32番地になっているそうです。右側がプレートですが、ここにちゃんと番地が変わったことが書いてあります。
この家には1899年から1902年まで住んでいました。ここに住んでいる時「ブッデンブローク家の人々」が出版されたのですね。
この家では母ユーリアと一緒に住んでいたもよう。ユーリアが文化人を集めてサロンを開いていたそうです。

というわけで、ようやくトーマス・マンめぐり終了です(汗)
いやでも、こうやって旧居を求めて街中を彷徨うのはなかなか楽しいのですよね。
住宅街を歩くわけなので、その街の素顔?を見ているような気がして。
ただブラブラするだけなら通らなかっただろうな、というような場所にも行ったりしますしね。
オックスフォードのトールキンめぐりで味をしめた旧居めぐり、結構楽しいのでまたやりたいかなーなんて思ったりして(笑)
まあ、そこまでして旧居をめぐりたい作家もあまりいませんけど・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ソウル・ドラマ・アワードの授賞式にゴラムが出席!?

2006年08月31日 | 指輪物語&トールキン
なんか怪しいスポーツ新聞の見出しみたいなタイトルですみません・・・(汗)
しかも指輪カテゴリーでいいのかどうかも微妙な内容なんですが(汗)
26日(火)にソウルで第一回ソウル・ドラマ・アワードというものが開かれたそうです。日本からも草剛が主演した「海を越えたバイオリン」が受賞したとかで一部芸能ニュースでも報道されていましたね。
この賞、どういうものかよくわからないんですが、韓国で放映された、海外制作のものも含めたドラマを対象とした賞、なんですかね。
その授賞式の映像を妹がネットで見ていました。なんで見てたのかと言うとお目当ては剛くんではなく(笑)台湾アイドルF4の一人ジェリー・イェンが男優賞のプレゼンターをしていたのが目当てだったのですが。
その男優賞発表の映像を見ていた妹が「この人見たことない?」と訊いてきたので、見ると、白人男性が映っていました。んー、確かに見覚えあるなあ・・・誰だっけ? とクレジットを見るとMichael Therriaultと・・・んん? この名前ってもしかして・・・
確認してみたらやっぱりそうでした。トロントの指輪ミュージカルでゴラムを演じていた人だったのです!
なんでもカナダで作られた「平原の人」とかいうドラマでの受賞だそうで・・・男優賞には剛くんもノミネートされていたようですが、マイケルさんが勝ったのですね。
いやしかし、指輪ミュージカルのゴラムってこんなだし(汗)あの舞台で顔を覚えていたわけではないですね(汗)
多分、その前にブロードウェイの「屋根の上のヴァイオリン弾き」でモーテルをやっていたのを見て覚えていたのかもしれません。たまたま見てたんですよね。
まあ、その後にプロフィール写真なども見ていたわけですが。
しかし、そうすると妹が見たことがあると思ったのは気のせいだったんですね~(汗)妹はどちらも見ていないので。
この時のプレゼンターが身長180cmのジェリー・イェンと、並んでいてほとんど同じくらいの身長に見えた(汗)キム・ソナだったのですが、彼らと並んで明らかに小さかったマイケル・テリオルトさん(汗)ゴラムは今イチ身長不明な歩き方でしたが、ちゃんとホビット役者サイズなのが確認できました(笑)モーテルの時小さかったかどうかはあんまり記憶ないのですが・・・
なんて思いつつTORnを見ていたら、トロントの指輪ミュージカル、閉幕の9月3日を20ドルの格安で見られるとか。プレビューを割引なしで見た身としては複雑ですが・・・
なんて思いながら気がつきました。あれ、まだトロントでは指輪ミュージカルやってたんじゃん。マイケルさんどうやってソウルまで来たの???
既に日程表がわからないのであれですが、月曜は休演だったと思うけど、26日も休演だったのかなあ?
時差が15時間くらいあるはずなので、26日の夜にソウルを発って26日の開演に間に合うようにトロントに戻ることも可能かもしれないけど、そんなハードスケジュールでゴラムを演じられるとも思えないなあ・・・
休演じゃなかったとしたら、ゴラムはアンダーの人が演じたとか? ゴラムのアンダーいたかなあ・・・というかその日だけアンダーでも客がかわいそう・・・というかそこまでして授賞式に出るか? 賞獲れるって事前に判ってて言ったのかなあ、なんて勘ぐったりして。
まあどうでもいいと言えばどうでもいいことなんですが(笑)
それにしても、たまたまジェリー・イェンがプレゼンターな部門でマイケル・テリオルトさんが出てきたという偶然(そうでなかったら妹が映像を見ることもなかったでしょうから)が面白いなあと思ってしまった一件でした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

メリーは山が好き?

2006年08月30日 | 指輪物語&トールキン
最近他所様からのネタ拝借ばかりですが(汗)いつもHoME読書の感想などで楽しませていただいているえるさんのブログで興味深いお話を読ませていただいたので、ちょっとネタにさせていただこうかと・・・(笑)
えるさんはHoMEシリーズのThe Histoy of the Lord of the Ringsを読んでらっしゃって、今はセオデンたちが馬鍬砦に到着するあたりのことを書いてらっしゃいます。
その中で私の目が留まったのはもちろん(!?)メリー絡みの話題です(笑)
セオデンたちと馬鍬砦に向かう場面の下書きで、メリーが「山が好きで山に強い関心を抱いていた」ということが書いてあるのだそうです。
このメリーが山が好きという記述、完成した本編にも出てきましたよね! 私はとても好きな部分なのでしっかり覚えてます(笑)
原作ではこうなってますね。
かれは山々を愛していました。それとも遠いかなたからもたらされた物語の周辺に連なる山々を頭に思い描くことを愛していたのです。しかし今は中つ国の支えきれぬ重さに圧倒されてしまいました。かれは静かな部屋の暖炉のそばにこもり、この無限な大きさを閉め出してしまいたいと切に望みました。
この下書きでは単にメリーが山が好きで興味がある、ということが書いてあるようなので、この最初のアイディアから、メリーの心細い気持ちを表す見事な文章に進化させたなあ、と思います。
しかし、それにしても意外だったのは、メリーが山が好きというアイディアがこんな早い時期から書かれていた、ということです。
この下書き、まだアラゴルンたちが死者の道に行くという話もないし、エオウィンはまだ「アラゴルンと結婚するか戦死するか」というアイディアだった頃に書かれているものだそうです。確かアルウェンもまだ出てきてないのでは?
そんな話が定まっていないころからメリーと山の記述があったなんて、びっくりでしたね~。
下書きの様子だと、どうも山の様子を描写するのにメリーをダシに使ったのかなという気がしないでもありませんが・・・(笑)
でも逆に、そんな使われ方をしているのだとすると、このメリーの「山が好き」という気持ち?はトールキン自身の山への思いを反映しているのかな、なんて思えたりしました。
このあたりのシーンではメリーが主人公というか、主にメリーの視点で話が進みますから、それも当然のことかも。
トールキン自身もそんなに高い山がない土地で育っていますから、高い山への憧れというものはあったかもしれませんね。
「J.R.R.トールキン-或る伝記」によると、トールキンは若い頃、家庭教師をしていた一家のお供をして欧州旅行をし、その時にアルプス登山をしたりしているそうです。その時の落石に会った経験が「ホビット」のドワーフたちの落石のシーンの元になっているのだとか。さすがにドワーフたちみたいに一緒に山を転がり落ちたりはしなかったですが(笑)
もしかしたら、完成版のメリーの山々に関する憧れと、実際にその懐にやってきて感じた「重圧」は、トールキンが初めてアルプスを見た時の気持ちが元になっているのかもしれないな、なんて思いました。そのあたりを上手くメリーの孤独感と結びつけてあのような文章にしたのだとしたら、お見事ですねえ。
メリーにはローハン語とホビット庄に残る言葉の関連に興味を持ったり、色々と本を記したりと、トールキン自身が投影されている部分が結構ありますね。ピピンよりもそういう部分は多いかも? 少なくともサムよりはずっとトールキンに近いものがあると思いますが(汗)
メリーがどうも脇役というか目立たない役回りになりがちなのは、もしかしたらやや作者に近い存在だから、というのもあるかな・・・なんて思いましたが、もっとトールキンに近いと思われるガンダルフなんかは目立ちまくってますもんね(汗)やっぱりあんまり関係ないかな(笑)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその4

2006年08月29日 | 旅行
ミュンヘン2日目はミヒャエル・エンデのお墓とエンデ博物館、そしてダッハウの強制収容所に行ったのですが、とりあえずトーマス・マン・関連の話を先にまとめてupしようかなと。
エンデ博物館から帰ってきた後、ミュンヘン2日目なのにまだ市内の中心部に行ってなかったので(汗)ちょっとよって見ました。ちょっぴりですが「ブッデンブローク家の人々」に出てきたところもあるし。
トップの写真はマリーエン広場の市庁舎です。華やかな建物でびっくりしました。
しかしこの広場小さいですねー。市庁舎がフレームに納まりきるところまで下がれません(汗)
このマリーエン広場の4番地に、「ブッデンブローク」でトーニが遊びに来て泊まった友達の家があったことになってますが、4番地ってこの市庁舎の一部になっております(汗)
作中に出てくる、その4番地の家から見える広場の噴水も今あるものとは違うもよう。

こちらはマリーエン広場とつながっているカウフィンガー通り。「ブッデンブローク」でトーニとペルマネーダーの新居がこの通りにあったことになっています。
今では高級ショッピング街ってとこですねー。一等地だから仕方ないと思いますが。

こちらは有名なホーフブロイハウス。ビール飲めないし、料理まずいと評判なので入りませんでしたけど(汗)「ブッデンブローク」ではペルマネーダーも毎日のように通っていたとなっていますね。
ちなみにこの向かい側はなんとハードロックカフェです。なんだかすごい組み合わせで笑ってしまいました(笑)

トーマス・マンめぐり、いよいよ次回最終回です(笑)最初は2回で終わらせるつもりだったのが我ながら見通し甘すぎ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さようなら、いままで魚をありがとう(ネタバレ)

2006年08月29日 | 読書

「銀河ヒッチハイクガイド」の4作目。映画のおかげでめでたく初邦訳の運びとなったそうです。
1、2作目より劣るといわれた3作目の「宇宙クリケット大戦争」が結構面白かったので、これはどうかなーと思いながら読みました。
結論からいうと、そんなに面白くなかったです(汗)最後の章以外は。
なんか、途中で「興味がない人は最後の章だけ読んだ方がいい。面白いし、マーヴィンも出てくるから」と書いてあるのですが、実際最後の章はとても良かったのである意味感心してしまいました。
この話、アーサーのラブストーリーが中心ということらしいですが、ラブストーリーとしてもそんなに面白いと思わなかったし、フェンチャーチも別に魅力的なキャラクターに思えなかったし。やっぱりヒロインはトリリアンがいいよ!
と思ったらこのフェンチャーチ、1作目でちょっ出てきているのだそうです。えー覚えてないなあ。また読み直さねば。
ラブシーンの最中に何度も作者が「飛ばしたほうがいい」とか書いてるんですが、アダムスの伝記を書いた人は「読者を突き放すのはどうかと思う」と書いているそうで、訳者の安原和見さんは「アダムスの照れでは」と書いているのですが、私としてはあの作者の自らのツッコミ?がなかったら読んでられなかったかも、という感じです(汗)そういう意味ではあの書き方は正しいと思うのですが・・・?
またしても細かい小ネタは楽しかったです。時間がないのに何度もしつこく話しかけてきて邪魔するくじを売ってるおばさんとか(しかも悪意が全くないのが(笑))、電話番号書いた紙があたりくじで没収されて電話できなくなったりとか(笑)
雨の神の話も結構面白かったかな。
しかしなぜ地球が復活したのかの謎が解かれていなかったような、そう言えば。そしてなぜフェンチャーチに地球が破壊された記憶が残っているのかも。
私は単にスラーティバートファーストたちが作ってたスペアの地球なのかと思ったんですが・・・そうじゃなかったのかな。パラレルワールドの地球?
ゼイフォードがまたしても出てきませんでしたが、ゼイフォードがいない方がアーサーもフォードも活躍できますね(笑)特にフォードが。ゼイフォードが出てくるとキャラで負けてしまう・・・
私としては物語の流れ的にはこれでいいかなと思うのですが、ゼイフォードのファンには納得行かないでしょうなあ・・・
そして、最後の章というか「神の最後のメッセージ」ですが、いやーあれは上手いですねえ。素晴らしい、と思いました(笑)
マーヴィンも感動的だったし・・・
でもあのメッセージ、もうちょっと違う訳の方がいかにも工事中の看板、な雰囲気が出るような気もするのですが・・・「申し訳ありません、ご迷惑をおかけしております」だと最後のメッセージとしては時制がヘンかなあ?
「申し訳ありません、ご不便をおかけします」とかでは? うーんやっぱりちょっと違うかなあ。翻訳って難しいものですねえ、なんて偉そうに(汗)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

BBCラジオドラマ聞き返しその19

2006年08月29日 | 指輪物語&トールキン
ようやくRotKに入りました~あと少し・・・でもないかも(汗)
シェロブに刺された後の場面ですが、サムの嘆き方が本当に途方にくれていて「おらがついて行けないところに行かないでくだせえ!」というのがもう・・・かわいい! ビル・ナイ素晴らしいです!
映画のサムもマジで泣いてたりするのですが、やっぱり「旦那に置いて行かれた」度が0に等しいので(汗)、同じ台詞でも大分変わりますねえ。
しかし、その後の、引き返してフロドを追う理由が、映画と同じく「フロドが実は生きているとわかったから」なんですね・・・うーん。その方がわかりやすいのかなあやはり・・・
サムの塔の中への進入は、原作どおり特にオークと戦ってないのでok。やっぱり急に強くなっちゃって、見ている子供に「サム強え~」なんて呟かれるのはどうかと・・・(汗)
サムがフロドに聞かせるための歌は、ドナルド・スワンの曲の方が好きなんですが、ビル・ナイがアカペラで歌うといいなあ~(もうすっかりビル・ナイの虜か?(笑))
でもラジオドラマではサムが歌うだけで、フロドが答えて歌うところはないんですね~。まあビル・ナイと一緒に歌うにはそれなりの実力がいりますからねえ・・・(汗)ミュージカルにはちょっと期待してたんだけどなあ。(このシーンありませんでした)

場面変わってミナス・ティリス。デネソールに「殿、少しお休みになっては」なんて優しいことを言うラジオドラマのピピンがやっぱり好きだ~(笑)
ラジオドラマのデネソール、何度も書いてますが(汗)初めて聴いた時には映画と似ていると思ったのですが、やっぱり違いますねえ。
次第に狂気に蝕まれている様子ながら、まだ頭脳の冴えはあるデネソール。そして、「ではファラミアは失敗したのだな」と聞いたり、さりげなくファラミアを心配し、死地に追いやったことを悔いている様子が描かれているのが心憎いです。
自分の心の葛藤をピピンに向かって話しているのも嬉しいですね。実際には独り言のようなものだけれど、その相手がピピンなのが。
私のイメージのデネソールはもっと冷静で厳しく、ほとんど感情の揺らぎを感じさせない感じなのですが、ラジオドラマのデネソールもいいかなあ、なんて思えてまいりました。

やっぱりラジオドラマは楽しいです。この調子でどんどん聴きたいところですが、夜聞いてると寝ちゃうんですよねえ・・・(汗)道のりは遠いです(汗)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその3

2006年08月28日 | 旅行
さて、ここでプレートを見つけられなかった家はひとまず飛ばすことにして、シュヴァービング地区からイーザル川を渡った地域へ移ります。
実は観光案内所でもらった地図が、Uバーンや市電、バスの路線も一緒に地図上に入っている優れもので、おかげで体力のないところを上手くバスや市電を利用できて大助かりでした。
UバーンのGieselastr.駅からやや南下したところからバスの54番か154番に乗って移動しました。体力があれば、ついでにイギリス公園を散策しつつ歩いて行っても良さそうでしたが。
イギリス公園を通り抜け、イーザル川を渡ったところでバスを下ります。バス停の名前は忘れてしまいましたが(汗)
ここからMauerkircher Str.13番地の家に向かいます。

この家には1910年から1914年まで4年間住んでいます。この家で「ヴェニスに死す」が書かれたのですね。なんだか納得。主人公のアッシェンバハが住んでいたというPrinzregenten Str.から比較的近いので・・・
また、この家に住んでいる1912年にカーチャ夫人がダヴォスのサナトリウムで療養したのですね。翌年1913年にはいよいよ「魔の山」の執筆を始めたのだそうです。

そしてそのままMauerkircher Str.を進んでいくと、Poschig Str.に突き当たります。この通りの川沿いに近いはずれの1番地に、トーマス・マンが1914年から1933年の国外脱出まで住んだ家があります。ここで「魔の山」が完成され、「ヨセフとその兄弟たち」も書き始められていたのですね。

塀が高い&木が邪魔でよく見えない~、と思ったら横に回ったほうがよく見えました(笑)トップの写真が横から撮ったものです。
この家、多分トーマス・マンのミュンヘンの旧居の中では唯一原型をとどめているものだと思われます。昨年改修したそうで、今は真っ白に塗られていますが、当時は茶色の壁の家だったようです。でも形は原型をほぼ留めていると思うのですが・・・
この家はマン一家が住むために新築したものだそうで、本当は生涯ここで暮らすつもりだったのでしょうが・・・
しかし大きい家です(汗)まだ「魔の山」も書いてなかったのに、そんなに売れてたのか・・・
改修されたということは個人所有なのでしょうか。うーんどんなお金持ちなんでしょう、なんて思ったりして。

トーマス・マンの旧居であることを示すプレートです。ようやくプレートに出会えてほっとする私・・・(笑)

この家のすぐそば、イーザル川沿いの小道には「Thomas Mann Allee」という名前がついていました! これは戦後ついたものでしょうね・・・
体力があれば、きっとトーマス・マン一家も散策したにちがいないこの小道を歩いても良かったのですが、断念して宿へ戻りました。

体調悪いのに半日でよくここまで回ったもんです(汗)8時半くらいまでは明るいから、頑張って動けたというのはありますね。
歩いているうちになんだか体調も良くなってきたような気がしたし。

トーマス・マンめぐり、リベンジ分も含めてもうちょっとだけ続きます。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大衆酒場@池袋CLUE ADDICT 06.8.27

2006年08月28日 | 音楽(主に日本のHR?)
3ヶ月ぶりの大衆酒場に行ってまいりました。
会場の池袋ADDICTは新しくできたところだそうです。個人的に池袋は近くて嬉しい(笑)
しかも、今まで西口や東池袋のあたりにはライヴハウスありましたが、東口の近くというのは西武線沿線住民としては嬉しいですね~。西口まで行くだけでも結構遠いので、西口のライヴハウスはあんまり近い気がしない・・・
ってもちろん渋谷や新宿よりは近いんですけどね(汗)ローカルネタですみません(汗)
赤を基調にしたなかなかオシャレなステージでした。ちょっと小さくて、フルバンドのライヴだと耳がやられそうな音響ではありましたが・・・

開演前は、ステージ前に幕代わりに下りたスクリーンに、無料配布DVDの映像がエンドレスで流れてました。配布した意味ないのでは・・・(笑)
DVD昨日のうちに見て感想も書こうと思ったのですが、気がついたら熟睡していたので見られませんでしたけど(汗)
スクリーンが巻き上がると、珍しく既にメンバーが座ってました。今回の衣装(コスプレバンドだからとか言ってた・・・(笑))は夏らしく浴衣。男物の浴衣ばっかりこんなに揃うのってあんまり見ないよなあ・・・となぜか新鮮でした(笑)
ドラムも浴衣で叩いてるのか? と思ったのですが、後で見たら甚平でした。浴衣は無理ですよね(笑)
今回のメンバーは久々にキーボードのとーちゃんが復活。彼のキーボード好きなんですよねー。そして「春華」もやってくれて嬉しかったけど、アコーディオンやピアニカじゃなく、それらしい音のキーボードだったのが残念でした。
ゆるい雰囲気なのはいつものままでしたが、今回はいつもよりもさらに笑えたような(笑)着替えもなく、そんなに凝った趣向はなかったんですけど。むしろそれが良かったのかな?
昭和歌謡?コーナーでは「かもめが飛んだ」の最初を光雄さんが歌ったのが結構カッコ良かったなあ。
サザンとかもやったけれど(英三さんのリクエストだそうな)、歌詞を適当に替え歌にしていたのを、英三さんが後から読み上げて解説して、自分で作っておきながら「理不尽だよね」と言っていたのがいつものことですがおかしかった(笑)「季節はずれの池袋」とか・・・(笑)
あと、森高千里の「渡良瀬橋」を、光雄さんの結構地元だということで、わざわざ地元に戻って、渡良瀬橋とか歌詞に出てくる八雲神社だとか(二つあるそうです)の写真を撮ってきていました!(笑)「床屋の角にぽつんと立っている電話ボックス」を探すのには2日かかったそうです(笑)
その写真をカラオケ風に流すのですが、なぜかノートパソコンの画面をステージ前に据えて、だったので、後ろの人はほとんど見えなかったのでは・・・私もあんまり見えませんでした~(汗)
今回は英三さん作の新曲も。タイトルはなんと「大衆酒場萌え」(笑)
最初は違うタイトルだったそうですが、サビが長いので「大衆酒場○○くらいにしようよ」ということでなぜか「萌え」になったそうです(笑)
この曲、他のメンバーは2日前に聞かされたということでした・・・(笑)
始まる前から掛け声の練習があり、その時点で「どんな曲なんだ!?」状態(笑)
掛け声だけのはずが「腕振り上げようか」「両腕にしようか」とどんどんエスカレートし、最後には「大衆酒場萌え~」のところでもポーズ取らせたりとか(笑)
そんなこんなで始まった曲は、英三さんらしいというかちょっと練馬っぽいというか、なちょっと不思議っぽいポップな曲でした。結構好きだなー。
「茜色」をやる前には、いきなり「酉色」とか「西色」とか紹介するし(笑)
「春華」では、終わったと思わせてまた始まる、というパターン、今回は英三さんも袖には戻らずに居座って、口パクで一緒に歌ったりしてました(笑)
最後の「LOVE」ではボックスステップを踏むスペースはなかったけど(笑)一応スタンディングに。
最後にはメンバーが出てきて、和風に並んで正座して挨拶して行きました(笑)

次回のライヴは10月21日(土)浅草KURAWOODだそうです。わー、私行けないかも・・・アニメタルの前日だから入らないと思ってたのに~。
次々回も決まっていて、12月23日に今回と同じく池袋ADDICTだそうです!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

限定版DVD明日発売

2006年08月28日 | 指輪物語&トールキン
さて、すっかり忘れかけていたんですが(汗)明日29日にはLotRの限定版DVDが海外で発売されますね。
日本版は結局出ないのかなあ・・・出ないんでしょうね多分(汗)
日本のamazonでも今のところ取り扱いはないようです。こちらは米amazonのFotRです。英amazonでも扱ってましたね。ちゃんとリージョン2なのかなあ。
独amazonでは見当たりませんでした。少なくともドイツ語版は出ないということなのかな。とすると英語圏限定?
この限定版DVD、CEとSEEの映像が両方入っているという、どちらも持っている人にもどちらか1方だけ持っている人にも微妙なものなのですが(汗)問題は特典映像が新しいものだ、ということです。
撮影中のドキュメンタリーということですが・・・
TORnの8/24付けの記事に、特典映像の一部がリンクされています。
なんだかアラゴルンばっかじゃん、というのはさておき(笑)どうやら今までのドキュメンタリーよりもさらにくだけた感じのものが見られそうですね。
NG集までは行かないのではないかと思いますが・・・
笑顔でふざけているキャストが見られるのはいいですが(しかもキャラクターの衣装着たままでね(笑))・・・
問題はヴィゴ以外の人がどの程度登場しているか、でしょうか(笑)実はヴィゴもあの映像でほとんどだったりする可能性もあるし。(いやそれはないかな・・・(笑))
うーん、これだけのために、リージョンフリーのDVDプレーヤー買うか、英版でPCで我慢するか、で買う価値があるかが微妙なところです。
でも限定版ってからにはぐずぐずしてるとなくなるかもしれないし。
誰か見た人が感想書いてくれないかな。そのうちTORnに出るかな・・・
私も気になることは気になるんですが・・・実はRotK SEEのコメンタリーもまだ聴いてないし、キングコンプリートDVDもリンガーズも全く手をつけてない状態で、他にも買うだけ買って一度も見てないDVDが山積み・・・(ナルニアもまだ見てない・・・)
あーでもファンとしては一応買っとくべきなのか・・・買うとしても米版にするか英版にするか迷うし。うーん。
とりあえずしばらく様子見ようと思います・・・どなたか買われた方がいらしたら是非どんなだったか教えてくださいませ~
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ミュンヘンのトーマス・マンめぐりその2

2006年08月26日 | 旅行
引き続きトーマス・マンの旧居他めぐりです。
あ、やっぱり年表ちゃんと見ながら書くことにしました(汗)昨日間違って書いたところはこっそり追記しておきました(汗)

さて、Herzog通りまで北上していましたが、ここでUバーンも通っている大通りレオポルト通りを渡って東側に渡ります。
このあたりにMarkt Str.とFeilitzsch Str.の家があるはずなのですが、ここも地図に通りの名前が出ていないばかりか、通り自体が載ってなかったりして(汗)
というわけで適当にこのへん、と歩いてみましたが、見つからず・・・
気がついたらもっと南のGisela Str.についてしまいました。

この15番地の家には1902年10月から11月まで、またもや1ヶ月しか住んでません
(汗)
このGisela Str.も地図に名前が出てないのですが、Uバーンの駅名にはなってるんですよね。

Markt Str.とFeilitzsch Str.は後回しにして、ちょうどUバーンの駅も近いし、そのままUバーンで北上して北墓地に行くことにしました。
北墓地の葬祭会館?の建物は、「ヴェニスに死す」で主人公のアッシェンバハが異国風の人物をみかけ、ヴェニスに行こうと思いつく場面に出てきます。トップの写真がその葬祭会館です。映画には出てきたのかなあ。見たことあるけど覚えてません(汗)
アシェンバハはイギリス公園を横切って散歩し、帰りは市電で帰ろうと北墓地までやってきて、この建物の階段に異国風の人物が立っているのをみかけます。昔はこのあたりは市電が走っていたんですね。Uバーンが通るようになってなくなったのでしょうか。
作中の描写だと、葬祭会館はギリシア風の正十時とビザンティン風の建物で、やはりこの建物のことを指しているのだと思いますが、異国風の人物が立っていた回廊がちょっと違うかな。もっと階段が高そうな印象だし、「黙示録風の動物の彫像」もないですし。扉に書いてある言葉も違うような・・・

こちらがその回廊の入り口です。

Uバーンの通っているUngerer Str.(レオポルト通りから分かれています)にもトーマス・マンの旧居があります。番地でどの辺になるのかがわからなかったのですが、ためしに1駅南下してみました。ちょうどこのDietlindenstr.駅と、もう一つ先のMunchen Freihait駅の中間くらいにありました。

この24番地の家には1902年1月から10月まで住んでいました。この後先ほどのギーゼラ通りの家に引っ越したんですね。

そのまま南下して歩いていたら、たまたまさきほどたどり着けなかったマルクト通りを発見しました(笑)

この5番地の家には1898年11月から半年ほど住んでいました。
現在は交差しているHaimhauser通り側で番地を取っていて、6番地の住所になっています。この写真はHaimhauser通り側から撮ったんですが、マルクト通り側から撮れば良かったかな。

この近くにあるFeilitzsch通り5番地の家にはトーマス・マンの旧居だったというプレートがあるはずなのですが・・・なぜかプレートもなく、建物も映画館に(汗)あれー?
ここも後でリベンジすることになりました(汗)

トーマス・マンめぐりまだまだ続きます~
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする