ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

ブルク門

2005年09月11日 | 旅行
リューベックと言えばホルステン門が象徴と言われていますが、「ブッデンブローク家の人々」ではむしろ北側のブルク門の方がよく登場します。
トラーヴェミュンデに行くにはこのブルク門を通りましたし、ブルク門の北側には、トーニたちの祖父のクレーガー家のお屋敷や、ハンノが移り住んだヴィラなど、高級住宅地が広がり、ブッデンブローク家の墓地もあり、さらに北に行けばハンノの親友カイが住んでいたあたりにも。
ガイドブックにも出ていないので、もう門はないのかなと思っていたら、ちゃんとあるじゃん! なんで出てないんでしょうか・・・
上の写真は街の外側=北側から撮ったものです。右側の方は昔は刑務所だったそうですが、今は何に使ってるんでしょうね?

こちらは内側から。車の通りが多くて、しかもバス停が近くにあって、なかなか撮るのが大変でした・・・(汗)
しかし、この門も、本を読んで想像していたのとはかなり違う形状でした・・・(笑)
さて、次回からはこのブルク門を通ってトラーヴェミュンデへ日帰り旅行です。
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後悔先に立たず・・・?

2005年09月11日 | 読書
読書カテゴリーかどうか微妙な話題なんですが(汗)
スターウォーズの小説を取り寄せて、巻末のクローン大戦シリーズの出版順序をパラパラと見てみたりしてます。
邦訳されているものは結構少ないらしいんですが、それ以前に、小説じゃなくてゲームやコミックで発表されているものも多いんですね。
と、そこで気がついたこと・・・そう言えばN.Y.のコミックショップでSWのコミック売ってたなあ・・・なんか「アナキンの顔凶悪~」とか思いながら無視してたんですが(汗)
うーん、なんとなくハマりだして来た今となっては、買っときゃ良かったなあと・・・
今度旅行行くのはトロントとクリーヴランドなんですが、今回は時間も少ないし、上手いことコミックショップ探し出せるかどうか。N.Y.だったらもう何軒も知ってるんだけどなあ~。
その後だと、来年夏にはロンドンかアメリカかどっちかは行くと思うのですが、果たしてその時まで売ってるでしょうか・・・(汗)
まあ、その頃には自分の熱が冷めてるかもしれませんが・・・(笑)
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セオデンとメリー

2005年09月11日 | 指輪物語&トールキン
デネソールとピピンのことを書いたら、やっぱりセオデンとメリーのことも書かずにはいられなくなりましたので、書きます(笑)
今回も原作基準ということで。
セオデンのホビットへの優しさは、デネソールやファラミアよりははるかに単純なものだし、ガンダルフやアラゴルンほどの深い理解と愛情があるわけでもないと思います。
にもかかわらず、セオデンが見せたメリーへの優しさには心打たれます。
セオデンは、そもそも初対面の時から、ホビットに興味と好意を示していました。ガンダルフが止めなければ、ホビットの与太話をゆっくり聞いてしまったかもしれないのですから(笑)
セオデンの場合、ガンダルフによって心をすっかり晴らされた後で、しかも信頼するガンダルフやアラゴルンたちの仲間として認識している状態で出会っているのですから、デネソールやファラミアとはかなり状況は違います。
もうちょっと明るい状況で出会っていたなら、デネソールはわかりませんが、少なくともファラミアはもっとフレンドリーにホビットに接していた可能性はあります。
それでも、やはりセオデンがホビットに見せた優しさには特異なものがあるように思います。
一緒にいたエオメルは、最終的にはメリーに深い信頼と愛情を寄せるようになりましたが、おそらくはそれもペレンノール野での活躍があってのことだったでしょう。それまでは、特にメリーに対して愛着を感じている様子はありませんでした。
考えてみると、映画のセオデンもエオメル程度の認識ですよね、メリーに対しては。親切ですけど、特に思いいれはなく、大事に際しては二の次の存在になるという。
映画のセオデンのメリーに対する態度は、人間の男の戦士にとってはごく普通の態度だったと思います。そのあたりが、やはり決定的に原作のセオデンと違ってしまいましたね。まあその分、等身大で人間的なキャラクターになっていて、あれはあれで良かったのですけど・・・
映画のセオデンで残念なのは、メリーのペレンノール野での活躍を知ったら、メリーに対する態度も最後に変わっていたかもしれない、ということです。エオメルの態度が変わったように・・・(映画でも変わったと信じたいんですが)
まあ、エオウィンと別れをちゃんとさせてあげたのはいいと思うんですが、一緒にメリーもいちゃいけなかったのかなあ。そのあたりが残念で仕方ないんですが。
話が逸れましたが(汗)ともかく原作のセオデンは、最初からホビットに興味と好意を示して、メリーの置いてきぼりな気持ちを察し、一緒に連れて行ってあげるといいます。そして、メリーの剣を受けた後は、自分のそばにいて、話をして心を晴らして欲しいと言います。
メリーの剣を受けたのは、実は馬鍬砦まで連れて行ってメリーを保護するためだったことが後で分かりますが、それにしてもメリーをそばに置いて話を聞きたがったセオデンは、ホビットに不思議な愛着を感じていたことは間違いないと思います。
なぜセオデンはホビットに愛着を感じたのか。それは、「話をして余の心を晴らして欲しい」という言葉に集約されているように思います。
セオデンにとって、瓦礫の中で陽気に笑っていた小さな人たちは、今自分が置かれている厳しい状況とは全く違う、平和な暮らしをしている平和な種族、平和そのものを象徴しているような存在に思えたのではないでしょうか。
セオデンもまた、ファラミアと同じく、ホビットの生き方に一種の憧れを感じたのではないかな、と思います。これもまたファラミアと同じく、自分は決してそのようには生きられないし、またローハンの王であることを捨てるつもりもないと思いながらも。
ファラミアとの違いは、セオデンはさらにホビットを「自分たちが守るべき存在」と思ったのではないかと思います。自分たちが戦って守る平和そのものの象徴のように。
最期の別れで、メリーに幸せに暮らして欲しいと言い、パイプ草をふかす時には自分のことを偲んで欲しいと言った言葉に、セオデンのホビットに託した希望を感じるような気がします。
映画では、馬鍬砦でエオウィンに似たようなことを言っていますが、あれは実際に娘同然のエオウィンに対する愛情の言葉でもあるので、ちょっと意味合いは変わるかなあと思うのですが・・・でも根本は同じかな。愛する守るべき者たちが幸せに暮らすために自分は戦いに行くのだと。
でも残念ながら、セオデンは最期に際しても、メリーを一人前の男と認識しているようには感じられませんでしが。メリーが戦場に来たことは赦したけれど、最期まで守るべき幸せな種族だと思っていたようでした。
そのあたりは、むしろファラミアの方が、ホビットを一人前の男として扱っていたような気がします。
アラゴルンは守るべき存在と思い、心和ませられながらも、一人前の男としても接していて、やっぱりホビットに優しいポイントは群を抜いているなあと思いますね(笑)
まあそれでも、セオデンの愛情はメリーに充分に通じて、メリーの成長に大きな役割を果たしたわけですね。そのあたりが映画ではすっぱり抜けてしまったのも、やっぱり残念ですね・・・
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