ぐらのにっき

主に趣味のことを好き勝手に書き綴っています。「指輪物語」とトールキンの著作に関してはネタバレの配慮を一切していません。

BBCラジオドラマその10

2005年01月31日 | 指輪物語&トールキン
そろそろSEEモードになってラジオドラマもお預けになってしまいそうですが(汗)SEE届くまでは頑張って聞き進んで行こうと思ってます。
さて、いよいよ楽しみにしていた「アイゼンガルドへの道」=ギムリとホビッツの再会、の場面ですが、原作と同じ台詞ながら、声色はすっかり喜んでいるギムリ。メリピピも「ギムリ!」「レゴラス!」なんつってすっかり再会喜びモードです。当然ギムリに対してへらず口?を叩くメリピピもなし。
おまけにレゴラスまで途中から台詞を引き継いで、一緒になって喜んでます。仲良し4人組でアラゴルンとガンダルフだけ大人って感じ?(汗)しかしラジオドラマのレゴラス、ホント熱いですね・・・(汗)
いやー、この場面に関してはPJ映画の方が原作に忠実と言えるかも。ここは心配してた二人が呑気にごちそう食べてくつろいで、しかも自分は我慢していたパイプ草をプカプカやってるのを見たギムリの「かわいさ余って憎さ100倍」(いやそんなことはないと思いますが・・・(汗))な怒りっぷり、それに対して臆面もなく言い返すホビットらしいメリピピの態度がいいのですが・・・。そして、ギムリの怒りに同調はしないけどさりげなく同じ気持ちだよ、と口を挟むレゴラスが。
まあ、ラジオドラマ版も悪くはないですが、この場面は原作TTTの中ではベスト3に入る好きな場面なので、ちょっとこだわってみました(笑)
でも、ちゃんとセオデンがホビットの話を聞いてしまいそうになってガンダルフに止められるところはやってくれました♪
でもやはりラジオドラマでもそのまますぐにサルマンと対決になってしまったので、ピピンの「セオデン王立派なお年寄り発言」はなくて残念・・・
仲間たちのご馳走&パイプ草の場面もなかったですが、この場面って実はアイゼンガルドの陥落について説明するための場面なんですよね。ラジオドラマでも映画でもカットされるのはいたしかたないと言えましょうか。
で、サルマンとの対決はだいたい原作どおりのようでした。ギムリやエオメルがサルマンに言い返す場面もちゃんとありましたし♪
サルマンの声はクリストファー・リー様の美声には及びませんが、エコーをかけたりして効果を出していたようです。
その後、いきなりピピンがパランティアを見てしまう場面が続いていたように思いました。ピピンがパランティアを拾ってガンダルフに渡して、という場面もなかったような?(聞き落しかもしれないけど・・・)
ピピンに憑依したサウロンの声?がとても情けなかったのですが・・・(大汗)
そしてピピンはガンダルフと共にミナス・ティリスへ。メリーの拗ねた台詞とかもなかったですね。
ここまでの印象ですが、メリピピに関してはラジオドラマよりもPJ映画の方が思い入れしてキャラクター作ってくれてるように思いました。まあちょっとピピン寄りかもしれませんけどね・・・(汗)ラジオドラマは原作どおりですがPJ映画ほどに愛を感じないなあ、とか思ったりして。

場面変わって、黒門前にたどり着いたフロドたち。(やはり前回のところまででは黒門前まではたどり着いていなかったもよう(汗))
えーと、あまり聞きとれませんでした・・・(汗)フロドがカッコ良かったような(汗)

続いてはガンダルフとピピンの場面をちょっとやった後、セオデン一行に野伏さんたちが合流しました。ハルバラドさんは登場しましたが、エルロヒア・エルラダン兄弟は登場しないのですね~。ちょっと出しても良さそうなのに・・・
アラゴルンは原作どおりパランティアでサウロンを挑発したもよう。そしてエルロンドの伝言どおり死者の道を行くことを決意?し、「誰が一緒に来るか」という言葉に、「ギムリが行く!」「そしてレゴラスも!」と原作どおりの台詞が続いて嬉しかったですね♪(いや、原作こんな台詞じゃなかったですが・・・(汗))
そして、置いて行かれたくないというメリーに、セオデンが黄金館で隣に座って話をしてくれと言います。ここも嬉しかったなあ。
そして恩義を感じたメリーが剣を捧げます!
このあたりやっぱり嬉しかったですね。映画でばっさりカットされちゃっただけに・・・(SEEには剣を捧げるシーンがあるそうですが、捧げりゃいいってもんでもないし(汗))セオデンもまだ原作ほどの優しさは感じられませんが、今後に期待ですね。
さて、そろそろファラミアの大将が出てきそうですが、SEE発売までにそこまで行けるかな?
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「ネバーランド」と「ハウル」2回目(両方ネタバレ)

2005年01月30日 | 映画
ちょっと時間が経ってしまいましたが、26日にネバーランド、27日にハウル2回目を観て来ました。
いきなりこんな連続になってしまったのは、2月になったら忙しくなるので(笑)できるだけ早めに行ってしまおうというのがあったからなんですが。
という訳で以下どちらもネタバレです。

まずはネバーランド。
なんというか、見事に「期待通り」の作品でした。こんなに期待通りだとは思わなかった、という点では期待以上と言って良いかも。
現実の世界と想像の世界が映像上でシンクロする、というのも特に目新しい手法ではないし、扱っているテーマも目新しさはなかったと思います。
それでも、想像する力というのは素晴らしいものなんだ、というのがひしひしと感じられて、なんだかとても涙腺を刺激されてしまったのです。
なんかかなり泣いてしまいましたよ。いきなり熊とダンス、のあたりでもう泣いてましたから(笑)
子供たちがベッドの上で跳びはねている映像からすーっと子供たちが飛んでいく映像に映るところとかもウッと来ましたし。
「死とファンタジー」というテーマも目新しくはなかったと思うのです。「死んだらネバーランドに行く」というような考え方も、全然新しくはないのですが、それでも陳腐に思えることなく、素直に心に沁みました。
シルヴィアがネバーランドに一人だけ足を踏み入れて行く場面も、見ていて「ああ次のシーンでは死んでるんだろうな」と予測は簡単についてしまったのですが、それでも静かに心に沁みました。とても美しいシーンだったと思います。
「ピーターパン」の作中の言葉も、「死ぬことはきっとすごい冒険だろうな」とか、印象的な言葉をとても上手く配していたと思いました。
全体として、シンプルでいて、甘すぎず、陳腐になりすぎず、静かに優しい感情を映像にしてくれた作品のような気がしました。
いや、甘すぎる部分もありましたけど。「妖精を信じている人は手を叩いて」で、シルヴィアの母が真っ先に拍手してしまったりするところとか。でもあそこも、ジュリー・クリスティがなんだかとてもかわいかったので許せてしまいましたが(笑)
ディヴィス一家がバリと知り合ったのは実際にはディヴィス氏存命中だったのを、死後に変えているそうですが、そう聞くと、ちょっと陳腐な変更をしてくれたものだな、と思ってしまいますが、これはシルヴィア夫人とバリの恋物語、というような意図よりは、ピーターとバリの出会いのドラマのためだったのだと思いたいです。バリと出会った時、既にピーターが心を閉ざしていた設定にしたかったのだろうなと。実際シルヴィアとバリの物語はほんの少しにおわせる程度で終わっていましたから。これも良かったですね。
ジョニー・デップはもちろんとてもよかったし、ケイト・ウィンスレットも良かったなあ。ピーターも良かったけれど、個人的には長男のジャックのお兄ちゃんぶりがツボでした(笑)
ピーター役の子は、何がすごいって、演技しているように見えないんですよね~。ジョニー・デップもすっかり彼が気に入って、彼の推薦で「チョコレート工場」にも出演しているんだそうです。そう言えばトレイラーで見たような。

そして、翌日にはまだ見ていなかった友達に付き合って「ハウル」の2回目を見ました。
2回目を見て、1回目に違和感を感じたところが、馴れたためか、違和感なくすんなり見られたような気がします。その代わり、印象が色あせた部分もありましたけど・・・
戦争の描写も、この映画はこれでいいのかな、と思えました。ソフィーとハウルの物語に上手く絡めてあったように思いました。
そして、ハウルのキャラクターがなんだかとりとめない、と1回目に見た時には思ったのですが、そうじゃなかったんですねえ。ハウルのキャラクターが変わっていたんですね。髪の色が変わったところで。
キャラクターが変わったというか、あそこでハウルがソフィーの前でカッコつけるのやめて本来の姿になったというか。あれ以降の明るくて元気でちょっと情けないキャラクターが本来のハウルなんですねえ。
うーん、1回目で気がつかなかったのって、やっぱり声のせい・・・?(人のせいにするなって(笑))妹に聞いてみても「あ、そうだったの?」という反応でしたし・・・(汗)
いやでも、私は髪の色が変わって以降のハウルの方が好きですねえ。かわいいじゃん、と思いましたよ(笑)ハウルの一番好きなシーンは王宮に行くのにいつもの帽子をかぶろうとするソフィーに「それ被ってくの?」というシーンかな(笑)
そう思うと、最初の頃のカッコつけたハウルってかなり笑えるような・・・(汗)「諸君、いただこう、美し糧を!」だなんて、よく言うよ! と思ってしまいました。マルクルはともかく、カルシファーは内心笑ってたんじゃないでしょうか(笑)
ハウルに魂取られた(妹の友達が使ってた表現です(笑))という女性ファンが結構いらっしゃるようですが、たいていは金髪のハウルが好きだそうで。でもそのハウルってニセモノですから! と思わず思ってしまいました(笑)
しかし、ハウルの服のセンスだけはどうにもいただけないんですが・・・(汗)いや、「お前に言われたくないよ!」とか言われそうですが(汗)ハウルはカッコイイと思ってあれだからヤバイのではないかと・・・(汗)最後の場面の赤いシャツもどうかと思いましたよ(汗)
でも、私はやっぱりカブが好きだな(笑)今回、カブがどの時点でソフィーに恋してたのか、というのを見極めようと思ったんですが、よくわかりませんでした。というか、かなり最初からもう恋する男の行動に見えました。
もしかしたらカブには最初からソフィーの本来の姿が見えていたのかも、と思えたんですが。
雨の中で泣いているソフィーに傘を差し出すところなんて、もう完全に恋する男の行動ではないですか。「ああ、自分がカブ頭でなければ・・・」とカブは情けなかったのでは、なんて思ってしまいましたよ。
最後に身を挺してソフィーたちを救おうとするところとかも、かなりカッコイイですよね、行動自体は。
ふと思ったんですが、もしソフィーに掛けられた魔法がソフィーの心を映したものだとしたら、カブの魔法もそうかもしれないですよね。元はカブ頭みたいな心のない人だったのかも。
カブに掛けられた呪いは、「美女と野獣」みたいなもので、愛を知らないから本当の愛を知るまで呪いが解けないようにされていたとかも考えられるなあと、これは1回目の時から考えていたんですけどね。
カブの呪いはサリマンが掛けたもので、サリマンが戦争を起こすために王子にのろいを掛けたのでは、という説もあるみたいですが、私はそうじゃないと思いたいです。サリマンはそこまで悪人ではないと思いたいかな、というのもありますし。
荒地の魔女の呪いではなさそうなので、サリマンがかけたとするのが一番納得できるかもしれませんが、別に魔法使いは他にもいるだろうし、全然別の理由で呪いをかけられたのだと私は思いたいですね。
しかし、のろいが解けても棒に乗って跳んで行ったカブ王子(笑)ソフィーの呪いも完全には解けてないようだし、この世界の呪いは後遺症が残る怖いものなんだなーと思いました(笑)
いや、カブ王子のその後がどうにも気になってしまうのでした。

レイトショーで夜遅かったせいか、泣きそうな場面が前回より増えてました(笑)
そして、前回泣きそうになった、「そんなに欲しいかい。仕方ないねえ。大事にするんだよ」の場面で本当に泣いてしまいました(汗)
あの場面、この台詞の前の荒地の魔女の表情がとてもいいんですよね。細かいところは忘れていましたが、そのあたりで泣かされたみたいです。

さて、友達の反応でしたが、まあまあ面白かったようですが、やはり「なんであんなに簡単に戦争が終わるの?」とか、疑問の方が大きかったようです。
彼女も少し前に「ネバーランド」を見ていたのですが、彼女的には「ネバーランド」の方がはるかに良かったようで。
私自身はと言えば、「ネバーランド」の方が素直に良かった、のですが、なんだか「ハウル」は気になる作品、なのですよね・・・
もし今「ネバーランド」か「ハウル」のタダ券がもらえる、といわれたら、かなり悩みますけど(汗)うーん、「ハウル」にするかなあ・・・
「ネバーランド」はある意味完璧で、そしてシンプルでとても分かり易いですが、「ハウル」のように不完全かもしれないけれど見るたびに違うところに気がつくような作品の方が「気になる」のかもしれません。とりあえず、「ハウル」はDVD買うと思いますが、「ネバーランド」はどうかな・・・買うかもしれませんが、まだわかりません。
しかし、「ハウル」はなぜかパンフレット買う気にはならないんですよね。別に人の意見や解説はいらない、自分が見たことを自分の好きなように解釈していたい、という気持ちの表れ、なのかもしれません。
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ぴあのアンケートのこと

2005年01月30日 | 指輪物語&トールキン
なかなか日記書く暇がなくて今更ですが、1/27発売の「ぴあ」のLotRアンケート見ました。
あんな細かいアンケート出す人どのくらいいるんだろう・・・と思っていたら、なんと1万人も回答したんですね~。びっくりです。
まず最初に、各作品を映画館で見た回数ですが、平均はともかく、最高回数を見てびっくり(笑)
いやー、私も自分で数えて「こんなに見てたんか・・・」と思いましたが、各作品とも最高回数は私より約10回上回ってました(汗)うーん、どういうペースで見に行かれたんでしょうねえ、そういう方たちは・・・(汗)
ちなみに私は3作合計で76回くらいだったのですが(汗)たぶん最高回数の方はすでに100回越えてるんでしょうねえ。いやはや、恐れ入りました。
キャラクターの人気投票は、旅の仲間編で、ゴラムのおかげで最下位ではなかったものの、やっぱりメリーとギムリが下から数えて二人、でしたね~(汗)まあ予想通りですが・・・
でも今回はギムリの方が下だったんですねえ。以前中つ国住民意識調査でメリーがボロ負けだったので今回はメリーに入れたのですが、しまったこんなことならギムリに入れれば良かったわ・・・(どっちでも変わらんような・・・(汗))
でも、ギムリやメリーが一番好き、という人が200人とか300人とかいるんですねえ、と思うと嬉しいような。でも1万人のうちの2、300人ということは、100人に2,3人・・・これは少ないのかなあ、やっぱり(汗)
旅の仲間以外部門?では見事にファラミアとエオウィンが1位、2位を飾りましたね♪ セオデンが3位と意外に人気なのも嬉しかったです。私はエオウィンに入れたのですが・・・
エオメルは・・・出番少なかったですもんねえ・・・(汗)
そして、グワイヒアに負けてるエルロンド卿とデネソール閣下って・・・(汗)だいたい映画では一言も喋らないグワイヒアが選択肢にあるのも妙ですが・・・選択肢用意しといたくせに写真ないし・・・(汗)
名シーンは、元々選択肢がなんだかなあ、だったのであれでしたが、まあ「サムの活躍」が1位というのは良かったかなあと。映画のサムにはひっかかりがある私ですが、確かに映画でも原作でもサムの頑張りが重要なのは確かですから。
「アラゴルンとエオウィンの恋」がランクインしていなかったのは幸いです(笑)
それにしても、好きな台詞のランキングがなかったんですが・・・もしかしてキャラクターや場面の横にちらっと出ていた台詞があの結果なんでしょうか?
なんだ、せっかく一生懸命考えて出したのに・・・(嘘つけ(笑))
ファンのコメントは、原作読んでないんだなあと思われる方々のコメントに「ああ、そう思えるのね・・・」とブルーになることも多々ありましたが(汗)なかなか面白いコメントも。
一番良かったのにグリマのコメントで「ローハン人で文系は辛いと思う」というのでしたね。確かに! と思いましたよ(笑)ちなみに私も「サウロンと仲間たち」ではグリマに入れたのですが。
東劇の三部作連続上映の申し込みハガキもついてたりして、いよいよ最後の盛り上がりに突入なんだなあ、という気がしましたね。
今週にはいよいよSEEも届くはずだし、週末からは東劇通いが始まるし(汗)ああ、なんだかせわしなくてじっくりSEEを味わえないかも・・・(汗)
そして、RotKサントラ考察をSEE発売にまでにUPする、というのは完全にギブアップです(汗)2月中にできたらいいんですが・・・ああ今年の目標いきなり一つコケてしまいましたよ~(汗)
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自由の女神・・・

2005年01月25日 | 旅行

ブルックリン橋から見た自由の女神です。この大きさだといわれなければわかりませんね(笑)
N.Y.4回行きましたが、ついに自由の女神には登らずじまい。並ぶの大嫌いなもので・・・(汗)
前回、前々回はスタッテン等行きのフェリー(大事故起こしましたね(汗))の上から見ました。まだこれよりは大きく見えますけど・・・
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BBCラジオドラマその9

2005年01月25日 | 指輪物語&トールキン
まずは業務連絡です。goo blogのサーバー増強作業の為、明日26日21時~27日6時までこちらのブログは閲覧できなくなりますのでよろしくお願いします。

さて、睡魔との闘いになってしまいさっぱり進まないラジオドラマですが(汗)なんとか角笛城の戦いが終わったようです。(ようですって・・・(汗))
フロドたちが死者の沼地を行く場面では(黒門前までついたのかどうか、あまり聴き取れなくて不明・・・(汗))二人のゴラムの会話が聴けました。なかなかいい感じです。
そして、なんかヘンな叫び声が・・・と思ったらどうもナズグルの叫び声だったらしいです(汗)

その後は、ヘルム峡谷に向かうセオデン王ご一行の話。
ギムリが原作どおりエオメルの馬に乗せてもらっていたようで(乗るあたりの記憶なし(汗))、エオメルとギムリの会話がかなり続いていて、ギムリファンの私は大満足です(笑)
ギャムリングもちゃんと元気なじいさんとして登場。原作のギャムリングが好きという少数派な私としては嬉しかったですね~。後でちゃんとギムリと一緒に帰ってきてくれたし。
しかし、エントの場面はあんなにあっさりカットしたのに、この辺原作通りじゃない? と思うとなんだかひがみたくなる私・・・
戦いが始まる前のレゴラスとギムリの会話も原作どおり。
ラジオドラマではなんだか大人な二人だなーという感じでした。原作の文章だけ読んでいるとお互いに話が噛みあってないような気がするんですが(汗)ラジオドラマでは相手の言葉に軽く笑ったりして、ちゃんと会話してる感じに聞えます。
レゴラスの「でもギムリ、君がいてくれるんで心強いよ」の台詞も、そのままやったらかなりベタかなーと思ったのですが、それを聞いたギムリの「はっはっはっ」という笑い声でかなり大人な会話になってたような気がします。
戦いの最中の記憶はあんまりなし(汗)
あ、そうそう、途中にガンダルフがアイゼンガルドに到着してメリピピ、木の鬚に会う場面が挿入されてました。これはフオルンたちがヘルム峡谷に向かった理由を時系列どおりに並べたことなんでしょうね。
ガンダルフのせっかちぶりは思っていたほどでなくてちょっと残念(笑)
あれ、そう言えばアイゼンガルドはこの時点でもう陥落してたのかな? いつの間に・・・(汗)
途中ギムリとエオメルたちが角笛城に戻ってこなくて、レゴラスが「ギムリはどこ?」と聞く場面も原作どおり。でもレゴラスやけに熱いよなあ、やはり(汗)
アラゴルンがギムリがいなくても冷静だったのにエオメルがいないと知ったら慌てた、というのはなかったようで、ちょっとホッ。やっぱりラジオドラマの馳夫さんはポイント高いです(笑)
戦いが終わった後、エオメルとギャムリングが帰ってきます。
そしてギムリが一緒にいるのは、レゴラスの台詞で説明されてました。なかなか上手いアレンジですね。
「そしてギムリだ! 君が二本足で立っているのが見られてこんなに嬉しいことはないよ!」という台詞が先に来ている感じですかね。
ギムリの「42だよ」にも笑うレゴラス。そして、「1つ負けているけど、君が生きていてくれて嬉しいから君を羨まないよ」と、最後の台詞が先に出てしまったのでややあっさりめなレゴラスの台詞でした。
うーん、ギムリの見せ場ってやっぱりTTTなんだなあと実感。いやー嬉しいですね♪
後はアイゼンガルドでのホビットたちとの再会での怒りっぷりを楽しみにしましょう(笑)
と言っても、実は図書館に予約していて5ヶ月経ってようやく届いた「ハリポタ」5巻上が来てしまったので、またラジオドラマは小休止になりそうなんですが・・・
もうこうなったら気長に聞いていくしかないですね・・・
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まだ続くか、の「ハウル」の話・・・(,ネタバレ)

2005年01月22日 | 映画
もういい加減ハウルの話はやめようと思ってたんですが、また書いてしまいます・・・(汗)
昨日いただいたコメントの中で、ソフィーの姿が若返ったことについて、「最後までハウルの瞳に映っていた姿だっただけなのかも」と書いてくださって、いい解釈だなあなんて思っていたのですが、後ではたと思い出したことがありました。(いつも思い出すの遅すぎ・・・(汗))
確か公開直前の読売新聞のインタビューだったような気がするのですが、宮崎監督が女性スタッフの意見を聞いた時、「少女に戻す必要はないのではないか」という意見があったこと、それを尊重して、ソフィーの姿が時々若返るようにした、というようなことを言っていたと思いました。
ということは、実はソフィーの呪いは全然解けてなかった、というのが正しかったりして・・・
でも、どちらにしても、おそらく宮崎監督ははっきりとした「正解」は発表しないと思いますし、むしろ正解は決めて欲しくないなあと思います。
謎が多くて、観客に様々に解釈を許している点が、一部の人に面白いと受け取られた理由なのかもしれないなあと思ったりしています。
映画は誰にでもわかるように作られていないといけない、という考え方の映画ファンの方を時々見かけますが、そういう人には許せない作品でしょうね~(汗)
まあ、面白くないという理由はそれだけではないようですが。
私は、「ハウル」はまあ失敗作かもなあとも思うのですが(汗)その代わり、棚からボタモチというか、思いがけず、作者が意図した以上のことを観客に想起させる作品にもなっていると思います。それって、結構すごいことかもしれないなあと思うのですが・・・
私にとっても、まさにタナボタ的な作品のような気がします(笑)
それと、昨日の日記にソフィーが好きとか書いたのですが、まあ好きは好きなんですが、エオウィンほどすごく「好き!」と思うわけでもなく(汗)どうやらソフィーが好きなのがこの作品が好きな理由でもないなあ、と一晩たったら思えました。
ハウルとソフィーのラブストーリーが好き、というのともちょっと違うし・・・
涙もろい私ですが、「ハウル」では一度も泣いてません。ただ、一箇所ちょっと泣きそうになったところがありました。荒地の魔女がソフィーにハウルの心臓を渡して「そんなに欲しいかい。仕方ないねえ。大事にするんだよ」と言う場面でした。
なんか、一つ間違えば「ソフィーの愛が荒地の魔女に勝った」なんて解釈されてしまいそうなんですが(汗)私がなぜ涙腺を刺激されかけたのかと言えば、荒地の魔女はソフィーの熱意に負けたというよりは、ソフィーのことが好きになってたんだなあ、と思ったからでした。(と昨夜分析したんですが(汗))
そんなことを考えていたら、「ハウル」のどこが好きなのか、ということに思い至ったように思いました。かなーり陳腐ですが(汗)「優しさ」とか「思いやり」に満ちているところなのかなあと。
そんなのこれまでの宮崎アニメでもさんざん描かれていたじゃん、と言われそうですが、なんと言うか、ソフィーやその周囲のキャラクターたちの「優しさ」「思いやり」は、それまでの宮崎アニメの、勇気があって正義感に溢れているりっばな主人公たちの「優しさ」とはちょっと違うように思えました。
ソフィーの態度も勇気があって正義感に溢れていますが、それは老婆に変えられたことで初めて現れたことで、最初のソフィーにはそういうところはありませんでした。まあ最後の方では少女の姿に戻っていましたが、かわいい女の子ではなく老婆の姿のソフィーが活躍し、周囲のキャラクターたちもその老婆の姿のままのソフィーのことを好きになっていたという点が、これまでと違うと思えた理由かもしれません。このあたりは原作どおりか・・・
しかし、カブがソフィーを「愛する人」として認識したのは果たしていつぐらいからだったんでしょうねえ?(笑)

あー、でも今日書いた理由もなんかハズしているような気がする・・・(汗)
別にきっちり原因を分析しなくてもいいのに、と思いつつも、つい色々考えてしまうのでした。
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橋から観たマンハッタン

2005年01月22日 | 旅行

これはブルックリン橋を渡っている途中に撮りました。とがったビルはエンパイア・ステートビルですね。
手前にあるのは何て橋だったか(汗)歩いては渡れない橋です。
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トールキンの嫌った「寓意」のこと

2005年01月22日 | 指輪物語&トールキン
ラジオドラマ、昨日は少し聴けたのですが、日記一日分に相当するほどの感想が出てこないので(汗)ちょっと違う話を。
実は映画カテゴリーで最近書きまくっている(笑)「ハウルの動く城」の感想でも同じようなことを書いたのですが、指輪カテゴリーでも書いておきたかったので、ちょっと内容ダブってます。「その話はもう読んだ!」と思われる方、すみません。

「指輪物語」を初めて読んで、最後にトールキンのあとがきを読んで、トールキンが「寓意」を嫌っているという話を読んだ時は、「え、そうなの?」とびっくりしたものでした。
「指輪物語」はとても寓意的で、メッセージ性のある作品に思えたからです。
これは決して私だけではないはずです。「指輪物語」発表以来、多くの人がそう感じたはずです。そして、「一つの指輪=原爆」だとか、色々な寓意を取り沙汰し、そういう受け取り方に対してトールキンはあのようなあとがきを書いたようです。
トールキンが自分でそう言うんだからそうなんだろうなあ・・・と素直に受け入れた私ですが(笑)しばらくはその意味が理解はできていませんでした。
私にとっては、ファンタジーは現実世界を象徴的に映したものでないと面白くないし価値もない、と思えていたのです。
これは「ゲド戦記」の影響がかなりあると思います。「ゲド」は寓意で物語が成り立っているように感じます。何か表現したい抽象的なテーマを、物語に変えて表現しているように思えました。
もちろんそれだけが「ゲド」の魅力ではないと思いますが、そういう物語の創り方が、私には魅力的に感じたことは確かです。今でも「ゲド」は好きですよ。
そんな私が、トールキンが寓意を嫌ったということの意味を初めてちょっとだけ理解できた、と思ったのは、FotR SEEの特典映像でのコメントでした。誰が言ってたかは忘れたんですが・・・(汗)
その人は「トールキンが寓意を嫌ったのは、自分の物語を様々に解釈して欲しかったからだ」と言っていたのですが、この言葉に「ああ、そういうことか」と初めて少しだけ理解できました。
そして、つい最近、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」を読み返していて、意外な言葉に行き当たりました。
バスチアンが嫌いな「本」について説明されていた文章で、「物語の中に少しでも何かを説教しようとか、そういう意図に気がつくとすぐに読むのをやめてしまうくらいだった」というようなことが書いてあったのです。「これってトールキンの言葉とそっくりじゃん!」ととてもびっくりしました。
そしてその後に、「物語に意図的に何かを篭めることは読者を支配することだ」というようなことが書いてあって、目からウロコが落ちるようにトールキンが寓意を嫌った理由が「これだ!」と思いました。
エンデはトールキンを読んではいたような気がしますが、トールキンから影響を受けているかどうかについてはよく知りません。ちゃんとその気になって調べればわかるかもしれませんが・・・でもエンデの作風自体からはトールキンの影響は特に感じませんが。
そして、「はてしない物語」の岩波少年文庫版の訳者あとがきで、エンデは物語を作る時に、頭の中に浮かぶ映像を元に無秩序に、先のことは考えずにひとつひとつの場面を書いて行く手法を取っていた、と読んでとてもびっくりしました。「はてしない物語」も、「本の中に入り込んでしまう物語を書きたい」というだけで書き始め、どう結末がつくのかエンデ自身も分からずに書いていたというのです。
「はてしない物語」もとてもメッセージ性、寓意性の強い作品だと思っていたので、これには本当にびっくりでした。本当に何も考えないであの結末にたどり着いたんでしょうか!? 本人がそう言うからそうなんでしょうね・・・
ただ、もちろん本人の思想やおかれた環境は作品に影響を与えるけれど、というようなことは書いてありましたが、私はそれが物語に方向性を与えるのだな、と解釈しました。
この言葉も、トールキンがあとがきで似たようなことを書いていたなあと思いました。エンデの言葉の方がよりわかりやすいですが、トールキンの言葉と併せて読むとよりくっきり理解できるように思いました。
そして、トールキンもエンデも同じようなことを言っているのなら、意図的に寓意を篭めずにあのような物語を書くことは本当に可能なのかも、と実感できるようになりました。
その後、ティム・バートンが「ビッグ・フィッシュ」で来日した時の記者会見で、「物語に作者は様々なテーマを篭めるけれど、それは見る人がそれとなく気づく程度のものにするべきだ」というような発言をしていたと教えていただきました。
私が好きなファンタジー作品の作者が3人も似たようなことを言っているのに、不思議な気分になりました。
読む(観る)人の想像力を刺激し、それぞれに解釈を委ねられる作品・・・もしかしたら、ファンタジーって本来はそういうものであるべきかなのかもしれないと・・・
そう言えば、「ゲド戦記」が4巻から作品のカラーが変わり、かなりファンタジーファンに批判されているらしく、4巻以降も結構好きな私は不思議だったのですが、確かにトールキンやエンデやティム・バートンの意見によれば、その理由もわかるような気がします。それでも私は「帰還」以降の「ゲド」も好きですけどね。
で、「ハウルの動く城」を見て、また感じることがありました。
私は映画カテゴリーでは散々書いてますが(笑)賛否両論渦巻く中、「ハウル」は結構好きなのです。それも、最近は宮崎アニメに食傷気味だったりしたので、自分でも「なんで?」と意外でした。
それが、評判が悪い理由のひとつに、「これまでの宮崎アニメに比べてテーマが小さい」と言われているらしいのを読んで、「あれ・・・」と思いました。
そうか、もしかしたら今までの宮崎アニメは、その「壮大なテーマ」がなんだか押し付けがましく感じられたのかもしれないと・・・
「ハウル」のテーマはかなりシンプル、だと思うのですが、色々と思わせぶりというかはっきりしない表現があり、それが「訳が分からない」と感じる人と、その理由を熱心に分析する人とにきっぱり分かれているのですよね。
私には「ハウル」の謎が多い面は、見る人に解釈の余地を残していていいなあと思えました。ファンタジーに「想像の余地がある」ということがこんなに楽しいものだとは思いませんでした。
指輪ファンには「ハウル」が面白くないという方が結構多いので、「ハウル」を引き合いに出した例えはあまり理解していただけないかもしれませんが(汗)なんだか私には「想像の余地があるファンタジーの面白さ」を改めて教えてくれたような気がしています。
というわけで、トールキンが言う「寓意」について会得した! と思っている今日この頃なのでした。的外しているかもしれませんが・・・(汗)
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まだ続く「ハウル」の話(汗)ネタバレです

2005年01月21日 | 映画
そんな訳で今日もまた「ハウル」の話です。
伏字にしませんが、ネタバレあります。原作ネタバレもありかな?
昨日書いた記事のコメントで「少女が老婆になったら普通もっと絶望するはずなのに、あっさり受け入れていたのが疑問だった」と書いていただいて、レスした後でふと原作では違ったなあと思い出しました。
原作のソフィーは、諦めてはいるんですが、その裏には「どうして私だけこうなんだろう」という悲しさや、怒りなんかもありました。それが老婆になることでストレートに爆発できるようになって、痛快な部分もあったのですね、原作では。
原作のそんなソフィーはとてもリアルな「女の子」でしたが、逆にそれがなんだか少女漫画めいた印象も与えていたように思いました。少なくとも私には。
映画のソフィーは、それを思い出してみると、原作とはちょっと違いますね。原作よりももっとずっと諦めてしまっています。もっと老婆に近い心と言えるのかも。
その変更がいいのか悪いのかは人のよるのかもしれませんが、私はどうも映画のソフィーが好きみたいです。宮崎アニメのヒロインが好きになるなんて前代未聞なので(汗)認めるのが恥ずかしいのですが・・・(汗)
諦めてしまって、老婆の姿で旅をしているソフィーはいじらしくて、私もカブだったらソフィーのために何かしてあげたくなったでしょう。
湖のほとりで、もしかして生まれて初めてのんびりしていたのかもしれないソフィーの姿を見ているとなんだか悲しい気持ちにもなりました。それでこの2つのシーン好きなのかな・・・
ハウルは、そんなソフィーを救ってあげたかったんだと思いました。
ソフィーの寝顔を見て悲しそうな顔をするハウル、そして花畑で嬉しそうだったのに、ふっと老婆に戻ってしまったソフィーを見てやはり悲しそうな顔をするハウル、この場面も好きなのですが、多分この時私はかなりハウルに共感していたと思います(笑)
ハウルがソフィーを好きになった理由が、原作でもはっきりとはわかりませんが(最初から好きだったとも取れるし、まあ一緒に暮らすうちに好きになったと考えても自然ですが)、映画では「同情」から始まったのかなあなんてことも思いました。
実は、指輪ファンの方には「ええ~!?」といわれそうですが(汗)ソフィーとエオウィンには共通点があるなあと思ったりもしてます。
周囲の状況に縛られて閉塞感を感じていたところに、グリマの闇の言葉や荒地の魔女の魔法で心の暗部に囚われてしまったところが。(と私は解釈しているのですが)
ただ、行動のベクトルは180度違いますけどね・・・(笑)やっぱりエオウィンはすごいです!(笑)
これも指輪ファンの方には顰蹙かいそうですが(汗)エオウィンがファラミアによって本来の自分を取り戻したことと、ソフィーがハウルによって本来の自分を取り戻したことは、やっぱり似ているなあと思ったりもしています。これは好きなものをこじつけて一緒にしたいだけなのかもしれませんが(汗)
んー、色々確認するためにも、やっぱりもう一回観なければ。原作も一度読み直す必要がありそうです。
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BBCラジオドラマその8

2005年01月21日 | 指輪物語&トールキン
久々のラジオドラマ日記ですが、あまり進んでません(汗)なんだか聴いてると眠くなっちゃうんですよね(汗)
まずは、アラゴルンたちが白のガンダルフと再会。
ガンダルフの声は、サルマンに似せたりとかそういう小細工は一切なし、もろにガンダルフと分かる声でした。気がつけよ皆! と思ってしまいました(笑)
奥方からの伝言はなしでした。ギムリがドワーフ語で歌い踊るの、ラジオドラマでもなくて残念(笑)
そして飛蔭登場のシーンでは飛蔭のテーマが流れますが、ヨハン・デ・メイの交響曲第一番でもそうなんですが、飛蔭と言えば走っているイメージなんでしょうか、そのあたりがちょっと物足りない音楽かなーと(汗)ハワード・ショアの飛蔭のテーマは神々しくて良かったなあ。

続いてメリピピですが、なんといきなり「もう3日も会議してる」というシーンで始まり、いきなりもうエント最後の行進が可決されてしまいました(汗)
んー、確かにストーリー上エントの話はカットせざるを得ないのでしょうが、なんだかちょっと寂しかったエント好きな私。
映画みたいにホビットにエントを説得させるのもどうかとは思うんですが(汗)木の鬚がメリーたちに出会ったことで「ちょっと若返り」「ちょっとせっかちになった」あたりのエピソードとかがなかったようなのが残念です。
原作では木の鬚やせっかちがメリピピのことをとても大事にしてくれているところがとても好きだったホビット好きの私なんですが・・・
まあ、まだメリピピと木の鬚の場面は残ってますから、一縷の望みを持っていようとは思いますが・・・
話が逸れましたが、アイゼンガルド行きが可決されると、エントたちは素晴らしい美声で歌いながら
行進して行きます(笑)
このエントの行進の歌とても好きなんですよね~。「展開早っ」と思いつつも、この歌を聴いていると涙腺が緩んでしまいます(笑)

そしていよいよガンダルフたちは黄金館に登場。実はセオデンもグリマもFotRに出てきちゃってますが、いよいよ本格的に登場です。
映画のように「サルマンに憑りつかれてました」とか妙なこともなく(汗)原作どおりにセオデンはガンダルフの言葉によって甦ります。ちょっとホッ。
でも、映像がないせいか、原作で得たような感動は得られませんでした。セオデンが観たローハンの平原の光景がとても重要だと私は思っているので、ここはナレーションででもそのあたりをやってくれたら良かったのかな・・・
PJの演出力は評価しているので、この場面、原作どおりにやってくれたらさぞ良かっただろうなあと、今更仕方ないことを言って見たりして(汗)
エオウィンも少し声が出てましたが、あれではまだ海のものとも山のものともつきません(笑)
皆さんの評判はかなりいいようですが。

そのあと、フロドたちは死者の沼地に。このあたり既に記憶があいまいです(汗)あまり聞きとれなかったし・・・
それから、ロヒアリムたちの出陣に。エオウィンとアラゴルンの会話とかあったように思いますが、このあたりもよく聴き取れてません(汗)

昨夜はこの続き、「二人のゴラム」を聴こうと思ったのですが、眠くて断念・・・(汗)今夜こそ聴けるといいんですが・・・
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