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つれづれの記

日々の生活での印象

奥山を訪ねてー三峰神社へ

2012年12月18日 14時08分52秒 | 日記

2012年12月18日(火) 奥山を訪ねてー三峰神社へ

 

 

 今回のドライブ旅行については、先日、

       奥山を訪ねてー食の話題 (2012/12/14)

 

の記事を載せたが、今回は、三峰神社に関するトピックスである。

 

 10数年前に、園芸好きの仲間と、秩父の奥山に鎮座する、三峰神社を訪れたことがあるが、その時は電車を使い、今は無いロープウエイにも乗った。今回はドライブ旅行だったが、駐車場との関係から、緩やかながら、やや長い参道を歩いて往復した。参道入口にある紅葉が、一段と鮮やかであった。

    参道入り口の紅葉

 

○鬱蒼と茂る杉並木の間の参道には、石灯籠などが立ち並んでいて、他と、あまり違わない風景だが、通常は、神社への寄進者の金額と名前は、

     金 ○万円  坂東 太郎

などと、石碑や木板等に書かれるのだが、ここでは、少し違っていて、

     奉納 杉苗木 2万本  ○○○講

などと、立派な石碑に書かれているのがユニークで面白い。

  橧苗木の奉納の記念碑

 

 実際には、金銭を寄進し、神社ではそれで、苗木を買ったり、他に必要なものを調達するのだろうが、「苗木」という表現が、奥山に相応しいようだ。 間伐なども行い、大木の間に、若い苗木を植林することも、行われているのだろうか。

似たような、出羽の羽黒山神社や、高尾山薬王院などでは、どのようにしているのか、知りたいものだ。

 

○日本武尊が、東征の折に創建したと伝えられる三峰神社の拝殿では、型どおりの参拝をした。ここの、鮮やかに彩られた彫刻なども見事で、身を清める、手水舎の立派さには驚かされた。

社寺仏閣に関心のある向きには、この神社には、興味深い建造物が多いのだろう。

     

         拝殿(ネット画像)               ずらり並ぶ 摂・末社(ネット画像)

  境内に、全国各地の、著名な神社の、摂社(せっしゃ)、末社(まっしゃ)と言う、中小の祠がある。伊勢神宮や、八坂神社、諏訪神社など、全部で、23社もあるようだ。

以前に来た時も気になったのだが、このような出先機関の設置は、神社同士の友好の印であるとともに、信者にとっては、わざわざ遠路出かけなくとも、ここで御参りすれば、行ったと同じ御利益がある、というシステムなのだろうか。

 

○帰路、途中にある建物の入り口に、厄年の一覧表が出ている。 神社にとっては、厄払いの行事は、重要なビジネスで、どこでも見掛けるこの一覧表だが、ふと、疑問が湧いた。 

   厄年 一覧表

 厄年は数え年で数えるので、この表では、61歳まで出ているのだが、なんでこの歳までしか無いのだろうか? 既に、古希を過ぎている自分の年齢なのだが、どこにも出てこないのはどうしてだろうか、という、素朴な疑問である。

 

 厄年の年齢は、陰数(偶数)と陽数(奇数)の組み合わせから来ている、などとも言われ、科学的な根拠はなさそうだが、特に、大厄として、男性は42歳(しに 死)、女性は33歳(さんざん 散々)等と言われる。

経験的に、人生の大きな節目に、厄年を対応させたと言えようか。人生誰しも、誕生からだんだん成長し、大人になり、仕事に就き、結婚し、子宝にも恵まれるなど、生理的には勿論、社会的にも大きな変化や節目がある訳だ。60歳頃になれば、かなり、安定するといえるだろうか。

 

 60年で還暦となり、それ以降は、また、甲子(きのえね)から、年廻りが繰り返されるのだが、厄年について、再度、数え直す、とは聞いたことがない。

往時は、60歳まで生きられれば、長寿も良い所だったので、それ以降は、おまけ、と見做し、厄年は考えず、専ら、古希、喜寿などの、長寿祝いを編みだした、のかも知れない。

 

 この現代の長寿時代、還暦以降も、仕事を変わったり、子供が結婚し孫に恵まれたり、年金を受給したりする一方、元気ながらも、身の不具合が、あちこちと目立ってくる。そして、大病を患ったり、連れ合いに先立たれたりするなどして、最後には、我が身が、この世におさらばとなる。人生の節目は、こちらの方が、むしろ、多いだろうか。

 

 還暦までの、前厄・本厄・後厄の、それぞれの厄年は、言ってみれば、人生の大事な役目を果たすために備える、「前向きの」用心と言えるだろうか。

そして還暦後は、我が身に来る災いに対する、「本当の」用心であろうか。つまり、いつ災難が起きても可笑しくない状況と言え、大げさだが、毎年が厄年である、と思って過ごす事になるだろうか。

 でも、余り深刻になる必要はなく、おまけの人生を貰っている、と思いながら、その時その時を大切に生きる、と言う位で良いのかもしれない。

 

 

○三峰という呼称の由来は、往時、景光天皇が、上総の国(千葉)から、以下の、3つの山が良く遠望できるという話から、これらを、総称して、三峰と名付けた、と言われる。

    雲取山  2017m

    白岩山  1921m(白石岳 2036mとも)

    霧藻ケ峰 1523m(妙法ケ岳 1329mとも)

   ビジターセンター内のパネル

 一般には、神社のある山も、三峰山と言われているようだ。駐車場の係をしていた土地の人は、今は廃止された、寺の山号として、三峰山が使われていた、とも教えてくれた。(全国には、三峰山と称する山は、数多くある)

 

 

 現代では、山間を縫うようにして、道路もそれなりに整備され、観光バスや車の往来も盛んだ。往時の昔は、このような、奥秩父の深い山奥に社寺を建造し、維持するのは勿論だが、参拝するのも、かなり難儀なことであっただろう、と想像される。しかし、それだからこそ、一層、信仰心も深くなる、というものだろうか。

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