つれづれの記

日々の生活での印象

アフリカの諸国   4

2017年05月29日 09時10分16秒 | 日記

2017年5月29日(月) アフリカの諸国  4 

 

 当ブログでは、これまで、アフリカシリーズとして、下記記事

     アフリカの諸国 1   (2017/5/6)

     アフリカの諸国 2   (2017/5/15)

     アフリカの諸国 3   (2017/5/20)

     アフリカの諸国 余談 (2017/5/22) 

で、アフリカの地理や、発展段階、植民地分割、利他主義等を取り上げてきた。

本稿は、シリーズの続編で、アフリカの産業に関し、農業と天然資源の現況等についての話題である。 

 

◇ アフリカの農業

 年間降水量等の気候的な状況により、アフリカの農業地域は下図のようになっているようだ。(地理B を参照) 

    

 上図のように、砂漠・サバナ地域は、伝統的な遊牧・オアシス農業で、殆どが、原住民自身の生活を支える程度の零細規模だろう。

熱帯雨林地域は、零細な焼畑農業もあるが、プランテーションも行われているようだ。 後者は、イギリス系の植民地だった、ナイジェリア、ガーナ、ケニヤなどの地域で、商品として輸出するための農業が行なわれている。図にあるように、

     カカオ豆 コーヒー豆 サイザル麻 落花生 茶 アブラヤシ

などが、生産されている。

 2008年のデータだが、世界全体に占める割合が高いのは、

     カカオ豆59.8%、茶22.0%、サイザル麻19.6%、落花生10.2%、コーヒー豆11%(2010年)

等という。(地理B を参照) 

 

 下図は、主要農産物である、

     コーヒー、カカオ、ラッカセイ、綿花、アブラヤシ

の生産地の分布地図(2005年データ)で、上図とも、ほぼ重なっている。

     (ネット画像より) 

 

◇アフリカの天然資源

 アフリカは、天然資源が豊富と言われている。 下図にあるように、エネルギー関連では、北アフリカ一帯などで、

       原油、天然ガス、石炭

が産出されているが、世界全体に占めるシェアは、さほど、大きくは無い。  

 一方、鉱物資源関連では、南部アフリカ地域や、中部アフリカのコンゴ等で

      プラチナ、ダイヤモンド、金、コバルト、銅

等が産出され、世界に占めるシェアが、極めて大きいものもある。(図は、ネット画像より)              

       

 天然資源は有限で、掘りつくせば、いずれ枯渇してしまう運命だが、推定埋蔵量でみると、下図のように、まだ、かなり期待できるものもあるようだ。(ネット画像より)

       

 ◇ モノカルチャー経済

 上記の農産物と天然資源だが、下図のように、2010年のデータで、産出国によっては、その国の輸出全体に占める比重が、かなり高い国があり、モノカルチャー経済になっているのが気になるところだ。(ワールドカップの開催されるアフリカに注目 より) 

           

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アフリカの諸国   余談

2017年05月22日 07時01分04秒 | 日記

2017年5月22日(月) アフリカの諸国  余談

 

 

  当ブログではこれまで、アフリカシリーズとして、

        アフリカの諸国  1~3  (2017/5/6~5/15~5/20)

を、投稿してきたが、ここで、余談である。

 

◇ アフリカの植民地に関してネットで調べていると、

      アルトゥルイズム altruism 

という言葉に出会った。筆者は、全く聞いたことは無かったが、辞書によれば、愛他主義、利他主義という意味とある。

これの反義語は、辞書でも

      エゴイズム  egoism 

とあり、利己主義の意で、こちらは良く知られている言葉だ。

 altruismの語源は、ラテン語の 

      alter 他者

に遡ると言う。(利他主義(りたしゅぎ)とは - コトバンク

 

 欧州列強がアフリカに進出するにあたって、アフリカの人たちは人種的・文明的劣等である、という強い意識を持ち、支配下に置いた人たちに、ヨーロッパ式の宗教、政治制度、言語、文化を「与える」ことは、未開な人々を文明化する行為である(altruism)とみなされ、植民地獲得は文明の名のもとに正当化された、という。(アフリカ分割 - Wikipedia から) 

これが本当だとすれば、思い上がりも甚だしい。強烈な利己主義を裏返した、偽善的なまやかしの理屈で、これは、ナチの、優生主義の思想と同じだろう。軍隊と一緒に、宣教師も派遣されたのである。 

大戦中、日本軍が、南アジアに進攻したことで、イギリスの植民地から解放された、といった理屈も同じだろう。

 

◇ 本来の意味での愛他主義、利他主義とは、どんなものかは知らないのだが、その精神を言葉で言えば、

      慈愛、博愛、思いやり、自己犠牲、忍容

等だろうか。

*孔子は、論語の中で、

      己の欲せざる所は、人に施すこと勿れ

    (自分が人からされたくないと思うことは、人に押し付けたりしないことだ)

と話し、これを、「恕」、「仁」の心と説いたと言われる。

英語表現では、以下のようになるだろうか。

   Don’t do to others what you don’t want others to do to you.

 

*一方、キリストは、聖書の福音書の中で、

   Do to others as you would have others do to you.

等と言ったという。以前、英文法では苦労した文型だがーーー。

これを、日本語表現にすれば、以下のようになるだろうか。

    己の欲することを、人に施すべし

  (貴方が人にしてもらいたいと思うことを、人にしてあげなさい)

 

 同じことを言うのに、東洋では、ネガティブ表現で、西洋では、ポジティブ表現なのが面白い。

いずれにせよ、聖人ならぬ凡人には、到底実践できない生き方ではある。

  

◇ “他者も、己のように思っている”、という基本理解から、筆者は、己と他の、双方に益をもたらす考え方が重要と考え、これをどう呼べばいいだろうかと思いめぐらし、

      相利主義 利相主義

      相互主義 互助主義 

等が思い浮かんだが、いまいち、ぴったり来ない。

 

 ここで、最近良く使われる、横文字の

      win―winの関係

が思い浮かんだ。この日本語として、この所、外交でも良く使われる、

     (戦略的)互恵関係

がみつかり、

      互恵主義  reciprocity レシプロシティ

とするのがよさそうと考えた。 これを、win―winと同義語、とみてもよさそうである。

 今“はやり”の、利己的で、我田引水の、○○第一主義、△△ファースト主義ではなく、他も尊重しながら、利害の相違があっても、「互恵主義」で進めることが、これからの、いろんなレベルでの関係づくりで、重要となるだろうか。

仲睦ましい男女間の関係を、「相思相愛の仲」と表現するが、生来、互いに異質なものを持っている男女が、愛し合い魅かれ合うのは、当たり前のことで、 win-winの原点だろう。

 

 

 

 

 

 

 

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アフリカの諸国   3

2017年05月20日 11時55分37秒 | 日記

2017年5月20日(土) アフリカの諸国  3 

 

 当ブログでは、これまで、アフリカシリーズとして、下記記事

    アフリカの諸国 1 (2017/5/6)

    アフリカの諸国 2 (2017/5/15)

で、アフリカの地理や、国連による開発状況の区分等を取り上げてきた。 

本稿では、現在のアフリカ諸国を理解する上で避けて通れない、植民地の歴史をみることとしたい。

 

◇アフリカの植民地化の完了まで

 ヨーロッパ勢力のアフリカへの進出は、初期は、スペイン、ポルトガル等が、北アフリカやギニア湾の沿岸周辺で、珍品を扱う等が主で、内地までは達していなかったという。

ギニア湾の一帯には、19世紀初頭まで、奴隷海岸、象牙海岸、黄金海岸などと呼ばれた地域があったようだ。アメリカへの奴隷貿易も盛んに行われたが、奴隷制に対する世界の批判の中で、この貿易は無くなっている。 

列強が、アフリカを植民地にする狙いは、何だったのだろうか。 工業化が進んできた欧州で、天然資源や農産物等の原料の供給源に対する必要性が高まるとともに、工業生産物の消費市場の拡大にも繋がったようだ。 奴隷に代わる安価な労働力の供給源ともなっただろうか。 

 このようにして、欧州列強が、我が庭のようにアフリカを分割し、植民地化する動きは、19世紀後半(1880年代)頃から活発化し、先発国、後発国が入り乱れた、熾烈な争いを繰り広げている。 

 

 先発国であるイギリスは、エジプトから南下するとともに、南端のケープ植民地から北上する、大陸を南北方向に進む政策(大陸縦断政策)をすすめた。

一方、フランスも、マグレブ地域(モロッコ)から始まって、東西方向(大陸横断政策)に進み、紅海に面したジブチまで達している。

これらに続くように、イタリア、ドイツ、ベルギーも争奪戦に参入し、古株のポルトガル、スペインも加わっている。

 このようにして、1911年にイタリアが、リビアをトルコから獲得したことで、下図のように、第一次世界大戦直前に、欧州列強7ヶ国による、植民地の山分けが完了したと言われる。(以上 アフリカ分割 - Wikipedia など) 図にあるように、分割の対象にならなかったのは、当時独立を保っていた、エチオピアとリベリアのみだったという。

   

 この、分割されなかったエチオピアとリベリアだが、エチオピアは、一時、イタリアに支配された時期もあるようだ。また、リベリアは、アメリカの奴隷解放後、解放された奴隷たちによって作られた特殊な国家という。

 

 地図で分かるように、植民地の境界線は、川や湖などもあるが、目標がない砂漠地帯では、人為的にならざるを得ない事もあり、緯度・経度による、直線的な国境線も多い。

土着の民族・部族が機械的に分断されることで、後述する植民地から独立する段階で、紛争の要因にもなっているようだ。

 

◇ ドイツの敗戦

 第一次世界大戦の結果、ドイツが敗れたため、ベルサイユ条約(1919)で、ドイツ領の植民地は、当時の国際連盟の信託統治領となり、細分化され、統治国は、図にあるように、次のようになっている。 

 ドイツ領東アフリカ→ルワンダ・ウルンディ (オランダ信領)

               タンガニーカ (イギリス信領)  

              キオンガ (ポルトガル信領  後にポルトガル領モザンビークに統合)

 ドイツ領カメルーン→東カメルーン(フランス信領) 

               西カメルーン(イギリス信領)  

 ドイツ領トーゴランド→東トーゴランド(フランス信領)

                西トーゴランド(イギリス信領  後にイギリス領ゴールドコーストに統合)

 ドイツ領南西アフリカ→南アフリカ信領 

 

アフリカの植民地は、第二次世界大戦後までこのような状況が続いて、次項の、独立の時代を迎えている。

 

◇植民地からの独立

 欧州列強の植民地として、長い間収奪されてきたアフリカだが、下図にあるように、第二次世界大戦が終了した1945年を経て、植民地からの独立が相次いだ。中でも、1960年は、アフリカの年と言われ、多くの地域が独立国(17国)となった。   

    アフリカ諸国の独立時期(ネット画像)

 図にある、第二次世界大戦以前の独立国は、前記2国以外は、イギリスから独立していた

     エジプト(1922年)、南アフリカ(1931年)

だけであり、4国以外の諸国は、すべて、大戦後に独立している。

 

 ここで、独立した諸国を、植民地の宗主国(信託国を含む)別に、国境線と国名を中心に、大雑把に見てみたい。 各宗主国の後の文字は、以下の意味である。

   A1 独立時、植民地の時の国境線は、ほぼ、そのまま引き継いだ所。

      独立後の国名も、そのまま

  A2 独立時、植民地の時の国境線は、ほぼ、そのまま引き継いだ所。

     独立後の国名は変更 

   B1 独立時に、地域が細分(又は統合)されて、独立国となった所。

      国名は、そのままの所と、変更された所がある。

  国名略称:英:イギリス 仏:フランス  伊:イタリア 西:スペイン

                白:ベルギー 葡:ポルトガル 蘭:オランダ 南ア:南アフリカ

 

 英 A1(エジプト)、(南アフリカ)     

      ナイジェリア、タンガニーカ、シエラレオネ、ガンビア、スワジランド        

   A2 ゴールドコースト→ガーナ

      ニアサランド→マラウイ

          北ローデシア→ザンビア

      南ローデシア→ジンバブエ

      ベチュアナランド→ボツワナ(ベチュアナの現地音)

      バストランド→レソト

      西カメルーン→東カメルーン(仏)と統合してカメルーン 

      英領ソマリランド→ソマリア(伊)と統合独立(1960) 

                                                 (ソマリア内戦後、現在も実質分断中)

   B1 アングロ・エジプト・スーダン

         →スーダン→スーダン、南スーダン(2011)

      イギリス領東アフリカ→ケニヤ、ウガンダ

 

仏  A1 モロッコ、アルジェリア、チュニジア、マダガスカル、ジブチ

     A2 東トーゴランド→トーゴ

            東カメルーン→西カメルーン(英)と統 合してカメルーン   

   B2 フランス領西アフリカ→モーリタニア、マリ、ブルキナファソ、ニジェール、

                        セネガル、ギニア、コートジボアール  

      フランス領赤道アフリカ*→チャド、中央アフリカ、コンゴ、ガボン

                                    *1910年、フラス領コンゴ(現在のコンゴ、ガボン)を包含

伊  A1 リビア→イタリアの敗戦で、英仏共同統治に→独立(1951)

      エリトリア→エチオピアが編入→エチオピアから独立(1993) 

      伊領ソマリア→ソマリランド(英)と統合独立(1960) (ソマリア内戦後、現在も実質分断中)

西  A2 リオ・デ・オロ→西サハラ(非独立国 モロッコが領有権主張 現地に解放戦線)

白  A2 ベルギー領コンゴ→コンゴ民主→ザイール(1971)→コンゴ民主(1997) 

葡  A1 アンゴラ、モザンビーク

    A2 ポルトガル領ギニア→ギニアビサウ 

蘭  B2 ルワンダ・ウルンディ→ルワンダ、ブルンジ

南ア A2 南西アフリカ→ナミビア    

  

◇独立後の状況

  独立後、民族・部族間等の争いが絶えない地域もあり、下図にあるように、大戦後の70年を越える歴史の中で、○○戦争、△△動乱、××内戦等が、各地で生起している。

国名に冠している「共和国」(Republic)は、名ばかりで、独裁的で、政治的に不安定な国も多いようだ。

最近の各国の状況については、次稿以降で取り上げる予定である。

       (ネット画像)

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アフリカの諸国  2

2017年05月15日 15時04分23秒 | 日記

2017年5月15日(月) アフリカの諸国  2

 

 

 アフリカシリーズの第2弾である。

 前稿では、アフリカの地理について取り上げたが、今回は、アフリカの、地域的な区分や、発展段階別の区分等について話題にしている。

 

 

◇国連の地域区分

 国連では、アフリカの国々を、下図のように5地域に分けている。それぞれの気候条件の違い等もあり、地域毎の経済活動のまとまりともなっているようだ。    

                                   

 北アフリカ地域を除く、サハラ砂漠以南全体を、サブサハラ(ブラックサハラ)と呼ぶようだ(スーダンを含む)。北サハラ地域は、アラブ人が主だが、サハラ以南は、黒人が主となっていることから、こう呼ばれているようだ。

 

 

◇ 開発状況による分類

 国際的には、開発状況によって、国々を、以下のように分類している。

*先進国  Developed  Country(先進国 - Wikipedia 参照)

 先進国か否かを判断するために、各種国際機関等により、8つの各種指標(後述のGNI、HAI 等)が挙げられている。 

・これ等全てを充たす国は、以下の24ヶ国のようだ。

    西欧(英、独、仏、伊など18ヶ国)、北米(米、加のみ)、東アジア(日、韓のみ)、

    オセアニア(豪、ニュージーランドのみ)

・各種指標を部分的に充たしている国は、26ヶ国あり、両者を合わせると、50ヶ国となる。

・先進国は、OECD加盟国と、重なる国も多いようだ。

  

*後発開発途上国 Least Developed Country:LDC  48ヶ国

  最も開発が遅れている国々をこう呼んでいるが、以下の3条件で判断・区分されているようだ;

     ・所得水準が低い  GNI(国民総所得)992米ドル/年・人 以下

     ・人的資源に乏しい HAI:Human  Asets  Index(人的資源開発程度を示す指標)が一定値以下 

                      カロリー摂取量、乳幼児死亡率、就学率、識字率から算出

     ・経済的に脆弱だ  EVI:Economic Vulnerability Indexが一定値以下

  不名誉だが、最貧国などと呼ばれることもある。

 

*開発途上国(発展途上国)  Developing  Country 

  上記の、先進国、後発開発途上国以外の、多くの国々 

 

 

◇LDCの状況

 2016年現在、世界で、48カ国が指定されている。(3年ごとに見直し) アフリカの多くの諸国(北アフリカ・南部アフリカ・一部の中部アフリカ 以外)の他、アジア、オセアニア など。

前記の3条件をクリアすると、LDCの指定が解除されるが、今後2025年までの指定解除(卒業)の見通しは以下のようで、アフリカの後進性が際立っていることだ。  (後発開発途上国 - Wikipedia等 より)

           2016現在 2025  記事

    アフリカ    34      30  大半が残留(卒業見込みは4ヶ国のみ)

    アジア      9       1  カンボジアのみ残留

    オセアニア   4       0

    北アメリカ    1       1  ハイチのみ残留

     計       48      32 

 

アフリカのLDCの状況を下図(青色)に示す。

図中の緑色の国は、最近、LDCを卒業した、以下の国である。

   ボツワナ(1994)、ケープベルデ(2007)

又、図中の青色のイエメンはアジアだが、2025年には卒業見込み。

     

 

 

 

 

 

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アフリカの諸国  1

2017年05月08日 16時38分32秒 | 日記

2017年5月8日(月) アフリカの諸国  1

 

 

  当ブログでは、ここしばらく、アメリカに因む話題を取り上げてきたが、前記事までのトランプ政権の100日シリーズで、一区切りである。

パズル形式で州あてクイズを楽しめるサイトも見つかって、目標としてきた、全米50州の名前や位置が、ほぼ、頭に入った状況であり、アメリカについては、そのうち、改めて取り上げることとしたい。

 

 筆者の地図好きは、アメリカの州の数(50)とほぼ同じ数(54)の国々があるアフリカについて、挑戦してみようという展開となった。

アメリカについて御世話になった上述のサイトで、アフリカの国々についても、パズル形式で、国名と位置について早速やってみた(Africa - Geography Maps -Map Game)。

だが、結果は、殆どの国が曖昧で、自信をもって答えられたのは、

     エジプト、エチオピア、南アフリカ、マダガスカル、ソマリア

くらいだった。

 

 アフリカには、広大な面積の国々や、細々と小さく仕切られた国々が、全部で54あるが、当惑したのは、筆者の知識と比べて、国境や国名が、かなり変化してきていることで、以前、地図に出ていた名称が、何時の間にか、変わってしまっている!

アフリカには、欧州列強の植民地として支配され、地域紛争も絡んだ中で、そこから独立してきた歴史がある訳で、勢い、歴史を調べる必要も出てきたようで、こちらは容易ではない。 

 ともあれ、アフリカの現状からスタートすることとし、先ず、地理的な状況を見てみたい。

 

 

◇地理的状況

 地理的な状況は、時間が経過しても、変化しない訳だが、アフリカ大陸の通常の地図は、国境線が入った、下図のようなものだ。(ネット画像より)

アフリカ大陸は、世界全体の陸地の22%をも占めている。

     

 ・スエズ地峡でユーラシア大陸と繋がっていて、地中海、大西洋(ギニア湾)、インド洋、紅海に囲まれていて、ヨーロッパとの間には、ジブラルタル海峡がある。

アフリカ大陸周辺の島嶼には、インド洋上の、日本全体の約1.6倍も広いマダガスカル島(間は、モザンビーク海峡)は別格として、コモロ諸島 セイシェル諸島 モーリシャス諸島など、多くの島々がある。 

・大陸全体としては、平らな台地状の地形が多く、これらは、地学的には、楯状地、卓状地とよぶようだが、これらについては、まだ、把握してはいない。(地体構造-新期・古期造山帯,安定陸塊(楯状地・卓状地)) 

その地形の上が、熱帯雨林や、高原(エチオピア高原等)や、砂漠(サハラ砂漠、ヌビア砂漠、カラハリ砂漠等)、草原(マサイ草原等)、盆地(コンゴ盆地等)、平野(ナイルデルタ等)などとなっているのだろうか。

・山脈としては、日本からすれば極めて少なく、生成時期が新しいとされる、北端地中海沿岸のアトラス山脈と、生成時期が古いとされる、南端に近いドラケンスバーグ山脈があるだけだ。他に、独立峰的に、赤道近くのキリマンジャロ山(アフリカ最高峰 5895m)や、サハラ砂漠の中のところどころ等に、高山がある。

・水系では、世界最長のナイル川(白ナイル、青ナイル)、流域面積が広いコンゴ川、ニジエール川、ザンベジ川などがある。

湖としては、大陸最大のビクトリア湖(ナイルの源流)、タンガニーカ湖、マラウイ湖、チャド湖(水量が激減)等がある。

 

 

◇大地溝帯

・アフリカ大陸の、地質学的な特徴としては、巨大な地割れである、地溝帯(Rift   Valley)が存在する事だろう。下図に赤線で示す、東北部のエチオピア高原から、ビクトリア湖の東側を経て、タンガニーカ湖、マラウイ湖を通り、ザンビアに達する、長大な東リフトバレーがあり、エチオピアの反対側は、紅海を通って死海にまで達するという。

一方、ビクトリア湖の西側を通り、マラウイ湖からザンベジ川流域に達する西リフトバレーがある。(図のように、海側は、ニアサ・リフトバレーと呼ぶこともある)

     (ネット画像より)

 

・地溝帯沿いには火山も多く、温泉などもあるようだ。地溝帯に属する、エチオピア北部のエルタ・アレ火山には、地下のマグマが、恒常的に地表に表れている溶岩湖があるようで、TVで観た事もある。(アフリカ大地溝帯を歩く(エチオピア) - 西遊旅行の添乗員同行ツアー(130号) ) 

・地溝帯は、地球内部のマグマが、地表を押し上げる結果、地割れが生じて形成されるようだが、年間4cm程度づつ、地割れ広がっているそうな。計算するまでもなく、100年で400cm=4mも広がることとなり、このままだと、数10万~数百万年後には、アフリカの東部が、南北に分断されるという。地球は動いている、という実感だ(地球のダイナミズム

 

◇ アフリカの気候

 ・世界各地の気候は、通常、下図のケッペンの気候区分で表示される。(ネット画像より)

      

  この気候区分では、植生に着目し、気温と降雨量によって、

            5 気候帯

           12 気候区分

に分けられ、気候区分は、さらに、29まで、細分化されている。

 

 ・アフリカの気候は、中央を走る赤道との関係などから、特徴的だが、ケッペン気候区分で表示したのが、下図である。(ネット画像より)

アフリカ大陸の気候には、3つの気候帯があり、それぞれが

        熱帯気候   3区分、

        乾燥帯気候 2区分

        温帯気候  4区分

に分かれて、全体で、9に区別できるようだ。(下図、凡例参照)

                                  

気候帯   熱帯      乾燥帯  ←   温                  帯 →      ←  亜       寒        帯  →     寒帯

区分    雨林       砂漠       地中海性  冬期少雨  湿潤       (     省             略 )        ツンドラ

      弱乾季     砂漠        地中海性   冬期少雨   西岸海洋    (     省            略 )        氷雪

     サバナ     ステップ                     冬期少雨     西岸海洋       (     省             略 ) 

                                                                        (      省            略 ) 

          太字は、アフリカに存在する区分                               (      省            略 ) 

・赤道周辺には、コンゴ盆地とコンゴ川流域に熱帯雨林があり、その周囲の、ギニア湾周辺や、モザンビーク東海岸に、サバナが広がっている。

・熱帯気候地帯の北部には、世界最大の、広大なサハラ砂漠がある。また、東部のソマリア半島周辺や、南部の西海岸にも、砂漠地帯がある。砂漠の周囲には、ステップ気候帯が広がっている。

・南回帰線よりも低緯度なのだが、アフリカ南部のザンビアなどに、温帯性気候の地域があるが、湿潤な日本と違って、冬期は、雨が少ないようだ。

又、狭い地域ながら、地中海に面しているモロッコ北部は、地中海性気候に属し、南端のドラケンズバーグ山脈の南には、西海洋性気候の地域もあるようだ。

・マダガスカル島には、上記の地域が混在しているようだ。 

 

  アフリカ全体としては、台地状の陸地を、広大な砂漠と、熱帯雨林とサバナ、ステップが大半を占めていて、居住や耕作に適した温暖な地域は、ごく、限られていると言えるだろう。

ナイル川に支えられて、古代文明が栄えたエジプトも、カイロを含め、全体が砂漠地帯である、というのは、やや驚きである。

 

 

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