つれづれの記

日々の生活での印象

風の色はなんの色

2010年01月31日 23時43分42秒 | 日記
1月31日(日)  風の色はなんの色

 「NHKみんなのうた」は、一般の番組が終わったあと、一寸の時間に入ってくる。いつもは、なんとなく聞き流したり、他の番組に切り替えるのだが、12月後半の或る日、ふと聞いた「風がきれい」の歌に、引きつけられた。
 風がきれい、という表現を聞いて、風が、きれい??!!、と、驚いた。そして、
    春の風は 花の色
    夏の風は 海の色
    秋の風は 空の色
    冬の風は 雪の色
と、四季に亘って、風の色がある、という歌詞は、少し大袈裟だが、衝撃的だった。そして、この部分が、素敵なハーモニーで歌われるのが、なんとも魅力的なのだ。
 この歌、6人から成る男性ボーカルで、変わった名前のチキン・ガーリック・ステーキ(愛称 チキガリ)が、伴奏無しの、アカペラで歌っている。
 早速、書店で、NHKみんなのうた、のテキストを探したが、見つからない。12月で売れ残った本は、返品してしまった、との事。新たにお願いして、取り寄せてもらった。

 テキストやNHKのHP等で知ったのだが、この曲が出来た経緯は、感動的である。NHKの某ディレクターが、目の見えない子供たちの施設(盲学校)を訪れた時のこと。そこの子供が、外に出たら
   ワア 風がきれい!
と、感嘆の声を発したそうな。某ディレクターは、この言葉に感激し、これを記事にした。それを見たある女優(新井晴みさん 以前、NHK連続テレビ小説の主人公で出演)が、早速、詩を書いてくれて、これにメロディーが付けられ(作曲 滝本翔太氏)、この曲が生れたそうである。

 テキストから、歌詞の一部を、引用させていただく。
   風がきれいと 言ったあなた    
   いままで私が 気づかなかった
   あなたの言葉が おしえてくれた  
   私も静かに 目を閉じて
   心の扉を 開いてみたら
   大切なこと 見える気がする
   風のいろどり 輝いている
と、ディレクター氏が感じたままが、素直に言葉になっている詩である。
この後に、前述の、四季の風の色を歌う、美しいハーモニーが続くのだ。
 心の目で、風や風景を感じ取る、作詞者の感受性の豊かさが、素晴らしい。改めて、風景という言葉を考えてみると、風という字が使われている!

 言うまでも無く、目の見える晴眼者にさえも、風が見えるわけではない。
以前覚えた、「風」かぜという歌(英国詩人 ロセッティ作詞、西条八十訳詞)は
   誰が風を見たでしょう
   僕もあなたも見やしない
   けれど木の葉を震わせて
   風は通りぬけてゆく
ということで、正に、これが、普通の感覚である。
 四季それぞれの風に、花や、海や、空や、雪の色がある、というのは、通常の感覚では、理解を超えている。精々、感じられるのは、花の、海の、空の、雪の、匂いや、肌触りぐらいだろうか。
 でも、心静かに目を閉じて、爽やかな風に吹かれていると、誰しも、風がきれい、の歌のように、心の中に色々な思い出や風景が、思い浮かんできて、風の色さえも見えてくるようにも思える。

 風がきれい、という感覚は、俳人 松尾芭蕉の有名な句、
     静けさや岩に染み入る蝉の声
で、蝉の鳴き声が岩に染み込むようだ、という感性と、相通じるものを感じる。
 又、俳句の世界に、同じような感性を感じる、素晴らしい季語がある。
     風光る
     山笑う
というもので、自分には、かなり前から忘れられないものだ。風光る、は、春先の軟らかい風が、きらきら光るようだ、という、嬉しさが込められていよう。山笑う、は、早春、冬枯れの山が、次第に薄紫色に、ぼーっと染まっていく様をあらわした、春の喜びの表現であろうか。このような季語を残してくれた、先人の鋭い感性に感謝したい。

 四季の風の色について一言。歌詞では、春―花、夏―海、秋―空、冬―雪とあるが、秋は、天高く馬肥ゆるの候、とも言われるように、空が澄んで美しい。が、春の花に対して、秋は紅葉もいいように思う。でも、ハナ、ウミ、ユキと同じく、ソラは、2音なのに対して、モミジだと3音で、字余りになり、歌いにくくなるのが欠点。春と秋は植物の美しさ、夏と冬は水に因む自然の風景、というのも悪くはないと思うのだがーー。

 曲自身は、比較的ゆったりとしていて、歌いやすい。放送は1月で終了するが、ばっちりビデオにとってある。いずれゆっくり覚えて、得意の尺八で、演奏できるようにしたいものだ。

 NHKみんなのうた、は、50年近い長寿番組のようで、
     山口さんちのつとむくん
     さっちゃン
     おもちゃのチャチャチャ
     小さい秋みつけた
     おしりかじり虫
など、童謡や唱歌の思い出の曲が多いのだが、
     さとうきび畑
     風がきれい
のような大人向けの曲もあるようだ。これからも、楽しく、思い出に残る歌に期待したい。

         
 

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柿のある風景

2010年01月30日 14時33分29秒 | 日記
1月30日(土) 柿のある風景  
 昨年の11月頃、デジタルテレビ 7チャンネル、TV―TOKYOの番組で、「日本の原風景」として、和歌山県葛城町の「串柿」つくりが紹介された。皮をむいた柿を、10個づつ、長い串に刺し、専用の干し台に、次々と連ねて吊り下げた光景は、まるで、橙色の玉簾のように鮮やかである。初めて目にするだけに、今の日本にも、こんな風景があったのか、と、新鮮な驚きであった。機会があれば、その最盛期に、是非、訪ねて見たい場所の一つである。
 以下の葛城町のサイトに、温もりのある写真が、紹介されている。 
 串柿の里

 番組の中で、並んだ10個の柿が、何を意味するかの説明があり、成る程と思い、すぐメモしておいた。
    左端の2個と、右端の2個は   いつも にこ(2個)にこ(2個)
    真ん中の6個は         仲(中)睦(6つ)まじく
という事で、夫婦や家庭が円満であるように、との願いが込められているようだ。7・7調の素晴らしい掛け詞(ことば)になっており、先人の知恵に、脱帽した次第。

 自分は、これまで、串柿というものの存在を、聞いたことが無かった。ネット情報によれば、この串柿、家を守る刀を象ったものだそうで、関西方面では、正月に、これを、鏡餅の上に乗せて飾るそうな。正月用の各種飾りの一つとして、注連縄(しめなわ)、橙(だいだい)、裏白(うらじろ)などと同じく、この串柿も、ちゃんと紹介されている。関西地域には、串柿を取引し流通させる、市場もあるという。干している時の串柿の鮮やかな橙色が、干した後は、どんな色になるのか、又、飾り終わった後は、どうするのか、少し気になるところではある。

 柿といえば、お馴染みの「干し柿」がある。こちらは、“へた”の柄に、小枝を付けたまま、柿の皮を剥(む)き、小枝を縄の撚り目に挟んで、数珠繋ぎにして、家の軒端などに下げて干す。この光景も、東北地方の山里などの、秋の風物詩の一つである。以下の写真が素晴らしい。
干し柿風景 

 干して暫くすると、白い粉が浮き出してくる。これは、中の糖分が結晶化したものだそうな。渋柿にも、甘柿と同じように、元々、糖分も含まれているのだが、渋味の素であるタンニンに、抑えられているという。干す事によって、可溶性のタンニンが、不溶性になり、渋抜きされるようだ。干し柿の、ほの甘~く、しこしことした食感は捨てがたい。
 干す事によって、柿の渋味が、正反対の甘味に変化していく化学的過程は、不思議でもあり、人間社会の出来事にも出てきそうで、面白い。
 渋柿を甘柿にするのに、干す他に、
    “へた”の付け根に焼酎を染込ませ、暫く、袋や缶に入れて置く
    ぬるま湯の中に漬けておく
なども、以前の田舎では、どの家庭でも、よくやったものだ。
 雪国では、柿の実を、木の枝に成ったままに残しておくと、冬場になって、甘く軟らかくなる。柿の実のオレンジと、上に被った雪の白さとの対比が、素晴らしい風景となる。これは、渋味を甘味に変える、天然の冷蔵庫と言えるだろうか。この柿は、人間様だけでなく、鳥たちにとっても、冬場の、美味しいご馳走になる。

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今の東京の日の出は7時少し前

2010年01月28日 12時36分23秒 | 日記
1月28(木) 今の東京の日の出は7時少し前

 夜遅く、風呂場でラジオを聴いていると、北は札幌から、南は那覇まで、全国各地の主要都市の、翌朝の日の出時刻が、放送される。いつもは、聞き流すのだが、1月の或る日の夜、明日の日の出が最も遅くなる、と聞いたのが、気になった。自分の拙い知識によれば、冬至(昨年は12月22日)の時が、最も昼が短く(夜が長く)、従って、日の出は最も遅い(日の入りは最も早い)と、思っていたからだ。

 気になってネットで色々調べてみた。日の出、日の入りの時刻は、季節によって変わり、夏は、日の出が早く(日の入りが遅く)、逆に冬は、日の出が遅く(日の入りが早く)なることは、誰しも経験的にわかっていることだ。
 この、日の出から日の入りまでの時間で、昼の長さが決まる。冬至の時が、最も昼が短く、夜が長い、というのは正しい、ことが分かった。
問題は、昼の時間が最も短い冬至の時と、日の出の時刻が最も遅くなる時とが、ずれているのは本当か、そして、何故、そのような現象が起きるのか、という事である。

 ネット情報によれば、1日とは、太陽が真南に来る南中から、次の南中までの時間、と定義されている。1日24時間というのは、あくまでも1年間を通じた平均値で、正確に言えば、24時間以上になったり、以下になったりと、季節ごとに、日ごとに、少しづつ変化している、という。変化量は、±15分程度で、これを、「均時差」と呼ぶようだ。(均時差とは、分かりにくい用語だが、平均太陽時と、視太陽時との時間差、というところを短縮したのだろうか。)
 この均時差の量が、季節(月、日)により変わり、昼が最も短い冬至の日と、日の出が最も遅い日との、ズレの原因となる。日本標準時の東経135度では、日の出が最も遅いのが1月7日頃になり、冬至から約16日後、程度のズレとなる。
 24時間に対して10数分という値は、通常の感覚では誤差の範囲、と解すれば、冬至の時が日の出も最も遅い、といってもほぼ間違いではないのだが、一旦気にすると、以下のように、結構、難しい理屈となる。

 均時差が生じるのは、天体としての地球の
   公転軌道が楕円であること
   自転軸が、公転面に対し垂直でなく、23.5度傾いていること
が原因と書いてある。宇宙空間での立体幾何学は、自分の理解を超えており、“説明責任”は果たせそうに無く、受け売りだ。
 又、若し、地球の
   公転軌道が円である
   自転軸が、公転面に対し垂直である
という仮定が成り立てば、先述の均時差が無くなり、冬至の時に、昼の時間が最も短く、日の出時間が最も遅くなって、両者は完全に一致する、ことになるようだ。
 以上の受け売りは、下記のサイトに大変お世話になっており、お礼を申し上げたい。
暦と天文の雑学ー均時差の話ー 
 均時差を語る  
 1日は、ほぼ24時間であるが、ここで、冬至から夏至までの半年間の、昼の長さの変化を見てみよう。
大雑把に言って、冬至と夏至とでは、昼の時間が約4時間ほど違うことから、
   4×60×60/182.5=79秒≒1分20秒
から、1日当たり、約1分20秒づつ、3日で4分程度づつ、日足が長くなる計算だ。
 言うまでもなく、夏至から冬至までの半年間は、この逆となる。

 日の出に関して、数年前、千葉県の銚子方面に旅行した際、元旦の初日の出が、日本で一番早いのは、千葉県の犬吠岬である、と聞かされ、エエッと思ったことがある。太陽は東から昇ることから、日本列島で、経度が最も東の、根室半島の納沙布岬(犬吠岬と5度も違う!)が、日の出が最も早い、と思っていたからだ。これも、その時に調べたら、その通りである、と判明し、
   地球の自転軸が、公転面に対し垂直でなく、23.5度傾いている
事が、その理由のようだ。でも、なんとなく、今でも、すっきりとはしていない。
この場合も、
   地球の自転軸が、公転面に対し垂直である
と仮定すれば、経度の通りに、日の出時刻が決まる、ことになるのだろう。
 地元の人たちは、地球の23.5度の傾きを、重要な観光資源として、今年の正月も、日本一早い初日の出ツアーを、大いにPRしたに違いない。












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新型インフルエンザ予防接種

2010年01月27日 13時27分27秒 | 日記
1月27日(水)  新型インフルエンザ予防接種

 新型インフルエンザの予防接種の、順番が回ってきた。予め、報道により、65歳以上の高齢者は、1月に入ったら、接種が始まる、と聞いていた。区役所の方から案内が来るものと思っていたが、特に無かったので、近くの掛かり付けの医院に行った時に聞いたら、申し込み制で、この1月から、65歳以上は受けられるという。ワクチンは20人分単位なので、月曜、火曜に集中して接種する、というので、早速、予約した1/18(月)に打ってもらった。
 注射そのものは特に痛くはなく、その後も、別になんとも無かった。が、1週間ほど過ぎた先日、朝方、急に鼻水が出始め、一日中、止まらなかった。でも、これは、ワクチンの影響ではなく、一寸寒い思いをしたため、と思われる。
 新型の予防接種は、大人は、一回で有効、との報道がなされていた通りだが、料金は3600円もする。でも、区から、1500円の補助が出るため、差し引き、2100円の負担となった。

 一方、通常のインフルエンザの予防接種については、昨年10月頃に、区から案内が来たが、こちらの方は、2回接種で
    1回目 2600円(300円の補助あり)
    2回目 2500円
と、費用も無視できない。結局、自分達は大丈夫、と高をくくって、これまで受けたことは無く、この冬も受けていない。

 新型インフルエンザについては、昨年、メキシコやアメリカでの流行から始まり、世界的に大きなニュースになった。以前、世界的に流行し、たくさんの死者が出たという、スぺイン風邪の経験もあり、いわゆる、恐ろしいパンデミックとして、大変な事態になると予想された。日本でも、新型の感染が、全国的に急激に拡大し、かなり緊張した。自分でも、外出から帰宅した時は、手洗いとうがい(ヨード系のうがい薬)の励行に努めるとともに、怪しいと思った時の発熱外来への連絡法、などの情報収集もした。
 が、幸にも、毒性が弱いウイルスだったので、大変な事態には至らず、最近は、死者が出た、などのニュースもあまり聞かず、わが身としてもほっとした。しかし、社会的弱者に分類される、自分の年齢も考慮し、このワクチンの接種は受けた次第。

 気温が低く空気が乾燥するこの季節は、ウイルスが勢力を振るいやすい環境だけに、まだまだ油断は禁物だし、ウイルス自身がより毒性の強いものに、変異する可能性もある。社会全体として、なんだ、こんなものか、という、心の緩みが生れることが、懸念される。

 ワクチンといえば、昨朝のニュースで、女性特有の子宮頸がんを予防できる、ワクチンの紹介があった。この癌は、HPVというウイルスが原因で起こるようで、ワクチンで癌が予防できるとは、画期的。料金は、3回で数万円と、かなり高いが、10歳以上から有効で、結婚前の、若年層にも勧めれれているようだ。
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正月飾り ご苦労様

2010年01月25日 23時08分02秒 | 日記
1月25日(月)  正月飾り ご苦労様

 我が家では、正月を迎えるのに、ささやかな、三つの飾りをするのが慣例である。
一つは玄関だ。毎年、関西の知人が、庭にある梅の枝を切って送って呉れるので、それに、近くの花屋で見繕って足し合わせ、玄関に飾る。この正月は、忙しさで知人の手が回らなかったこともあり、31日ギリギリに、宅配便で、どっさり届けられた。中を見ると、いつもの、
  梅の枝
に加えて
  松の枝、竹の枝
が入れてあり、お目出度い、松竹梅のセットにしてもらっている。更に、
  赤い実の南天、黄色い実の千両、紅い実と白い実の万両 
  赤紫色の実のモチモチの木、菊の花、等
広い冬のお庭を賑やかにしている成り物などを、沢山、切り取って送ってくれている。たまたま、暮に、家人がお祝いに頂いたオレンジ色のバラもあったので、これもを、一緒にして、活けることにした。
 花器は、いつものように、玄関にある傘立てである。傘立ての中に、細長いプラスチックの水入れを入れ、木の枝を渡して倒れないようにして活けると、玄関飾りが完成した。出来上がってみると、松竹梅に、実を付けた豊富な花木類や、バラと菊の花が引き立つ一方、傘立てとのバランスもよく、なかなかのものだ、と、自賛した次第。
 今年は、花屋で買い足す必要が無かったが、安く上がって良かったような、花屋に申し訳ないようなーー。関西の知人には、早速、写真を添えて、お礼状をお送りした。


 もう一つは輪飾りである。神棚が無い我が家では、簡単な輪飾りを、水周りにつけるのが慣例だ。毎年、暮近くになると、近隣の団地の空き地に、臨時の小屋が建ち、中でおじさんが正月飾りを売っているので、今回もと行って見たら、何故か、いつもの場所に小屋が無かった。どうしたのかな、身体でも具合悪くしたのかな、などと憶測しながら、日をずらしながら、周辺を探しても、結局、見当たらなかった。
 已む無く、少し離れた、私鉄の駅周辺の商店街や、行きつけの病院の裏手にある商店街を物色し、漸く、見つかった。高級品は縁が無いので、もっとも簡単な、5個1000円也の、藁と、裏白と、和紙(御幣)で出来た輪飾りを、花屋で買うことが出来た時は、やれやれと一安心。、
 帰宅後、細い針金も使い、台所、洗濯機、風呂場、トイレ、植木用の屋外の水道栓に、くくりつけて完了。


 三つ目はお供え餅である。これも、近くのスーパーで、各種サイズがある中から、二種類を買い、リビングのコンポの上等、室内に飾った。暮れに、知人が贈ってくれた、縁起がいいとされる、枝付きみかんも一緒だ。


 正月飾りは、松の内が過ぎたら外すが、我が家では、1月14、5日頃が目標だ。
家人が生まれ育った仙台では、14日の夜、八幡神社で、「どんと祭」があり、正月飾りを炊き上げる。夜空に舞い上がる火の勢いに興奮したものだ。しかし、この辺りでは、そのような風習も無いので、正月飾りに、ご苦労さん、と塩を振り、新聞紙に包み、燃えるゴミとして持っていってもらっている。
 供え餅は、真空パック入りなので、カビが生える心配は無い。3月末まで、3ヶ月間は持つ、と表示してあるので、ゆっくり頂くことにしている。
 昔の田舎の正月には、丸くした鏡餅を飾った。暫くするとひびが入り、割ってみると、中に、黄色や青いカビが生えていて、カビを擦り落としながら、油で揚げて食べたものだ。
 現在食べている切り餅は、一切れごとに袋に入っているのが多いので、このカビ君、最近はとんと見かけず、不思議と懐かしい。
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