つれづれの記

日々の生活での印象

平成から令和へ  1

2019年04月30日 10時46分45秒 | 日記

2019年4月30日(火)  平成から令和へ 1  

 

 現天皇の生前退位と新天皇の即位という、憲政史上初めてとなる、天皇の代替わりがあり、目下、それに伴う一連の行事が進められている。

 少し以前の1月には、9名の委員からなる有識者懇談会の推薦に基づいて、新たな元号「令和」が政府によって決定されて、大きな話題となったことだ。

 このところ、平成の時代を振り返り、惜しむように、「平成最後の〇〇〇」が多いのだが、一方、新たな元号にちなんだ商品の売り出しや、新元号スタートの日に合わせて、婚姻届けをする、などの話題も賑やかだ。

 

30年を遡る平成の始まりは、昭和天皇の崩御という、悲しい事象がきっかけで改元が行われたが、生前退位ということで、今回の令和の始まりは、お祭りムードが一杯なのは嬉しいことだ。

 退位して、上皇、上皇后となられる、天皇・皇后の今後の生きがいや、出番なども気になるところだが、過去の天皇の歴史でよく出てくる退位後の院政などは、韓ドラだけで話題となる、杞憂だろう。

 

 平成から令和へ、ということで、興味本位だが、いくつかの話題について取り上げたい。

今回は、さし向きの行事と、祝休日に関するワークライフバランスについて、触れている。

 

◎10連休

 世は、27日から始まった10日間の連休で湧いているが、この10連休の理由を、改めて整理してみた。

 今年は、もともとは、GWが、前半の4/27~4/29と、後半の5/3~5/6に分かれる筈だったもので、4/30~5/2の3日間は、平日だった。

 それが、平成天皇の生前退位が4/30日に行われ、5月1日に令和天皇が即位することが決まって、5/1を、今年限りの、国民の祝日とすることとなった。

 新たな祝日ができたことで、サンドウイッチのように祝日に挟まれる日は、国民の休日とする祝日法の規定で、4/30と5/2も祝日となり、10連休となった。

 今はみどりの日と呼ばれる5/4は、もともとは、5/3と5/5に挟まれた休日だったものだ。

 

以上を纏めると、以下の様になる。

    期日      呼称(意味)    記事

   4月27日(土)   休日     (厳密には、まだ、休日でも平日でもない?)

   4月28日(日) 休日

   4月29日(月) 祝 昭和の日  (旧 昭和天皇誕生日)

   4月30日(火) 国民の休日   (平成天皇退位の日)

   5月 1日(水) 祝 令和天皇即位(今年だけの祝日)

   5月 2日(木) 国民の休日    

      5月 3日(金) 祝 憲法記念日  

   5月 4日(土) 祝 みどりの日  (皇居一般参賀)

   5月 5日(日) 祝 子供の日

   5月 6日(月)  振替休日 

 

 退位の日は、特別な祝日ではなく、前述のように、祝日に挟まれた休日となっている。

 

又、新天皇となって半年ほど経た後、以下の行事がある。

 

10月22日(火) 即位に伴う、新天皇・皇后の即位礼正殿の儀

          都内のパレードが予定 、今年限りの祝日

 

◎天皇誕生日

 明治以降から戦前までは、天皇誕生日は天長節と呼ばれた祝日である。天皇誕生日は以下の様だ。

  明治天皇  11/3  崩御後、明治節に→現 文化の日 

  大正天皇   8/31 *

  昭和天皇   4/29 →みどりの日→現 昭和の日・みどりの日は5/4に

  平成天皇  12/23 **

    令和天皇   2/23 ***

 

 * 実誕生日の8/31と、暑気を避けるため、10/31も天長節にしたようだ。

   (細部は不詳)

 ** 昭和天皇の天皇誕生日の4/29が、崩御後、昭和の日となったが、この前例に

    倣えば、平成天皇の天皇誕生日だった12/23が、平成の日として祝日になる

    可能性があるが、祝日の増加を抑えるルールも必要となるだろうか。

     アメリカ合衆国では、著名な、ワシントン、リンカーン両大統領に加え、すべ   

    ての歴代大統領の誕生日を祝う連邦祝日を、2月第3月曜と決めているようだ。

*** 新天皇の誕生日は、自動的には祝日にならず、法令で新たな祝日にする必要が   

    ある。

 

◎ワークライフバランス

 終戦前までは、以下の祝日があったようだ。  

 ・四大節として (  )は現在

   四方拝  1/1  →元日 慣習的に3が日は休み) 

   紀元節  2/11(→建国記念日) 

   天長節  4/29(→天皇誕生日)

   明治節 11/3  →文化の日)

・宮中行事から 

   神嘗祭  10/17

   新嘗祭 11/23(→勤労感謝の日)

  神嘗祭と新嘗祭の違いや、前者か無くなった理由は、未調査である。

 

 我が国の伝統文化として、勤勉に働くことを善とし、休むことを悪としてきた価値観があるといえる。 

 これを反省し、終戦後は、土曜の半ドンをなくし、振替休日をとりいれ、祝日の間の日も休みとする一方、天皇にかかわる祝日が主だった四大節などの戦前の祝日に加え、以下のように、新憲法にかかわるものや、国民の厚生と労働かかわる祝日を増やしてきたことは、素晴らしいことだ。

  ・新憲法にかかわるもの

       憲法記念日 5/3 (公布の翌年、新憲法を施行) 

        文化の日 11/3 (明治節に合わせて新憲法を公布)

    ・厚生と労働にかかわるもの

      成人の日  1/第2月(今年は1/14)

      子供の日  5/5  (伝統的な、端午の節句)

      海の日    7/第3月(今年は7/15)

      山の日    8/11 (慣習的な、お盆休みに近い)

      敬老の日   9/15

      勤労感謝の日 11/23(新嘗祭を改称)

 

 今年の10連休で分かったことでもあるが、この辺で、増加路線で進めてきた休日の在り方について、働き方改革の一環として、ワークライフバランスを再評価する時期のように思える。 

 又、後期高齢者のカテゴリーに入るわが人生を振り返るに、仕事も子育ても忙しい現役時代を過ぎると、実感として、祝休日の意味が大きく変わり、年金をベースとした経済環境の中、リタイヤ後の自由時間を、健康で、生きがいを持って、どう生きるかが重要となることだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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風呂場に春のオブジェ

2019年04月24日 12時27分38秒 | 日記

2019年4月24日(水)  風呂場に春のオブジェ

 

 

  我が家の、ルーフバルコニーでは、チューリップが、これが最後と賑やかに咲いているが、伐リとってきた、赤、白、黄色の3色の花を引き立てるように、所狭しと、とぐろを巻いているのは、子持ちオーニソガラムの、超長~い花穂だ。

久しぶりの風呂場ギャラリーで、ワイフKが、面白いアレンジのオブジェを披露してくれたもの。

    

  オーニソガラムは、地上に出ている球根が、玉ねぎのような形をしており、室内、室外で育ててきた、我が家の長年の住人である。

オーニソガラムは、春になると花穂が出てきて長く伸び、根元から順に、花をつけていく。

その新旧の花穂4本を、大胆にカットし、風呂場の空間を占有するように配置しているのだ。園芸用の柔らかいビニル針金も、一役買っている。

     

            

オーニソガラムの個々の花をよく見ると、緑と白の、6弁の可愛い星のような形をしていることから、「ベツレヘムの星」、という、素敵な名前がついているようだ。(残念ながら、下図ではよく見えないが――) 

         

 

4月も下旬となり、この所、春から初夏へと、季節は動いているようだ。

 

 

 

 

 

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虐待とハラスメント  続き

2019年04月22日 14時50分05秒 | 日記

 

 2019年22日()  虐待とハラスメント  続き

 

  先だっては、当ブログに、

         虐待とハラスメント  (2019/3/4)

を投稿し、主に、千葉県野田市での児童虐待死事件について取り上げたが、本稿は、これの続編である。

 

 野田市での事件だけでなく、この種の事件が起こると、決まって児童相談所が鎗玉に上がり、悪者扱いされてきた感じである。

また、昨年暮れ頃だろうか、南青山で起った、児相建設計画に対する住民の反対運動は強く印象に残っている。 

筆者は、児童相談所の名前は、かなり以前から知ってはいるものの、児童の面倒をみる行政機関の一つ、という程度の理解しかなく、具体的に、どんな業務を行っているか、はほとんど分かっていない。今回、改めて調べてみることとした。

 

◇ 足元の児童相談所

  最も身近な、住んでいる足立区の児童相談所はどうなっているか、調べてみた。

 東京都では、23区・三多摩・島嶼全体を複数地域に区分して、13の児童相談所(相談センター)が分担して所管していて、足立区と葛飾区は、足立児童相談所が所管しているようだ。都庁の組織の、福祉保健局の配下になっている。

  足立児童相談所

  施設概要  足立区西部の江北地域にある。

                1984年(昭和59年)に完成  床面積 約1500m

             現庁舎の近隣に行ったことはないが、地図上で確認した。

               

  現庁舎ができてから30年以上経過し、建て替えが進められているようだ。建て替えが必要な理由は、

      ・保護が必要な児童が増加      ➡ 一時保護所が狭隘化

      ・虐待等の相談に対応する職員が増加 ➡ 相談対応のスペースの確保

等で、手狭になっていることだ。

 建て替えは、子供を取り巻く環境が、年々悪化している表れであろう。

 

新庁舎の計画は以下の様だ。  

 新庁舎:3640m(現庁舎の2倍強!)

      ・相談所機能用  約1400m

      ・保護所機能用  約2200m

 目下基本設計中で、21年に着工という。完成は何時頃だろうか?  

新庁舎ができるまでの間、仮設施設を、現庁舎敷地の隣接地や、近隣の土地に建設して 

対応しているようだ。(以上 東京足立児相建て替え

 

     

 ◇ 児童相談所とは

   児童相談所(じどうそうだんじょ)とは - コトバンク 知恵蔵より、以下に引用する。 

 ”児童相談所は、子どもに関する相談に応じ、子どもが心身ともに健やかに育つことができるよう子どもや家庭を援助する機関。略して「児相」と呼ばれる。児童福祉法で都道府県に設置が義務づけられており、全国に205カ所ある(2010年5月10日現在)。 児童福祉法でいう児童とは、満18歳未満の子ども。 

 近年、暴力や育児放棄などの児童虐待が深刻化しており、児相が対応した児童虐待相談件数も年々増加。08年度は4万2662件(速報値)で、10年前の約6倍になった。こうした事態を背景に、08年の児童虐待防止法改正では虐待が疑われる家庭への臨検(強制立ち入り調査)制度ができるなど、児相の権限と責任が強化されてきている。  身近な子育て相談などに応じる市町村と役割分担・連携を図りながら、専門的な知識や技術を必要とする事例への対応や市町村の後方支援を行うことが、児相には求められている。運営指針では、

(1) 市町村援助(市町村相互間の連絡調整など)、

(2) 相談(専門的な角度からの調査・判定、援助指針の策定、指針に基づく援助)、

(3) 一時保護(子どもの家庭からの隔離)、

(4) 措置(子どもや保護者を児童福祉司や児童委員に指導させたり、子どもを児童福祉

  施設に入所させたり里親に委託する)

4つが児相の基本的機能とされている。

 

 各地の児相では、通報への即時対応や関係機関との連携強化に取り組むなどしているが、虐待に関する情報を受けても速やかな安否確認ができなかったり、親子の引き離しの判断が遅れたりして、子どもを救えないケースが後を絶たない。 

 

◇ 児相の業務

 児相に詳しい専門家である山脇由貴子氏の、以下のサイト、

「児童相談所」とは? その実態と保護された子どもに待ち受ける試練.url 

から、前項にある児相の業務を、図式的に示した下図を引用させていただく。 

   

 

上図で、できない場合 で示されているように、親・子の意向や、児相のマンパワー不足や、施設がいっぱいなどの理由で、事案がすんなり進まないケースも多いようだ。

  

◇ 相談件数の推移

 児相への相談件数だが、ここ30年間程の推移を見てみると、前前項の知恵蔵では、

     08年度  4万2662件  

となっているが、下図の最新のデータでは

     17年度 13万3778件

となっており、信じられない急増ぶりなのである! 

  (下図は、統計データ  子ども虐待について  オレンジリボン運動 より引用)            

 

 ◇ 児相の保護人員

先述の山脇氏のサイト(◎)にある下図、「一日当たり保護人員及び平均在所日数」をみると、保護人員は年々増加している一方で、在所日数が増加傾向なのは、相談事案が複雑化しているということだろうか。

  

 機械的に、H27年の保護人員を、児相数(208)で割ってみると、

      1885/208≒9

となり、児相当たり、平均一時保護人員が9人となる。

   

◇ 児相の職員事情

又、前述の山脇氏のサイト(◎)では、児相の職員についても触れている。

このサイトから引用した下図のように、児童福祉司の所要数は増える一方という。

 

  児相の職員は、相談件数や児童数に応じて、専門家として、児童福祉司士、児童心理士、医師が配置されるが、本来、専門家は、しかるべき学校を卒業した資格を持った人だ。

しかし、児童福祉司については、専門職は7割強で、残りは、一般業務職から研修を受けてなった人という。

   

 児相の業務だが、ケースバイケースに異なる処理・対応が必要な案件が多く、一方、子供の家庭だけでなく、学校や、警察や市町村等、関連組織間の連携を取りながら進めなければならず、職員は多忙を極めているという。

こんな状況下で、職員の数を増やし、質を充実させることも急がれているようだ。 いま注目されている、働き方改革の一環でもあり、意欲をもって働ける職場にしていくことが求められる。

  

 次稿では、港区 南青山での住民運動を取り上げたい。 なお、前稿で予告していた、カソリック協会での性的虐待については、当面見送り、機会を見て扱うこととしたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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姓と名の順序

2019年04月18日 15時48分01秒 | 日記

    

 

2019年4月18日(木)  姓と名の順序

 

 

 一昨夜のNHKニュースで、河野外務大臣が、参議院外務委員会の席で、国際会議などの場で、英語で自分の名前を言う時に

        Taro KONO

と、ひっくり返すのを不思議に思っていた、と述べたという報道があった。

 (C河野外相「なんで英語のときだけ”Taro KONO”になるのか…

 

 筆者も、長年、欧米流の表現法には、違和感を感じていたのだが、現職の日本の外務大臣が、公式の場で、率直に発言したことには大変な重みがあり、わが意を得たり、という思いである。

 この発言を受けて、政府(外務省や文科省)内で検討が進められるだろうが、具体的にどう進められるのかは不明である。

 

 世界の中で、姓と名の表し方には、東アジア流と欧米流とがあるのは周知のことだ

・東アジア流

 言うまでもないが、日本では、普段は、姓ー名の順序になっていて、例えば、以下のようになる。

   日本  安部晋三首相(アベ シンゾウ) 河野太郎外相(コウノ タロウ)

 中国や韓国でも、人名を表す時は、姓ー名と、性が先で名が後になる。普段、このように呼ばれていて、国際的な場でも同様だ。

 例えば、

   中国  習近平主席(シュウ キンペイ) 李克強首相(リ コッキョウ)

   韓国  文在寅大統領(ムン ジエン)  康京和外相(カン ギョンファ)

 と、マスコミでも報道されている。

  

 世界の中では、日本のほか中国韓国ベトナムなどアジアの数か国と欧米ではハンガリーで「姓-名」の形式が用いられて

 いるようだ。

 

・欧米流

 一方、欧米では、通常は、「名ー姓」となり、ファーストネームが先、ファミリーネームが後となる。公の場では、姓を呼ぶことと

 なる。例えば、

    米国  トランプ大統領 Donald John TRUMP

    英国  メイ首相    Tehresa Mary MAY       

    独国  メルケル首相  Angela Dorothea MERKEL   

 となる。欧米人は、日常的に、このように呼んでいて、国際的な場でも、同様である。 

 

  要は、日本や中国等の東アジア(漢字文化圏)では、普段、姓が先で名が後になっていて、欧米では、この逆で、姓と名をひっくり 

  返す言い方が、日常的に、使われているということだ。

 

  然らば、国際的な場では、如何にあるべきなのだろうか? 

 ローマ字表記に関する国の方針として、第22期国語審議会の答申(2000年12月)(現在は文化審議会国語分科会)では、以下の
 ように述べられているようだ。

 したがって,日本人の姓名については,ローマ字表記においても「姓-名」の順(例えばYamada Haruo)とすることが望ましい。なお

 ,従来の慣習に基づく誤解を防くために,姓をすべて大文字とする(YAMADA Haruo),姓と名の間にコンマを打つ(Yamada,Haruo)

 などの方法で,「姓-名」の構造を示すことも考えられよう。”

           (文化庁  22期国語審議会  国際社会に対応する日本語の在り方より引用)

   国際化の進展で日本の外国との交流も増え、今年のラグビーWC、来年の五輪・パラ輪開催と、山場が目の前である。今や、国際的な

 標準語ともいえる、英語の表現に合わせて、名ー姓とすることは、立派な考え方であり、標準化の方向とも言えようか。

 NHKの大河ドラマ「いだてん」でも、彼我の習慣の違いに戸惑う場面が多く出てくるが、名ー姓とするのは、言ってみれば、欧米文化に

 追随対することで、コンプレックスの表れでもあるように思える。

 

  これに対し、「普段使われている通りに表す」を原則とし、姓ー名とするスタンスは、自己のアイデンティティを明確にしながら、文化

 的な多様性を容認する姿勢だ。欧米で普段やっていることに合わせて、無理に、名ー姓とひっくり返すのは不自然で、その必要性は無いのだ。

 

 河野外務大臣の話では、国際の場で使う自分の名刺は、

     KONO Taro

 としているという。率先して実行する大臣の姿勢は、見上げた心構えと言える。

 

  国際化の時代では、ローマ字表記一つをとっても、人名の名刺だけでなく、地名や建物名や道路の標識等で、固有名とどう調和させるか、

 が重要となる。以下のように、二通りがあろうか。      

      富士山  Mount Fuji(ーsan)

      琵琶湖  Lake Biwa(ーko)

      東大寺  Todaiーji Temple  

      日比谷通り HibiyaーDori Avenue      

  

 「余談」:自分の体験だが、以前、スイス ジュネーブでの国際会議に出席した時、配られた会議議事録の出席者名の欄に、自分の姓と名

      が逆になって、

          Abe MASAYUKI

      と記されていたことに驚かされたことがある。 持参した名刺は

          Masayuki ABE

      だったのだがーー。

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八か村落し親水緑道  その2

2019年04月15日 08時01分53秒 | 日記

   2019年4月15日(月)  八か村落し親水緑道   その2

 

 

本稿は、先日投稿した、

   八か村落し親水緑道 その1 (2019/4/10)

の続編である。

 

  前稿で触れたように、普段利用しているバスで、バス停の名称が変わっていたことから、新たに知ることとなった「八か村落し親水緑道」だが、実際に、足立区内のどこにあるのかが、よく分からなかった。

いつもの伝でネットで調べていたら、色んな情報の中に、この緑道を自分の足で辿って自作の地図を纏め、それをネットに掲載している篤志家がいた。これを、下図で引用させていただく。(八か村落し親水緑道 - コツコツ歩き隊!)

          

  現在の地図に、「八か村落し親水緑道」を赤線で書き入れたもので、綾瀬駅近くから始まって、葛西用水親水水路との合流点まで示されている。途中、昔の八か村落しにある、蒲原、北三谷の地名も見える。

                               ↓  バスルート                    葛西用水親水水路 ↓

      

             八か村落し親水緑道赤線

 

この図に、普段乗るバスのルートを、黒線で、分岐している葛西用水親水水路を、水色の線で挿入している。

また、前稿にある名称が変わったバス停は、綾瀬駅からのメトロ千代田線の支線と交わる近辺にあり、図で、緑色の〇で示している。

 

 地図にある親水路は、綾瀬駅近くの、件のバス停近辺では、建物が多くて探しても見当たらないが、東綾瀬小学校のバス停の近辺では、バスの道路を横断している可能性が高く、見たような気もする。でも、走っているバスの中から、目を皿のようにして探したのだが、それらしいものは、なかなか見つからなかった。

 そしてある日、ワイフKが、遂に、綾瀬駅行きのバスの左手に、親水緑道入口を示す石碑を見つけたというのである。やはり、場所は、バス停東綾瀬小学校の、少し手前のようだ。

 この機会にと、当夫婦と、休日になっている息子を加えた3人で、天候もいい3月下旬のある日、やや距離はあるのだが、自転車に乗って、実地探訪に出かけることとなった。

自転車で、いつものバスルートを辿りながら進み、東綾瀬小学校の手前で、遂に、石碑を見つけたのである! 落とし物を探して見つかった時のような、何とも嬉しい気分。(下図)

                     

さらに、石碑と道路の反対側に水路があり、地図に従って少し入ってみると、やや広い八か村落しファミリー公園があった。

 

      

       八か村落しファミリー公園                                     桜花の下で               

 しばし、ファミリー公園で素晴らしい桜を眺めた後、元の石碑にもどり、地図に従って流水を遡って進んだ。

 

 暫くしっかりした流れがあり、寺の裏手にある墓地の、道路に面した壁面から、多量の水が音を立てて水路に流れ込んでいる場所がある。流れを保つ工夫だ。この寺は、地図では、円生寺というようで、八か村にあった普賢寺ではないようだ。

さらに上流に進むと、次第に細い流れになり、地下に潜ってしまった。

 

 しばらくして、再び地上の流れとなるが、途中、蒲原の地名もあった。そして、亀有へ行く時に通る、良く知っている東和病院の少し手前で、葛西用水との分岐点に達した。

東和病院の前には池があり、一帯の緑地とともに、東和親水公園となっている。

 気が付いてみると、何か所かで、八か村落しや、親水路の看板が目に付くようになったのは、不思議である。

 

 帰路は、良く知っている道を通って、行きつけの食堂に入り、3人で食事をした。

住んでいる足立区の、水と緑に恵まれている素晴らしさを、改めて知った自転車での探訪であった。 

 ここ暫く行っていない、綾瀬駅に近い日本武道館周辺の木々とせせらぎ、地図にある東綾瀬公園の風景、あやめと藤の菖蒲沼公園など、機会を作って回ってみたいものだ。

 

「余談」

 月に一度開催される地域の高齢者の集まりで、この日の午後は、夫婦で認知症に関する、六木診療所の院長の話を聞いた。その講演の冒頭で、院長から、当日の朝方出かけて行ったファミリー公園で撮ってきたという、見事な桜の写真が紹介されたのである。 

 この場所は、集まりが終わった後に、当方が家族で出かけようとしている場所なのである。このことを、質問のついでに紹介したのだが、なんという偶然の一致だろうか! と、自分達も、出席の皆さんも驚いたことだ。

 

 

 

 

 

 

 

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