goo blog サービス終了のお知らせ 

つれづれの記

日々の生活での印象

gooブログ終了を巡って

2025年08月08日 15時29分00秒 | 日記

2025年8月8日(金)  gooブログ終了を巡って

 

 

 

NTTドコモが、提供しているgooブログサービスを、この11月18日をもって終了する、と公表しているのを知ったのは。最近のことである。

長い間、ブログへの投稿を、楽しみにしてきた筆者にとって、極めて大きな衝撃である。

 

 

  • ブログとの関わりの歴史

・2009年、NTTの某氏と講習会を受講して、自分のgooブログを開設した。

・以降、現在までの約16年間、1300件を超える記事を投稿してきている。

 開設当初と直近の記事は、以下である。

 

   #1      「天地人」最終回   2009/11/26

  #1302   慶長使節団      2025/7/3

  • gooブログへの信頼に甘えてきた事実

 

これまでの全ての投稿記事が、17年もの間、ネットに保存されていることに、極めて大きな信頼があった。それが、この11月18日で終了するというのだ。

ネットに掲載する費用は無料で、インターネットプロバイダーに、毎月支払う費用は、5000円ほどだけである。

考えてみれば、ブログサービスを提供する場合、維持する設備と体制は、大変なものだろう。

終了する理由は、明らかではないが、サービスを維持する大変さと想定される。

事業者にとっては、ブログを閲覧するときの広告収入が重要と思われるが、どれほどなのだろうか。容易には収支は均衡しないいと推測される。

 

 

  • 投稿記事の保存

サービスの終了にあたって、事業者のドコモは、他の事業者への斡旋を行うと表明しているが、筆者としては、これから、新たな事業者の下でに開設するのは面倒なため、いい機会だから、ブログをやめることを考えている。

 投稿記事を、ネットに掲載された状態で保存する方法を検討した結果、投稿記事の月別のバックナンバー単位に、表示される画面を、そのまま保存できる事が分かった。記事数が多いときは、複数ページになる。

 つい先日。全投稿記事を、自分のPCへ保する作業を完了した。

ドコモのブログサービスが終了しても、手許に記事が保存されているのは嬉しい限りだ。

 

 

 各年月単位の、記事数と、保存ページ数を、ブログ,開設当初と直近で見ると、以下である。

 

{開設当初}

  年月        記事数  保存ページ数

  2009年11月   3          1

       12月         6     2

  2010年 1月   13      3

        2    13      3

        3    16      4

        4    17      4

        5    13      3

             6      9       2       

             7     14      3

               8    13      3

             9    13      3

        10    11       3

       11    10      2

       12     6      2

   2011年  1月     14       3 

                      2      13       3   

                            3       8      2

                       4       12       3

                      5       8        2

                          6    8       2

                     7      10        2

                    8      14       3

                    9      12       3

                   10             9            2

                   11             3           1

                   12         12           3

   

    

{直近}

  2024年  1月  11     3

        2    9     2

        3    6      2

        4    14         3

        5    10         2

        6    13         3

        7      4        1

        8     8         2

        9     12        2

       10     11          3

       11     9          2

       12     4         1

 

    2025年 1月   3     1

        2    2      1 

                3        6      2

               4      4      1

               5    4     1

       6    4     1

       7    1      1

       8           1         K  1     当該記事

 

  このようにして、1302件の投稿記事が、全体で、304ページに保存された。

2020年、筆者が副腎の肥大で、都立病院に入院し手術を受けた前後の数か月は、ブログどころではなく、勿論、投稿できなかった。

 

      

 

  • 投稿記事に関連すること

開設当初は、身近にある、様々な話題の記事をつくることが楽しく、以下の様な記事も投稿している。

   ブログ投稿記事 100件を超えました  2010/8/3

   ブログ開設 1年以上過ぎました    2011/1/16

   ブログ投稿記事 260件を超えました  2011/10/1

 

2023年1年間に投稿した記事を総括した、以下の記事もある。

  2023年のブログ記事     2024/1/5   (P62)

 

この記事には、2023年1年間に投稿した、99件の記事について、記事の内訳を

述べている。内訳では、社会39件、国際21件、スポーツ16件、歌13件、などだ。

 

この記事には、上記の100件を超えた時の、記事の内訳も示されているが、分野は、社会、園芸、料理・食味などだ。

 

当初から最近まで、対象分野は、時期によって、大きく変化している。

投稿間隔だが、単純計算では。2023年は、3。7日で1件だが、開設以来の全体でみると、4.4日で1件、となっている。

 

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慶長遣欧使節団

2025年07月03日 20時56分22秒 | 日記

2025年7月3日(木)   慶長遣欧使節団

 

 

先月、当ブログに、天正遣欧使節団について下記記事を投稿している。

  天正遣欧使節団 (2025/5/12)    (Q89)

  

 

  • 慶長遣欧使節団

前記記事の時から気になっていたのが、同じ頃に遣わされたという、慶長遣欧使節団があり、調べてみた。 

 

*時期と期間

 出国 1613年(慶長18)10月    仙台月の浦 出航

 帰国 1620年(元和 6)9月頃    帰国

 期間 約7年間かかっている

 

*メンバー

 正使 フランシスコ会宣教師 ルイス・ソテロ 

 下図は、ローマ市内にあるフレスコ画で、前面の左がソテロ、右が常長という。

  (参照:ルイス・ソテロ - Wikipedia.mhtml)

    

   

 副使  中級家臣 支倉常長

    

         左は、国宝                    右はフレスコ画   

 

○2つの使節

天正と慶長の、2つの使節を整理してみた。

        

       出国      帰国        メンバー    派遣元

 

天正遣欧使節 1582/2 1990/7(8年) 少年4名    キリシタン大名

    

慶長遣欧使節 1613/6 1625/9(7年) 支倉常長等大人 伊達政宗

 

 

       コース     国内状況    

    

天正遣欧使節 インド洋経由  奥州文化への憧れ

 

慶長遣欧使節 太平洋経由   キリシタン禁教令

 

 

  • 2つのコースの相違

  *天正遣欧使節(参照:天正遣欧少年使節 - Wikipedia.mhtml  他)

  

  

 

  九州 長崎港から。インド洋を経て、喜望峰を迂回して、欧州(スペイン)に入る、遠大なコースだ。海岸伝いに進み、食料を補給するなど、安全に航海する方法は、理解できる。

 

下図は、他のサイトにあるもので、図の右下に、欧州との往復の日時と期間がでてい。 

   

   図によれば、以下のようだ。

   往路  1582.2 長崎出航 

       1584。8 リスボン着  2年6ヶ月

   復路  1586.4 リスボン出航 

       1590。7 長崎着    4年3ヶ月

   

   欧州との往復に、6年9ヶ月も掛かっているのは、驚きである。

               

   

 

  *慶長遣欧使節(参照:慶長遣欧使節 - Wikipedia.mhtml 他) 

 

    太平洋を横断し、ノビパニア(今のメキシコ)のアカプルコに上陸し、陸地を横断し、大西洋を渡って、スペインのマドリ-ドに達している。自前で建造した木造船で、当時の航海技術を駆使Kして、2つの大洋を渡った勇気は、驚くばかりである。

 

 幕末に、洋式艦船の咸臨丸で、米国視察団が太平洋を渡ったが、かなり以前の、慶長遣欧使節の航海に、大いに勇気づけられたことだろうか。

 

 下図は、咸臨丸の航海図で、往路は、品川から直接、サンフランシスコを目指したが、帰路は、ハワイ経由としている。(参照:勝海舟、ジョン万次郎、福沢諭吉も乗船!初めて日本の船が太平洋を渡った日 )

   

 

   

 ○支倉焼

余談になるが、仙台に、「支倉焼」(はせくらやき)という菓子がある。名前は、支倉常長に因んだものだろう。筆者が、好きな菓子は、3つあるが、その中で、2番目に好きなのが、この菓子だ。

      

 

 

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選択的夫婦別姓制度の行方

2025年06月17日 17時25分44秒 | 日記

2025年6月17日(火)   選択的夫婦別姓制度の行方

 

 

 

○国会審議

 

選択的夫婦別姓制度について、今国会の衆院法務委員会で審議が進められているようだ。

委員会に、立憲民主党、日本維新の会、国民民主の野党3党から提出された、選択的夫婦別姓関連の3法案が提案されている。

民法の改正と、戸籍法の改正で対処する案という。

    

国会の会期末が迫る中、委員会での採決の可否が注目されているという。

 

 

○ブログ

 

苗字の話題については、これまで、当ブログでも何度か取りあげてきている。

 

なかでも、下記記事は、全体を網羅し、よく纏まっているといえる。

 選択的夫婦別姓  (2024/11/11)    (Q63)

 

夫婦の姓は同じでなければならない(夫婦同姓)とする現民法の規定は、女性の基本的人権に関わる問題で、このような規定があるのは、国際的にみれば、日本だけという。

日本の伝統的価値観と慣習から、結婚すると、妻の9割以上が、改姓を強いられている状況だ。

 

 これまでの記事から、各国の状況をまとめたものを、以下に引用する。

 

  日本 夫婦同姓のみ(殆どが、夫の姓)

  韓国 各自の姓を称する(夫婦別姓)

  中国 夫婦別姓・複合姓(冠姓)・夫婦同姓より選択

  イギリス 規定なし 同姓・別姓・複合姓を選択可能

  フランス 妻は夫の姓を通称として名乗れる

  オランダ 別姓、同姓、複合姓から選択

  ドイツ  夫の出生姓での同姓から、その後、妻の出生姓、複合姓も可能に

  スイス  2013年以降原則別姓に

  イタリア 1975の民法改正以降、同姓、別姓、結合姓が選択可能に

  アメリカ 1970年代から選択的夫婦別姓が認められた 州ごとに細部は異なる。

  ブラジル 別姓、同姓、複合姓から選択

  ニュージーランド 別姓、結合姓、同姓から選択

  エチオピア  殆どの女性は改姓しない

  カメルーン  別姓、同姓から選択 

 

国際際的には、前記記事でも触れているが、1974年(S54年)、国連総会で採択された、国際条約、略称で女性差別撤廃条約(CEDAW)がある。

 

正式名称は以下。

 

女子に対するあらゆる携帯の差別の撤廃に関する条約

Convention on the Eliminati0n of all

 forms of Discrimination Agaiknst Women

          

 

条約の国連事務局より。日本の民法の規定は、条約に反しているとして、これまで、4度、改善勧告を受けていて、のっぴきならない状況だ、

 

 

  • 今後の方向

 

 土壇場を迎えている国会の論議はどうなるのか?

 我が国の伝統的価値観に関わることで、色んな見解があろうが、この際、選択的夫婦別姓制度にするのが妥当だろう。

 子供を含めた家族の一体性の面からは、現行制度にもメリットはあろうが、女性に

対する差別と捉え、苗字が異なっても、愛情には変わりは無いとしたい・

 

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ウクライナ情勢

2025年06月09日 11時53分21秒 | 日記

2025年6月9日(月)   ウクライナ情勢

 

 

 

2022年2月の、ロシアによるウクライナ侵攻から、もう、3年以上が過ぎた。

 

 

トランプ大統領の出現で、良い方向に進むのでは、との期待もあったが、容易ではなさそうだ。

 

ウクライナの最近の戦況地図は以下。

 

 

 図の上部にある、ロシア領の赤い地域は、クルスク州だ。

ウクライナ軍が、昨年8月から、越境攻撃を行って、一時、支配したようだが、驚いたロシアが奪還しているという。

 

 

クルスク州に加え、ウクライナは、ロシア領内の5カ所の軍用飛行場を無人機で襲撃し、軍用機に大きな被害を与えた、下図の、クモの巣作戦を行ったようだ。

住宅に巧妙に装備した、無人機発射装置という。

イルクーツク州や、アムール州などの、超遠隔地まで、住宅を運んだ責任者の苦労は、大変なものだったろう。

(参照;ウクライナが無人機攻撃 ロシア軍の爆撃機など破壊 ロシアも過去最多の無人機などで攻撃 _ NHK _ ウクライナ情勢.mhtml)

 

 

 

このところ、トルコが仲介役を買っているようだ。

(参照:ウクライナ領4分の1の割譲要求、ロシアの和平案 事実上の「降伏勧告」で和平見通せず(産経新聞) - Yahoo!ニュース.mhtml )

ロシかから示された和平案では、事実上の降伏勧告と呼べる内容という。

 *ロシア占領地(国土の約1/4)の割譲

 *NATOなどの軍事同盟への永続的な非加盟と中立化

 *大統領選挙の実施

 *ロシア語の公用語化    など

 

対するウクライナの和平案は以下のようだ。

*国際社会による安全保障

*ウクライナは、中立化を強制されない

*ウクライナ領土の帰属変更は否定   など

 

トランプ大統領は、状況によっては、ウクライナから手を引く構えのようで、EUや欧州各国が対応しなければならない。

この6月15~17日、カナダで開催されるG7サミットで、どのような議論が行われるだろうか注目される。

2025年6月9日(月)   ウクライナ情勢

 

 

 

 

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韓国大統領選挙

2025年06月07日 15時48分07秒 | 日記

2025年6月7日(土)   韓国大統領選挙

 

 

隣国 韓国の大統領選挙が、5日に、無事、終了した。

今回は、この関連を取りあげたい。

 

◎前大統領の罷免まで

 ユンソンニョル大統領が、非常戒厳を発布後、韓国国内は大きく揺れた。

 ハンドクス国務総理が、大統領代行を務めたが、代行自身が、一時、交代させられるなどの混乱もあったようで、イ新政権発足まで、下図のような経過を辿っている。

 

  韓国大統領の任期は5年で、再選は出来ない決まりのようだ。

  ユンソンニョル大統領は、就任から罷免まで、約1年7ヶ月の在任である。

 

  当ブログでは、韓国の動きについて、何度か取りあげたが、直近では、以下である。

    韓国大統領 罷免  (2025/4/12)   (Q85) 

 

 

 

◎大統領選挙の状況

*主要候補の得票状況

 

イジェミョン(李在明)候補が、約49%、キムムンス(金文洙)候補が、約41%を獲得している。

 

◎閣僚

新政権の人事が発表されている。

 (参照記事:韓国大統領選挙\李大統領が新政権の人事発表.mhtml) 

  キムシソク首相       イジェミョン大統領  カンフンシク大統領秘書室長

 

韓国国内では、大統領を補佐する首相役は、国務総理と呼んでいる。

 

 

◎今後

ユンソンニョル大統領の戒厳令発令以降、国内の対立と分断が進み、社会の混乱が深まった韓国を、新政権がどのように、安定させるのか注目される。

また、北朝鮮との関係や、日韓関係も大きな関心事だ。

関係も大きな関心事だ。

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