2016年12月29日(木) アメリカ合衆国 4
アメリカ大統領選挙に関連して、これまで、当ブログに
アメリカ合衆国 1 (2016/11/29)
アメリカ合衆国 2 真珠湾(2016/12/12)
アメリカ合衆国 3 (2016/12/22)
を投稿してきた。
本稿は、アメリカ合衆国シリーズとして続くもので、アメリカ独立戦争とその後の建国までについて話題としたい。
先日、日本を出てアメリカに向かった安部総理が、日本時間の昨朝6時頃(現地では、27日午前11時頃)、オバマ大統領と、上記のその2で取り上げた、ハワイ州オアフ島の真珠湾にあるアリゾナ記念館を訪れ、戦没者の慰霊を行い、和解と不戦の誓いを世界に表明した様子が、TV中継された。今後機会があれば、改めて取り上げることとしたい。
前稿では、下図に示す13のイギリス植民地が、建設されるまでの話題を取り上げたが、最南・最後のジョージア植民地は、1732年になって出揃ったようだ(図は、ネット画像より)
◇ フレンチ・インディアン戦争
欧州では、1756年から、プロイセン・イギリス陣営と、オーストリア・フランス・スペイン・ロシア陣営間で、七年戦争が起こっているが、この一環として、新大陸でも、イギリスとフランスとの間で、フレンチ・インディアン戦争(1756~63年)が引き起こされた。
新大陸では、イギリスとともに、フランスもカナダからミシシッピ川流域にかけて植民地を建設していたので、両国が敵対する争いが繰り広げられたが、イギリス軍と対抗するフランス軍が、現地人(インディアン)と連携したことから、フレンチ・インディアン戦争と呼ばれているようだ。
この戦争では、イギリスが圧勝し、北米での支配権を獲得したようだ。この戦争が終結する時のパリ条約(1783年)で、イギリスは、フランスから、カナダと、ミシシッピ川以東の広大な土地を獲得(割譲)している。世界有数の大河ミシシッピ川が、重要な境界線となっているのは面白い。
この戦争の終結が、欧州での七年戦争を終結させるきっかけになったようだ。
◇ボストン茶会事件
イギリス本国は、フレンチ・インディアン戦争で、フランスには勝利したものの、国の経済が大きく疲弊した。 この為に新大陸の植民地に対して重税を課すため、各種税法(砂糖法、通貨法、宿営法、印紙法 等)を定めて取り立てる、重商主義政策を一層強化した。
課税をめぐる、本国と植民地側との激しい争いの中で、輸入茶葉に課税する茶法を不満として、1773年、ボストン茶会事件が起こった。
茶法に反対した市民たちが、夜陰の中、ボストン港に停泊していた東インド会社の船を襲い、大量の茶葉の積み荷(342箱!)を海に投棄し、逃走したようで犯人は分からなかったという。
この時、行動した市民たちは、なぜか、インディアンに変装して襲撃したと言われ、又、問い詰められても、“茶会(tee party ティーパーティー)に行っていたのさ”、としらを切ったことから、茶会事件というあたりが、いまいち、分からないのだがーー。
茶の不買運動も起こって、以降、アメリカ人たちは、茶を止めてコーヒーを飲むようになったとかーー。
この事件が、その後の、アメリカ独立戦争につながるきっかけとなったと言われる。(以上 ボストン茶会事件 など)
◇独立戦争を経て建国へ
その後の経過については、以下に要約して示す。(第44回 アメリカ独立戦争 など)
1775年4月 ボストン近郊のレキシントンで、イギリス軍と植民地軍との武力衝突が起き、独立戦 争が始まる。
1776年7月4日 合衆国独立宣言採択(第2回大陸会議 フィラデルフィア)
1781年 バージニア州のヨークタウンの戦いでアメリカ軍が勝利し、独立戦争が事実上終結
1783年 パリ条約締結 イギリスはアメリカの独立を承認
イギリスがミシシッピ以東のルイジアナ獲得
1788年 合衆国憲法制定
1789年 初代合衆国大統領にJ・ワシントン就任
この流れの中で、イギリス本国とアメリカ植民地間の争いに加え、フランスやスペイン等も関与し、勿論、先住民もいて、勢力争いは、極めて複雑な様相である。
下図は、1789年当時の状況を示した地図で、図中の凡例にあるように、以下のようだ。(アメリカ合衆国領土の変遷 - Wikipedia より)
上記の図と比べると、南の州(バージニア、ノースカロライナ、ジョージア)は、西方のミシシッピ川まで、州域を大きく広げている様子が分かる。
◇合衆国国旗
アメリカ合衆国国旗は、幾多の変遷を経ている。(アメリカ合衆国の国旗 - Wikipedia)
建国時の国旗は、下図のようで、考案者の名をとり、Betsy―Ross Flag(ベッツイ・ロス旗)と呼ばれるようだ。
横縞の数は、13本であり、カントン部に、13の星が円形に並べられている。
建国時の13州に、1791年にバーモント、1792年にケンタッキーの2州が加わって15州になったが、カントン部の星の配置法を変更したようだ。(下図)
以降、領土を拡大し、正式に州として編入される毎に、国旗の星の数を増やしてきた訳で、これまでで、数十種類の国旗があるようだ。
独立13州と各縞との対応や、各星と州との対応まで決められているか否かは、未調査である。
現在の、全米50州の国旗は下図だが、横縞の数が、現在も、建国当時の国旗と同じく13なのは驚くばかりである。
初心を忘れまいとする精神と、オリジナリティを尊重する姿勢が伝わってくる。