つれづれの記

日々の生活での印象

東京スカイツリーの見物スポット

2010年10月31日 23時51分43秒 | 日記
2010年10月31日(日) 東京スカイツリーの見物スポット


 いつも自宅から遠望している東京スカイツリーだが、先日、家人と共に、関西から上京してきた客人を、その足元まで御案内した。目下建設途上で未完成なため、余り関心が無いのでは、と思い聞いてみたところ、是非、行ってみたい、という、意外な答えが返ってきた。客人は浅草見物も初めてというので、両方を兼ねて、一緒に回る事となった。
 以前、地下鉄浅草線の押上駅を出たすぐ近くの橋の上から、ツリーを眺めた時の様子を、当ブログで触れたことがある。
   スカイツリー君を見上げる! (2010/5/14)
スカイツリーの近くに住み、散歩がてらによく見ていて、時々、成長の様子をEメールで報告してくれる知人に、見物するスポットを予め聞いておいた。それによれば、先ほどの橋(京成橋)の上からも良いが、その橋を渡って、北十間川沿いにツリーの方に行った、真前が、一つのポイントと言う。

 そこで、押上駅で降りて、件の橋の上から眺めた後、そのポイントまで、数分、歩いた。土曜日なので、その辺りには、結構、見物客が居て、少し込み合っていたが、現在の高さの表示を見ると、488mとある。まさに、ほぼ90度の角度で、真下からその高さまで見上げる感じで、かなり、首が疲れ、ひっくり返りそうになる。 塔と一緒に人間を写そうとしても、到底、カメラには収まりそうにはない。
 と、少し後ろに下がった道路脇に、丸い鏡が置いてある。それに写して“見下ろす”と、てっぺんまで、楽に見られ、人間も一緒に映るのだ。でも、この鏡を使って、自分一人だけで、タワーと一緒に写真を撮ろうとすると、カメラ自身が真中に映ってしまう。 そこで、ツリーと一緒に鏡の中に映った客人の姿を、横から、写真に撮ってあげたりした。

 ひとしきり見物した後、再度、押上駅まで戻るのもつまらないので、予め、ネットで打ち出しておいた地図を見ながら、押上駅と反対方向にある、業平橋駅まで歩いてみたが、大した距離ではなく、思いの外、近かった。ふと見ると、駅の近くの交差点の向かい側にある店先に、かなり大きな四角い鏡が置いてあったので、行ってみた。 この鏡には、なかなか、ツリーの全景が入らなかったが、鏡の下の方から見上げるようにしたら、きれいに写せたのが、この写真だ。
  鏡に映った所
塔の目の前にある、業平橋駅のホームから見た眺めも、なかなかのものだ。

 知人の情報では、墨田区役所などがある、隅田川沿いまで足を延ばしていくと、北十間川の真上にツリーが見えるポイントや、キリンビール本社のガラス窓に映る、ツリーの映像なども素晴らしいようだが、また次の機会の楽しみに、取っておくこととした。いずれにしても、日々成長している、工事中のツリーは、まさに、今しか見られない、ものなのである。

 業平橋駅から東武電車で一駅乗ると、終点の浅草駅に着く。 雷門近くの天ぷら屋で、昼食を摂った後、人通りで賑わう、仲見世通りをぶらぶら歩く。 浅草寺の観音様にも御参りした。以前子供が小さい頃は、年末年始などに、家族で、良く来た場所である。浅草寺の境内からも、ツリーは、かなり大きく見えるが、周囲に建物が多く、残念ながら今回は、雷門や、浅草寺の伽藍などと組み合わせた、コントラストが面白い撮影ポイントは、見つからなかった。

 スカイツリーの真下や近辺には、お土産物館やマンション等と思われる、多くの施設が建設中で、ごちゃごちゃしているが、着々と、一大集積が進んでいる、という印象である。高度450mの辺りに作られる予定の、第二展望台の工事も始まろうとしており、再来年の春の開業に向け、次第にムードも盛り上がっているようだ。
 本来の目的である、電波塔として完成しても、東京タワーの時代と比較して、すぐには大きな変化はないようなので、さし向きは、下町の巨大な観光名所として、期待することとしよう。
 今回で、建設中の当面の、東京スカイツリー君を案内するポイントも掴めたので、機会を見て、活用することとしたい。



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漢字の世界 その1 塒という字

2010年10月30日 23時48分20秒 | 日記
2010年10月30日(土)  漢字の世界 その1 塒という字


 少し以前、女優の宮崎美子さんが、NHKTVに登場した時に、見事に難関とされる漢検(漢字検定)1級に合格した話が紹介された。 その時に、難しい漢字を、語呂合わせ風に覚える術が、披露された。その一つ、鳥などが、夜を過ごす場所を、
   塒 (ねぐら)
と呼ぶが、宮崎さんは、この漢字を、
   鳥たちは 土 日 は 寺 を ねぐら にする
と覚えて、この漢字をマスターした、という話があり, 大変印象に残っていたのである。 寺や神社の境内といえば、大きな木がこんもりと茂り、小鳥たちの塒として、安住の地を提供している、古き良き時代の風景が、思い浮かぶ。
 彼女の著作になる、漢字に関する本も出されている、と報道されたが、本の名前は覚えていなかった。その後ネットで、宮崎美子さんの事を調べ、本の名前も、
      「宮崎美子のスッと漢字が書ける本」
と分ったのだが、そのままになっていた。

 先月末、近くのスーパーの中にある、メガネ屋に行き、眼鏡の修理をしてもらった帰り際に、同じフロアに、たまたま、本屋があるのを見つけ、立ち寄ってみた。店員に、宮崎淑子さんの、漢字の本の事を聞いてみたが、よく分からない。と、少し先輩格の別の店員が、さっと出てきて、ものの1分と経たない内に、その本を、目の前に持ってきてくれたのである!
 自分は、以前の番組(NHKTV 生き物地球紀行)などから、淑子 さんと思っていたのだが、美子 さんに変わっていることも、初めて知った。

 帰宅後、手に入れた本を、早速、何日かかけて、読んでみた。TVで印象に残っていた、「塒」の漢字の語呂合わせも、紹介されているのを見つけ、嬉しかった。
 また、本の中にある、読み書きに関する設問集である、「気になる漢字ドリル」①~⑩を解いてみて、自分ながらに、曖昧な知識だったことに驚かされた。自分の場合、ワープロを多用していて、手書きが少ないので、書く方は余り自信は無いのだが、読む方に関しては、腐っても鯛と、まあまあ、のつもりでいたのだ。どの設問も、言葉としては、勿論知っているのだが、読めない字が結構あり、書くに至っては、タジタジで、かなりのショックを受けたのである。
 負け惜しみになるが、重箱の隅をほじくるような、ディレッタンティズム風の知識を求めるような、“変な”漢字を、今更、覚える必要もない、と言いいたい所でもあるがーー。

 ここで、漢字の世界を知る手始めとして、数量的なものを把握してみたい。
 この6月に、30年振りとなる、常用漢字の改訂案が纏まったようだ。この結果、この年末にも、正式に、常用漢字数が、現用の1945字が、191字増え(追加196字、削除5字)、2036字となる方向だ。
 一方、宮崎さんの本によれば、漢検での対象範囲は、
  準1級で  3000字
   1級で  6000字
という。級が下になれば、対象字数も少なくなる。
 また、わが国には、漢字に関するJIS規格がある。ワープロソフトなど、一般的な情報機器で標準的にサポートされている漢字は、
  JIS第一水準漢字 2965字 と
  JIS第二水準漢字 3388字
で、合計6353字という。
 これに、官公庁や出版などで使われる、
  JIS第三水準漢字、JIS第四水準漢字まで含めると 10050字
になるという(重複などもあり正確な数字は、はっきりしない)。

 漢字の総数については、良くは分からないが、少し古いが、手持ちの漢和辞典(昭和30年版)では、掲載漢字数は、10827字となっており、かなりなものである。
 また、普段よく使う漢字や、熟語について調べられる辞典(1998年版)が手元にある。サイズは新書判位、厚さは2cm程度とコンパクトなものだが、約2万5千語も載っている。これは、漢字を主にした、常用語彙集と言えるであろう。
 更に、大分以前、退職記念に頂いたこともある、「広辞苑」の収録語数は、最近は24万語とも言われるが、これは、漢字や熟語や外来語も含めた、日本語全体の語彙集と言えよう。

 当ブログでは、これまで、「日本語の表記」と題して、下記のように、駅名や人名のローマ字表記や、五十音表や、パソコンのローマ字入力などについて触れてきた。
  (2010/8/1) 日本語の表記 その1 駅名はわかりやすい?
  (2010/8/8) 日本語の表記 その2 たちつてと
  (2010/8/18)日本語の表記 その4 人名のローマ字表記
  (2010/8/27)日本語の表記 その4 ローマ字入力
 言うまでもなく、日本語を構成する文字として、ローマ字(アルファベット)は、ほんの一部でしかなく、表音文字の仮名文字(ひらがな、カタカナ)があり、膨大で奥行きが深く、多様な意味と読み方があって厄介な、表意文字の漢字がある。
 当ブログで、これから暫く、「漢字の世界」というタイトルで、一歩、林の中に踏み込んでみようと思う。自分は物事に凝る方なので、漢検1級に挑戦してみよう、等という気になることを恐れて、躊躇する面もあるのだが、宮崎美子さんに触発されてしまった世界のこと、後には引けない。
 漢検1級はともかくとして、今後、果たしてどんな展開になりますか。 
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風呂場ギャラリー その10 秋の庭

2010年10月25日 13時12分13秒 | 日記
2010年10月25日(月) 風呂場ギャラリー その10 秋の庭 


 秋も深まってきましたが、庭の草花の中で、今日の主役は、秋の七草の一つで、お付き合いの長い、フジバカマです。名のごとく、藤(紫)色の集合花と、切れ目のある緑の葉との、日本的な落ち着いたバランスが素晴らしい。白っぽい、暈(ぼ)かしたような柔らかい雰囲気がある、マルバフジバカマも、一役買っています。
    

 紫色の斑(まだら)模様が面白いホトトギスは、庭から一時、消えかかりましたが、面倒見の甲斐あってか、完全復活し、ギヤラリーにも登場です。 又、中央の黄色い小菊も、色合いから、いいアクセントになっています。
 
 花瓶の縁に見える、真っ赤な丸い実の集まりは、ピラカンサス。これから、寒さが増してくると、庭の枝の実を、小鳥たちが目敏く見つけ、いつの間にか、きれいに食べていきます。 また、下の方で、左右に伸びている野ブドウの枝は、いつもながらの、引き立て役です。紫色の実がなると、その内、野ブドウ君にも、主役が回ってくる?
 
 泊まりの客人向けに工夫した、今回の家人の作品からは、秋らしいオーソドックスな色合いの、庭の風情が感じられるようです。 
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サツマイモの季節

2010年10月20日 18時22分16秒 | 日記
2010年10月20日(水) サツマイモの季節


 茨城の知人から、先日の予告通り、昨日、サツマイモが、ダンボール一箱も、送られてきた。この季節になると、恒例になっている、嬉しい頂き物で、知人自らが、丹精込めて育てた秋の味覚である。品種は、最近主流の、紅あずま である。この辺では、茨城は、サツマイモの産地になっている。

 このサツマイモ、早速、食材として試してみた。 昨夜は、細長く切って、お汁に入れてみたが、溶けてしまった。然らばと、今朝は、細長く切って、軽く油を敷いたフライパンで焼いてみた。同じように焼いたニンジンや、ハムとほうれん草をソテーにしたものを一緒にして、皿に盛り付けたてみた。見た目は、カラフルでよかったのだが、味と食感の方は、サツマイモの感じが余り出ておらず、ピンとこなかった。
 
ハム ホウレンソウ ニンジンとサツマイモ(黄色)

 又、家人が、厚めに切り、ゆっくり油で揚げて、天ぷらにして食べてみたが、甘みが少ないように感じた。そういえば、今回は、掘り出してすぐ送ってくれたのだが、“少し天日に干すと甘くなるよ”と先日知人から教わっていたのを、家人は、思い出したようだ。

 昨年頂いた巨大なサツマイモが冬を越し、この春、これで大学芋を作ったこともある。
   ブログ記事  大学芋と水あめ 2010/3/23
今後は、もう少し、サツマイモ料理を試してみようと思う。細長く切って、から揚げにして、砂糖と塩をまぶすと、いけそうなので、やってみたい。又、ネットには、サツマイモ料理のレシピが、沢山、載っており、その中の、サツマイモとベーコンのほっくり煮、サツマイモとニンジンのサラダや、古典的な筑前煮なども、面白そうだ。

 サツマイモは、甘藷と言われるように、ジャガイモやサトイモ等と違って、甘みが強いのが最大の特徴だ。このことから、特別な調理はせずに、加熱しただけで、お八つや、お菓子代わりとして、そのまま食べるのが最高かもしれない。チンして、バターを載せて食べるのは、いい香りがするし、蒸し器で蒸かすと、水分が豊富で、柔らかく、しっとりと美味しい味になる。
 ホイルで巻いて、たき火に入れて作る焼き芋は、子供だけでなく、大人にも人気だ。 又、寒さが増すと、今も夜になれば、焼き芋屋が、スピーカーを鳴らして、通っていくのにも、季節感が漂う。
 暫く経つと、同じ知人が、今度は、手のかかった、干し芋を送ってくれるので、それが又、楽しみである。 

 サツマイモは、名の通り、鹿児島や長崎などの九州が主産地だ。薩摩の芋焼酎は、勿論、サツマイモが原料で、自分の好みの独特の匂いが、好き嫌いの分かれ目である。江戸時代には、サツマイモは、飢饉の時に備える救荒作物として、重視されたようだ。江戸幕府の命を受けた、青木昆陽によって、関東を始め、全国的に生産が盛んになった、と言われる。
 サツマイモは、原産地は、南米と言われるが、其れが、ヨーロッパ、中国を経て、沖縄経由で我が国に伝えられたが、その過程から、唐芋、琉球芋、薩摩芋 等と呼ばれるようになった、という。

 以前、仕事で関係した会社の工場が川越市にあり、良く訪れた。川越は、以前から、サツマイモでも有名で、戦後間もなく、会社の工場を建設する時の場所選びの時、“川越にはサツマイモがあるので、食料に困ることは無いだろう” という、先人の配慮で、川越に決まった、という、面白いエピソードを聞いたことがある。川越には、今でも、サツマイモを加工した、美味しいお菓子類も多い。
 
 サツマイモと言えば、生まれ育った田舎の、遠い昔を思い出す。終戦前後の、不足がちな食料の補助として重視されたが、白っぽい、大きな芋だった(「おきなわ」と呼んだような記憶がある)。現在のような、甘さや、ほくほく感は少なかった。
 しかも、芋だけでなく、葉の茎(葉柄)を茹でて、干したものも食料にした。干し上がったものは、ゼンマイに似ていたが、シャキシャキした食感だったように思う。ものの本によれば、現在も、この葉柄専用の品種もあるようなので、機会があれば是非食べてみたい、懐かしい味である。

 先日、スーパーで、4本ほど入ったサツマイモの袋を買った。普通のサツマイモの積りで買ったのだが、家に帰って蒸かしてみたら、黄色いはずの中身が、紫色をしていたのでびっくり。 改めて袋をよく見たら、ちゃんと、むらさき芋 と表示してある。見た目には、区別が付かない。
 ムラサキイモ、食べてみると、通常より、甘みがソフトだ。最近は、カラフルな紫色が珍しがられ、アントシアニン等も豊富というので、これのソフトクリームやチップスなど、の人気が上がっているようだ。

紅あずま(泥つき)    むらさき芋




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奇跡の全員救出

2010年10月15日 23時21分55秒 | 日記
2010年10月15日(金)  奇跡の全員救出



 チリ北部のコピアポ近郊にあるサンホセ鉱山で起きた落盤事故で、生き埋めになっていた、33名の作業員全員が、一昨日から昨日にかけて、無事、救出されたニュースは、奇跡ともいえる出来事として、世界中を歓喜の渦に巻き込んだ。
 事故が発生したのは、この8月5日のことで、その後、17日間は、生死が不明だったが、地下700mの所に作ってあるシェルター(避難所)に、地上から、細い穴をボーリングして到達し、全員、生存していることが判明、世界を驚かせた。 事故から17日もの間、希望を失わずに、生き続けた忍耐強さは、驚嘆するばかりだ。 地下のメンバー達には、事故発生後に地上から地下のシェルターに向けてボーリングして掘り進めば、2週間程度かければ、到着するだろうという、技術と経験からくる、確かな読みがあったという。これを信じて、僅かばかりの食べ物を分かち合いながら、生き延びたようだ。生存が確認されて以来、52日間、事故発生から、69日ぶりで救出されるまで、サバイバルの戦いが続いた。
 この間、細いパイプを介して、水や食料や医薬品、生活用品などが届けられ、地上との間で、映像や音声による通信が可能になり、家族との手紙のやりとりも行われた。
 飲み水や食料などの心配は無くなったのだが、大小の出物の処理はどうしたのだろうか。シェルター入口から少し離れた坑道に、設えたのだろう。又、風呂は、当然無かった訳で、周辺の匂いたるや、凄まじいものだったろう。 
 今回のハプニングは、極限状態での人間集団の行動についての、特級クラスの研究材料になるだろう。又、重大な災害などでの、国家の危機管理の在り方についても、貴重な事例となるだろう。  
 チリ国旗

 当初は、救出開始は、12月のクリスマスの頃と言われていたのが、それが次第に繰り上がって11月頃になり、更に、10月半まで早まった。 救出作業は、夜を徹して行われ、救出開始からの所要時間も、当初は、日本時間で、昨日の夜までかかる、と言われたのだが、ペースが速まり、午前中に完了した。
 救出までの所要期間や時間を、多めに言っておいて、結果として、実行が早まったのが、心理的に、よかったといえよう。 
 救出の順番も、船舶の事故現場などでは、当然と言われているのだが、やはり、泣かせる。 初期のトラブルにも対応できるベテランや元気な者が、先陣を務め、次に、持病や、弱っている者を優先し、一般の作業員に続いて、最後にリーダー格のウルスアさんが出てきたのだ。救出された作業員達は、全員、予想以上に元気であった。これまでは、汗にまみれた裸の映像を見ていただけに、凛々しい作業服姿なのには感激したが、目の保護用の黒いサングラスの奥に、鉱山労働者としての誇りが感じられた。

 国の威信をかけて行われた救出劇が、最高の結末で終われたわけで、陣頭指揮にあたった、ピニェラ大統領の人気が、大きく向上しているようだ。救出を待てず、地下生活の途中で、体調を崩して生き延びられない者が出たり、耐えきれずに、地下や地上で、諍(いさか)いや、暴動が起こることが懸念されたが、聞こえてくる範囲内では、無事に経過したのは、何よりである。
 日頃、危険と背中合わせで作業している、仲間同士の強い団結力を始め、地下や地上で発揮された、リーダーシップ等も大きいのだが、我慢強いチリの国民性そのものが、勝利を齎した、ように思える。 チリは、国民として、国家として、国際的なステータスを大幅に向上させることとなったわけで、大いに自慢していいことだ。
 
 救出用の竪穴は、シェルターの手前の、地下620mの深さの坑道に開通したようだが、その深さを表すのに、建設途中のスカイツリーの、現在の高さ488mと対比して、其れをはるかに超える距離、と報道されたのは、面白かった。 
 救出用の穴の直径が、土を取り除いた状態で70cmと、かなり小さかったのは、少し驚きである。穴の直径が大きくなると、掘削が大変だし、期間もかかる。当初、早期救出のために、穴の周囲の補強をしないで、土の儘でやる案もあったようだが、やはり、安全に配慮して、太い鉄のパイプを補強用に入れたため、50cm程に狭くなった。もっと太い補強用のパイプの在庫が、無かったのかも知れない。 穴の直径の大きさは、総合的に判断した、ぎりぎりの選択だったのだろうか。
 その中を人間が入る、籠状の、救出用カプセルを上下させる訳で、かなり窮屈だったのではないか。太めの人間だったらどうだったかな、などと、家人と話し合った。

 テレビを見ていて、カプセルを吊り下げるワイヤを支える、最も重要な滑車が、穴の真上ではなく、少し横に付いていて、ワイヤが斜めになっているのが気になった。さる民放の番組で、垂直方向に対して、11度傾斜している、ということが分かった。理由は、垂直だと、途中に岩盤などの障害物が想定され、やむを得ず、斜めに掘ったようだ。カプセルには、緩衝用の車輪も付けられるので、傾斜があると尚更のこと、壁の補強は必須だったと思われる。
 救出途中でのトラブルが懸念されたが、慎重に、慎重に行われ、カプセルについている車輪の、点検調整などが行われた程度で、終了まで、大きなトラブルは無かったのである。
 中継番組で、自分も現地にいるような臨場感で、作業の様子を見守ったが、スタジオと現地レポーターとのやりとりでは、かなりの時間差が実感でき、チリの現地は、最も遠い、地球の裏側なんだ、と納得できた。 

 作業員自身の健康回復が先ず最優先だが、快挙の興奮とお祝いムードが落ち着くと、鉱山会社や政府の責任問題や、保障の問題が出てくるのは必定だ。 この鉱山は、閉山になるようだが、元気を回復した作業員の仕事の確保も重要になろう。
 この鉱山では、ここ数年、何度か事故があり、閉山も勧告されていた、という。換気設備もなかったようだ。あるマスコミは、この事故は人災だと言いきった、所有している鉱山会社と、保安を監督する政府の責任であると。
 この鉱山は、銅を産出する鉱山だが、チリは、銅の産出量では世界のNo.1で、34%ものシェアを占めるという。この所の世界的な銅価格の高騰で、景気が良かったようで、深い地下で採掘しても、採算が合ったようだ。 でも、利益優先で、基本的な装備や、安全面への配慮が、疎かになったきらいは、なかったのだろうか。
 大分昔の話だが、九州や北海道の炭鉱での、落盤事故や爆発事故の悲惨なニュースが、目に浮かぶ。

 チリと言えば、この2月の大地震で、現地は大変な災害に遭っている。この地震による、日本への津波が心配されたが、幸いに、日本では、人命は失われず、漁業損失だけで済んでいる。大分昔の、チリ大地震による、三陸海岸での大津波被害を思い出させてくれたものだ。
 又、先だってのワールドカップでは、チリチームはベスト16と活躍した。日本とは、縁があるものの、チリという国について、他には、帯のように細長い国、鉱物資源の豊富な国、南極に最も近い国、位の知識しか無い。
 今回の事故発生から救出まで、世界から色んな支援が行われ、米国NASAの助言なども大きかったようで、日本からの、官民挙げての支援も評価されているようだ。 でも、やはり、チリ自身の力で、主体的に困難を乗り切ったという自信は、大きいものがあろう。
 
 今回の救出劇で発揮された、極限状態の生活環境で生き伸びた作業員たちの、精神力、団結力、リーダーシップとフォロワーシップとともに、地上で必死に支えた、家族や政府始め関係者の奮闘は、今後の歴史の中で、長く、長く、語り継がれていくのであろう。
 少し大げさだが、世紀の瞬間に立ち会えた、という思いである。 

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