つれづれの記

日々の生活での印象

世界遺産:米国のユネスコ脱退

2017年10月21日 09時29分00秒 | 日記

2017年10月21日(土)  世界遺産:米国のユネスコ脱退

 

 

 ユネスコと言えば、当ブログでも、この所、世界遺産のことで何度も御馴染である。

言うまでもなく、ユネスコは、

    UNESCO : United Nations Educational , Scientific and Cultural Organization

            国連教育科学文化機構

のことで、日本を含め、現在は、195カ国が加盟している。

  先日の12日、米国のトランプ大統領が、ユネスコを脱退すると表明し、大きなニュースとなった。実際の脱退は、来年12月となるようだ。

 

◇ パレスチナのヘブロン

 この7月の世界遺産委員会(WHC)で、中東のパレスチナ地域内にあるヘブロンが、パレスチナの世界遺産に登録されたことに反発して、アメリカは、脱退を決めたようだ。ヘブロンの登録には、イスラエルが強く反対したようで、米はこれに同調した形で、脱退を表明している。

 米国の脱退理由:

   ・分担金滞納の増大(後述)

   ・組織改革の必要性

   ・反イスラエル的で中立性を欠いていること

        (アメリカの「ユネスコ脱退」が物議に…日本が最大の分担金拠出国へ より)

このヘブロンは、ユダヤ教、イスラム教共通の聖地(キリスト教も含めて、3宗教の聖地とも)と言われるようだ。ニュースでは、大統領の娘婿であるクシュナー上級顧問が敬虔なユダヤ教徒で、娘のイバンカさんもユダヤ教に改宗したという。

 ユネスコとアメリカ・イスラエルとの対立には歴史があり、2011年にパレスチナ自治政府がユネスコに加盟したことに、和平交渉を阻害するものだと反発し、以降、アメリカ(当時は、オバマ大統領)は、ユネスコの分担金の納入を拒否し続けている。

イスラエルも分担金の納付は行っておらず、既に、この夏、米に先んじて、ユネスコを脱退しているようだ。 

 

 ◇ パレスチナと国連

 パレスチナ(Palestina)とは、元来は、中東の死海西岸の地域の名称だが、ここで、パレスチナについて、簡単に触れることとしたい。

 アラブ人が住んでいたパレスチナ地域に、ユダヤ人国家であるイスラエルが、1948年建国されたことに抗して、イスラエルとアラブ勢力間で、数次に亘って中東戦争が続き、パレスチナ人によるパレスチナ解放機構(PLO)も結成された。

1993年のオスロ合意で、なんとか、イスラエル、PLO双方が互いに認め合うこととなった。でも、これも一時的なもので、その後、イスラエルとアラブの紛争があり、イスラエルのパレスチナへの入植等が続いている。

PLOは、パレスチナ自治政府(Palestinian National Authority:PNA)となり、国連への加入も認められた。呼称のパレスチナは、パレスチナ国を意味する場合もある。

 でも、パレスチナの国際的な地位は、現在も不安定で、193カ国の国連加盟国の中で、パレスチナを国家として承認しているのが、136か国、承認していない国が57カ国という。

 2012年12月の国連総会で、パレスチナを、オブザーバー国家として格上げする決議が審議され、賛成多数で採択されたのだが、国家として承認していない国の対応は以下のように、分かれたようだ。(パレスチナ自治政府 - Wikipedia 参照)

   反対       8  (イスラエル 米 カナダ など)

   棄権 欠席 14  (イギリス 韓国 など)

   賛成          24  (日本も)

下図は、イスラエル国とパレス ナ国(ヨルダン川西岸地区、ガザ地区)を示している。     

   

◇ パレスチナの世界遺産

  2011年に、上記国連総会に先んじてユネスコ加入を認められたパレスチナは、以降、世界遺産への登録をすすめ、今回のヘブロンを含めて、以下の3件となっている。(世界遺産の一覧 (アジア) - Wikipedia 参照)

    ・2012年 イエス生誕の地:ベツレヘムの聖誕教会と巡礼路

    ・2014年 パレスチナ:オリーブとワインの地-エルサレム南部バティールの文化的景観  

    ・2017年 ヘブロン(アル=ハリール旧市街)

(ベツレヘム、ヘブロンは前出の図で、緑○で表示。 バティールは、エルサレム近郊の農村のようだ。) 

  でも、これらの世界遺産への登録では、3件とも、通常行われる諮問機関であるイコモスの審査が無く(イコモスが審査拒否)、直接WHCで決議されたようで、地域の政情不安を受け、即、危機遺産に指定されるという、変則的な措置だったようだ。

ユネスコの世界遺産に登録することで、パレスチナ自治政府の存在を世界にアピールするという、強い狙いがあるようだが、これに対して、イスラエルと米国は、偏った政治利用だ、と反発している構図だ。

 因みにイスラエルは、世界遺産に9件登録しているが、パレスチナ自治政府が支配している地域は含まれていないようだ。

中東地域のパレスチナ問題が、世界遺産にも陰を落としている問題と言えるが、今後どのように展開するのだろうか。

 

◇ ユネスコ分担金

  ユネスコ分担金の最大の支払い国であるアメリカが、2011年以降納付しておらず、巨額の滞納金があることは、ユネスコ活動にとっても、由々しきことである。結果的に、当面は、日本が、ユネスコ分担金の最大の拠出国である。 

各国のユネスコ分担金の分担率は、下図のようだ。(図はネット画像)

     

                                                     (2016-2018)

   現在の日本のユネスコ分担金は、年間40億円程で、アメリカは日本の2倍強になる。日本も、2015年、南京事件に関する中国の記憶遺産登録に反発して、ユネスコ分担金の納入拒否をちらつかせたことがあるが、結局、納入拒否はしなかったという経過がある。

   国連全体に対する分担金(ユネスコも含めた)の見直しが、2019-2021年について行われているようで、2018年末に決まるようだ。 情報によれば、中国の存在が増し、米国に次いで2位になると言われており、日本の地位が3位に低下する見通しだ。これに伴い、ユネスコの各国の分担率も変わることとなろう。 (東京新聞:国連分担金、日本3位に 19~21年試算 中国2位 

 

◇ 世界のユダヤ人人口

  ユネスコ関連で話題となったユダヤ人問題について、自分なりに、大まかに整理してみたい。 (以下は、図録▽世界のユダヤ人人口 等を参照、引用)

  ユダヤ人は、世界中で1400万人程と言われるが、下図のように、その約8割の人口が、ユダヤ人の国として戦後建国されたイスラエルと、それとほぼ同数が、米国に集中しているようだ。

イスラエルに多いのは当然として、米国に多いというのは、筆者には、やや、驚きだ。アメリカが、イスラエルを強力に支援してきた理由でもあろう。米国内では、ユダヤ人の人口比は1.7%程でも、ユダヤ人組織の活動は活発のようで、大統領との繋がりも深いという。 

     

 ユダヤ人は、長い歴史の中で、多くの困難を経てきている。 極めて有能である一方で、商売上手の守銭奴(ベニスの商人など)といったイメージもある。 特に、記憶に残るのは、ナチスによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)だろうか。

  下図はユダヤ人の人口の推移を示しているが、1900の頃は、旧ソ連地域に多かったが、以降、ロシアにおけるポグロム(ユダヤ人に対する集団暴力行為)が1881‐84年、1903‐06年、1917‐21年と3波にわたって多発したようだ。

推移図では1939年にかけて旧ソ連のユダヤ人人口は減少し、東欧・バルカン諸国が増えている。

そして、1933年にドイツに現れたナチス政権の、東欧・バルカン諸国への侵攻とユダヤ人政策で、ユダヤ人迫害や残酷なホロコーストが行われ、東欧バルカン諸国や西洋で、ユダヤ人が激減した(△600万人とも)。

代わって北米が急増している。 北米は、住処の無くなったユダヤ人にとって、安住の地と映ったのだろうか? 

 1948年のイスラエル建国後、北米はほぼ変わらずで、イスラエルに世界からユダヤ人が集まり、ユダヤ人が漸増して現在に至っているという、、ユダヤ人にとって、目まぐるしい変化である。

  

◇ パレスチナ問題の存在

 世界は、いまや、北朝鮮問題や、シリアでのIS拠点のラッカ陥落など、シリアスな話題が中心で、パレスチナ問題の影は薄くなっている感じだが、今回の米のユネスコ脱退表明で、改めて、問題の所在を自覚させられた次第だ。

先月の9月に、ニューヨークの国連本部で、各国閣僚級が出席したパレスチナ支援会議があったようで、日本の河野外相が、難民キャンプなどを対象とした、2000万ドルの支援を表明している。(【河野外相】 パレスチナ支援に2000万ドル - zduizd’s diary など)

 中東問題に関しては、アメリカに追随するのではなく、日本だから出来る独自の外交を展開することを期待したいところだ。 

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世界遺産:登録後に維持する問題  2

2017年10月15日 15時05分45秒 | 日記

2017年10月15日(日) 世界遺産:登録後に維持する問題 2 

 

 

 先日、当ブログに投稿した記事

    世界遺産:登録後に維持する問題 1 (2017/10/11)

では、世界遺産の登録後の維持に関して

   イ.富岡製糸場

   ロ.ドイツのドレスデン

のケースを取り上げたが、本稿は、その続編である.

 

ハ.オーストリアのウイーン

◇ 世界遺産に登録

  オーストリアの首都ウイーンは、2000年もの長い歴史を持ち音楽の都でもあることで、旧市街地を主にした歴史地区として2001年、世界文化遺産に登録されている。 

 ウイーン歴史地区に登録されている地域は、下図左の航空写真のようだ。赤線で囲った地域が主要エリアで、371ha、対象物件が約1600件、外側の青線で囲った地域が、関連エリアで、461ha、対象物件が2950件といい、全体では、広さが832ha、対象物件が約4550件と大変な数字となる。(ウィーン歴史地区の世界遺産の範囲 - ウィーンの街を公認ガイドと歩いてみませんか!

下右の、ウイーン市郊外を含めた地図では、右上の河川がドナウ川の本流で、そこから、ドナウ運河が分岐している。ドナウの南西側が旧市街が、北東側に新市街が広がっていて、世界遺産の歴史地区は、ドナウ運河の更に南西となる。

別の世界遺産になっていて地図の左下隅にあるシェーンブルン宮殿(ハプスブルグ王家の離宮)は、写真では良く分からない。 

    

 

 下図は、ネットにあるウィーン市内の観光地図で、人気の高いスポットを表示。中心地にあるシュテファン寺院4は、図にあるシンボリックな尖塔で有名である。

   

 因みに、ウイーンのこの地域の広さを、身近なものと比較してみようと、咄嗟に思い浮かんだのは皇居で、調べたところ、広さは、約142haとある。ウイーンの歴史地区は、皇居の数倍の広さのようだ。

 下図左は、皇居周辺の東京駅方面からの空撮で、おおよそ、嘗ての江戸城の内堀(現マラソンコース)あたりまで含むだろうか。下図右は、現在は大方埋め立てられている、嘗ての江戸城の外堀あたりまで含めた広さで、ウイーンの歴史地区はこのくらいかもしれない。

     

           皇居(内堀)                                            江戸城(外堀)

  

◇ 危機遺産に

 ウイーン市の中心部の一角にある市立公園(Stadt park)には、ヨハン・シュトラウスの立像などがあるので有名だ。

この公園の直ぐ南にある敷地内に、高層ビルの建設が予定されているのだ。市内の地図や、下図の航空写真で、市立公園の位置を確認した。(下図の赤○印)(ウィーン歴史地区、「世界危機遺産」に 高層ビル建設計画で 写真1枚 

    

 高層ビルの建設計画は、3年前になって具体化したようだ。 当初は、歴史地区の規制の高さの43m以内とし、コンサートホールなどを作る計画だったようだが、更に73mまで高層化し、高層マンション、ホテル、複合スポーツ施設(フィットネス、スケートリンク)、会議場などを配置する計画に変わったと言う。 

 

 この建物ができると、周囲の景観を損なうとして、2017年、クラカウで開催された世界遺産委員会(WHC)では、ビルの高さを、65mまで低くするとの修正案も示されたようだが、了解が得られず、警告を込めて、危機遺産に指定されたという。

市立公園から、シュテファン寺院の尖塔や旧市街の建物などが、どのように見えるのだろうか。また、高層ビルの工事の進捗状況はどうなのだろうか。

  ウイーンの市民としては、世界遺産として維持すべきだ、という意見と、生活や市の発展が大事で登録を抹消されても構わない、という意見もあるようだが、市当局は、世界遺産を維持する意向とも伝えられている。

 

 前稿で触れた、ドイツのドレスデンのケースは、渋滞解消のための橋が建設されると、周囲の景観が損なわれるとして、WHCで危機遺産に指定されていたが、地域の発展の方が大事と、予定通り橋が建設され、世界遺産から抹消となった例である。

   又、似たような事例として、ドイツのケルン大聖堂(2001年登録)がある。ケルン市内の再開発計画の中で、大聖堂の周辺に高層ビルが出来ると、景観が損なわれるとして、2004年のWHCで、危機遺産に指定された。でも、ここで市当局は、工事を一時中断し、高さを60m以下に抑え、大聖堂周辺の空間も明けるなどの変更を行ったことで、2006年に、危機遺産の指定が解除されているようだ。

  高い建物が出来ると問題だとして、世界遺産ではないが、高さ規制が行われた日本の例として、東京の皇居周辺と大阪城周辺が挙げられる。これは、景観と合わせて、特定な建物に対する畏敬の念も大きかったようだ。  

 

◇ウイーン訪問 

 大分以前のことになるが、筆者が現役の頃、ジュネーブでの国際会議への出張のついでに、ウイーンを訪れて見物したことがある。

市内の、とあるホテルに泊まったが、マロニエの花が咲くホテルの中庭では、有志が、ワルツ音楽に合わせて、賑やかにダンスを楽しんでいた。

 ホテルで申し込める市内観光バスで、あちこち回ったが、シェーンブルン宮殿の整った前庭の美しさ、スペイン馬術学校での馬の調教風景、国立オペラ劇場の外観、市立公園のヨハン・シュトラウスの立像、ドナウ川の流れ(支流の運河?)、等が、今も鮮やかに思い浮かぶことだ。 

 

◇歴史地区の例 

 世界遺産には、個々の建造物ではなく、地域全体として、○○歴史地区などとして登録されている所が、数十箇所もあるようだ。 特に、ヨーロッパに多いようで、以下のようなよく知られた都市で、歴史地区に指定されている。 これ等の中の幾つかを、筆者が訪れた思い出がある。

   オ ウイーン ザルツブルグ

  仏 リヨン

  伊 ローマ フィレンツエ ナポリ

  西 コルドバ トレド

   ポ ワルシャワ クラクフ

  チ プラハ

  ト イスタンブール

  エ カイロ

  カ ケベック

  韓 慶州

 

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世界遺産:登録後に維持する問題 1

2017年10月11日 11時39分48秒 | 日記

2017年10月11日(水) 世界遺産:登録後に維持する問題 1

 

 

 この夏に世界遺産に登録された、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 について、当ブログの下記記事、

         世界遺産:宗像・沖ノ島が登録 (2017/10/5)

で取り上げたところだ。

 

 本稿は、世界遺産登録後の、維持管理に関する問題を話題にしているが、これは、先日、10月4日朝のNHK―TVの7時のニュースの中、けさのクローズアップで、 世界遺産について、

    イ.富岡製糸場の訪問客が大幅に減っていること

    ロ.ドイツのドレスデンの登録遺産が抹消されていること

    ハ.オーストリアの登録遺産が、地域との係争問題で危機遺産になったこと 

について、報道されたのが切っ掛けになっている。

 

 世界遺産の保護・保全に関しては、先に、当ブログの下記記事

    世界遺産の保護・保全 (2015/8/11)

で話題にしているが、その続編として、今回と次回の2回に分けて取り上げたい。

 

イ 富岡製糸場の例

 3年前に、富岡製糸場が登録された時には、当ブログに、

    ・富岡製糸場と絹産業遺産群 1、2 (2014/6/22~25)

    ・糸の太さに関する話題  1、2  (2014/6/28~30)

を投稿している。

 先日のNHKのニュースによれば、富岡製糸場の入場者数が、下図のように、かなり減少してきているようだ。(けさのクローズアップ|NHKニュース おはよう日本

  

 その理由として、

    ・当初の物珍しさが無くなってきたこと

に加え、

   ・見学できる施設が少なく、立ち入り禁止の未整備な施設が多いこと 

   ・機械類を動かすなどして、実体感できる場が少ないこと

等が挙げられている。

 遺産を管理・展示する側の富岡市当局としても、資産の活用で観光客の増加を図るのに躍起で、一部をホテルに改装する案などもあるようだが、

   ・改修を行うには、多くの規制があり、大変な金と時間が掛かる、

と、地元の財政力や、人手が足りないことを嘆くばかりだ。 3年経過後にして、登録後の遺産の維持・保全の問題が表面化しているのは、想定通りともいえようか。

 

 全国で、既に21もある世界遺産それぞれに、維持・保全上の特有の問題や悩みがあるだろう。登録以前から、観光地等として人気の高かった施設や地域(奈良・京都の宗教関連など)では問題は少ないだろうが、世界遺産になって、名を知られ、覚えられた所(富岡の産業遺産など)は、かなり深刻だろうか。

筆者の思い付きだが、以下のような方向が考えられようか。

  ・政府や行政の援助、篤志家の寄付などに工夫の余地は無いだろうか? 

  ・民間の力やボランティアの力を活用できないだろうか?

  ・ネットなどを活用した小口の募金法は? 

  ・見学者が持続するような、魅力アップの方法は無いだろうか?

 又、周知のことだが、自然遺産の場合は、本来の自然の保護と、観光による環境破壊という、本質的ジレンマを抱えている。

 

ロ ドイツ ドレスデンの例

 ドイツ東部(ザクセン州)に位置するドレスデンは、エルベ川流域に栄えた古都(残念ながら未訪問)だが、この付近のエルベ川流域とドレスデンの街並みの文化的景観が、2004年、世界文化遺産(ドレスデンとエルベ川渓谷)に登録されている。

エルベ川は、チェコとポーランドの国境付近にあるステーディ山地に端を発し、チェコの首都プラハを経て、ドイツのドレスデンを通り、北海に面したハンブルクに達するもので、ライン川、ドナウ川とともに、良く知られた、国際河川である。

 因みに、ドイツでは、水運の動脈であるこのライン川流域が、歴史的施設と美しい自然風景が調和した文化遺産(「ライン渓谷中流上部」)として登録されている。

 

 ドレスデン市のエルベ川の南部は、歴史のある旧市街で、反対の北部は、新市街となっているようで、エルベ川にかかる橋が少ないことから、長年、慢性的な交通渋滞となっていて、両岸を結ぶ、長大な橋(バルトシュレスヒェン橋)を掛ける計画は、世界遺産登録以前からあったようだ。

いろんな駆け引きがあったようだが、登録翌年に橋の建設が具体化し、世界遺産か地元の利便化か、をめぐって、2005年に住民投票が行われた結果、橋の建設を支持する賛成票が多数だったようだ。 

 これに対し、2006年の世界遺産委員会(WHC:World HeritageComittee)は、橋が出来れば景観の価値が損なわれると警告し、危機遺産に指定したようだ。

結局、橋の建設が本決まりとなり、これを受けて、2009年の世界遺産委員会は、危機遺産を廃止し、登録抹消を決めている。 橋自体は、2012年に完工し、2013年から、供用されているようだ。(下図)

    

        開通を祝って橋を渡る住民達(川の対岸側はドレスデン旧市街)(ネット画像)

 

 下図は、ドレスデンの地図で、中央を左右(東西)に流れるのがエルベ川。川の南側が旧市街、北側が、新市街である。既存の橋の状況と、新橋の位置関係が良く分からなかったのだが、苦労して調べて知った下記のサイト

   エルベ川の橋が開通 - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト

に的確な情報があり、この情報を基に、市街地図上に示したのが、下図だ。

 下図で、黄で示したのが既存の5つの橋で、赤で示しているのが、今回新たに架橋された橋である。

橋は、左から

   マリエン

   アウグストス

   カローナ

    アルバート

   バルトシュレスヒェン

   ロシュヴィッツ

だが、新橋は、既存の橋が無かった中間地点に建設されているのが良くわかる。

                         ドレスデンのエルベ川にかかる橋

   

               ○         ○                          ○

 世界遺産の登録抹消の事例はあるが、多くの場合、自然災害や崩落、テロによる破壊など不可抗力に近い理由のようだが、先進国のドイツで、このような事態が生起したのは極めて珍しい事例だろう。

 

地域住民としては、世界遺産が抹消されても、橋の建設は、生活向上や産業発展に欠かせず、背に腹は代えられないとして選択したようだ。現地のタクシー運転手は、登録抹消後も、観光客は減っていないと述べていた。

 テレビでは、ドレスデンの住民感覚としては、世界遺産への登録は、数ある訴求ポイントの一つと、軽く見るふしがあったのは、やや意外であった。

 

反して、日本には、地域おこしのために、世界遺産に登録して、国際的なお墨付きを得たいという「舶来志向」が、いまだに根強くあるだろうか。 でも、結局は、他力本願ではなく、自分達の力で、何とか地域の問題を解決しなければならない、ということだろう。

 

 先のレポートは、現地在住の日本人の建築ジャーナリストが書いたものだ。この中で著者は、新橋の意義について、建設当初は、非難轟々だったパリのエッフェル塔の例を引用し、50年後になって、この橋が周囲と溶け込んだ、素晴らしい景観になっているだろう、と述べているのが印象的。

文化遺産は、古いものを確実に残す一方で、時代とともに工夫を凝らしていく所に意味がある、というのが、世界遺産の核心に迫るポイントに思えるのだがーー。

 

 

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世界遺産:宗像・沖ノ島が登録

2017年10月05日 21時48分10秒 | 日記

2017年10月5日(木) 世界遺産:宗像・沖の島が登録 

 

 さる7月9日、ポーランドのクラカウ(クラクフ)で開かれていた、ユネスコの第41回世界遺産委員会で、日本から申請していた、

     「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群

が、審議の結果、世界遺産に登録される事が決定した。 我が国としては、2年前の2015年7月の第39回委員会で登録が決まった、

    明治日本の産業革命遺産

に続くものだ(2016年の西洋近代美術館は、仏との関連で)。これで、日本の登録遺産は、総数21件となった。

 

○ 日本の登録世界遺産  以下の21件  

  自然遺産                  白神山地 屋久島 知床 小笠原 

  文化遺産   社寺仏閣  神社   厳島神社 紀伊山地 富士山

                          沖ノ島

                    寺     法隆寺 古都京都 古都奈良 平泉

                建造物             姫路城 白川郷 原爆ドーム 

                                                   琉球王国 日光 

                                  西洋近代美術館 

                    産業                 石見銀山 富岡製糸場   明治産業革命遺産

    これ等の中で、筆者が訪れたことがある箇所(登録前が多い)を下線で示している。

 

○ 「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の概要

   ・構成資産 8件(下図 イコモス勧告との関係も記載)

  ・沖ノ島 ①宗像大社奥津宮

  ・沖ノ島周辺 

              ②小屋島

              ③御門柱

              ④天狗岩

----------------------------------------------- 以上がイコモス勧告

    ・大島  ⑤宗像大社中津宮

         ⑥宗像大社沖津宮遥拝所

  ・福岡県 ⑦宗像大社辺津宮

          ⑧新原・奴山古墳群 

            (ネット画像)

○主な内容

     沖の島    位置関係 九州本土から沖合約50km

                                   朝鮮半島まで約150km 

                     島自体が信仰の対象    

                     宗像大社奥津宮(おくつみや)が存置

                           宗像大社が管理

                           神職が定期的に入島し拝礼

                           入島時の特異な習俗(禊 みそぎ)

                           女人禁制

                     古代の祭祀遺跡 

                           国の繁栄と航海の安全を祈願   

                  戦後の発掘調査で、大量の祭祀用宝物(全て国宝)が出土

                      海の正倉院とも(大陸の宝物が多い) 

    周辺の岩礁も信仰の対象に

            古代の九州本土と朝鮮半島間との往来は、壱岐・対馬ルート(対馬と朝鮮半島との距離 約50km)が使われ、沖ノ島は無関

            係と思われる。

  大島      位置関係  九州本土から沖合約7km

           宗像大社中津宮(なかつみや)が存置       

           奥津宮の遥拝所(奥津宮には容易に行けないため、女性向けも)       

  九州本土   宗像大社辺津宮(へつみや) 

  沖ノ島の祭祀遺跡から出土した宝物は、8万点にも及ぶと言われ、全て国宝。これらは宗像大社の宝物館に展示されているようだ。

     

○登録までの経過とイコモス勧告

   政府として沖の島関連資産を世界遺産へ登録することをめざし推薦を決定し、2016年2月に推薦書が提出されている。この時点で、TV等で大々的に報道されたが、神職が全裸で禊をして、沖ノ島に入る様子に、筆者は驚かされたことだ。

          入島前の禊風景(ネット画像より)

 日本の申請に対し、ユネスコの諮問機関であるイコモス(*)から、この2017年5月、前図にあるように、沖ノ島とその周辺の岩礁①~④だけの登録とし(⑤~⑧は除外)、タイトルに、「神宿る島」を冠することが勧告された。

   *nternational ounsil n Monuments and ites:ICOMOS イコモス 国際記念物遺跡会議

このイコモスの勧告の原文は、読んではいないが、その理由は以下のようだ。 (「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群 - Wikipedia 等を参照)
  ・自然崇拝に基づく古代の沖ノ島信仰と現在の宗像大社信仰に、継続性は確認できない。
  ・なぜ、どう信仰が変容したのか、説明が不十分。
  ・女人禁制など沖ノ島の禁忌の由来は、17世紀までしか記録をさかのぼれない。 

上記のように、自然崇拝(アミニズム)に基づく古代の沖ノ島信仰には、普遍的な遺産価値があるが、現在の宗像大社信仰(国内随所にある、一般的な神社信仰)との継続性が確認できない、等の指摘は、筆者も、尤もだとも思う。

信仰の島、神宿る島、という意味で沖の島こそ信仰の中心で、そのために、長年、禁忌戒律が守られてきたもので、その他は、これを支える、周辺資産に過ぎないとも言えよう。

 

 この勧告に対し、日本の関係者は、びっくり仰天し、奥津宮、中津宮、辺津宮の三宮をセットで捉えた8資産で無ければ意味が無い、と必死で訴え、活動したようだ。

イコモスが指摘した上記の3つの疑問について、どう回答したのかは不明であるが、最終的には、了解され、各国の委員の同意も得られ、目出度く、当初の原案通り、8資産セットで登録されることとなった。これに至るまでの関係者の尽力を多としたい。

 

 今般、勧告のように、沖ノ島と周辺だけが登録されると、通常は入島できないので、観光資源としての価値が半減する。沖の島に加えて、大島と、九州本土の宗像大社や関連施設まで登録されれば、その効用は極めて大きなものとなる。地元の人たちが、8資産の一括登録に必死だったのは当然だろう。

 そもそも、世界遺産に登録する狙いは、建前では、遺産そのものを、提案国の責任で、保存し後世に伝えていくことだが、実際の本音では、登録することで、観光資源として有名になり、観光客が増え、これで、地元が活性化し、潤うことが狙いなのだ。 今回の沖の島の例での当事者の慌てぶりは、この両面性を浮き彫りにしたとも言える。

 

 イコモスの勧告の関連では、先の富士山の登録をめぐって、イコモスから、構成資産にある「三保ノ松原」を外すよう勧告されたことが思い出される。 三保の松原は、景観資産とでも言うべきもので、日本的な美意識が関わっているだろうか。関係者の努力で、この構成資産も含めて、登録された事ではある。

今回の場合は、三宮の深い関連があることで、より、本質的と言えるだろうか。

 

○ 当面の日本からの登録予定案件 

 2018年の、ユネスコの第42回世界遺産委員会(開催国 未定)で、日本からの以下の2件が審議される予定のようだ。

   ・潜伏キリシタン関連施設  文化遺産(18件目) 

      キリシタンの迫害・受難の歴史 

      これまでの信仰関連遺産は、自然崇拝、神社信仰、仏教信仰で、キリスト教は初めて

   ・奄美大島と関連島嶼   自然遺産(5件目)

      奄美大島、徳之島、沖縄島北部、西表島の多様な動植物

 

 

  

 

 

 

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水俣条約の第1回締約国会議

2017年10月03日 17時37分50秒 | 日記

2017年10月3日(火) 水俣条約の第1回締約国会議

  

○ 水俣条約

 熊本県水俣市の有明海沿岸で発生した水俣病は、わが国での4大公害の中でも、最も知られた大きな公害である。

水俣に代表される水銀公害を、地球上から撲滅すべく、2013年10月、熊本で開催された、国連の環境計画(UNEP)の国際会議(外交会議)で、水俣条約(The Minamata Convention on Mercury)が採択されている。締約国数は129カ国という。 その後、批准数が、既定の50カ国になったことから、今年の8月に、発効した。 

条約に、特定の地域名が付くのは珍しいが(ワシントン(USA)条約、ラムサール条約(イラン)など)、水俣の被害を繰り返さないという世界の願いと、発生国である日本の取り組み姿勢が込められており、今後に対する大きな責任がある。

  条約の内容については、詳細は省略するが、概略の骨子は下図のようだ。 (ネット画像より)

         

 下図は、世界の水銀汚染を示したものだ。(ネット画像より)

日本等の先進国での、工場排水によるメチル水銀汚染は、今は大幅に減少しているが、手作業で金を取る仕事が盛んな地域(東南アジア、アフリカ南部、南米ブラジルなどの途上国)では、使用する水銀による環境汚染が、今も進んでいるようで、水俣条約でも、廃絶のための行動を訴えている。

        

 そして、この9月、この条約の第一回締約国会議(COP1)がジューネーブで開催され、今も水俣病に苦しむ坂本しのぶさん(母親の胎内で罹患)が、

「水俣病は絶対に終わっておりません。患者の気持ちになってやって下さい。公害を起こさないで下さい。女の人と子どもを守って下さい。」

などと切々と訴えた様子が、9月28日のニュースで報道され、深く印象に残ったが、水俣条約が抱える現状の問題を、再認識させられた次第。(「水俣病は絶対に終わっておりません」 坂本さんが訴え

 

○ 4大公害

  周知のことだが、国内の4大公害を簡単に整理すると以下のようだ。

     水俣病     新潟水俣病    イタイイタイ病  四日市ぜんそく

 場所 熊本水俣市   新潟県        富山県      四日市市*

     不知火海沿岸  阿賀野川流域   神通川流域 

 時期 1959年     1965年      1968年     1967年

     (国1968年)    

 原因 化学工場排水  化学工場排水    精錬所排水    工場排煙

     水質汚染     水質汚染       水質汚染      大気汚染

    (メチル水銀)   (メチル水銀)      (カドミウム)   (二酸化硫黄)

                                      (四大公害の比較 等 参照)

*昭和38(1963)年、筆者は、就職間もない訓練研修で、鈴鹿にある学園寮で過ごしたが、ほど近い四日市には時々遊びに出かけた。四日市コンビナートの沢山の煙突から、もくもくと煙が出ていたのを思い出す。

 

 4大公害には含まれないが、1968年頃のカネミ油症事件も大きな公害だろう。

米ぬか油の製造工程で使った脱臭剤のPCB(ポリ塩化ビフェニル)が、製品中に混入した事が原因と言う。 この油を利用した多くの人たちが罹患した。

その後、本当の原因物質は、PCB中に微量に含まれていた、ダイオキシンと判明したようだ。このダイオキシンは、ゴミの焼却等でも発生することから、焼却炉を高温化するなどの対策が進められた。

 

公害に対する対策を通して、公害を出さないための日本の各種技術が、大幅に進むとともに、裁判等を通して、患者への補償も行われている。

 これ等の公害事件は、大方、解決していると言えるようだが、有明海の沿岸には、最終処分場が決まらないことから、問題の汚染廃棄物が、いまだにそのまま残されている、というのは驚きである。 

 

○ 毒物の重金属など

 地球上の金属類は、便宜的に、比重によって、分けられる。

   重金属  比重4~5以上  鉛 カドミウム 水銀 銅など

   軽金属   〃 〃  以下  アルミニウム チタン など  

重金属には、人体に有害なものもあり、前述の水銀とカドミウムの他には、鉛などもある。

 

・水銀 Hg(ラテン語 ydraryrumから)

 産出 自然水銀(常温で液体)と辰砂(HgS)として採掘

 用途 体温計などで御馴染

     小規模な金の精錬に必須

     以前は、圧力表示に、水銀柱 ○○mmHgなどと使われた。

 

・カドミウム Cd(英語 miumから)

 産出 亜鉛と同時に産出

 用途 電気メッキ 電池 塗料

 

・鉛 Pb(ラテン語 lumumから)

 用途 鉛は、以下のように、身近でも多方面に利用されてきたが、

       釣り用具

       ケーブル被覆や接続部の鉛工 

       化粧品  等

     人体への害毒問題で忌避されるようになり、脱鉛化や他への置換が進んでいる。

 

・銅 Cu (ラテン語 cuprum から)

 重金属の銅自体は、銅鍋、おでん鍋などに見られるように、有毒金属ではないが、明治時代、足尾銅山で、銅の精錬で発生する鉱毒が周辺を汚染し、足尾鉱毒事件として大問題になり、閉山に追い込まれている。

 

・PCB

  金属ではないが、化合物であるPCB(ポリ塩化ビフェニル)も厄介な有毒物質だ。日本では、前述のように、カネミ油症事件の原因物質として大きな話題となったが、その後、この事件の主要害毒成分は、ダイオキシンとされている。

現在は、PCBの管理は厳しく行われているが、以前関係していた工場に、PCB入りの変圧器が多数保管されていて、処置に手を焼いていたことを思い出す。

 

 人体内に入った毒物を無害化することを、解毒(デトックス )と言うようだが、そう簡単な事ではないだろう。 

   detoxification⇒detox

人体内に入った毒物によって引き起こされる症状は、多くの場合、後遺症として、生涯、残ることとなる。

 

  食品である農作物中の残留農薬や、身辺の微生物・ウイルス類、放射性物質からの放射線、などなど、われわれは、常に無数の害毒の中で生きているとも言え、気にしていたらきりが無いとも言える。勿論、気にするかしないかは、個人差は大きいのだが、日々の生活では、人体の抵抗力や免疫力を信じて生きていくことだろうか。

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