つれづれの記

日々の生活での印象

サッカー南アフリカ大会 その1

2010年06月29日 22時57分11秒 | 日記
2010年6月29日(火)サッカー南アフリカ大会 その1

 
 サッカーワールドカップ2010南アフリカ大会が、6月11日に開幕して、早いもので、32チームによる予選リーグが終了し、A~H各グループ上位2チームづつの、16チームによる決勝トーナメントも、既に始まっている。
 日本チームは、開幕前に数回行われた強化親善試合は、成績が全く振るわず、国内の盛り上がりも少なかったのだ。
 ところが、6月14日、アフリカの強敵カメルーンに、松井と本田の連携などで、1-0で勝ち、幸先のいい緒戦の勝利が、自信になった。引き続く世界ランキング4位と言われた、難敵オランダとの試合は、0-1で負けはしたものの、PKの失点(それも、キーパーの川島が一旦、弾いたのに!)だけで、守備面でも、次に繋がる善戦をした。
 3試合目のデンマーク戦では、前半、本田のセットプレーからの得点で自信を得、引き続き、ベテラン遠藤の巧みなセットプレーで、得点した。余裕を持ちながら、後半にも、岡崎のシュートが決まるなど、3-1で快勝し、決勝リーグ進出を決めた。
 ベテラン勢に支えられながら、若手・新人組が、大活躍した。開幕直前の試合で、いろいろ試行を行った結果から、苦しみながらもメンバーを決めた岡田監督の決断が生きていようか。いい形で、世代交代が行われている、と言えよう。
 1992年の自国開催の日韓大会を除き、国外での大会での初の決勝トーナメント進出である。今日29日夜は、パラグアイとのベスト8を掛けた、決勝トーナメント最初の決戦が控えていて、国内の雰囲気も一気に盛り上がっている。岡田監督は、ベスト4が目標と言われたが、単なる夢物語ではなく、現実味を帯びてきた。
南アフリカ大会ロゴ
 南アフリカ大会は、開幕前は、事件が後を絶たない治安の問題や、大会の運営がスムーズに行くかなど、かなり心配されたが、これまでのところ、報道で知る限りでは、特に不穏な動きも無く、大きなトラブルも起きていないようで、ホッと一安心である。サッカーワールドカップを、初めてアフリカの地で開催する事とした、FIFAの決断には重いものがあろう。南アフリカは、FIFAの期待に応え、アフリカの雄としても、アパルトヘイトを克服し、民主的な、安定した国家になった事を、世界に示すためにも、何としても、最後まで、無事に大会を運営し、4年後のブラジル大会に引き継いで欲しいものである。

 南アフリカの、サッカー競技場は、国内に10箇所程あり、高地から平地まであるようだ。1000m以上の高地の競技場では、重力の関係で、ボールの落下量が平地と異なり、セットプレーなどで、ボールが伸びすぎるなど、思ったようにコントロール出来ず、当初は戸惑ったようだ。又、ボールの規格を、前回とは少し変えたことで、高度との関係などから、蹴った後の曲り具合も、違ってくると言う。
 が、だんだん慣れてきて、日本―デンマーク戦では、本田、遠藤が、見事なフリーキックを決めたのである。

 開幕の南アフリカーメキシコ戦は、地元出場ということもあり、応援がものすごく、スタンドのサポーターが吹き鳴らす、民族楽器と言われる、細長いラッパのような、ブブゼラ(Vuvuzela)の音が、非常に気になった。常時、ウオーンという響がしていて、異様な雰囲気。試合をしている選手、スタッフや、審判団にとって、コミュニケーションの妨げになるのでは、と思った。FIFAでも、この楽器の使用を、認めるか禁止するか、議論があったようだが、結局は、規制しないことになったようだ。
この楽器の音も、慣れるにしたがって次第に苦にならなくなり、今では、あの会場の響が、心地よくさえ思えるようになったのだから、人間の感覚も面白い。

 競技は、勿論、現地の日中に行われ、その試合の状況は世界に流されるが、Liveで中継する場合は、日本時間では、
①20時半(午後8時半)  例 日本―オランダ戦
②23時 (午後11時)  例 日本―カメルーン戦
③27時 (翌朝午前3時半)例 日本―デンマーク戦
の3通りがあり、注目の日本の対戦は、上のようになった。
日本の緒戦は、②に行われ、普段、遅寝の我が家では大した問題はなく、1-0で勝った事もあり、いい気分で寝られた。2戦目は、①の時間帯とあって、ゆっくり観戦できたのだが、惜しくも敗れた。
 決勝トーナメント進出がかかった、デンマークとの第3戦は、生憎の③の時間帯だ。でも、勝っても負けても、歴史的な試合になるだろう、との読みから、その瞬間に立ち会いたい、と言うことで、我が家では異例だが、夜11時には早寝した。目覚ましを掛けて、3時過ぎには起き、民放のチャネルに合わせ、試合開始を待った。期待以上の、歴史的な快勝で、久し振りの快哉を叫び、いい気分で、また、床に入った次第。
 NHKでは、この第3試合の様子は、完全録画で、その日の夜に放送したが、自分にとっては、言ってみれば、気の抜けたビールのようなもの。とは言え、深夜に起きて生中継を観戦することがママならない人も、世の中には大勢いる訳で、そのような人たちへ配慮したNHKの姿勢と、考え直した。今夜のパラグアイ戦は、②の11時コースなので、少し眠気を我慢するだけでいいようだ。

 長年、騙し騙し使ってきた、我が家のアナログTVが壊れてしまい、昨年夏、エコポイントの波にも乗って、地デジ対応の液晶テレビを新調した。このテレビ、今回大会でも、大変お世話になっている。画面の大きさや映像の鮮明さもさることながら、地上デジタル放送と、BSデジタル放送という、多様なチャンネルの中から、ワールドカップに関する、生放送や、録画放送や、解説番組などを、豊富に楽しめるのである。
 日本とは、気候が、夏冬逆になり、1万3千キロも離れた、南半球でのイベントが、直ぐ身近で開かれているように感じられる。対デンマーク戦の時は、深夜にも関わらず、埼玉スタジアムに、大勢のサポーターが集まって、大型スクリーンで、観戦し、喜びを分かち合ったようだ。放送映像技術の進歩や、競技施設の整備などで、2002年の日韓大会の時よりも、身近になっているかもしれない。

 予選リーグは、トータル48試合が戦われたが、日本の対戦試合を中心にしながら、それ以外の試合も含めて、数えてみたら、ライブや録画放送で、都合、18試合を観戦している。試合の結果だけなら、後でゆっくり確かめればいいのだが、結果が分からない状態でハラハラしながら、成り行きに一喜一憂することが、TV観戦の楽しみでもあろうか。
印象に残った事項について、幾つか述べてみたい。

 開幕の南アフリカーメキシコ戦は、何と、南アフリカが先制し、地元も非常に盛り上がったが、惜しくも後半、メキシコに追いつかれ、引分けに終わった。
 先述したように、この時初めて、ブブゼラの唸るような大音量を耳にし、驚かされた。 応援用のチアホーンであるこの楽器は、通常の管楽器には付き物の、音を変えるための穴がない、いたって単純な楽器である。日頃、同じ管楽器である、尺八を吹いている身として興味があり、少し調べてみた。
 ネットに掲載されている、この楽器の周波数スペクトラムを見ると、基本周波数が、240Hzくらいで、ピアノの鍵盤で言えば、中央のCより低い、黒鍵のA#に近い音で、その高調波が、沢山含まれている。
 ブブゼラのスペクトラム
 ブブゼラは、国内でも、3000円くらいで手に入るようで、手元で吹いてみたい気持ちもあるが、聞きなれない音で、周囲に迷惑がかかりそうなので、諦めた。

 似た様な名前の選手が多いチームもある。ドイツに快勝したセルビアだが、選手の名前が、殆どが、○○ビッチ、などと言うのが面白かった。以前、日本の名古屋グランパスで、活躍し、現在監督であるストイコビッチ選手と似た名前である。韓国チームも、イ・○○、ソン・○○など、似たような名前の選手が多い。
 過去に優勝したこともあり、名選手ジダンがいたフランスチームだが、一勝も出来ずに予選敗退となり、引き揚げた。監督と選手との間の諍いが有ったようで、リーグ途中で帰国者が出るなど、ばらばらだったようだ。選手団の帰国後、サルコジ大統領が仲裁に入ったとのニュースもある。チームよりも、個人を大事にする、いかにもフランスらしい事件であろうか。

 試合をする選手達のユニフォームには、背番号は勿論だが、名前も書いてある。中継放送を観戦して、いつも感心するのは、アナウンサーが、すらすらと、選手の名前を口にできることだ。まず顔を覚えるのだろうか、背番号から入るのだろうか。3人までの選手交代があっても、きっちりフォロー出来ているのだ。名前を覚えるのが彼らの仕事、と言ってしまえばそれまでだが、事前の研鑽ぶりには、敬服する。
 現地や日本のスタジオで、解説者として、活躍される皆さんも、外国チームの、選手一人一人について、豊富な情報があることに、驚かされる。自分の場合、顔で選手の名前が言えるなは、日本チームの時ぐらいだけだ。

 アルゼンチンは、破竹の勢いで、予選リーグを突破したが、メッシ選手の活躍が光る。特に韓国戦では、ディフェンスの上を越す、山なりのパスを送り、左サイドの見方のシュートチャンスを作ったのは、見事だった。 彼が放ったシュートが、キーパーにはじかれた後、そのこぼれ球を、見方が決めたシーンもあった。これらの結果、4-1で快勝した。
 ゴールを決める選手が目立つのだが、メッシのように、きっかけを作れる選手こそ、プロフェッショナル、と言えるかもしれない。

 試合途中で、一寸した妨害があればファウルか、少し問題があれば、イエローカードになる。サッカーには、格闘技のような側面があり、ファウルやイエローカードにならないように、上手に身体をいれて攻撃を防いだり、巧妙に動いてボールを奪う、したたかさが求められる。この点では、南米の選手は、一日の長があり、身のこなしや個人技は、素晴らしい。
 一試合で、イエローカードが2枚になると、退場処分となり、そのチームは、最後まで、一人足りない状態で試合をしなければならない。ドイツとガーナ?との対戦で、主力選手のクローゼが累積2枚で退場になったが、ドイツはがんぱった。
 妨害行為が酷い時は、イエローカードではなく、レッドカードが出され、一発退場となる。フランスと南アフリカ?の試合で、フランスの選手がレッドカードで退場となった。ゴール前の争いで、意図的ではなかったのだが、右手の肘が、相手の顎にモロに入ってしまったのだ。

 サッカーのルールは、いたって簡明なことも、魅力の一つであろう。ボールを相手のゴールに蹴り込めば得点になる。ボールがタッチラインやエンドラインを割ったとき、直前にボールに触ったチームと反対のチームの、スローインになったり、ゴールキックになったり、コーナーキックになる。意図的にコーナーキックに持っていく技も見ごたえがある。
 主審と線審がいて、ボールを手で触るハンドや、敵に対する妨害行為等を監視し、ファウルや、イエローカードや、レッドカードのペナルティを課す。身体が触れ合い、ギリギリのところで敵の邪魔をする行為の判定には、微妙なところがある。

 サッカーのルールで、最も分かりにくいルールが、オフサイドである。オフサイドポジションに居る味方にパスしてはいけない、と言うルールだ。 オフサイドポジションとは、相手のゴール側に、一人(通常はキーパー)しかいない状態で、味方が先回りしてパスを待っている状態をいう。
 後方からパスを出す瞬間に、見方の選手が、キーパーを除いて、相手のディフェンスと同じ線上か手前に居ることが条件になる。ディフェンスラインより先に出ていると、オフサイドと判定され、相手ボールに代わってしまう。このための線審が、両タッチラインに一人ずつ配置されている。
 うまいパス回しで、見事にゴールしたと喜んだら、線審が、オフサイドの旗を出しているので、そのゴールは無効となったケースは、今大会でも何度も見た。
 何で、この様なややこしいルールを作ったのだろうか。サッカーの最初の頃は、この様なルールも無く、単純だったようだ。ラグビーのように、パスは、後方にしか出せないルールだった時期もあるようだ。
 ドリブルで敵のディフェンスを破っていく醍醐味は捨てがたく、ゲームを重ねるにつれ、面白さを出すために、前方へのパスも許容するようになると、今度は、背の大きな男などが、相手ゴール近くに先回りし、ロングパスを待ち伏せすることで、どんどん得点する事態になって、面白さが半減したという。
 この様な経緯から、現在のオフサイドのルールは、試合の面白さと、判定のややこしさとを、ギリギリのところで、バランスさせている、と言えるだろうか。
 この大会でも、オフサイドの判定は多いが、テレビ観客席が面白いのは、線審のオフサイドの判定が、妥当だったかどうかを、機械がチェックしてくれることだ。オフサイド臭い前線へのパスがあると、パスを蹴る瞬間のオフサイドライン周辺の、味方と相手方の選手の配置具合を、すぐさまビデオ録画画像で表示してくれるのだ。
 これまでの所、予選リーグに関する限りでは、オフサイドのアウトもセーフも、どちら側もギリギリの線で頑張っているようで、線審の判定は概ね妥当といえ、明らかな誤審は無いようある。

 サッカー人口の層の厚さには驚かされる。全世界で、これほどの人たちが関わり、楽しみ、熱狂するスポーツは、他にあるだろうか。ワールドカップ大会に向けて、予選の段階から数えると、大変な国が参加している、大イベントだ。TV観戦者数では、サッカーワールドカップの方が、夏のオリンピックさえも凌ぐという。
 この冬に行われた、バンクーバー冬季オリンピックなどを思い浮かべると
   雪が降らない国ではやりにくい
   スキーやスケートやソリなど、色んな道具が要る
   スキー場やスケート場などの施設が要る
   寒さ対策が要る
など、冬のスポーツをやるのは、容易ではなく、参加国数も限定される。
 これに比べ、サッカーは、何といっても、金がかからず、ゴールの枠やネットさえ無くても, ボール一つあれば、手軽に出来ることが素晴らしい。アフリカの子供達は、ボールが買えない時は、紙等を丸めて紐で縛り、ボールを作って、草原で遊んでいるようだ。サッカー人気の理由は幾つか挙げられようが、これが最大のものだろう。
 体格の差が、余り問題にならない点も大きい。マラソン等と似て、長時間動き回るスタミナや、小まめに動ける敏捷さが重要となる。ゴール前のヘディングなど、身長が大きいことが、有利な面はあるが、反対に、大男は、どうしても動きが鈍くなろう。南米のサッカーが盛んな国の選手には、大柄な選手もいるが、日本人同様の体格の選手も多い。
 かっての名選手で、今はアルゼンチンの監督として、テレビ映像の人気者にもなっている、マラドーナ氏が、以外に小柄なのには驚いた。





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落花生が成長しています

2010年06月26日 20時31分38秒 | 日記
2010年6月26日(土)   落花生が成長しています


 大好きな、殻付き落花生について、本ブログで、これまでに
   殻付き落花生(ピーナッツ)の食べ比べ 10/1/13
   殻付き落花生(ピーナッツ) 第二弾  10/1/23
   殻付き落花生(ピーナッツ) 第三弾  10/2/09
と、取り上げ、国産と中国産との違い、などに付いて、触れてきた。

 最初の記事に、自宅で落花生を栽培していて、かなり美味しかったので、今年もやってみたい、と書いてあり、そのために、5月の連休明けの頃、落花生の苗を探しまわった。が見つからず、5月末になって、2種類の種(生豆)を買ってきて播いてみた。片方の種は発芽率が高かったが、もう一方は、殆ど発芽せず、残っていた種を、また播きなおした。
 左半分 播き直し
 この様にして、何とか苗をつくり、今は、トロ箱一杯に育っている。落花生は、名前のように、開花後、受粉すると、そこから蔓状の子房柄が延びて、地面にもぐり込み、その先に、地中で実が付く。写真のように、びっしりと込み合っていては、開花後に、蔓が地中に入ってくれるものかどうか、心配である。もっと広いところに植えて、地面が見えるようにしてあげたいのだがーーー。

 
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風呂場ギャラリーその3 梅雨時の主役たち

2010年06月25日 18時09分42秒 | 日記
2010年6月25日(金) 風呂場ギャラリーその3 梅雨時の主役たち


 梅雨の季節の主役の一つは、アジサイです。我が家では、数種類のアジサイを植えて楽しんでいますが、今回は、家人が、その中の一つを切り取り、風呂場ギャラリーに再登場させました。漢字の、紫陽花という標記にもあるように、淡いアジサイ色に、季節感があります。アジサイの花の色は、蕾の時は葉と同じ薄緑色で、開花後、次第に赤紫や青紫に変わっていくことから、七変化との異称もあります。また、基本となる色も、土壌の酸度との関係から、赤や青になる、という性質があるようです。アジサイと言えば、相棒はカタツムリ、というのが相場ですが、最近は、余り見かけませんね。
 
 一緒に収まっている花は、半夏生(ハンゲショウ)で、この花とは、結構、長いお付き合いになりますが、軟らかな緑の葉並びに、風情があります。面白い名前の由来は、雑節の半夏生の頃(今年は、7月2日)に咲くため、という説や、穂状の地味な白い花の周囲の葉が、白く化粧したようになる(下の写真)から、という説などがあるようですが、どちらも納得です。


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トマト君 どっさり

2010年06月23日 20時19分04秒 | 日記
2010年6月23日(水) トマト君 どっさり


 先日、兵庫県に住んだことのある知人が、トマトをどっさり、二箱も贈って寄越した。この季節の、恒例の頂き物であるが、結構、野菜が値上がりしているこの時期、大助かりである。
本ブログでは、野菜食材シリーズとして、これまで
   旬の香り タケノコ (10/4/27)
   タマネギ      (10/5/11)
に登場してもらったが、今回は、トマト君 の出番である。
 届いたトマト(紫合の字)

 なんと言っても、真っ赤なトマトは、生食が嬉しい。塩や砂糖を掛けてもいいが、そのままでも美味しい。サラダなどに入れると、鮮やかな赤色が、緑の野菜といいコントラストで、又、酸味もアクセントになる。輪切りにしたトマトに、タマネギをスライスして載せ、ドレッシングをかけて頂くのも良い。丸ごと食べる時は、ゆっくり食べればいいのだが、慌ててかぶりつくものだから、中の液が行き場を失い、横から、びゅッと飛び出して、シャツなどが、トマト染めとなる。すぐ水で洗わずに放置すると、なかなか色が取れず、家人には、いつも叱られる。

 日頃トマトは、直接、料理に使うことは少ないのだが、先だっては、頂いたトマトを大きめに刻み、モヤシと一緒に炒めて、玉子を落として蓋をして蒸す、十八番の「巣篭もり」を作ってみたが、酸味が利いていて、なかなかのものだった。面倒なので、手を抜いて皮ごと入れたが、食べる時、口の中で少し皮が気になった。
 このトマトの皮剥きだが、家人の言の通りに、切れ目を付けて、熱湯の中をサッとくぐすと、あれあれ、綺麗に剥けることを体験。冷凍したものを、水に漬けて戻しても剥きやすい、という。トマトを使った料理のレシピを探すと、トマトと豚肉のしょうが焼き、トマト豚汁など、洋風でない、面白そうなものもある。

 トマトといえば、イタリア料理などには欠かせない食材である。日本では、生食が主流で、そのための品種改良が盛んだが、反対にイタリアでは、生食の習慣は余り無い、というのは驚きである。品種も、加熱用、加工用が主体で、流石に、色んな調理法や、調味料があるようだ。
 家人が得意にしていて、たまに出てくるラタトーユにも、トマトやケチャップの味は欠かせない。トマトを丸ごと水煮にしたビン詰めもある。
 スパゲッティミートソースは、好物の一つで、これはよく作るが、市販のミートソースの素に、ケチャップをたっぷり入れるのが、自慢である。

 以前、田舎では、トマトは露地の畑に良く植えられていて、捥ぎたての実を手で拭いて、かぶりついたもの。形も、握りこぶしのように、でこぼこで、強い香りが、ぷんぷんした。へたの近くの棘が、痛かったのも覚えている。
 最近は、トマトの種類も格段に増え、ミニトマトなども人気が高い。形も丸いものが多く、昔のようには、余り香りがしないのが、少し不満でもある。ハウスでの施設栽培が多くなり、そのために、四季を通じて食べられるようになっている。熊本県は、トマトの主産地域の一つで、栽培が盛んだが、以前、飛行機で熊本空港に降りる時に、視界一面に飛び込んでくる無数の栽培ハウスの白い屋根が、水面のように見えて、あれ、水害? と驚いたことがある。
 東京暮らしの中で、区の農園を借りて、トマトを栽培したこともある。途中で芯を止めるなど、手入れが面倒で、うどん粉病などにも罹りやすく、あっさり諦めた。

 トマトの原産地は中南米といわれるが、ヨーロッパに渡ってから、食材として、利用法や調理法が工夫されたようだ。
 ヨーロッパには、
   トマトが赤くなるほど、医者は青くなる
という諺があるようだ。トマトには、美容と健康のビタミンCや、強い抗酸化作用のある赤い色素のリコピンが含まれるなど、栄養的にも優れた、緑黄色野菜の代表食品の一つと言われる。健康飲料として、様々なトマトドリンクや野菜ジュースもある。
 時々、トマトは野菜か果物か、と言われる。常識的には、草に成る実は野菜、木に成る実は果物だ。果物のような野菜としては、
 スイカ ウリ メロン イチゴ
などがあり、これらは、加熱したり、乾燥させたりすることは先ず無く、生のままで頂く。
 トマトも、勿論生でも美味しいのだが、加熱したり、加工品にしたりと、応用範囲が広い野菜なのである。
 かっての筑波科学万博で、一株で13300個もの実をつけたという、水栽培の巨大トマトを見たが、植物の生命力の逞しさと、栽培の可能性に圧倒されたものである。

 全国には、トマト産地は多いと思われるが、今回、トマトを送っていただいた農園は、神戸市西区神出(かんで)町の、紫合と言うところにある。紫(むらさき)合(あう)と書いて、(ゆうだ)と読む地名が珍しく、気になっていたのだが、今回、改めて調べてみた。
 漢和辞典を見ても、そのような読み方は無い。普通なら、しごう、しあい、等と読むところだろうか。同じ兵庫県の川辺郡猪名川町にも、同じ字・同じ読み方の地名があるが、こちらでは、昔の地域連帯の「結い」につながる、結う田、の当て字が語源、と言う説もあるようだ。いずれにしても、全国難読地名番付の、横綱大関クラスに入るだろうか。機会があれば、現地の人などに聞いてみたいものだ。

 余談だが、トマトの入っていた段ボール箱は、一切、テープや金針で止められておらず、分解すると、綺麗に平面図に展開できるのは素晴らしい。箱の四隅の形が崩れないように、ボール紙の丸くなった末端部分が、穴の中に嵌り込み、軽くロックするようになっている。勿論、再び簡単に組み立てられる。段ボール箱の製造工程の簡略化と資源の再利用という面でも見事な工夫であろう。
 段ボール箱を展開したところ








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消費者金融 その2

2010年06月17日 19時57分42秒 | 日記
6月17日(木)  消費者金融  その2


 当ブログで、先日(10/6/3) 
   消費者金融 その1  
として、改正貸金業法などについて触れた。明日6月18日から、本改正法が本施行となるのを前に、今回は、その2として、関連の話題について述べてみたい。

 前回取り上げた、某都銀のカードローンだが、その後、当該銀行の窓口に出向いて確かめたところ、長年仕舞い込んでいた、手持ちの磁気カードでも、問題なく使えることを確認できた。
 ATMにそのカードを挿入し、何とか覚えていたパスワードを入力すると、恰も、数十万円の残高の預金があるように表示され、必要な資金を自由に引き出せるのである。これで、急な資金需要があっても、カバーできることが分かり、一安心である。勿論、立派な借り入れだから、返済しなければならないのは当然のことだ。

 こつこつ金を貯めて、貯まったところで使う、というのが、ある意味で、理想的なのだが、なかなか貯まらず、どんどん時間ばかりが経過して、経済の規模も小さなものとなる。このため、時間の先ヅモとして、金融機関が預金で集めた資金等を基に、事業への融資や住宅ローンの貸付を行うことで、経済の規模も大きくなることから、世の中、信用をベースにした取引が、盛んに行われている訳である。
 この文脈で、注意すべきは、国が国債を発行して資金を調達する方法だ。これは、国自体が、時間を先取りして、将来の世代に借金するという、最も安易で最も危険な方法なのである。日本の場合、国民一人当たりの国債残高が、700万円以上とも言われており、積年の政治の付けが廻って来ているのである。この件は、別の機会に触れることがあろうと思う。

 通常の売買の商取引では、売る側は、物やサービスを提供し、買う側は、その対価として金を支払うということで、バランスしたやり取りとなり、分かりやすい。一方、資金の貸し借りは、取引とは言うものの、物やサービスの売買の時とは異なり、貸し手側の金融機関としては、借り手側の将来を信用する、のが基本となる。通常の取引と異なり、バランスしない、アンバランスな取引といえるだろう。それだけに、慎重な審査が行われることとなる。
 貸し手側から見て、借り手側が返せなくなるリスクは常にあり、そのリスクを極力減らすために、担保を取ることも多い。これは、貸し借りの取引を、出来るだけ、バランス型に近づける工夫と言えよう。土地や建物等の不動産などが、担保物件となる場合が多い。
 個人のレベルでは、銀行の住宅ローンなどの場合、物件自身が担保になっている。ローンが払えなくなると、担保物件の住宅を取り上げられてしまう。この様な担保物件がある場合でも、貸す側のリスクを極力少なくするため、借り手の就業状況や今後の収入の見通しなどについても、結構、厳しく審査が行われるのが普通である。自動車ローンの場合なども、同様であろう。以前は、七つ屋、16銀行などとも呼ばれて親しまれた質屋は、サラ金業者に押され気味だが、質草という担保を取って貸し付けているわけだ。返せなくなると、質草は戻らず、質流れ品として処分される。
 余談だが、金融機関で住宅ローンを組む場合、銀行が、手続きも、懇切丁寧にやってくれる。が、何年か後、住宅ローンを完済すると、その住宅に設定されていた抵当権はなくなるのだが、この時は、銀行は何故か不親切である。結局、自分で不動産登記所に出向き、手続きを行って、住宅の登記簿から抵当権を消去してもらった、ことが思い出される。

 今回の貸金業法の改正のポイントは、総量規制の導入と、上限金利の引き下げであろう。
前者については、前回触れたので、今回は、後者について述べたみたい。
 此処で言う、貸金とは、いわゆる、個人向けの無担保貸付で、審査はあるものの、不動産物件等の担保を伴わない、アンバランスな取引である。
 貸し金に関わる金利には、これまでは
   利息制限法での上限金利 
        10万円以下   年20%
        10~100万円 年18%
        100万円以上  年15%
   出資法による上限金利
                 年29.2%
の、二つがあり、貸金業者の場合、利息制限法の上限金利と、出資法の上限金利との間の金利帯も、一定の要件を満たすと、有効とされてきた。これがいわゆる「グレーゾーン金利」で、一定の要件を満たさない場合も含めて、このお蔭で、業者は荒稼ぎをしてきた、といえる。最近は、多重債務問題で、いわゆる、過払い金の請求案件として、取り返す動きが活発になってきている。
 今回の、貸金業法の改正で、このグレーゾーン金利が無くなり、利息制限法の金利水準に引き下げられ、一本化されたようだ。これまで、何故、抜け穴のようなグレーゾーン金利が存在したのだろうか、時間があれば調べたいものだ。今後、グレーゾーン金利が無くなれば、事業者側の旨味が無くなり、違法なヤミ金利だけが残る事となる。
 でも、金を借りる場合の上限金利が、20%と低くなったとは言え、油断は禁物。就業や収入の見通しも不確かな上、銀行預金の金利は、桁違いに低く、株式投資の利回りなども極めて低い、という現今の経済状況からすると、借りる側としては、大変な利息を払わなければならない、ということに、代わりは無い。この両者の金利差で、金融業は成り立っている、ともいえるのだがーーー。

 一方、クレジットカードのキャッシング枠を使って金を借りることも、今回の総量規制の対象となることから、最近は、クレジットカードのショッピング枠を使った、巧妙な現金化の方法が行われているようだ。クレジットカードで、特定の価値の低い品物(例 ビー玉)を購入すると、10%程度の手数料等を差し引いた現金が、手に入るという仕組みのようだ。この様な仕組みが、違法なのか、違法で無いのかは、微妙なようだ。手数料を含めて、全額を返済しなければならないのは言うまでも無い。
 この話は、パチンコ屋で、パチンコ玉を特定の品物(例 剃刀の刃)に換えてもらい、それを近くの景品交換所に持っていくと、現金に換えてくれる、という仕組みに酷似している。

 借金は、あくまでも人様の財産を使わせてもらうのだから、利息を付けて返さなければならず、返さないと犯罪になるのは当然だ。
 個人の場合、借金を返せなくなった時、犯罪にならずに、借金を合法的に踏み倒す最後の手段として、破産宣告がある。又、会社の場合、事業が行き詰った時に、会社の更正や清算と言う、合法的な手続きがあり、借金は棒引きとなる。
 いずれの場合も、借金が棒引きになり、詐欺や窃盗などの、犯罪にはならないということでは、救われるのだが、破産した個人や法人経営者の、その後の社会生活や社会活動がどうなるかは、別問題である。

 金融業は、古来、何処か蔑まれて来た側面がある。たんまり抱えている資金を元手に、汗を流さずに、腕組みをしてぬくぬくと稼いでいる、といった風に見られている。その資金も、何か良くないことで荒稼ぎしたのでは、という、庶民の羨望とも、恨みともつかぬ気分が籠っていようか。シェークスピアの名作喜劇、「ヴェニスの商人」では、強欲なユダヤ人の金貸しシャイロックに対し、若い裁判官に扮する、美貌の女性ポーシャが下す、
 “肉は切り取ってもいいが、血は一滴たりとも流してはならぬ”
という名判決に、世界中の人達が拍手を送ったことだろう。金貸しに対する、善良な市民の、日頃の恨み、辛みを、見事に代弁しているようだ。
 とは言え、当今、金融関係でも、銀行業は憧れの職業で、かっこよく、バンカーなどと言われる存在になっている。一方の、消費者金融業は、身近な存在である半面、サラ金などと蔑まれ、怖れられても来たのだが、今回の抜本的な法改正等を切っ掛けにして、どのように変わっていくのだろうか。

 消費者金融の分野では、事業者同士の競争もあり、貸付の垣根や審査は、甘くなる一方のように見える。一定期間は、利息が付かない、などという、甘い汁で誘惑する。融資は甘くする一方で、慈善事業ではないのだから、取立ては非常に厳しい、という側面も忘れてはなるまい。
 最近の小売業界では、スーパーや本屋など、決済前に、自由に品物を手に取ることが出来るのは当たり前で、非常に敷居が低くなっている。この延長で、若い人達には、商品の万引きに、罪悪感が少ないというのも、頷ける面もある。自分の物と、他人の物との区別が、はっきりしなくなっているのだ。
 自分の物と他人の物、自分の金と他人の金、の違いを、改めて教え込まないといけない時代なのだろうか?

 マイクロファイナンスという金融事業があるようだ。発展途上国などで、資金力の無い主婦などの起業意欲を支援し、無担保で、小額の資金を貸し付ける仕組み(金利は決して安くは無い)であるが、真面目に取り組まれていて、資金の返済率も、極めて高いという。貸し付ける前の事業見込みの分析や、途中、途中でのサポートなど、親身に支援していることが、いい結果に繋がっているようだ。先日のニュースでは、国内の某自治体も、似た様な事業で、成果を挙げている、との報道があった。
 これらを耳にする時、貸す側も借りる側も、真面目に取り組める環境の中では、人間の性は、本来、善である、ということを、信じたくなるような事案ではある。




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