つれづれの記

日々の生活での印象

万葉仮名から平仮名へ

2018年09月08日 09時33分49秒 | 日記

2018年9月8日(土) 万葉仮名から平仮名へ 

 

 前稿では、文化史上の画期的な出来事である仮名文字の創出に至る過程で、大きな意味があった万葉仮名について話題とし、万葉集の歌を通して、その実際に触れた。

本稿では、平安時代以降に、この万葉仮名から、日本で創出された平仮名に至る過程を見てみたい。

 

●万葉仮名の発明  

 主に万葉集の表記に使われたことから、万葉仮名と呼ばれるが、表音文字の一種といえる音節文字である。万葉仮名には、漢字を中国語の発音のままで、表音文字として使う、「正音」が多いが、一部で、漢字を日本語の意味(訓)で発音して、表意文字として使われることもあり、これを「正訓」と呼んでいる。(万葉仮名 - Wikipedia )

上記万葉仮名のサイトには、現在の50音表の形に整理した、1字1音万葉仮名一覧があり、各行、各段に載っている万葉仮名の数は、下表のようになっている。

 

マ  

4

7

9

8

10

20

11

9

6

3

3

7

4

4

イ甲

8

9

29

7

14

12

8

 

7

6

6

12

6

3

イ乙

9

 

12

7

 

 

4

 

6

7

7

11

6

7

8

7

4

3

 

6

4

3

7

エ甲

4

7

9

7

6

12

4

9

5

4

4

2

10

4

エ乙

5

6

7

5

2

オ甲

4

8

5

7

3

11

6

4

2

13

9

1

5

4

オ乙

9

9

10

4

14

6

2

7

6

7

 

 

 

 

 

  

 

 

 

 

 

 

 

 

 通常の50音表の文字(清音)だけで、537文字、さらに濁音が141文字加わっている。

清音の50音表は、48文字なので、万葉仮名から50音表に整理されるまでに、

         (537-48)/537 ≒ 91.1%

の圧縮率である。

また、濁点文字は、50音表の清音文字に、濁点(゛)を付すだけなので、べら棒な簡略化となる。表には無いが、半濁点(゜)についても同様だ。

 表中の、イ段、エ段、オ段は、甲、乙に分かれている。これは、調べて解ったことだが、往時は、

     イ段  キ、ヒ、ミ

     エ段  ケ、へ、メ

     オ段  コ、ソ、ト、ノ、モ、ヨ、ロ

の13文字については、発音が明確に区別されていたことから、別文字になっていたという。

これは、上代特殊仮名遣と呼ばれるようで、このことを見出したのは、遥かに後の江戸時代の碩学で、古事記伝の著者として有名な、本居宣長という。(上代特殊仮名遣 - Wikipedia

日本語や文字の成り立ち等について、長年にわたって苦闘した先人達の努力に、門外漢ながら、頭が下がる思いである。

 

●平仮名(ひらがな)

  平安時代に、万葉仮名の元となる漢字を崩した草書体から、平仮名は生まれたと言われる。

平仮名の一覧を、下図に示す。( 平仮名 - Wikipedia より) 

     

 この表で、ひらがなの元となった漢字は、全て、先述の、537字の万葉仮名に含まれていて、使用頻度の多い万葉仮名が、上表のような平仮名になったという。

川の文字は、音・訓では、セン、かわ だが、平仮名のつ、になったのはなぜだろうか。後稿で触れるカタカナのツの元字 津の氵(さんずい:川)から来たのかも知れない。

    川    → つ

 往時は、筆書きで草書体の文字も多用され、馴染みがあったと思われるが、ワープロ時代の現代には、以下の様な文字が元となっているとは、かなり理解しがたい所がある。

    幾(機) → き

    美    → み

    武    → む

    遠    → を 

 数多くの万葉仮名から、どのような時間的経過を辿って、ひらがな48文字に絞られていったのだろうか。 この標準化は、自然に収斂していったのか、どんな人物や組織が関与したのか、興味のあるところだが、これ以上の究明は省略したい。

 ● 代表的古典 枕草子の原本

平仮名の発明のお陰で、紫式部、清少納言等の、皇族・貴族に仕えた女性達を中心として、平安女流文学が隆盛したのは周知のことだ。

ここで、筆者が高校時代に古文として習った、清少納言が著したとされる代表的古典である「枕草子」を見てみたい。

下図は、枕草子の有名な冒頭部分の原文である。(書写本の写真)

   枕草子原文

 現代に使われている、平仮名で書かれていると思いきや、流暢なかなもじで、しかも、かなりの部分が「変体仮名」の形になっているのには、驚かされた。更に、句読点も濁点もないようだ。途方に暮れていたところ、ネットの中に、原文を解析して、万葉仮名、ひらがな、現代文の形に対比している、まさに好都合な資料が見つかったのである。(【みんなの知識 ちょっと便利帳】『枕草子』の『変体仮名・くずし字』を読み解く - 第一段(序段・初段)【四の一】 )

 このサイトでは、 上記の原本の、最初の4行について、

     ① 原本(写真)

     ② 万葉仮名

     ③ ひらがな

     ④ 現代文

のように、対比して示されていて、それを、そのまま、引用させて貰う。(下図)

                                                ④  ③ ②  ①   

  さらに、同サイトには、冒頭の原本全体について、③のひらがな にしたものが載っていて、原本の行の区切りに合わせて、横書きを縦書きに直して示したのが、下図である。少し長くなるが、全文を引用している。

そして、このサイトには、解り易い、④の現代文にしたものも載っているので、これも、行の区切りを合わせ、横・縦を変換して、全文、以下に続けて示している。

 

 ①の原本と、③のひらがなを比較してみると、句読点や濁点がないので、かなり読みにくく、漢字は、訓読みで

     雲、月、夕日、山、火、飛ぶ 行く 雁 日、入る

があるだけである。

 ④の現代文になって、漸く、以前に親しんだ文章になっている。

  この原本は、江戸時代初期の、寛永年間に作成された書写本のようだが、平安時代からこの時代頃まで、万葉仮名、ひらがな、訓読みの漢字が混用され、形は変体仮名のスタイルだったとは驚きである。

 

●変体仮名

 ここで、已む無く、変体仮名について調べることとなった。筆者が趣味としている尺八の楽譜に、箏曲の地歌の唄が変体仮名で書いてあり、少しく馴染みはあるのだが、大変厄介な文字、という印象で、わざわざ、自分で、変体仮名を平仮名に換えて楽譜に貼りつけている。

文字の種類と言うより、表示の流儀・スタイルというのが適切かもしれない。

ネットで調べると、変体仮名には、長い時代の経過の中で数多くの形があり、代表的なものの一つを、下図に示す。 これに依れば、殆どが、現代のひらがなの元字の万葉仮名と同じで、す、が異なるだけである。

  す;下図 春 須  ひらがな  寸  

  代表的な変体仮名の例

 

  下図の様な変体仮名もあり、上図と比べると、元字の万葉仮名が同じものも多いが、異なるものもある。

更に調べて行くと、元字が同じでも崩し方が異なると違った かなになる、など、切りがなく、勘弁してくれ! と言いたいところだ。 

   変体仮名の他の例

  明治時代になっても、平仮名と各種変体仮名が使われていて、学校教育でも、同じ発音に、複数の文字が存在していて混乱があったようで、これを終らせるために、明治33年(1900年)の小学校令施行規則で、変体仮名の使用を禁止し、平仮名一種だけを使うようにしたことで、これにより、次第に平仮名に収斂していったようだ。  

 でも庶民生活では、変体仮名には根強い人気もあり、昭和の終戦前位までは、使われていただろうか。 本ブログの いろはかるたシリーズの当初の記事で多数引用した いろはかるたは、変体仮名で書かれており、歴史ある街並みのそば屋等の看板には、今でも見受けられることだ。下図に、数例を示す。

 

       

           奈可井:ながゐ 者 楚 生:ばそ生                       満佐古:まさご 

                 (はの元字は者!)  

 

                 

            宇奈畿:うなぎ               安希保乃:あけぼの              天婦羅:てんぷら

           (鰻の絵が可愛い!)                                    (婦に半濁点 ゜が面白い)

 

    

        

 

 

 

 

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仮名文字の創出ー万葉仮名

2018年09月01日 16時20分12秒 | 日記

2018年9月1日(土) 仮名文字の創出―万葉仮名

 

  この所、当ブログに、

      ① いろはかるた                    (2018/7/1) 

      ②、③、④、⑤ いろはかるた アラカルト 正、続、続々、続々々

                     (2018/7/6、7/16、8/5、8/13)

を投稿してきた。

  ①では、いろはかるたに興味を持ったきっかけと、いろはかるたの概略に触れた後、江戸いろはかるたについて、自分で思い出せるものをリストアップし、②では、江戸いろはかるたで、意味の良く解らないものなどを取り上げた。③、④、⑤では、筆者の好きなかるた、余り好きでないかるた、残された話題等を取り上げた。前回で、個々のかるたについて触れるのは一区切りとしたい。

  本稿以降では、日本の歴史の中での、仮名文字の創出や、五十音といろはの関係などについて取り上げることとし、今回は、日本の文化史上の画期的な出来事である仮名文字の創出に至る過程で、大きな意味があった万葉仮名について話題としている。

 

●日本への漢字の伝来

 日本民族(日本列島に住んでいた固有の大和民族)は、言うまでもなく、言葉は持っていたが、世界の多くの民族のように、文字は持っていなかった。日本語の原型となる固有の言葉は、研究者の間では、「大和言葉」と呼ばれるようだ。

大和言葉は、漢語や外来語と動詞「する」からなる複合語を除く、ほとんどの動詞形容詞、および、全ての助詞が大和言葉である。みる(見る)、はなす(話す)、よい(良い)、が(主格の助詞)、名詞では、うみ(海)、やま(山)、さくら(桜)などがあげられる。 (大和言葉 - Wikipedia より) 言うまでもないが、大和言葉には、固有の文法がある。

後述する日本への漢字伝来後には、漢字の音読み、訓読みが行われたが、音読みは、現地中国の発音に近いと言われ、訓読みは大和言葉に近いと言われる。

こんな状況の中に、他の文物とセットで、主に文書の形で、我が国に漢字が齎されたが、漢字を解する人間も渡来している。 

 次々と渡来した先進文化の膨大な量の文字群に触れ、その発音や意味を理解するのは、当時の人たちにとっては、並大抵のことではなく、大変な文化的衝撃だったことは想像に難くない。

日本への漢字の伝来時期には幅があり、明確ではないが、飛鳥時代から奈良時代頃と言われる。ルートも、朝鮮半島経由が大半だが、一部は中国から直接もあったろうか。

漢字文化とともに到来した各種情報は、律令制等の国のあり方や、仏教等に関する、わが国の手本となったことだ。

 奈良時代は、唐招提寺を開いたと言われる、鑑真和上が、苦難の末に大陸から渡来したり、何度か派遣された遣隋使、隋遣唐使を通じて、大陸の先進文化の吸収に努めている。

 

●万葉仮名の発明

 万葉集は、上代の国民的歌集として、現在も親しまれている古典だが、この歌集の表記に、「万葉仮名」が使われて、文献として残されてきた意義は計り知れない。

主に万葉集の表記に使われたことから、万葉仮名と呼ばれるが、表音文字の一種である。(万葉仮名 - Wikipedia )

後述するように、基となる漢字の発音の「音」を真似たり、日本語の意味の「訓」を真似た漢字の文字群が、時間を掛けて考案された。

 

万葉集は、第1巻が7世紀前半(629年)頃に編集され、最後の第20巻(783年頃)まで長期に亘って編集されている。(万葉集 - Wikipedia 他)

  稗田阿礼が誦習したものを、太安万侶が書き取って編纂(712年)したとされる、「古事記」の記述の表記にも、万葉仮名が部分的に使われているようだ。

 この万葉仮名が基となって、後の平安時代に、完全な表音文字である「ひらがな」、「カタカナ」が生み出されているのは、周知のことだ。 

 

 万葉集には、約4500首(長歌を除くと約4200首)もの歌が収録され、中央の皇族や貴人だけでなく、地方の下級役人など、多くの階層の人の歌が入っている。

この時代に、文字を持たない大和言葉の中に、5、7、5、7、7等の、リズムか既に出来ていたのは誇らしい驚きであり、万葉仮名によって記録され、伝えられることとなった。

 

● 万葉仮名の実際

 ここで、ネットで手に入る情報の範囲内だが、万葉仮名を眺めてみたい。

筆者のよく知っている歌について、万葉仮名の表記と、現代語の表記とを対比しながら、以下に数首、取り上げたい。

  万葉仮名には、漢字を中国語の発音のままで、表意文字として使う、「正音」が多いが、漢字を日本語の意味(訓)で発音して使われることもあり、これを「正訓」と呼んでいる。また、「借訓」というのもあるようだ。(万葉仮名―Wikibediaの記事内の1字1音万葉仮名一覧、あははっ 漢字の成り立ち 6 等を参照) 以下の歌には、正音が多いが、正訓だろうと思われる箇所(①、②、③、④など)や、借訓(⑤)も見受けられる。

以下の歌の万葉仮名の表記は、ネット内の複数のサイトから引用しているが、出典の詳細は省略する。 

 

① 額田王謌(歌)   

        

 万葉集の原本では、この歌は、上図右のように、縦書きの万葉仮名で表記されているようだ。(万葉仮名 - Wikipedia より)。 以下の歌も同様である。

                              

② 天皇の蒲生野(かまふの)に遊猟(みかり)したまへる時、額田王の作る歌

(万葉仮名)

 茜草指 武良前野逝 標野行 野守者不見哉 君之袖布流

 

茜、君、袖は正訓であろう。

前(さき)、逝(ゆき)、不見(みず)は面白い表示だ。

 

(現代語)

茜(あかね)さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る(万1-20)

 

③ 有間皇子自傷結松枝謌

(万葉仮名)

家有者  笥尓盛飯乎  草枕  旅尓之有者  椎之葉尓盛

 

家、笥盛、飯、旅、椎、は正訓であろう。

乎は、を、を表している。

 

(現代語)

 家にあれば 笥(け)に盛る飯(いひ)を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る

巻二(142)

 

④ 山上臣憶良、子等を思ふ歌

長歌

(万葉仮名)

宇利波米婆 胡藤母意母保由 久利波米婆 麻斯弖斯農波由 伊豆久欲利 枳多利斯物能曽  麻奈迦比爾 母等奈可可利提 夜周伊斯奈佐農 -- 『万葉集』巻五・802

ほぼ、1字1音の正音であり、まるで暗号文のようで、歌になっているとは思えない。

農(ヌ ノウ)、枳(キ からたち)、斯(シ)、爾(ニ ジ) は解るが、弓(キュウ テ?)は不明。

(現代語)

食めば  子供思ほゆ    食めば   まして偲はゆ   何処より   来たりし

ものそ  目交に    もとな懸かりて   安眠し寝さぬ

反歌

(万葉仮名)

銀母 金母玉母 奈爾世武爾 麻佐禮留多可良 古爾斯迦米夜母 --『万葉集』巻五・803

銀、金、玉は正訓で、他は、標準的な正音であろう。 

(現代語)

(しろがね)も (くがね)も玉も 何ぜむに 勝れる 子に及かめやも  

 

⑤ 志貴皇子

 

(万葉仮名)

       巻八 1418

石、激、上、出、春、成は正訓だろうか。鴨(かも)は借訓というようだ。

 

(現代語)

岩はしる  垂水の上の  さ蕨の  萌え出る春に なりにけるかも

 

 

 

 

 

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