つれづれの記

日々の生活での印象

銀行サービス 3   Mクラブ

2013年08月31日 23時28分02秒 | 日記

2013年8月31日(土)  銀行サービス 3  Mクラブ 

 

 

 某都銀の貸金庫を解約したことで、手数料の一部が、指定の口座に返還されたのだが、当該口座のキャッシュカードが、行方不明である事が判明した。

 カードの再発行について聞いたところ、通常は1050円の手数料がかかると言われ、付帯的な銀行サービスである、Mクラブ(本稿での仮称)に加入すれば、手数料が無料になるということもあり、申し込んだのだが、色んな不具合が判明し、手続きが完了するまで、かなり手間取ったのである。

 でも、今回のことで、銀行預金の引き出しに関する長年の経過の中、確認を兼ねて、原点である印鑑による方法でやって見る機会が出来、付帯的な銀行サービスを理解する、いい機会となったようである。

 

 

 銀行サービスの中で、今回の事案の始まりとなった、貸金庫利用の経緯については、

       銀行サービス 貸金庫 (2013/8/26)

で取り上げている。

 次に、預金の引き出しでの印鑑とカードについて取り上げ、当該口座で、本来の原点である届出印による引き出しを行った所、無事に出来たので、この辺りの状況を下記記事にしている。

       銀行サービス 印鑑とカード (2013/8/27) 

 ここまでで、カードが無くても届出印鑑を使った預金の引き出しが、現在も可能なことが分った。この結果、当該口座のカードの紛失については、現カードの使用を停止して貰う処理は必要だが、利用頻度も少ないことからカードを再発行して貰う必要性は、殆ど無くなったのである。

 

 でも、同行の利用者サービスである、Mクラブに入れば、手数料が無料でカードを再発行して貰える、と言う魅力もあり、生来の好奇心も手伝って、物は試しと、Mクラブへの加入を申し込むこととした。

その結果、数十年に及ぶ同行との付き合いの歴史が、表面に出て来るなどして、面倒な手続きが待っていたのである。

 以下は、この辺の状況について、自分に理解できた範囲で整理して見たもので、これまでの記事の続編としたい。

 

 

 

 現時点で、当該銀行で、自分の同一名義で所持している普通預金の口座は、以下の3口座である。

       1. 本店口座

       2. N支店口座

       3. S支店口座 

1.最初の勤務先が、銀行本店の隣であったことで、そこの口座を開設して貰ったのは、遠い昔である。その時に届出た印鑑は、木製の三文判だったのだが、これを、現在まで長年使用してきた事から、印影の周囲の○が、すり減って、あらかた無くなっている。 勿論、この所は、ICカードを常用している。 

2.ある時期、都内で転居したのを機会に、家族用にも口座があると便利と言う事で、住居近くのN支店に、口座を開設して貰った。 

3.そして、再度転居し、十年ほど前になるだろうか、重要書類の保管用に、最寄りのS支店の貸金庫を借りることとし、そこにも口座を開設する事となったもので、今回、この口座のカードが紛失している。

 

今回渡された、Mクラブに関する案内書によれば、

     ・ATMの時間外手数料が無料

     ・同行支店間の資金移動手数料が無料

     ・カードの再発行手数料が無料

などの、サービス特典が得られるようだ。

 

 Mクラブへの加入状況について、窓口で調べた所、上記3口座の中で、本店口座と、N支店の2口座が、ともに代表口座になっていて、Mクラブに加入しているという。一方、最後に開設したS支店の口座は、Mクラブには加入していないのだ。

 しかも、ややこしい話なのだが、Mクラブへ加入しているという2口座は、正式な申込書が未提出のまま、一括処理されている、という変則的な状態と言う。

窓口担当者の話では、このサービスを始めた時に、当銀行としては、利用者に案内を出し、申し込み手続きを勧奨したようだが、回答がないまま、時間切れで、仮の扱いの一括処理となったようだ。

 

 

 同行の口座に関する現行ルールでは、同一人名義では、一つを代表口座として、他の口座は、それに包含されるようになると言う。

でも、N支店の口座も代表口座になっているのは、やや、問題なのだが、これは、当時まだルールがはっきりしていなかったか、当支店で処理する時に担当者がミスったのだろうか、と言われた。

 最近は、同一名義で、複数口座を持つことは、通常は、出来ないようになっているとも聞いた。

 

 

 いずれにしても、S支店の口座を、Mクラブに加入させて、カードを再発行して貰う訳だから、当銀行の現行のルールに則り、Mクラブに正式に加入すべく、改めて加入申込書を提出することとしたものだ。

3口座の関係は、歴史ある本店口座を、従来通り、代表口座とし、N支店、S支店の2口座が、その代表口座に包含されることとしたのである。

  

 今回の、諸手続きが完了するまでの経過を、簡単に振り返ってみたい。 

カードの再発行は、どこの支店でも可能と言う事で、最寄りの支店(第4の支店)の窓口を訪れたのだが、手続きを完了するまで、以下の様に、何と、都合、3回も出向く事となったのである。

・第1回目は、カードの再発行については問題なかったのだが、Mクラブへの加入に当たって、代表口座である本店口座の印鑑が必要となり、持って行かなかったことから、申請書は持ち帰ることとなった。

・次の第2回目は、代表口座の印鑑は持参したので、Mクラブの方は問題が無かった。が、カード再発行の為の本人確認が、第1回目に住基カードを提出したので済んでいると思っていたのだが、未了状態だったのである。 そして、当日は、運悪く、この住基カードや他のものを所持していなかったので、本人確認ができず、結局、手続きは進まなかった。

  本人がそこに居るのに、本人である証明・確認が出来ないと言う、どうしようもない、もどかしさを味わった。 

・第3回目は、3度目の正直と、慎重に必要な物品を揃えて足を運んで、漸くOKとなった。用意した申請書類の日付を、2度変更することとなり、訂正印で賑やかになった。

 10間程の間に、自分ながらに諦めずに、他の用事で出かける序に立ち寄ったりして、3度も、よくぞ訪れたものと思う。

 

 再発行されたカードが、近日中に、郵送されて来る予定である。最近は、預金の引き出し等が便利になった反面、しっかり取られる時間外手数料等も馬鹿にはならず、Mクラブの存在を再認識したことで、少し気楽に、ATMが利用できることとなろうか。

 

 

 同行はこれまで、他行との合併に伴う人的・システム的な融合などの大きな事案から、ATM・キャッシュカードの導入などなどまで、幾多の変遷を経て来ており、銀行名が、2度も変わっている。この間、銀行間の、サービスの内容・ルールの違いや、システムの違いをすり合わせながら、利用者サービス・システムの一本化を進めて来た訳だが、色んな局面で、今回の事例のように、現在でも、過去の歴史が顔を出すことがあるようだ。

詳細は聞けなかったが、Mクラブなどの利用者サービスに関しても、合併前の両行間で違いがあったようだ。

 何度も対応してくれた窓口の担当者は、半ば、顔見知りになったのだが、にこやかな応対の端々に、長い変遷の中で、新しいものだけでなく、旧いものの処理にも追われているご苦労が、滲み出ていたように感じた次第である。

 

 

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猛暑の夏   その2

2013年08月29日 23時19分38秒 | 日記

2013年8月29日(木)  猛暑の夏  その2  

 

 

 暑い日が多かったこの夏も、やや涼しくなってきて、東京も、昨日から久々のすっきりした青空である。でも暫くは、結構な暑さや、局部的な豪雨に関するニュースもありそうだ。

 

 先日、当ブログに、

     猛暑の夏 その1  (2013/8/22)

を投稿し、最高気温の更新のことなどに触れたが、本稿はその続編である。 

 

 この夏は、各地で、観測史上の記録を更新する暑さが続き、連日のように、熱中症について報道された。 熱中症については、節電との関連もあって、一昨年の夏にも、大きな話題となり、当ブログでも

     熱中症の夏 その1 (2011/8/3)

     熱中症の夏 その2 (2011/8/13)

の記事を投稿し、この中で、熱中症については、かなり掘り下げて触れている。昨年は、それ程でもなかったためか、関連するブログの記事は無い。

 今回は、幾つかの事例を中心に、関連の話題を取り上げてみる事としたい。

 

 

① 高校野球

 炎天下の甲子園で熱戦が展開された、先だっての、第95回の夏の高校野球大会は、群馬代表の前橋育英の、初出場・初優勝で終わったが、テレビで試合を楽しみながらも、甲子園では、熱中症はどうなっているのか、気になっていたところだ。 

 ネットで調べた所、甲子園球場でも、熱中症の疑いで搬送されるケースは、結構あったようだ。炎天下で、ジッと観戦する観客は、水分等を補給しても、おかしくなることはあるようだ。 地方紙には、各県の予選大会でも、熱中症で搬送者がかなりあったことが報道されている。(熱中症:甲子園観客「頭ぼーっと」 手当て6日で181人- 毎日jp(毎日新聞)

 

 一方、選手諸君には、大変な環境下での運動だが、常日頃、屋外で鍛えている上に、イニングの交代時に、水分を補給しながら休息できる事もあってか、熱中症は殆ど起きていないのだろうか。出っぱなし、立ちっぱなしの、審判の皆さんはどうかな?

 構造が擂り鉢型になっている野球場では、グランド内の温度は相当なもので、35~38℃位になるようだ。ベースに滑り込んだ時の、地表付近の温度はそれ以上だろうか。

 

 前橋育英と常総学院の強敵同士の順々決勝戦で、珍しいハプニングが起こった。8回まで、2-0と、前橋育英を0点に押さえて来た常総学院のエース飯田投手が、最後の9回裏の守りで、先頭打者のカウントの途中(1-1?)で、左足に異常をきたし、ベンチに戻って治療して再度登板するも、結局、降板することとなったのである。急遽交代した金子投手だが、2アウトを取った後に打ちこまれ、守備のエラーなどもあって、9回裏ギリギリで同点に追いつかれてしまった。そして、結局、延長10回に、常総のサヨナラ負けとなったのである。

 

 常総ナインの悔しさは想像を超えるものがあるが、常総の飯田投手には、緒戦からの力投の疲れが蓄積していただろうし、連日の暑さと熱中症の症状も加わったものであろう。 (常総エース飯田 足がつり無念の降板 - 高校野球ニュース : nikkansports.com

 前橋育英にしてみれば、思わぬハプニングが味方して勝ちを拾い、最後の全国制覇にも繋がった訳だ。球史上、記憶に残る、暑い夏の一戦だったと言えよう。

 

 

② ビーチボールバレー

 地域で、週1回のペースだが、年間を通じて、柔らかいボールを使った、高齢者向けの球技として、ビーチボールバレーを、長年、楽しんでいる。 

適度に汗をかくので、寒い季節には、丁度良いのだが、逆に、暑い夏分は要注意である。冷房が無い学校の体育館内は、始める前から生暖かく、汗がにじみ出る。

競技を始めると、容赦なく汗が出て来るので、年配者が多いことから、セットを終える毎に、お水休憩と称し、水分補給を欠かさない。 沢山水を飲むと又汗が出るので、ユニフォームは汗だくだくになる。

 

 水分補給では、各種スポーツドリンクがあり、水分の補給と共に塩分の補給も大事だが、一頃は、S社のダカラを愛飲していた。 だが、或る時、これには、成分として塩分が含まれておらず、ゼロである事が分った。スポーツドリンクである、C社のアクエリアスや、O社のポカリスエットには、塩分もしっかり入っているのだ。以来、スポーツ用には、ダカラは飲んでいない。

 この春、この事を、C社系の飲料会社に勤務する知人に聞いたら、ダカラは、学校等を対象とした特定保健飲料(トクホ)だと言う。でも、どんな目的の飲料なのか、その後、調査しておらず、情報は得ていない。

そして、このS社だが、最近、グリーンダカラなる飲料を売り出しているが、こちらには塩分はしっかりと含まれているようだ。

 

 これ又驚いたのだが、近くのBスーパーグループが販売元となって、独自のスポーツドリンクを、ブランド品の半額程度で、売り出したようで、先日、店頭で見つけたのだが、試しに手に入れた。成分として、塩分などもきちんと入っている。ネットの同社HPで調べた所では、この飲料については、何処にも記載が無く、同社のPBか、他社のOEMかも不明で、やや、? の商品だが、暫く飲んでみる積りだ。 

        

 Bスーパーのスポーツドリンク           同 成分表示 

 

 汗をかきながら運動するに当たって、水分や塩分の補給は、極めて大事なのだが、この夏は、着替えの重要性を再発見している。

 

 これまでは、汗まみれになったユニフォームのままで最後まで運動をやり、終わって汗を拭いて着替えていたのだが、途中の小休憩時に、ボーッと気分が悪くなることが何度かあり、或る時は、吐き気を催して、早引けして途中で帰ってきた事もある。

好きな運動なのに、身体を動かし汗をかく事が、次第に怖くなっていく感じで、出かけるのが嫌な気分である。

 この原因は、

   ・この所の腰痛が原因で足腰が不安定なことから来る、三半規管の反応だろうか、

   ・更には、夕食を食べた後、十分な時間をおかずに運動した事によるのだろうか、

などと、自己診断を下していた。

 

 或る時、何枚ものタオルと、着替えの運動着を2着持って行き、途中で、身体の汗をよく拭いて着替え、全体が終わった時に、再度汗を拭いて着替えると、かなり気分良く運動できる事が分ったのである。 又、運動前の食事も、夕方の早い時間に、軽く食べることとした。このように変えて以降は、異常は感じず、ほぼ、快調なのである。

 良くは分らないが、皮膚も呼吸をしていて、汗に濡れた、べたべたしたままでは、息苦しくなるのではないか。 勿論、汗で毛穴が塞がってしまっては、発汗によって体温を下げる事もままならなくなく訳だ。

 

  暑い日は、家の中でじっとしていても、じわじわと汗をかくのだが、積極的に身体を動かし、ドンドン汗を出し、水分を補給することも、身体内の代謝向上のためには必要な事だろう。

自分は熱中症には無縁だと思っていたのだが、考えて見れば、気分が悪くなったのは、立派な熱中症の症状だったのだろう。

 暑さが続く間は、水分補給や着替えをしっかりやるとともに、節電の余り、冷房を使うのをためらったり、設定温度を下げなかったりすること、がないように心したいものだ。

 前述の、一昨年の当ブログ記事の、熱中症の夏 その1 で触れているように、恒温動物である人間は、生活する環境には、極めて敏感なようだ。 熱中症は、いわゆる病気とはやや異なるものの、環境に上手く適応させて行かねばならない。 

 

 

③電車の冷房

 この8月半ばの平日の昼下がりだが、いつも利用する地下鉄千代田線の日比谷駅のホームが、ムーッとして、滅法に暑かったのである。 天井にある、冷風の噴き出し口に手をかざして見ると、冷風は全く出ていないではないか!

 今年の節電は、ここまで来たかと思ったのだが、時間が無くて駅員に聞いて見ることは出来なかった。でも、1週間後の、ほぼ同じ時刻に、当該駅を歩くと、以前の様に涼しく、天井の冷風も出ていたのである。先だってのホームの暑さは、節電のためではなく、冷房設備の故障だったのだろう。 

 地下鉄の節電では、車両内の照明が、車両の出入り口付近は明るくしているが、車内の中間部分では、天井の蛍光管が外されてやや暗くなっており、これが、すっかり定着している。勿論、広告類を見るのに十分な明るさは確保されている。 

 

 この5月、仙台から、被災地である石巻の知人の所へ行くのに、仙石線に乗った。この電車、各車両の扉近くに、下図の様な、手動の大きなボタンが付いており、乗客が、操作するようになっていて、へーと、やや驚いたことだ。

   仙石線の開閉ボタン(ネット画像より) 

 仙石線と言えば、仙台圏の地域の足として、結構重要な路線である。仙台から暫く離れると、乗降客もかなり少なくはなったがーーー。

 

 仙石線でのドア操作の仕様だが、安全のために当然だが、走行中はランプが点灯せず、開けられないようになっている。 停車して、乗降する時になって、ランプが点灯し、ボタンを押すと開くようになる。言うまでも無いが、ランプの点灯・消灯は、車掌の重要な操作である。

一方、閉める方はどうなるのだろうか。いちいち閉めなくてはならないのは煩雑なので、閉める操作をしなくても、一定タイミング後に、自動的に閉まるようになるようだ。閉める方のボタン操作は、残念ながら、やってみる機会が無かった。

 

 

 地方に行けば、小さな編成のディーゼル車が停まる駅では、乗客が、自分でボタン操作をして乗り降りするのは、普通だが、ワンマンカーでの省力化の意味もあるだろうか。

 一般には、仙石線を含めた北日本の寒冷地では、マニュアル操作は、防寒の意味で、行われているようだ。

 

 

 一方、先だって、電車内の冷房に関して、JR東日本からのニュースが話題となった。

手動のボタン操作でドアを開閉するようにして、車内の冷気を逃がさないようにするもので、東京駅などで導入すると言う。

てっきり、上述の、仙石線と同じ様な車両が導入され、停車する途中駅での扉の開閉も、乗客がやるものと思った。

 でも、よく調べてみると、東海道線の湘南電車の始発駅での、発車までの10分程の待時間だけのようだ。 発車待ちの間、ドアが開いたままになると、折角の車内の冷気が逃げてしまうので、原則、閉めたままにして、乗客が手動で開閉するようになるようだ。今回使われる車両のボタンではないが、ネットにある下図のボタンは、表示が大変分りやすい。

   大変分りやすいドア開閉用ボタンの例(ネット画像より) 

 この8/19日以降、東海道線の始発電車が出る、東京、品川、小田原、熱海、伊東の各駅で運用を始めると言う。発車直前の1分前には、車掌の操作で、全ての扉は開けるという。

 始発駅を出た後に停車する各駅では、従来通り、車掌がドアの開閉を行うことから、ランプは点灯せず、手動ボタンは無効となるようだ。(やや、残念?!)

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銀行サービス 2   印鑑とカード

2013年08月27日 23時08分12秒 | 日記

2013年8月27日(火)  銀行サービス 2   印鑑とカード 

 

 

 先日、当ブログに

       銀行サービス 1  貸金庫 (2013/8/26)

を投稿したところだ。

 貸金庫を解約したことで、手数料が一部、指定口座に返還されたのだが、これを引き出す段になって、この口座用のキャッシュカードが、何と、行方不明という事が判明したのである。

でも、紛失したこのカードは、再発行して貰えるので、基本的な問題は無いのだが、本稿では、銀行口座用の印鑑とカードについて、改めて考察した。

 

 先ず、銀行の預金の引き出しを巡る、身辺の状況変化を、簡単に振り返って見ることとしたい。

 銀行での預金の出し入れについては、長い期間、通帳と印鑑だけの時代が続いた。 口座用に届けてある印鑑の印影は、以前は、通帳自身に直接押印されていた。 だが、偽造事件等が多かったことから、印影に透明なシールを被せたり、ある時期から、印影そのものが、通帳からは消えてしまった。 

 手許に取ってある通帳で、最も古い物は、昭和61年(1986年)のものだが、通帳に、届け出印は押印されているが、透明なシールが貼られている。又、平成5年(1993年)の通帳からは、印影そのものが無くなっている。

 

 一方、かなり前から、キャッシュカードが導入され、印鑑に代わって、カードでの引き出しが出来るようになった。カード化のテンポは速く、扱うATMも多数設置されて、通常の資金の出し入れは、銀行にあるATMだけでなく、コンビニや街角などでも可能になった。 

 カード化と共に、4桁数字の暗証番号が導入されたのだが、当初は、住所の番地、生年月日、電話番号等が多用された。でも、このような、氏名等のID情報から類推されやすい暗証番号では、カードが容易に偽造できることから、使用しないように、とのキャンペーンやATMでの警告が、盛んに行われ、これが現在も続いている。

 自分の場合、10個程ある各銀行の口座の暗証番号として、ご多聞に漏れず、生年月日や電話番号等を使っていた時期もあるが、ATMでの度重なる警告もあり、重要度の高い口座の暗証番号から、順次、他のものに変えている。

一方、カードの記録方式も、セキュリティとサービス向上のため、磁気カードから、ICカードに代わって来ている。

 カードの偽造防止のための各種対策の中で、究極の個人識別情報と言われる生体認証を併用したシステムがあり、某銀行の自分の口座のICカードで、手のひらの静脈パターンを試しに使ったこともある。

 

 これらについては、当ブログの下記記事

        認証情報 安全性と使いやすさ (2010/4/22)

で、詳しく触れたことがあるので、ここでは省略したい。

デビットカードや、クレジットカートとの共用なども行われており、現在は、キャッシュカード全盛時代と言えよう。

 

 

  こんな状況の中で、時代を逆戻りするようだが、面倒なカード再発行の手続きが不要となる、通帳と、登録してある印鑑での引き出しを、先ず、 やってみることとした。

まさか、そんなことは無いとは思ったが、ひょっとしたら、この時代、通帳と印鑑では、通常の引き出しは、最早、できなくなっているのではないだろうか、或いは、然るべき手数料を取られるのでは、と、なにかしら、心騒ぐものもある。

 

 窓口へ出向く前の難関は、口座用に登録されている印鑑の確定である。上述のように、かなり前から、通帳には、印影は添付されていないので、自分の記録・記憶を頼りに、該当すると思われる印鑑と、参考までに、他の印鑑もリストアップした。

又、以前は、銀行内部のシステムで印影の照合が出来たので、何処の支店でも引き出せたが、現在は、コスト削減のため、口座を開設し、印鑑を届けた支店に行かないと、引き出しは出来ない等の可能性も僅かにある。でもこれは、杞憂と分り、どの支店でも可能と確認できたので、最寄りの支店の有人の窓口に行ってみた。

 

 通帳と印鑑を使って、窓口で引き出す場合は、先ず、受付窓口の番号札を取り、順番を待つ事となる。カードを使って、ATMで引き出す時は、殆ど行列する事も無く、直ぐ引き出せるのだがーー。

待合スペースの周りを見ると、意外にも、ハンコを使って引き出す人も結構いるようで、案内担当の人に聞いたら、ATMの操作が苦手な人もいるという。中には、何と、カードでの引き出しを、窓口で依頼する人もいるとか。

 暫くしたら順番が来て呼び出され、自分の記録通りの印鑑で、印影の確認もOKとなって、資金を引き出す操作が、無事完了したのである。 

 当たり前の事なのだが、嬉しいような、ほっとしたような気分である。特別な取引以外で、窓口で資金を引き出したのは、どれ位昔の事になるだろうか。

 

 久々に、有人の窓口のお世話になったが、印影の確認等で、面倒がらずに、にこやかに、親切に対応してくれた、彼女たちの爽やかな笑顔の応接が印象的で、有人窓口も良いものだナー、と思ったことである。 

言うまでも無いが、印鑑の場合は、カードのように暗証番号を覚えている必要はないので気楽である。でも、保管・管理が悪いと、通帳と印鑑がセットで盗まれたり紛失したりして、そっくり資金が引き出されてしまう危険性は非常に高いものがある。

 

 実体験を通して、現在も、印鑑を使って、預金の引き出しが可能なことが分ったのであるが、この機会に、他行も含めた各口座の、登録印鑑の再確認を、取り急ぎ行わにゃーー。

当該口座のキャッシュカードの紛失については、資金の引き出し頻度も少ないことから、現カードの使用を停止する処理をして貰うだけで、再発行の必要性は、殆ど無くなったのである。

 でも、再発行ための1050円也の手数料が無料になるやり方もある、と言う事もあって、いつもの悪い癖だが、後学のために物は試しと、再発行を依頼したところ、思いがけない状況となった。 

 これについては、稿を改めて触れることとしたい。

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銀行サービス 1  貸金庫

2013年08月26日 10時47分08秒 | 日記

2013年8月26日(月)  銀行サービス 1  貸金庫 

 

 

 某銀行の貸金庫を利用するようになって15年程になる。利用が始まった切っ掛けは、自宅マンションを取得し、不動産登記をし、登記済権利證なるものを手にしたことと、某非上場会社の株券を所持するようになったことから、これらを保管する、安全な場所として、職場の近くにある、某銀行の支店の貸金庫を借りたものである。その後、現役を退いてからは、住居に近い、同銀行の別の支店の貸金庫に変更している。

 

 我が家は、高価な装飾品などには縁が無いので、スペース容量が最も小さいタイプの貸金庫で、重要書類だけの保管だが、上記の権利證や株券に加え、年金証書類、墓地使用承認証、実印なども保管して来た。使用料は、当初からは改訂され、最近では、年間、20000円程である。 

最近は、利用する機会も少ないので、やや勿体ないナ、と感じていた所である。

  

   

 そんな中、以前関係していたことから株券を所持している、上述の某非上場会社の、この6月の株主総会で、この8月から、株券が廃止されることとなったのである。

 最近の経済界での、株券廃止の動きに準じたものの様だ。調べてみたら、株券に関する発行コストの削減や、管理上の諸問題の解決のために、会社法が改正され、平成18年5月から「株券の不発行制度」がスタートしている。 株券を発行しない事が可能となった訳だが、現在は、不発行が、大勢となっている様だ。

 当該社の株式は、資金をあれこれ工面して、取得した代物ではある。当然のことだが、株券は廃止されても、株主としての権利は何ら変わらないのだが、不思議なもので、株券が無くなると、何となく、一抹の不安が残るのは人情だろうか。

 

 株券と言えば、以前の長年の職場である某上場会社の株式も所持している。暫く前までは、この株券を預けている証券会社から、株券の「預かり証」なるものを貰っていた。上述の不発行の制度が始まったのを受けたのだろうか、暫く前に、この預かり証が廃止されている。

 この結果、自分が、株主の一人である事の直接的な証拠は何もないのだが、毎年、株主総会の開催案内が届けられ、然るべき配当金の支払いは行われているので、特に問題は無い。

 

 再び、貸金庫の話に戻ると、上述の株券の廃止を良いきっかけとして、貸金庫の契約を解除することとした。 年間で20790円もの利用手数料は、毎年1月に前払いで引き落とされるのだが、月当たりにすると、1700円程度と馬鹿にならない。

 予め、電話で、解約について聞いた所、解約すると、月単位で手数料が返還されるのだが、申込時に使った印鑑が必要と分った。ネットで改めて調べてみると、やはり、申込書と同じ印鑑が必要と明記してある。

でも、申込んだ当時、窓口で、そのように明確には言われていなかったので、自分には、記録や写しが無く、一体、どの印鑑だっただろうかと慌てた。該当しそうな、それらしき印鑑と、可能性のある他の印鑑もピックアップした。 

 

 8月のある日、当該銀行の支店に出向いて、貸金庫の解約を依頼することとした。この所は滅多に利用しない貸金庫なので、解約当日は、該当するボックス番号の場所を探すのに、やや苦労したが、何とか見つけて、中に入っている保管物を取り出し、空っぽにして、鍵とカード2枚(本人、家族)を返還した。

 

 

 余談①:今回の経験を踏まえ、貸金庫の申込受付時には、解約する時に、同じ印鑑が必要になることを、注意してくれるよう、に改めて、窓口にお願いしたところである。

 余談②:支店に行く前に、当該支店の営業・サービス品目を見たら、貸金庫という項目が無かったので、サービスを止めた筈はないと思いつつも、やや驚いた。

 窓口の担当者の説明では、普通預金などと同じで、貸金庫のサービスは、何処の支店でも扱っているから挙げていない、と言われた。

でも、ネットにある貸金庫の説明では、

     “貸金庫が、設置されていない店舗がございます。”

とある。貸金庫は、それなりの設備が必要なことからか、支店によって違うのであろう。でも、ネットで探した限りでは、貸金庫サービスをやっていない支店名は、不明だった。

 

 

 貸金庫から取り出した書類には、重要書類もあるので、自宅での収納場所について、あれこれ思案したが、火気から遠く、貴重品等を収納する洋タンスの引出しの底に潜り込ませた。A4サイズの1cm程の厚みの紙袋である。

不要になった株券は、各自で処分する事となっているが、廃棄せず、記念として取ってある。   

     

        権利證                       不要となった株券 

 

 返却される手数料は、指定の口座に振り込まれるが、後日、4か月分が返却される旨の通知があり、ATMでの記帳で、振り込まれていることを確認した。

 所が、普段引き出す事が無いこともあって、この口座用のキャッシュカードが、何と、行方不明であることが分った!

 この続きは、次稿に譲ることとしたい。

 

 

 

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猛暑の夏  その1

2013年08月22日 11時55分08秒 | 日記

2013年8月22日(木)  猛暑の夏  その1   

 

 この夏は、特に、暑い日が多いようだ。気象用語として、最高気温が30℃以上の日を、真夏日と呼ぶが、これに加えて、35℃以上の日を、猛暑日と言うようになったのは、少し前の2007年からのようだが、今年は、40℃の大台を超す日も、出て来ている。 

40℃以上の日の呼称は、まだ無いようだが、極暑日、酷暑日、熱暑日などと呼ぶようになるのだろうか。 

 

 

 国内の最高気温の記録については、少し前までは、知る人ぞ知るで

      1933年(昭和8年) 7月25日 

                    山形県 山形市  40.8℃

と、言われて来た。

 この記録後、程なくして、山形市と同じ山形盆地で生まれた筆者としては、この事実は、学校等でもよく聞かされたものだ。

勿論、若い頃に、盆地の暑さは経験済みだが、この最高気温の記録が、国内の中部や南西部でなく、東北部の山形で出来たのは、何故だろうかと、いささか不思議でもある。

 この日本一の記録を、何処か自慢したいような気分もあった。 

 

 しかし、数年前になるが、この記録が、74年振りに更新されたのが、

       2007年(平成19年) 8月17日

                      埼玉県  熊谷市   40.9℃

                      岐阜県  多治見市  40.9℃

の記録である。熊谷市は、関東地方での暑い地域として話題になっていたのだが、多治見市は、そのように余り聞いたことが無く、やや意外に感じたものだ。

山形人としては、長年の記録を破られて、自慢の種が一つ減ってしまったような、淋しいような気分も味わった。

 

 そして、それ以後、まだ、7年しか経っていないのに、つい先日、この記録が、下記の様に、早々と、更新されることとなったのである!

        2013年(平成25年) 8月12日 

                       高知県 四万十市 41.0℃ 

 それも、あの日本一の清流と言われる、四万十川(しまんと川)が流れ、清涼のイメージがある四万十市と聞いて、またまた、驚かされた。市内西土佐の江川崎という地域に在るアメダス観測点のようだが、そんなに広い盆地でもないだろうに、と思ってしまう。

 西の海からの風が山を越えて、熱風となるフェーン現象が起こったようだ、との解説である。地域の地形や、当日の気象条件等が関係して、高温となるのであろう。

ネットには、江川崎の観測点は、芝生の広さが規定の広さになっていない、近隣にアスファルトの駐車場がある、などとして、ここの最高気温に、疑問を呈するコメント等もあるようだがーー。

 一昨日朝のニュースでは、この四万十川、雨が降らない水不足と、気温上昇で水温が上がり、清流の名物の鮎が、すっかり姿を消している、と言う。

 

 日本一暑いと言うのは、必ずしも自慢できる事ではないのだが、地元四万十市では、日本一なら何でもいいとばかりに、これをネタにした各種イベントや商品が、早速、現れているようだ。41円也のかき氷もあるとか!

 ネットから借用した下図は、記念撮影用の看板だ。NHKTVの情報では、人物の後ろの看板は、地元の小学1年生が、夏休みの宿題用に製作したものという。自分の姉と兄に板の上に寝て貰って形をとって人物を描き、顔の部分に、丸い孔をあけたようだ。

この子の発想といい、子供らしい絵と言い、何とも、素晴らしい、楽しい作品である。 夏休みの宿題として学校へ提出した後は、どうするのかな?

   顔を出して記念撮影 

 記録更新直前には、四万十市や、甲府盆地の甲府市・勝沼市、大分の日田市では、40℃を越える猛暑になっていると言うニュースは、伝えられていたのだが、終に、新記録となったものである。

記録が破られることとなった、熊谷市、多治見市は、今も、高温地域として話題に出て来るのだが、往年の記録保持者である山形市が、この所ニュースに出てこないのは、どうしてだろうか。

 

 

 目を転じて、主な世界各地の最高気温を見ると、上には上があるもので、以下の様だ。(気温 - Wikipedia) 

 

     ヨーロッパ  スペイン セビリア    50.0℃  1881年 

     アジア    イスラエル ティラトゥビ 53.9℃  1942年  死海近く?

     北米     USA CA デスヴァレー 56.7℃  1913年

    ( アフリカ   リビア  アジジャ    57.7℃  1922年   誤り)

 

 日本国内では、アメダス観測網が整備され、気温については、山岳地帯なども含め、全国を、20km方形ごとに区切って観測点が設置されているようで、全国で、840箇所程ある様だ。

世界の観測点については、国によって大幅に異なると思われるが、普段は、人間が住んでいない砂漠地帯や寒冷地帯での観測はどうなっているのだろうか。砂漠のド真ん中などでは、とてつもなく暑いと想定される。

 気温の世界一は、上記、アメリカ カリフォルニア州のデスヴァレーと言われ、名前に相応しいが、ここは、モハーヴェ砂漠も近いようだ。このデータは、人間が定住している地域のものと考えると、日本と比べた場合の、気温の高さは、驚くばかりである。 

 暑くても、湿度との関係で、凌ぎやすさは大きく変わってくるようで、砂漠が近い場所や中近東では、日向は高温になるが、日影は涼しいと言われ、夜間は、かなり気温は低くなるようだ。 

デスヴァレーに住む人達は、どんな風に生活しているのであろうか。機会があれば、夏分に、一度訪れて見たいものである(年寄りの冷や水?)。

  

 

 夏は暑く、冬は寒いのが正常で当たり前なのだが、最近の気象現象は、一言で括れば、異常気象と言うのだろうか。

地球の温暖化現象や、異常気象現象は、地球環境問題として、IPCC等、各方面で取り上げられ調査研究が進められている、極めて重要なテーマであるが、ここで、長期的な気温変化に関するデータを、以下に引用したい。

 

 国内のデータでは、1890年~2010年の凡そ120年間での気温の平均値が、約1.4℃上昇しているという、ゆゆしき事態である(気温 - Wikipedia)。 

  

 一方、世界全体では、昨年、米国NASAから発表された平均気温のデータは、以下の状況だ。(過去の気温変化 - Wikipedia) 

 

 1880年から2011年までの約130年間で、約0.9℃程度、平均気温が上昇していると言う。これは大変なことだ。

  同じくNASAから発表された、温度変化を世界地図上に表示した下図は、130年間の気温上昇が、一目瞭然である。(地球の記録: 1984年から2011年までの約130年間の地球の平均気温の推移を NASA が発表) 

   

                 1884年                                    2011年 

 地球温暖化問題については、取り上げられて久しいが、産業革命以来の文明の発展などの人類の活動によって、地球が吸収できる量よりも、多くのエネルギーを人類が作り出していることが、地球温暖化の主原因の一つである、と言われている。

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