つれづれの記

日々の生活での印象

女人禁制

2018年06月18日 09時33分01秒 | 日記

2018年6月18日(月) 女人禁制

 

 

 最近の大相撲に関して、当ブログではこれまで

     大相撲の椿事  1~5 (2017/12/7、12/25、2018/1/13、1/25、4/25)

     大相撲夏場所が終って  (2018/6/7)

と取り上げてきたところだ。

 

そして、大相撲の今後に向けて、筆者なりの提案を投稿する予定であったが、諸般の取り込みのため、さしむき諦めざるを得ない状況である。

でも、その中の一つである、女人禁制に絞って、今回、取り上げることとしたい。

 

◇ 地方巡業でのハプニング

  大阪場所終了後の、大相撲春巡業は、京都府の舞鶴市、兵庫県の宝塚市等で行われたが、その5で少し触れているが、思いもかけない事態が出現した。

*舞鶴市で

  4月4日、土俵に上がって挨拶した、地元舞鶴市の、多々見良三市長(男性)が、挨拶中に倒れるハプニングが生じた。 観客席にいた複数の女性(女医、看護師)が自発的に土俵に駆けがって応急措置を行ったが、その様子を見ていた若手行司が、

     「女性は、土俵から降りてください!」

と叫ぶように、場内アナウンスを行った。人命救助に当たった女性たちは、当惑しながらも、やむを得ず、土俵から降りたのである。件の市長本人は、その後、命に別状はなかったという。

この時のドタバタの様子と、場内アナウンスが、何度も、何度も、TVで流された。

     

                     応急措置を施す女医さん達(ネット画像)

  「人命よりも、しきたりを優先していいのか」と、相撲協会の姿勢に批判が殺到したようだ。 筆者も、自発的に土俵に上がって応急措置を行った彼女達の勇気に拍手したが、場違いの場内アナウンスに唖然としたことだ。

でも、「神聖な土俵上は、女人禁制で当然だ。」という意見もあったという。

 

*宝塚市で

  その後まもなく行われた宝塚市での巡業で、この舞鶴市の騒動を知った、宝塚市の中川智子市長(女性)は、土俵に上がって挨拶したいと、相撲協会に要望書を出したようだが受け入れられず、4月6日、やむなく、土俵下で、抗議を込めて挨拶している。(下図 ネット画像より)

             土俵下で挨拶する中川市長

  これら二つの事案は、巡業を受け入れる地元の市長の挨拶で、男女の差別が行われた訳で、いみじくも、大相撲の現況と問題とを、クローズアップすることとなった。 

今回のハプニングに関して、相撲協会として、社会の批判に対して、土俵上の女人禁制は当然のこと、ともいえず、八角理事長名で、「女性を土俵に上げない伝統のあり方を再検討する」、との談話を出している。

詳細は未調査だが、でも、そう簡単に、再検討で今後の方向が纏まるとは思えず、時間を稼いで批判を交すだけにも見えるのだがーーー。 

 

◇ 大相撲での女人禁制

 神事と一体化されている大相撲では、土俵上は神聖な場所で、女人禁制とされており、伝統文化的側面がもっとも強く現れている事柄の一つといえよう。

今回、期せずしてクローズアップされた、土俵上の女人禁制だが、歴史的には色々な経緯があるようだ(相撲協会が「女人禁制」をいまだに徹底する理由(岡本 亮輔) 他)。

 最近では、平成12年(西暦2000年)、大相撲大阪場所の千秋楽で、当時の、初の女性知事である大田房江府知事が、優勝記念品を直接手渡したいと協会に申し入れたが実現せず、男性の副知事が代行したというハプニングがあった。 当該場所の会場を提供している大阪府の責任者が申し入れても断られる、ということで、話題になったことだ。

 

横審委員や、大学相撲部の監督も務めたことがある、脚本家の内館牧子氏は、当時、大阪府知事の行動について、近代的な男女平等・機会均等の考えを持ち込んで、大相撲での伝統的な慣習を、批判するのはおかしい、と相撲協会を擁護する発言をしていたようだ。

 大阪府知事在任中は、土俵に上がれず、現在、参議院議員である大田氏は、今回の舞鶴市でのハプニングについて、土俵に上がった彼女達の勇気ある行動を称えたい、大相撲界の今後の改革に期待している、と述べている。(土俵に上がれなかった太田房江氏、救命介護の女性たちに「拍手を送る」

 

◇ 女人禁制あれこれ 

* 宗教伝統(沖ノ島と富士山にみる日本の女人禁制。理由は神道に?守るか変えるか。 等)

・山岳信仰の対象である富士山は、江戸時代までは女人禁制だったが、近代化の流れから、1872年(明治5年)に、解禁されている。

・高野山は、長年、女人禁制で、昨年の大河ドラマ「おんな城主 直虎」にもその場面が出てくるか、明治以降、徐々に解禁が行なわれ、1906年(明39年)、女人規制に関わる掟が、全廃されている。日光の男体山でも、この年、女人規制が解除されたようだ。

・奈良県大峰山での女人禁制は、世界遺産登録後の現在も、続いているようだ。

*伝統芸能である歌舞伎の世界は女人禁制で、男が女形として、女役を演じており、逆に、宝塚歌劇団では、男子禁制であるのは周知のことだ。

*山古志の牛の角突き

新潟中越地震で大きな被害をうけた、新潟県長岡市の山古志地区だが、復活した伝統の角突きで、これまでは、牛を引きまわす役は女人禁制だったが、この5月から解禁され、初めて女性のオーナー(牛主)が引きまわしたと言う、小さなニュースがあった。

 

◇スポーツの世界での男女

*スポーツと言えば、最高の場はオリンピックだが、ここでは、殆どの競技や種目で、男女平等、男女機会均等の原則があり、男女が自由に競技に参加できるようになっていて、女人禁制は極めて例外的である。 男女間の違いが無くなるまでには、歴史的な経過があるようだが、このことについては、ここでは省略したい。

*ブログ記事(その3)で述べたが、埼玉県霞が関C.C.は、男子のみしか会員になれなかったのだが、東京オリンピックでゴルフ競技会場となることで、男女差があるのは問題だとIOCから指摘され、しぶしぶ要求を吞んで、女性の会員も認める規約に変えたことだ。

*伝統競技ではなく近代的スポーツと言える野球は、米国や日本で盛んだが、プロリーグは男子のみで、女子リーグがない。 これは、女人禁制とは言えないが、何ゆえだろうか。野球の国際大会であるWBCは、男子のみである。 又、オリンピックでも、野球は通常の種目には無く、2020年の東京オリンピックでの特別な種目として、男子の野球と、女子のソフトが採用されている。

 *球技の中でも、格闘技に近いラグビーは、男子のスポーツのように言われるが、2016年のリオオリンピックから、7人制ラグビーで、女子の種目が登場している。15人制のラグビーに比べ、人数は7人で、試合時間は15分ハーフと短いものの、競技場の大きさやルールは同じだ。 2020年の東京オリンピックでも行われることで、日本の女子選手たちは張り切っているようだ。

*日本生まれの格闘技である柔道が、いまやオリンピック競技として、世界に広まっている状況は喜ばしく、空手も東京オリピックで採用されている。たが、大相撲は、これまでも、各方面で努力が試みられているものの、殆ど進んではいないようだ。

相撲のアマチュア相撲分野では、国内だけでなく、国際的にも、女子の大会も行われているようで、国際的な広がりはあるようだがーー。 

 

*大相撲(相撲)は、格闘技としての立派なスポーツであるとともに、神事が関係する伝統文化彩でもあるという、二面性を持つことが特徴だ。日本発の武道競技でも、特に、大相撲ではその色が強い。

大相撲に関しては、力士の国際化は進んでいて、モンゴルや欧州の出身者も多く、最近では、ジョージア(旧ソ連のグルジア)出身の栃の心が大関に昇進したニュースで沸いたことだ。

一方、大相撲が、競技として国際化するための、大きな課題の一つは、男女を含めて、やり易いスポーツか否かだが、裸の競技であることに対する躊躇い(特に女性、欧米人)と、土俵上の女人禁制のしきたりが障害となっているだろうか。

 

江戸から明治期への移行期に、大相撲の改革が行われた時に、裸であることや、髷が問題になったことがあるようだ。(大相撲「土俵は女人禁制」…歴史が教える意外なワケ 

以前、大相撲で海外巡業が行われた時は、裸の親善大使などと言われたが、裸姿や髷髪は、外国人の目にはどのように映るだろうか。最近、急速に増えている外国人観光客等は、大相撲にどんな印象を持っているだろうか。

この4月に開催された国際会議(太平洋・島サミット)に参加した首脳達を、蔵前国技館に招待し、折から開催中の大相撲を観戦して貰ったようだ。

日本の伝統文化として、廻しを付けた裸の恰好の競技や、横綱土俵入り、行司の装束、化粧廻し等は、興味をそそったかもしれない。東京オリンピックの際には、日本の伝統文化を紹介するイベントの一つとして、大相撲が役立つだろうと思われる。

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シャンシャン、1歳の誕生日

2018年06月12日 13時27分27秒 | 日記

2018年6月12日 (火)  シャンシャン、1歳の誕生日

 

 上野動物園で、ジャイアントパンダのシャンシャンが誕生して、今日12日が、1歳の誕生日である。

誕生時、約150gだった小さい赤ちゃんが順調に育って、いまや、28.2kgと大きくなったのは、嬉しい限りだ。親身に世話をしている飼育員の皆さんの、たゆまぬ努力とご苦労に感謝したい。下図は、ハンモックで遊ぶ、直近のシャンシャンと見守る母親シンシン。(シャンシャン、あす1歳 成長の裏に母シンシンの愛 等)

      

 母親と、子のシャンシャンは、我家のトイレでも人気者で、毎日出会っていると言える。洋式トイレの便座に座って入口の方を向くと、右手の壁際に3枚の写真が見えるのだ。(下図)

      

  当ブログには、下記記事を投稿しているが、

            なんとも可愛いシャンシャン  (2018/3/2)

 この記事に出ている写真なのである。

           トイレでパンダ母子に 

◇ 先着順に

 この6月から、上野動物園でのシャンシャンの見学方法が変わったようだ。これまでは、一旦並んで整理券をもらい、指定された時間に、再度、出かけて行って見学するという、二度手間の方式だったが、先日の6月5日から、先着順になり、一回で済むようになったようだ。 混雑次第だが、週末や祝休日はともかく、平日は30分位並べば見られるとか。 自宅から最寄りの距離にある上野公園、その内、家族で出かけて行って、会ってこようと思っている。

 当のシャンシャンだが、成長して体力もつき、訪れる子供たちにも慣れて、マイペースで、木に登ったり、ハンモックで遊んだり、寝ていたり、ということのようだ。 

 また、つい先日、TVを見ていたら、中国四川省で、大きな野生パンダが人里へ現れたニュースがあった。 四川省には、パンダ保護センターもあり、野生のパンダも多いようだ。今回現れたパンダには、首輪がついていて、センターで飼育していたパンダを、野生に戻して観察中の個体だったという。危害は加えないようだがーーー。

 

◇ 上野動物園のパンダ史

  日中国交回復を記念して、昭和47年(1972年)に、中国から、パンダの雌雄のペアが寄贈されたのが、わが国でのパンダ飼育の始まりである。 後述のように、名前は、カンカン、ランランだった。当時の上の動物園は、大変な人気で、我家でも、子供を連れて見に行った記憶があり、疾うに大人になっている息子も、記憶しているという。

  上野動物園の、大まかなパンダ史を以下に示す。 (写真と映像でつづる上野動物園のパンダ史ジャイアントパンダ - Wikipedia等 参照)

      凡例:♂雄 ♀雌 ---来日前 ○来日 ――滞在  ◎日本で誕生 △離日 ●日本で死亡 

日中国交回復 樹立記念の贈答として、ペアが来日(昭和47年 1972年)

    カンカン♂  -----○72―●80

    ランラン♀   -----○72―●79

  残念ながら、このペアからは、子供は生まれなかった。

 

日中国交回復 10周年記念(昭和57年 1982年)前後に来日

  ホアンホアン♀        ----○80―――●94

   フェイフェイ♂         ----○82――――●97

   このペアから、3頭の子供が生まれている。

     チュチュ♂                   ◎85●85(生存2日) 

      トントン♀                         ◎86―――●00

      ユウユウ ♂                          ◎88―――●04

日中国交回復 20周年(平成4年 1992年)、30周年(平成14年 2002年)前後

      リンリン♂                         --○△92--○△01--○△02--○03―●08

   シュアンシュアン♀                                  ---○03―△05

日中国交回復 40周年記念(平成24年 2012年)前後

  リーリー♂                                                  -----○11――

  シンシン♀                                                  -----○11――

このペアから生まれた最初の無名の子は6日間の命。2頭目が待望のシャンシャンだ。

  ・・・・・・♂                                                          ◎12●12

  シャンシャン♀                                                           ◎17― 

                                                         

◇ 個体の貸借

  最初は、贈与されたパンダだが、絶滅危惧種に指定され、種の保存と繁殖のために、ワシントン条約で、国際的な取引が禁止されるようになって、贈与から貸与へと変わってきている。

2011年にペアで来日したシャンシャンの両親、リーリーとシンシンも、有料の借り物で、10年後の22年には、中国へ返却する約束だ。

ペアから日本で生まれた子供も、誕生約2年後に返却すれるのが原則で、2017年に生まれたシャンシャンも、2019年には返却しなければならない。

  中国のパンダ外交は、現在も続いており、最近では、フランスへの貸与も話題となった。パンダを使った、中国のしたたかな戦略も見え隠れするところだ。

 

◇ シャンシャンの里帰りと今後の新たな目標 

  可愛いシャンシャンのこと、ずーっと日本に居てほしいと言う気持ちから、昨年、返却反対運動が起ったことがある。筆者にも理解できるが、パンダ自身にとって何が幸せか考えてみると、

   A 動物園で、日本に残って淋しく暮らす

   B 中国に戻って多くの仲間と一緒に暮らす

言うまでもなく、後者のBだ。

  10年前、中国四川省で大地震があり、多数の野生パンダや保護施設が大変な被害をうけ、全体が危機に瀕したことがあった。動物園には、展示だけではなく、種を保存するという機能もある。

  戦後間もなく、タイから日本に贈られて、吉祥寺の井の頭動物園で長く暮らした、アジアゾウの はな子が、1昨年、生涯を全うしたという、悲しいニュースがあった。かなり以前だが、住まいが近くだったこともあり、子供達と見に行ったこともある。

絵本では知っている巨体の生きた象を、初めて、実際に見ることで、子供だけでなく、大人にとっても、素晴らしい体験だといえよう。

でも、動物園の教育的効果には絶大なものがあるのだが、当の象にとっては、殆ど仲間がいない、淋しい生涯なのであろう。

 

  後期高齢者の範疇にある筆者の、さし向きの目標は、2020年、この目で、東京オリンピック・パラリンピックを観ることだ。ボランティアは無理だろうかーーー。

また、世界旅行で、以下の様な所に行きたいのだが、体調もあり、もっぱらネット利用である。

  サグラダ・ファミリア教会(バルセロナ)

  キラウエア火山と日立の樹(ハワイ)

  バオバブの樹(アフリカ、マダガスカル)

 

  シャンシャンの今後の成長に期待して、これからの新しい目標を考えた。 すなわち、中国に返却された後、2023年頃に、シャンシャンが、婿さんを連れて、上野動物園に里帰りするのである。

そして、子供を産んで母親になるのを、見届けることを、ささやかな目標(夢)にしたいのである。

日中国交回復 50周年(2022年)の記念事業になるだろうか?!

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大相撲夏場所が終わって

2018年06月07日 14時14分49秒 | 日記

2018年6月7日(木) 大相撲夏場所が終わって

  

  先月の5月13日(日)から、大相撲夏場所が、国技館で始まり、27日(日)の千秋楽で終了した。昨年秋の暴行事件以来、大きく揺れた大相撲界だが、初場所、大阪場所が行われ、2月の理事の改選も終わって、なんとか、新体制が整ってのスタートである。

今場所は、期待の横綱稀勢の里、大関高安がそろって休場とあって、興味がやや薄れたが、大関取りが期待される、関脇栃の心の豪快な力技や、初めて三役にあがった遠藤の相撲ぶり、ユニークな相撲が魅力の阿炎などが注目された。

  結果は、横綱鶴竜が、6回目の優勝で悲願の2連覇を達成した。14日目に、勢いに乗る栃ノ心を交わし、千秋楽の横綱対決で、白鵬を破ったのは立派だが、10日目の琴奨菊戦では、立ち合いで大きく変化して勝ちを拾ったのは、横綱としては、到底、頂けないところ。

最大の話題は、初場所で平幕優勝(14勝1敗)し、春場所でも2桁を確保した、関脇栃の心の大関昇進がなるか否か、と言う事だが、今場所も、怪力の漲る堂々たる相撲が目立ち、13勝2敗の成績である。中でも、12日目、横綱白鵬を、28戦目で、初めて破った力の入った大一番は、歴史に残るものだ。この所、やや弱くなっている白鵬だが、大きな壁の役を果たしてくれたと言えよう。

  栃ノ心は、初場所以来、連続して三賞を獲得している。

      初場所 :殊勲賞 技能賞

      大阪場所:殊勲賞

      夏場所 :敢闘賞 技能賞 

  当ブロブでは、大相撲の最近の話題について、2回に分けて、今回は、勝負審判と、栃ノ心関の大関昇進について取り上げる。そして、次稿で、この所のびのびになっていた、女人禁制に関する話題としたい。

  

◇勝負審判

  場所中のNHKのBS中継を、2時台という早い時間で視ていたら、下っ端の序二段の取り組みの映像で、見た事のある審判が映った。風貌は貴乃花親方のようだ。今回から審判部所属となった親方の、出直しの風景である。

観客にとっても、豪華な審判員を見られるのは嬉しいことであるとともに、貴乃花部屋の多くの若手達にとって、親方の前で相撲を取るのは、大きな励みとなるだろうか。

  ネットで調べたら、協会の審判部には、24名の年寄が所属していて、勝負審判を務めている。現在の勝負審判は、筆者の解る範囲内で、現役時の最高位順に、年寄名(四股名)で上げると、以下のようだ。

    横綱:貴乃花(貴乃花)

    大関:藤島(武双山)、玉の井(栃東)、大鳴戸(出島)、二子山(雅山)、

           九重(千代大海)、浅香山(魁皇)

    関脇:阿武松(益荒雄)、錦戸(水戸泉)、西岩(若の里)、友綱(旭天鵬)

    小結:追分(高見盛)

など、錚々たる人気力士が多い。 

貴乃花一門に所属する阿武松理事が、協会の審判部長を務めているが、貴乃花親方が、勝負審判の最下位のランクにいるという、面白い構図である。 

  勝負審判は、4班に分かれて、取り組みが下位から上位に進むにつれてローテーションするようだ。詳細はややこしいので省略するが、TV中継では、十両土俵入りの後や、幕の内の前半、後半で、勝負審判が交代するようだ。

物言いがあると、土俵上で5人の審判員が協議し、審判長が、場内アナウンスで結果を報告するが、後半の取り組みの審判長を務める阿武松審判部長の説明も、かなり板についてきている。

 

◇栃の心の大関昇進

  大関昇進の目安は、三役以上の地位で、直近の3場所通算で33勝と言われる。 栃ノ心は、通算で37勝したが、優勝したのは平幕(前頭#3)で、その後、関脇となっている。これらを加味し、文句なしの成績を挙げた栃の心が、5月30日の、名古屋場所の番付編成会議と臨時理事会で、大関に推挙された。 大関昇進を伝える2人の使者(名古屋場所担当の出羽海理事、大鳴門審判委員)を迎えた伝達式で、師匠の春日野親方と並んだ関取の口上は以下のように、お決まりの四字熟語ではない、前例のない素晴らしいものだった。

   “謹んでお受け致します。親方の教えを守り力士の手本となるよう稽古に精進します。 本日は誠にありがとうございました。”(下線は筆者)

    

          春日野親方(写真右)の横で、使者に口上を述べる新大関     (ネット画像より) 

 日本語もまだ十分とはいえない中で、猛練習した新大関は、力強く口上を述べている。

 春日野親方(関脇 栃の和歌)は、最初、この口上の文言に反対したと言う。この様な身内の話は、日本的な雰囲気としては、やや、そぐわず、親方は、少し恥ずかしかったのではないか。が、関取はそれを押し切ったようで、親方も、最後は、愛弟子の素直な気持ちを汲み取って受け入れたようだ。  

栃ノ心の気持ちとしては、日本や日本語も、大相撲も知らずに、カフカス(コーカサス)地方から、海を渡って入門して以来今日まで、親方は面倒を見、育ててくれた訳だ。 そして、一旦は、小結まで上ったものの、その後の成績が振るわず、5年前、前頭の時に、取り組みで膝の大怪我をしてしまった。この結果、3場所連続で休場することとなり、なんと幕下まで陥落、相撲を止めようとも思ったという。

そんな時にも、励まし支えてくれたのが、春日野親方であり、部屋の仲間達という。こんな感謝の気持ちが、前述の口上にもにじみ出ているだろうか。

 

因みに、これまでの大関昇進時の口上の例をネットで調べると、以下の様なものがある。

                                             (【大相撲】大関昇進伝達式の口上あれこれ  参照)

     鶴竜   :お客様に喜んでもらえるような相撲

     春日富士 :全身全霊で相撲道に精進

     武蔵丸  :日本の心をもって

     若乃花  :一意専心の気持ちで

     貴乃花  :不撓不屈の精神を忘れず 

  先日、グルジアに里帰りした新大関の様子が報道された。妻子を残している故郷への凱旋である。首都トビリシに、土俵を作って欲しいと、大統領に嘆願書を出すとか。

グルジアは、ロシア語読みだが、国連では、英語読みのジョージアが多いという。日本の外務省は、平成27年(2015)以来、国名の呼称を、ジョージアに変更している。  

 極めて遅咲きの新大関だが、正攻法の剛力を発揮して、大相撲の内外の人気アップと国際化に、大役を担ってくれることを期待したいものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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我が家の季節の花達

2018年06月05日 12時00分37秒 | 日記

2018年6月5日(火)  我家の季節の花達 

 

 6月に入って、今日は夏の陽気であるが、関東の梅雨入りも間近のようだ。 

この季節の我家の屋上庭園の役者達の出番であるが、久しぶりに、我家の風呂場ギャラリーにも、ワイフKが、アジサイ達と季節の花を登場させてくれた。

                風呂場風景

 

  アジサイと言えば、鎌倉や松戸など、定番の名所も多いが、通常は、株が形よく丸く仕立てられ、花も集合花だ。

今回、異彩を放っているのは、カシワバアジサイという、アジサイの珍しい品種。 大きな花序に対して、鉄製の大きな花瓶が良くバランスしていて、安定感がある。 

2年程前、ワイフKが、知人から株を貰ってきて、屋上で育てているもので、花の形が面白い円錐型の房状に咲くのが特徴。一つの株に、今年は、花が、10個近くもつけている。葉の形が、柏の葉に似ていることが名前の由来とか。 

数年前、箱根のガラスの森美術館に行ったときに、ツルアジサイという、壁を這い上る蔓性のアジサイを見たこともある。

 

 アジサイのもう一人の役者が、ダンスパーティ。以前、母の日のプレゼントに、息子が買ってきてくれたものだ。日本のガクアジサイ系の改良品種で、ピンク系の色合いが賑やか。ネーミングも、衣裳を付けてダンスを踊っているようにも見える。

幕末、来日したシーボルトが、日本のホンアジサイに、オタクサという学名をつけたようだが、これは、自分の妻の名前から採ったという説もあるようだ。

        

 

  この季節の我家に欠かせないもう一人の役者が、ルリフタモジ。初夏になると、ニラに似た葉の間から、首の長い蕾がでてきて、先端に、ルリ色の可憐な花を付ける。30年近く前、ここに転居して間もなく、知人から頂いたものだが、株分けを繰り返し、数え切れないほど多くの人たちに分けてあげている。

        

 

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