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つれづれの記

日々の生活での印象

日本百名山一筆書き踏破  4

2014年12月24日 16時39分23秒 | 日記

2014年12月24日(水)  日本百名山一筆書き踏破  4

 

 

 本ブログの以下の記事では、 

     日本百名山一筆書き踏破  1 (2014/12/11)

     日本百名山一筆書き踏破  2 (2014/12/15)

     日本百名山一筆書き踏破  3 (2014/12/19)

1で、イベントの概要と日本百名山について、2で、①累積標高差、②登山ルートについて、3で、③平地と海の移動、④宿の有り難さについて、述べてきたところだ。

 本稿では、

     ⑤アドベンチャーの完結

を見届けながら、

     ⑥グレートトラバースの印象

     ⑦百名山との関わりと郷土富士

などについて触れ、本シリーズの締めくくりとしたい。 

 

⑤アドベンチャーの完結

 カヤックで渡った利尻島で、一泊した翌日は、天候はよく無かったのだが、早朝に宿を出発し、ゴールの利尻岳に登りはじめた。 ところが、8合目あたりまで来た所で、10月半ば過ぎの最北の地のこと、天候が悪化し、進むのが危険な状況となった。

はやる気持ちを押さえながら、無理をせずに下山し、もう1泊して、翌日を待つこととしたのである。勇気ある撤退と言えるだろう。YOKIも同行者も、人の子である。

 そして、翌日の10月26日、終に、100座目の利尻岳の頂上を極め、日本100名山を踏破する一大イベント、グレートトラバースが完結したのである!

この日も、生憎の天候で、山頂には、他には誰もいなかったのだが、スタートからズーット、苦楽を共にして来た、最も信頼できるスタッフ3人と、記念写真に収まった。

      利尻岳山頂で 

 下山した島の麓の港では、多くの支援者の祝福と歓迎を受けた。そして、今度は、カヤックではなく船に乗って見送られながら、利尻島を後にしている。

 

⑥ グレートトラバースの印象

 今回のこのイベントは、色々に評価されよう。

可なり前だが、ヨットでの太平洋横断が大きな話題となったことがあるが、あの時と同じように、あえて文明の時代に逆行するような、人力だけによる冒険旅行なのである。

 このアドベンチャーを知った当初は、筆者は、YOKI本人の、その超人的なスタミナや強さに唖然とし、ただただ、驚いたことだ。

 

 日本100名山の踏破を目指す登山家や愛好家は数多く、勿論、達成した人も多いだろう。ごく身近にも、高齢ながら、それを目標に、じっくり時間をかけて、登山仲間と頑張っている知り合いもいる。

 交通機関を一切使わず、徒歩とカヤックだけで、しかも、216日間、ほぼ連続して、一気に、日本百名山の一筆書き踏破を達成したというのは、前人未到の偉業で、今後もチャレンンジし、達成する人は、出てこないのではないか。 

 見事達成できたのは、勿論、YOKI本人の、日頃の鍛錬と努力の賜物だが、それを、全面的に支援したNHKの存在は、極めて大きなものがあろう。

NHKは、人、物、金を使う、このような大イベントを企画し、YOKIという役者を見つけ、全面的に支援して、実行するという、プロデュースを行ったのは、何を意図してのことだろうか。ただ、世間をアッと驚かせたかった、のだとは思えない。

 公式な表明は見あたらないのだが、東日本大震災で今も苦しむ多くの被災者を励ましながら、閉塞感の漂う国内の空気を打ち払い、国民を勇気づける狙いもあったようにも思われる。

 

 ともあれ、外野席であれこれ論評するのは、僭越至極、失礼千万なことで、控える事にして、このイベントについての、筆者自身の率直な印象や感想を、順不同で、以下に列挙することとしたい。

    ○南から北まで繋がる、日本の国土の素晴らしさ、自然の美しさを再発見できたこと

   ○失敗を恐れず挑戦する勇気や、決して諦めず努力する姿勢を教えられたこと

   ○天候やトラブルなどの状況変化に、柔軟に対応していく姿勢が印象的だったこと

   ○コミュニケーションでチームワークを保ちながら、楽しみながら実行していること

   ○生身の身体を大事に労わりながら、人間の機能の限界まで挑戦していること

 

 この年末の12/28に、NHK―BSで、今回のグレートトラバースの特別番組が放送される予定のようで、楽しみにしたい。

 

⑦ 百名山との関わりと郷土富士

 筆者は、学生時代や、社会人になって暫くの間が主になるが、それ以降も、そこそこ、山歩きを楽しんで来た、といった所だ。

 近くから/遠くから眺めた百名山は、全国の北から南まで、おおよそだが、以下のように多数あり、その中で、途中まで上がった山や、登山スタイルで山頂まで登った山もある。

                           太字:登山スタイルで、山頂まで登った山

                              下線:途中まで上がった山 

  

  北海道   後方羊蹄山 十勝岳 大雪山 阿寒岳

  東北     岩木山 八甲田山 岩手山 

          鳥海山 月山 朝日岳 蔵王山 吾妻山 飯豊山 

          磐梯山 安達太良山 燧岳 至仏山  

  関東     那須岳 浅間山 榛名山 赤城山 男体山 谷川岳 草津白根山 

         筑波山 丹沢山 大菩薩嶺 雲取山    

  中部     御嶽山 乗鞍岳 蓼科山 八ヶ岳 男体山 美ヶ原 霧ヶ峰 

          穂高岳 焼岳 槍ヶ岳 仙丈岳 木曽駒ケ岳 立山 白馬岳 妙義山 

            富士山 天城山 

  近畿      伊吹山

  中国      大山 

  四国      剣山

  九州      開聞岳 霧島山 阿蘇山 九重山  

 

◇郷土富士

 山容が富士山に似ている、などから、各地に、○○富士、として親しまれている、「郷土富士」と呼ばれる山が、全国に、300以上もあるようだ。

 日本百名山の中での郷土富士は、以下の7座で、地域を代表する名山として、旧国名等を冠した呼称が多い。

 本家本元の富士山は、登った事も眺めたこともあるが、以下の中で、利尻富士は眺めた事も無く、登った事があるのは、南部富士だけである。

 山名     開聞岳     大山     鳥海山     岩手山     岩木山    後方羊蹄山   利尻岳

郷土富士   薩摩富士  伯耆富士  出羽富士   南部富士   津軽富士  蝦夷富士     利尻富士

 

 言うまでも無いが、富士山は、独立峰の成層火山であるため、どの方角から眺めても見事な姿形だ。 

 一方、上記の中の南部富士の岩手山も、独立峰に近い成層火山だが、盛岡付近からは、下図左のように、雄大で存在感がある山に見える。でも、方角の異なる、より南方向の雫石付近からは、下図右のように、富士山の片側が“そげた”ように見える、ようで、南部片富士という、やや、有り難くない異称があるようだ。(図はネット画像) 

上述の各地の郷土富士とて、本物の富士山に比べれば、見劣りはするのだが、ここは、余りにも秀麗な富士山に敬意を表して、片富士という、一歩引いた呼称になった、と理解することとしたい。 

   

         盛岡からの岩手山(南東方向から)              雫石 御所湖からの岩手山(南方向から) 

 

 余談だが、以前、友人達と岩手山に登った時、盛岡で、わんこそば に挑戦した事がある。前稿で触れたように、YOKIは、見事に、101杯をクリアしたのだが、筆者の場合は、40杯までは届かなかったような記憶がある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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オニユズ

2014年12月22日 22時46分31秒 | 日記

2014年12月22日(月)  オニユズ 

 

 冬は、柑橘類の季節だ。主役はやはり、「みかん」だが、「ゆず」にも、結構大事な出番がある。 

○ オニユズとユズ湯

 先日、近くの八百屋で、ワイフKが、大きなオニユズの実を貰って来た。 たまたま、台所にあった、普通のユズと並べてみると、下の左の写真のように、オニユズには、表面の皮に異様な凹凸があり(鬼の顔?)、大きさも、かなり違うようだ。

夜は、早速、このオニユズを、右の写真のように、丸ごと、湯船に浮かせた。

        

         オニユズ          ユズ                        オニユズ湯

  この季節、冬至かぼちゃ ともども、ユズ湯を楽しむのは、年中行事で、季節の風物詩の一つでもある。オニユズ湯は久しぶりで、いい香りが漂い、よく温まって、暫しの間、楽しませて貰った。 

以前、当ブログの以下の記事で、ユズ湯について取り上げたことがある。

     ユズ湯とオニユズ  (2009/12/11)

 

 昨朝のTVで、冬至を前に、東松山市動物園で、カピバラ君達が、じーっと、ユズ湯に入っている様子が紹介された。この湯舟には、なんと、大きなオニユズが、沢山浮かんでいる。風呂上がりは、寒くないのかな? と余計な心配をしたがーー。

今日のTVも、各地の動物園での、ユズ湯のニュースが多かったのだが、喜んでいるのは、いずれも、カピバラだったのは、何故かな?

 

  今日の冬至だが、この冬は、例年と異なり、「朔旦(さくたん)冬至」と言うようだ。 旧歴の11月1日(朔日 ついたち)と24節気の冬至とが重なる、おめでたい日で、19年に一度位の確率と言う。

  

○ ユズの科学

  先日(12/16)のNHKの番組 あさイチの、スゴ技Qで、「今が旬! ゆず まるごと使いこなし術」として、ユズの話題が取り上げられ、ユズの特徴と、多様な利用法が紹介された。

 

 番組では、冒頭、ユズを手で搾る場合、

   1、丸ごと押し潰して搾る、

   2、2つに切って皮を上(切り口を下)にして搾る、

   3、2つに切って皮を下(切り口を上)にして搾る、

のいずれがいいか、と、クイズ形式で出題されたが、2ではなく、3が正解という。

その理由は、ユズの実を、皮、わた、果肉に分けた場合、香りの成分は、皮の部分に含まれているという。皮の表面にあるブツブツの袋の中に含まれる、「リモネン」という精油成分の働きのようだ。従って、この袋を壊すと、中の成分が表に出て来て、いい香りがする。

 

 一方、ユズ風呂では、いい香りだけでなく、人体への保温効果(湯あがり後の冷めにくさ)も、このリモネン成分の働きのようで、サーモグラフィーで調べると、ユズ湯の効果は明らかだ。慣習となってきた、寒い冬場のユズ湯は、理にかなっていた、と言えよう。

剥いた皮を切って、布袋に入れて使うと、より、効果も大きいようだ。

 

 また、通常は利用しない「わた」には、果汁に多く含まれているビタミンC(レモンの1.5倍!)を、体内で摂取するのを助ける働きをする、「ヘスペリジン」という成分が多いという。 従って、丸ごと、ジューサー等で搾って、ドレッシングにしたりして使うことは、美容と健康に極めて良いようだ。

  

○ ユズの利用

 ゆず と言えば、通常は、料理で、香りや色合いを生かして、脇役的な食材として使われたり、上述の、浴槽に入れて楽しんだりすることが主で、酸味等が強いことから、ミカンのように生食はしないし、果汁を搾って飲むことは、少ないようだ。

 番組では、京料理、フランス料理の達人による、ユズを使った料理や利用法が数多く紹介されたが、ここでは省略したい。

 ネットにも、ユズを使ったレシピとして、

     煮もの(ゆず大根)、調味料(ゆず胡椒)、マリネ、ケーキ、漬物、ビール etc.

が数多く紹介されている。 

 “YUZU”は、国際語になっているという。

 ユズの生産量では、高知が全国の57%、徳島15%、愛媛12%と、四国勢が他地域を圧倒している。中でも、高知の山間部にある馬路(うまじ)村は、終戦後に始めたというユズ栽培だが、全国有数のユズの産地として知られている。この村名には、田園風景を彷彿とさせる、懐かしい響きがあるだろうか。 

 番組に登場した土地の人達は、伝統的な手動の搾り器を使って、ジュースにして飲んだり、料理に掛けたりして、利用してきている。 ネットによれば、地域の特産品として、ユズ飲料もあり、ユズ調味料なども作っているようだ。(馬路村 - Wikipedia

           

            ユズ飲料 ごっくん                       ぽん酢しょうゆ ゆずの村  

      

○ユズを育てる

 古くから、

     「桃栗3年、柿8年、ユズの大馬鹿18年、銀杏の気違い30年」

                          (関東では、ユズでなく、ナシ)

などと言われ、ユズは、時間が掛かるとされるが、温暖な、西日本向きの果樹だろうか。

 前に、気短か者向きの、1歳ユズ(ハナユ)と言うのを、自宅で育てた事があるが、長続きはしなかった。

 

 かなり以前、知人から、今回のように、大きなオニユズの実を貰ったことがある。酸っぱいので食べきらず、ユズ湯にもしたが、残った種子を土に埋めて置いた。 そしたら、立派に芽が出て来たのである。 それを、大きな鉢に植え替えたりしているが、この株が、今でも、何とか生きている。

 このオニユズの緑の葉に、夏分には、柑橘類を好むアゲハ蝶がやって来て、卵を生みつける。しばらく経つと、同じ緑色の幼虫が、葉を食べているのをよく見かける。

 諺のように、18年後まで待つ積りは、さらさら無いが、まだ、実が成らない現在も、少しは役に立っているようで、アゲハの幼稚園と呼んで見守っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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日本百名山一筆書き踏破  3

2014年12月19日 17時11分09秒 | 日記

2014年12月19日(金)  日本百名山一筆書き踏破  3 

 

 本ブログに投稿した以下の記事では、

     日本百名山一筆書き踏破  1 (2014/12/11)

     日本百名山一筆書き踏破  2 (2014/12/15)

1で、イベントの概要と日本百名山について、2で、①累積標高差、②登山ルートについて、話題としたが、本稿は、これらの続編で、③平地と海での移動、④宿の有り難さ、について述べたい。 

 

③ 平地と海での移動

 このイベントの、総移動距離は7800kmと言われる。登山は徒歩でするのは当然だが、ほぼ平らな陸上でも、交通機関を一切使わず、全て徒歩で歩き、海上は、泳ぐのは無理なので、手漕ぎのカヤックで移動する、という、極めて厳しい条件となっている。

 

◇徒歩行

 踏破ルート地図上での、目の子での計測では、以下の区間

   a 大分 九重山~鳥取 大山、       b 鳥取 大山~愛媛 剣山、

   c 神奈川 丹沢山~茨城 筑波山、    d 山形 鳥海山~岩手 岩手山、

   e 青森 岩木山~北海道 後方羊蹄山、 f 北海道 後方羊蹄山~北海道 幌尻岳、

   g 北海道 幌尻岳~北海道 十勝岳、   h 北海道 トムラウシ~北海道 阿寒岳

   i 北海道 羅臼岳~利尻島 利尻岳

などが、かなり長く歩く区間だが、歩行での特に大きな試練は、疲れも蓄積している中で、レースの最終段に待っている北海道の区間(f~i)だろうか。 

 北海道で遭遇した大きな困難は、出発から、早、175日も経過し、93座目の幌尻岳を極めて、次の十勝岳へ向かうため、いつものように道路を歩いている途上で起こった(上記 区間g)。脚と足の痛みで、終に、歩けなくなってしまったのだ。ここでは、何度も休息するなどして、なんとか、前進している。(後述) 

 最後の試練は、ラス前の99座目の羅臼岳を終えて、100座目が待つ利尻島に渡る、宗谷の海岸に辿り着くまでの、オホーツク海沿岸の徒歩行だ(上記 区間i)。 あの広大な北海道の最も長い一辺約400kmを、ひたすら歩き続けるというもので、10/14に歩き始めてから、カヤックで出る海岸に、10/23に到着するまでの間、忍耐だけが必要とされたのである。よくぞ歩いたものだと思う。

 

 日誌に拠れば、冬を迎える10月下旬の気象で、利尻水道の海の状況が不安定となる見通しから、急遽、カヤックの出発地を変更したようだ。

当初は、浜頓別から北の猿払を経由して、宗谷丘陵を横断し、カヤックに乗る予定だったのだが、カヤックの出発地を20km程南に移して、浜頓別から豊富町まで、ショートカッとして、歩く事にしたようだ。

  

    ↑利尻島                             ↑豊富                ↑猿払          ↑浜頓別 

 

◇カヤック

 橋が架かっていない、以下の4か所の海域は、手漕ぎのシーカヤックを使って渡っている(海域の距離は、日誌や地図などを参照した)。

 

  イ、屋久島―鹿児島       大隅海峡  約90km

  ロ、徳島―和歌山         紀伊水道  数 km

  ハ、青森―北海道(渡島)   津軽海峡  約30km

  ニ、北海道(留萌)-利尻島 利尻水道  約25km 

 

イは、最初の海域だが、この時の様子は、TVは見ていないし、NHKのサイトにも詳しい記載は無いのだが、90kmという長丁場で、手にマメを作りながら、2日かけてクリアしたようだ。海流があるので、休む訳にはいかず、夜通し漕いだのだろうか。 踏破行の初っ端での難関だろう。 

ロも、テレビは観ていないが、距離も短く、難無くクリアできたと思われる。

ハは、本州の津軽半島の突端の竜飛岬から、津軽海峡を越えて、北海道に渡る区間だが、海の流れも強く、かなり懸念されたのだが、大きなトラブルも無く、夕闇せまる福島に無事到着している。 

ニの、最後の最後の、利尻島に渡る海域で、大きなハプニングが待っていたようだ。

 前述のように、出発地を変更するなどを行ったにも拘わらず、カヤックで出た利尻水道の半ばで、荒れる海の波を受けて、YOKIが海に投げ出され、カヤックが裏返しになってしまったのだ! カヤックでの緊急事態である。

海に落ちたYOKIは、クローズドデッキになっているカヤックに、必死に、乗り込もうとするが、回転してしまい、再び海に落ちる、というハラハラする場面が、何度も続いたのだが、サポートの手は借りず、何とか自力で乗り込んで体勢を回復した。 

 こうして、終に、最終章の目的地である利尻島に到着し、島の宿に泊まって、最後の夜を迎えた。 

 

④宿の有り難さ

 200日間を越える長丁場のこと、当然だが、夜は休息して英気を養うと共に、時には、楽しみも必要だ。(以下は、グレートトラバース|グレートトラバース - NHKの日誌などを参照)

 

◇休息と充電と準備

 中部地方のアルプスに登った頃は、まだ6月ということで、シーズンオフのため、無人の山小屋、避難小屋で、一夜を過ごしたことも多かったようだ。この時は、沢山背負っている、色んな食糧や飲み物や防寒具などが役に立っている。

これに比べれば、有人の宿に泊まり、食事をし、風呂も使えるなどは、天国にいるような気分だっただろうか。 

 具体的な地名は記憶していないが、山間の宿泊地で、次の纏まった登山行のために、レトルト食品などの沢山の食糧を買い込み、装備を整えるなどの、極めて重要な準備作業に余念がなかった様子を、何度か観ている。 

 

◇羽黒山の宿坊  

 出羽三山の月山を下りて鳥海山へ向かう途中で、これも、出羽三山の一つの、杉の大木に囲まれた羽黒山に立ち寄ったが、ここは、山形出身の筆者が、何度か訪れた場所でもある。 ここでは、珍しく、修行僧等が利用する、宿坊に泊まったようだ。

   

 この宿坊では、当然の事ながら、上図の様な、山菜などの、精進料理が出てきた。

 YOKIは、ただでさえ、エネルギーが必要なレーサ-に似あわず、初めてという精進料理を、おいしそうに、ぺろりと平らげたのである。彼の飾らない人柄と、状況に柔軟に対応する姿を見た思いである。

 

◇わんこそば

 早池峰山を終えて、盛岡に泊まり、岩手山に登る朝のこと、早い出発の予定だったのが、寝坊してしまい、10時過ぎになったようだ。

この日は、最早岩手山への登頂は無理、と諦め、何時か食べて見たいと思っていた、わんこそばに挑戦することに、切り替えたようだ。

 勿論、食べる目標は、百名山に因んで100杯であるが、100杯食べると、記念の手形を貰えることも狙っていたようだ。

60杯位までは良かったが、以降は、次第に苦しくなったが、持ち前の粘りで、終に、100杯を達成! 、と思ったら、お給仕さんに、一寸した隙をつかれ、おまけの101杯目を入れられてしまったようだ! 楽しいひと時であった。

    

                 101杯の空椀の前で、手形を喜ぶYOKI

 

◇富良野の実家と実弟と 

 前述の、十勝岳へ向かう途中、足の痛みに耐えながら何とか辿りついた先の富良野には、実は、YOKIが生まれ育った実家があり、津軽海峡を渡る前に応援に来てくれた、ご両親達が待っていた!

“これ以上の物は無い”、という最高のプレゼント、何と言う、天の配材だろうか! 

 故郷の実家で、暫く英気を養い、体調を整えて、実弟の富夢也さんと一緒に、次の十勝岳に向かって歩き始めたのだが、何としたことか、やはり、脚の状況が悪く、実家に引き返してしまった!

 

 休養と治療を行い、自身の身体と相談しながら、どうしようかと、あれこれ思い悩んでいる間に、2泊の予定だった実家での滞在が、1週間にもなってしまった。

 日誌に拠れば、体調不良で実家で静養中だったこの期間の、忘れもしない9/27に、かの御嶽山の噴火があったようだ。 TVで知ったYOKIは、自身が、3か月程前に、この山に登って来た事と重ね合わせながら、自然の恐ろしさを思い、災難にあった多くの登山者達に思いを寄せている。

 

 現役のスキークロカン選手である弟さんが、実家から同行し、十勝岳に向かう予定だったのだが、上記のように、予定の変更を余儀なくされてしまった。

でも、1週間ほど遅れて、再度、札幌から駆け付けてくれた弟さんとともに、その次の目標である大雪山の主峰旭岳に、登頂している。 兄弟揃って、勝手知った北海道の山を登る嬉しさは、格別なものだったろうか。

 

 

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日本百名山一筆書き踏破   2

2014年12月15日 16時31分13秒 | 日記

2014年12月15日(月)  日本百名山一筆書き踏破  2 

 

 以下の前稿では、イベントの概要について触れたところだが、 

     日本百名山一筆書き踏破  1 (2014/12/11)

この続編として、特に印象に残った幾つかの話題について、2回に分けて取り上げることとし、本稿では、①累積標高差、および、②登山ルートについて述べる。

 

① 累積標高差

 今回の、百名山の踏破行では、累積標高差が10万mと言われている。

ここで言う、「累積標高差」とは、文字通り、標高差の累積値のようで、筆者には、あまり聞き慣れないのだが、今回の様なアドベンチャーレースや、トレイル競技などでは、良く使われている用語のようだ。

 山では、登った分だけ下りもあり、元に戻ることとなるのは当然である。通常は、そのコースの、登りの標高分だけを足し合わせた量を、累積標高差と言うようで、当該コースの、難易度の目安となるようだ。

一方、登りの和と、下りの和を、別々に言う事もあるようだ。更に、山を登る時の疲労度合いと比べれば、山を下る時は楽なものだが、運動量で見て、登り、下りの絶対値の総和を、累積標高差とする考え方もあるかもしれない。

 以下に、2、3考察してみたい。 

 

 前稿で触れたように、日本百名山の選定基準では、原則、標高1500m以上となっている。

 標高の高い山では、3000m以上の山が、以下の、13座である。

   3776富士山、3193北岳、3190奥穂高岳、3189(3190)間ノ岳、

   3180槍ケ岳、3141悪沢岳、3120赤石岳、3067御嶽山、3046塩見岳、

   3032仙丈ケ岳、3026乗鞍岳、3015立山、3013聖岳 

 これら全てが、本州の中央部に位置しており、独立峰(富士山、御嶽山)もあるが、南アルプス、北アルプス等の連山が多い。

 

 一方、例外的に選ばれている1500m以下の山は、以下の5座である。

   877筑波山、924開聞岳、1377伊吹山、1405天城山、1499阿寒岳 

 他の82座は、1000m以上~3000m以下になる。

  

 先ず、100座各々の標高の総和を、EXCELで求めて見ると、22万7615mとなる。(標高データは、日本百名山 - Wikipedia より)

この数字だが、標高は海抜であるから、各山が、海抜0mの平面上に、次々と隙間なく並んでいるとしたモデルでの計算となる。

この数字は、累積標高差10万mの、2倍以上となっている。

 

 標高の総和から、機械的に、100名山の平均標高を求めると、単純な計算だが、

    2276m

となる。  

 一方、累積標高差10万mを、単純に100で割ると、1座あたり、平均、1000mを登ることとなる。

この事から、言って見れば、

  平均標高2276m

の山で、

  標高差1000m

を登る、という計算となる。 

 各名山が離れて立地している場合は、麓から登ることとなるが、中部・関東地方では、連山の縦走等が多いので、そこで標高を稼いでいることから、平均的には、山頂から1000m下がった地点から登ればいい(或いは、山の麓から1000m登ればよい)とも言える。

ともあれ、自身のささやかな体験では、登山で、1000mの高度を稼ぐのは生易しいものではない。 

 

 実際には、山の麓にある登山口の標高と、そこから、山頂迄の標高差がある。次の山へ行くのに、尾根伝いに縦走する場合は、登る標高差が少ないこともある。平地や準平地の高低差もあろう。又、言う迄もないが、カヤックを使う海面は、0mである。これらをスタートからゴールまで総合したものが、累積標高差だろうか。

 今回の、累積標高差10万mという数字が、どの様にして得られたのかは不明だが、ルート毎に、1/25000の地図を元に、細かく標高を計算したのかもしれない。 ネットのサイトにある、奥穂高岳のケースが参考になるようだ。(奥穂高岳-ルートマップ

 

 各々の山を、徒歩で登ったり下ったりした訳だが、最も標高差が大きかったのは、富士山だっただろうか。

富士登山は、通常は、5合目(2230m)まで車で上がり、そこから徒歩で山頂まで登るが(過去に筆者が登った時も)、この場合の標高差は、

   3776-2230=1546m

となる。

 YOKIが富士山に登る時の様子は見ていないが、当然、往時の登山者と同じく、全て麓(0合目)から登った訳だ。

 イベントのサイトにあるルート情報や日誌情報には、この時の記録がないので確認出来ないのは、残念だが、全体のコースから見て、YOKIは、吉田口から登って、富士宮口に出たと思われる。

 吉田口の登山口となる北口本宮富士浅間神社は、標高860mとあるので、ここから、山頂の剣が峰までは、

    3776-860=2916m

の高度差をクリアしなければならない。 

上記の、5合目からの登頂と比較すると、

    2916-1546=1360m

の差となり、大変な違いである。 

 

② 登山ルート

 各山の案内書では、標準的な登山ルートと、その所用時間等が示されている訳だが、YOKIは、出来るだけ経路と所要時間を短くするため、ショートカットや、直登に近いルートを取ることが多く、ほぼ半分ぐらいの時間で登っている。

個々のケースについては、詳細は省略するが、プロとは言え、そのスタミナや足腰の強さは尋常ではない。

 

 一方、以下のように、一日に、2峰を制覇した事も何度かある。

   鷲羽岳―黒岳、黒部五郎岳―薬師岳、鹿島槍岳―五竜岳、火打山―妙義山、 

   蓼科山-八ヶ岳、瑞牆山―金峰山、燧岳―会津駒ケ岳、磐梯山―安達太良山、

   岩手山―八幡平 

これらの中で、アルプス等で尾根続きの場合は、連登しても、そんなに負担ではないのだろうが、一旦、平地に下って道路を歩き、再度登ったケースもある。

 印象に残っている連登では、上記の、磐梯山から安達太良山に行く途中(?)と思うが、YOKIが、一方の山を振り返り、他方の山を指差しながら、出会った土地の人に、“今日はあそこに登って来たが、今日これから、あの山にも登るんだよ”、と言うあたり、常識では考えられない事であった。 

 登山道を示す赤い布の標識を途中で見失ってしまい、磁石が頼りになった時もあった。オリエンテーリングや、アドベンチャーレースでは良くある事だろうが、本人は至って平気で、無事、目的地にたどり着くあたりは、流石である。実質的には、単独行ではないとは言うもののーー。

  岩木山では、登頂後に下山する途中で、落雷に見舞われ、暫し、雨に濡れながら、道路脇の笹藪に、じっと身を顰めた時は、生きた心地はしなかっただろう。 時間に追われて余裕が少ないレースの厳しさでもあろうか。

 

 YOKIが、上高地から奥穂高岳に登る時の様子も、TVで観たが、穂高の連山を目ざして、氷河で作られたというカールを、いとも楽そうに直登していた。

 本稿を書くに当たって、改めて、奥穂高岳への登山ルートを調べて、いささか驚いた。

 通常、上高地の河童橋から奥穂高岳へ登るには、下図で、梓川沿いに右回りで進み、徳澤、横尾を通り、涸沢から登るようだ。 でも、YOKIは、図の左の、大幅に短い、山容が良く見える、岳沢からのルートを登ったと思われる(日誌情報による確認は出来なかった)。(前出のサイト 奥穂高岳-ルートマップ から引用)

  

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ロマネスコ

2014年12月12日 22時14分39秒 | 日記

2014年12月12日(金)  ロマネスコ

 

 

○珍しい形の野菜ー自然の造形

  つい先日、近くに住んでいる息子が、家に来た手土産として、「ロマネスコ」という名の珍しい形状の野菜を持ってきた。

全体が円錐形で、それをそっくり縮小したような、小さい「いぼいぼ」が、沢山、螺旋状についている見事な形で、自然の造形の素晴らしさを見た思いだ。

とっさに連想したのは、お釈迦様や、パンチパーマの頭である。

     

  ブロッコリーのようでもあり、カリフラワーにも似ているが、ブロッコリーとカリフラワーの合いの子という。

アブラナ科の野菜で、未成熟の花蕾花梗の部分を食用とするようだ。

 名前は、イタリア語のBroccolo Romanesco(ローマのブロッコリー)からきているようで、中世、ローマ近郊で開発された、という説が有力という。(ロマネスコ - Wikipedia

 

 食べるのが勿体ない位、見事な形だったのだが、茹でて、塩、マヨネーズ、サラダドレッシングで食べて見た。特段の味はなかったが、パリパリしていて、歯触りはいい。

緑と白のコントラストが鮮やかで、酢漬けにしても良さそうで、付け合わせにもいいだろうか。

 ブロッコリー、カリフラワーともに、味よりも、形や色や、歯触りを楽しむものだろうが、このロマネスコは、これら以上に、楽しめるだろうか。

 

 最近観たテレビ放送だが、国内のどこだったか、地名は思い出せないが、この野菜を、土地の名産にしようとしていた所があった。

 デパ地下等の洒落た店で扱う、相当高価なものと思ったのだが、どう言うわけか、息子は、200円程で、街の八百屋で、偶然に見つけたと言う。 

 

○自然界での形

 野菜のキャベツの形状について、下記のブログで触れたことがある。

       5角形(星型)の不思議  (2010/2/11)

 これは、キャベツを料理に使う時に、裏の根元を見ながら、外側の葉から、順次、切って行くと、芯の周りで、葉が一つ置きになっていて、5角形を形づくっている事を“発見”したのだ。5角形の頂点を一つ置きに巡って行って、2廻りする(葉を5枚とる)と元に戻る。

これを、時間順に、キャベツが成長して結球していく過程を想定すると、葉が根元から、順送りではなく、1つ置きに、螺旋状に中心に向かって丸くなっていくという事だ。

 白菜の場合も、そんなに明確ではないが、やはり5角形である。

 紙の上に5角形の星を描く時も、同様に1つ置きだ。

 

 自然界では、雪の結晶や、蜜蜂の巣などは、6角形が基本だ。一方、桜や梅の花は言うまでもないが、上記のキャベツなど、5角形も多い。 また、塩の結晶や、アブラナ科の十字花などの、四角形も多い。

6や5や4と言う数字は、自然界では、原則的な数字なのかも知れない。 

これらと比べると、今回知ったロマネスコの、規則的で見事な複雑さは、尋常ではない! 

 

○フラクタル

 この、ロマネスコのような形は、フラクタル(fractale 仏)と言うようで、全体と部分とが自己相似となっている形状や図形のことのようである。何処を取っても、同じ様な形が繰り返されているように見える。(フラクタル - Wikipedia

 フラクタルの捉え方は、自然界の樹木や海岸線の形などの「複雑さ」を、数学的に理論化したと言われ、フラクタル幾何学として、一つの分野になっているようだ。(フラクタル幾何 - Wikipedia) (ロマネスクとフラクタル図形 | JINさんの陽蜂農園日記 - 楽天ブログ

  幾何学的で分りやすいフラクタルは、下図左の様な図形で、雪の結晶のようにも見える。

また、下図右は、同様に、机上で数学的に作ったフラクタルだが、シダの葉にそっくりである。(ともに、ネット画像より) 

       

  

  また、下図左は、複雑に入り組んだ、リアス式海岸の実際の地図で、それの一部を拡大した図も同じ様に複雑だ。下図右は、コンピュータ上で描いたフラクタル図形の海岸線だが、左の図と似ているだろうか。 (ともに、ネット画像より)

           

  実際のリアス式海岸線(下方に拡大)          PC上で描いたフラクタル海岸線

 

  ネットで見つけた下図は、PC上で作ったフラクタル図形のようだが、こうなると最早アートの領域と言えよう。 筆者には、不思議な感覚になるとともに、やや、おぞましい印象もあるがーーー。

         フラクタルアート?

 

 

 

 

 

 

 

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