2012年12月29日(土) 奥山を訪ねてー秩父盆地
先月初めの、仲間とのドライブ旅行については、当ブログに
・奥山を訪ねてー食の話題(2012/12/14)
・奥山を訪ねてー三峰神社へ(2012/12/18)
・奥山を訪ねてー御巣鷹の尾根(2012/12/21)
と載せて来たが、今回の、秩父地方に関する記事で、締めくくりとしたい。
○ 秩父夜祭り
秩父と言えば、秩父神社の例祭である、「秩父夜祭り」が有名で、日本三大曳山祭りの一つと言われている。 今年も、先日の、12/2~3に行われたようだ。 大分以前だが、仕事の関連で秩父を訪れた時に、祭りの夜、色んな店が並ぶ広場に案内された記憶がある。
秩父音頭に
♪秋蚕仕舞うて 麦蒔き終えて 秩父夜祭 アレサ待つばかり♪
とあり、養蚕や麦蒔きの農作業を終えて、夜祭りを心待ちにしている気持ちが込められている。
今回は、秩父神社の近くにある、「秩父祭り会館」に立ち寄り、日中ながら、夜の祭りの雰囲気を、少しく味わわせて貰った。
入口を入った所に、実物大の山車である、屋台と笠鉾(かさほこ)が展示されており、本番用ではないようだが、見事なものだ。以下の画像は、会館のHPから借用している。(「秩父まつり会館」秩父夜祭り 秩父まつり会館 屋台・笠鉾)
屋台 笠鉾
本番では、笠鉾が2台、屋台が4台、繰り出されると言う。笠鉾は、天頂から四方に吊り下げられる、賑やかで派手な飾り付けが見事である。又、周りに提灯が飾られた屋台には、人が乗って、中で、祭り囃子を演奏しながら、曳っぱられて行くようだ。
このような工作物に関心の深い仲間の一人が、自分で撮ってA4版に拡大してプリントした、笠鉾などの、見事なカラー写真を、送り届けてくれた。
展示されている2種の山車の前で、祭り囃子の実演が始まった。下の写真にあるように、きりりと締めた鉢巻が似合う、祭りの装いで
太鼓 小太鼓×m 横笛×n 鉦 呼子
などの楽器を使って、演奏してくれた。
下の写真は、自作のものが不良だったため、同行の知人が写したものを使わせて貰っている。
祭り囃子の演奏風景
昼食前の、約1時間に亘り、賑やかで力強いリズミカルな演奏を、数曲、楽しませてもらった。
曲の途中で、太鼓 小太鼓 横笛 などで、演奏を続けたままで、切れ目なしで奏者が交代する、離れ業も見せて貰った。
小太鼓や横笛などは、中学生位の子供達も立派にこなしているのは、伝統文化の継承と言う意味でも素晴らしいことだ。当日は日曜だったが、実演は、仕事や学校が休みの、日祝日に行われているようだ。
演奏を聞かせて貰って、幾つか、気になったことがある、
・演奏は、予めどんな約束の下で行われていて、全体の進行役はどうなっているのか
・拍数は、予め決めてあるのだろうか、アドリブや、その時の雰囲気で変えることはあるのだろうか
・全体が暗譜で、身体で覚えている感じだが、楽譜はあるのだろうか、どん楽譜なのだろうか
これらについて、演奏終了後、リーダー格の人に聞いたところでは、大枠だけ決めて置いて、後は、その時々の雰囲気で、流して行くという。実際に、通りを曳行する時は、状況に合わせてやることが大事ということだろう。聞いていると、時々、大太鼓が強くなったり、呼子が入るなどがあり、これらが、曲が変化する切っ掛けとなっているようだ。
その人の話では、若い人たちも動員しながら、伝統文化を維持・継承していく、地域としての御苦労も多いようで、それらに対する敬意を込めて、御礼を述べさせてもらった次第である。
今月初めの本番の夜祭りでは、皆さんそれぞれのパートで、大いに活躍されたことだろう。
○ 長瀞(ながとろ)
秩父地方は、最終的には東京湾に流れ注ぐ、荒川の上流になる。この荒川は、自分が住んでいる足立区も流れていて、良く通る国道4号線には、千住新橋が架かっている。橋の真ん中あたりで、東京スカイツリーが良く見える。
例年夏には、この橋の袂の河川敷で、花火大会が催されるなど、馴染の深い河川だ。
秩父地域での荒川と言えば、何と言っても、長瀞の川下りだろうか。大分以前に、桜の頃だったと思われるが、地域の町内会メンバーで、ここに来たことがある。
この川下り、別名、荒川ライン下り、長瀞ライン下り、ともPRされている。本場ドイツのライン下りは未経験だが、日本では、「ローレライ」の歌で知られる、有名なローレライ岩があるという。
今回は、当日は、流れが穏やかで、難所と言われる所でも、少し水しぶきを浴びた程度だったが、時折、女性連の、黄色い声も聞かれた。ところどころに、急な流れの瀬があったり、静かな瀞などがある川を、手漕ぎの舟で下るダイナミックな動きには、何故か、心騒ぐものがある。
面白い景観は比較的少なかったが、よく見ると、猫のような獣に見える岩や、秩父赤壁という切り立った崖 などもあった。 両岸の紅葉は、やや時期が早いようで、今いちだったが、土地の人達によれば、月半ばが見頃とのことであった。
晩秋からは、川の水量が少なくなり、浅瀬が多くなるので、冬期の1~3月は、舟下りは休止になるとか。
これまで経験した川下りでは、他には、鬼怒川の川下りや、最上川の舟下りなどが印象に残っている。
下船した後、暫し、船着き場近くの、岩畳の上を散策した。岩畳(いわだたみ)とは面白いネーミングだ。
この長瀞周辺は、専門的には、堆積してできた「結晶片岩」という変成岩が、河岸段丘を形成しているようで、層状になった、見事な、岩また岩である。荒川の急流による浸蝕作用と相俟って、景勝の地になっている様だ。
秩父音頭にも
♪花の長瀞 あの岩畳 誰を待つやら アレサおぼろ月♪
と歌われている。岩場に登って、持ってきた、揚げ饅頭を、仲間と頬張った。
○ 秩父地方
今回の旅行では、群馬から秩父に掛けてドライブしたが、これまで、殆ど通った事の無い奥山のルートである。
秩父は、言うまでも無く埼玉県の一部で、物理的には、県都や首都圏からは、そんなに掛け離れた地域ではないが、周りを山に囲まれた盆地になっている。 埼玉県の他の地域が、都心のベットタウンとなっているのとは、やや異なる世界で、埼玉県の天気予報でも、秩父地方は、区別されていて、特異な風土と文化があると言える。
改めて秩父地方の地形を眺めると、秩父山地に端を発する荒川が、盆地内の山間を縫って、北を迂回しながら、関東平野に出て、流れ下っている。
現在は、この荒川の流れに沿って、国道140号線が走っている。国道140号線は、埼玉県の熊谷市から山梨県の甲府盆地の富士川町まで続く国道で、秩父地方にとっては、最も重要な道路だろう。今回は、三峰神社への往復などで、国道140号線を、よく通ったが、よくぞ建設したと言いたい程の、曲折の多い、谷合いの山道だ。殆どの区間が、巾が狭く、中央のセンターラインは無い。
対向車はそんなには多くなかったものの、偶に出会う車には要注意で、世話になったドライバー氏は、曲がり角毎に、相当、神経を使っている。
この国道、埼玉では、別称、彩甲斐街道と言われるが、「最下位」でなく、「再会」の意味を込めている、ネーミングの様だ。
彩甲斐街道の表示
今回、初めて知ったのだが、国道140号線は、彩の国(埼玉)と甲斐の国の間で、国道には指定されたものの、45年もの長い間、実際には車が通れない、名ばかりの国道だったようだ。1998年になって、雁坂峠の下に、雁坂トンネルが開通して、漸く、国道の体を成したようだ。 再会とは、そんな期待と嬉しさを込めたものだろうか。
山梨側では、この峠道は、雁坂みち と呼ばれたようで、いずれにしても、大変な難路だったのではないだろうか。
このルート140号と秩父市で交差している国道299号線も、秩父地方にとっては重要な道路と思われ、埼玉県入間市から、飯能市を経由して伸びてきており、長野県茅野市まで、山道が続いている。 今回一泊した上野村もその沿線に在り、群馬―長野県境には、前稿で触れた、十石峠がある。
東武鉄道が、この299号線のほぼ真下にある、長~い正丸トンネルを介して、飯能から秩父まで伸びている。 ある地図を見ていて、アレ、鉄道の線路が書いていない! と思ったら、トンネルばかりで、地図上には、線路は殆ど書かれていなかった!
「ちちぶ」という地名の由来については、以下の様に、
・知々夫国造(ちちぶのくにのみやつこ)の支配する国からという説、
・秩父山中の鍾乳石の形である乳(チチ)に由来する説
などなど、があるようだ。
一方、秩父 と書いて、チチブ と読むのは、やや難解だ。中学生には読めるだろうか。秩は、通常は、チツ と読み、熟語では 秩序(チツジョ)がある。
秩父は、普通は、チツフ と読むだろう。これが、言いにくいので、チチフとなったり、濁って、チツブ ともなり、それらが、言いやすいように、音便で変化して、チチブ になったのだろうか。
盆地内に在る武甲山は、秩父地方の主産業の一つである、セメントや漆喰の原料となる、良質の石灰石が産出することで有名で、現在も採掘されている。でも、この採掘で、山容が次第に変化しているのが気になるところだ。山麓には、芝桜が見事な羊山公園があり、一度は訪れたいと思っている。
秩父の奥地にある、甲武信岳(こぶしだけ)(2475m)は、甲斐、武蔵、信濃三国の境にあり、以下の河川
笛吹川(富士川となって駿河湾へ)、
荒川(東京湾へ)
千曲川(信濃川となって日本海へ)
の源流があり、分水嶺となる地理的には重要な山の様だ。山腹のどこの斜面に降る雨かで、その水滴の流れていく先が、片や、太平洋へ、片や、日本海へと大きく変わるところが、面白い。
最後の日は、建設が進められている圏央道を利用して、狭山日高ICから、関越道に出て帰って来たのだが、圏央道は、反対方向は八王子まで開通しているようで、横浜方面にいく仲間の車は、そちらに向かった。
時代と共に交通網は整備されてきて、ますます便利になり、立派に舗装された道路や、長いトンネルを、車や電車で、あっという間に通過できる現代は、恵まれているともいえよう。でも、交通の便が良くなると、瞬く間に地域の状況が変わったり、途中の地域は、通過点になってしまったりする面もある。
逆説的に言えば、山に囲まれて交通が不便なことが、地域の産業や文化が発展する要因の一つの様にも思えるのだ。
秩父音頭に
♪鳥も渡るか あの山越えて 雲のさわ立つ アレサ奥秩父♪
と謳われているように、鳥になれない人間にとって、山越えは大変なだけに、却って、生活や文化を大切に守って来た、のかも知れない。
中々行けない、奥山を訪ねる今回のドライブ旅行で、それぞれの地域に対する愛着も、一層深まったようだ。
この旅行の企画と実行で、大いに世話になった仲間達に、改めて感謝したい。