つれづれの記

日々の生活での印象

今年の終戦記念日  1

2015年08月28日 20時12分31秒 | 日記

2015年8月28日(金)  今年の終戦記念日  1

 

 

◎戦後70年談話

 今年は、戦後70年という節目の年に当たる事から、色んなTV番組等が放映された。

その中で、先日8月15日の終戦記念日に当たって、8月14日夕刻、「戦後70年談話」が、総理大臣から発表され、記者会見が行われたが、その様子を、NHKテレビで観た。 

談話を作成するにあたり、事前に、識者から意見を求める等、鳴り物入りで纏められた談話である。談話は、日本語の他、英語に加え、韓国語、中国語にも翻訳されて公表されている。 

 そして、この談話に対して、その後、内外から、数多くの反応があったが、ここでは、これらの論評は控えたい。また、これまでの戦後の節目の年に、時の総理による、50年談話、60年談話が公表されたが、これらと、今回の70年談話との差異等についても、省略したい。

 

 当ブログでは、先月、

       明治産業革命遺産  (2015/7/8)

の記事を投稿したが、その中で、登録に反対した韓国との間の、ごたごたに触れている。

その折、明治以降の日本の近代化については、今回の談話がヒントになるのではないかと期待して、取り上げることを保留して来たものだ。

 

 今般、ネット経由で、改めて今回の談話全文を入手して、読み返してみた。

今回の談話の狙いは幾つかあるだろうが、その中の一つは、近隣諸国、とりわけ、韓国、中国との関係を如何に捉え、今後の関係改善に資するか、であると考える。

 この観点を主にして、以下に、筆者の率直な印象を述べたい。   

 

◎韓国との関係

○朝鮮併合

 今回の談話では、幕末を含めた明治初期から終戦までの内外の動きについて、歴史の教科書のように述べられている。大綱に異存はないのだが、その中で、韓国との事が、一言も触れられていないのは、筆者には、可なりの驚きである。

日本は、日清・日露戦争勝利の余勢をかって、明治39年(1910年)に、朝鮮半島の大韓帝国を併合し、統治下に組み入れて朝鮮総督府を設置した。 

 

 朝鮮併合以降、半島は日本の一部として扱われたが、決して、対等な関係では無く、差別的に扱われてきたのは事実だろうか。

朝鮮併合については、日本には、相手側から併合を要請されたとか、大金を費やして、朝鮮半島の人達にしてあげた事を強調する意見等もあるようだ。(小名木善行 ねずさんの ひとりごと 日韓併合の理由 など)

 一方で、朝鮮併合については、韓国では、日本とは、評価が180度異なるようだ。(韓国併合 - Wikipedia

筆者の見方は、客観的にみれば、日本による植民地化であり、朝鮮を手に入れるという、秀吉以来の「欲求」を実現した、ということだろうか。

 

 日本による朝鮮半島の領有は、終戦まで続いた訳だが、当ブログの下記記事

       祝日と休日  (2014/11/24)

で触れているが、日本の終戦記念日の8月15日は、韓国では、光復節という独立記念日で、国民の祝日になっているようだ。(光復節 (韓国) - Wikipedia

朝鮮半島は、長年の抑圧から解放され、己の道を歩めるようになった訳だ。

 総理談話にもあるが、己の生き方は己で決める、という民族自決の原則と、力による支配、被支配の関係はあってはならないという方向は、全てに優先されるべきものだ、と言うことだろう。

 

  日本からの、明治産業革命遺産の登録申請に当たって、対象範囲を、幕末から1910年の、韓国併合以前までで区切ったことは、やや奇異に感じたのだが、これはどんな理由からだろうか。韓国で問題になった、端島(軍艦島)などでの徴用工への強制労働は、太平洋戦争の時で、明治期を対象とした登録とは無関係で問題は無い、という逃げをうつ狙いのようにも見える。

 

 

○従軍慰安婦問題

 一方、韓国と日本との間では、従軍慰安婦問題がくすぶっている。

これに関しては、70年談話の中にある、

  「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません」

と言う下りは、慰安婦という言葉は使わず間接的に触れているが、相手に謝罪しているとは言えないが、事実があったことを国民へ呼びかけている、ということだろうか。

 日本としては、公的には、両国間の交渉の後、1965年の日韓基本条約と関連協定の成立によって、多額の経済協力金を支払う等、戦争に関わる請求権の問題は解決済みとなっている。 従って、形の上では、従軍慰安婦の問題も含めて済んでいる、ということだが、交渉の段階では、韓国側からは、従軍慰安婦については何の問題提起も無かった、というのは、どうしてだろうか。 

 慰安婦問題で、軍の強制の有無を調査し、その結果を公表した、1993年の「河野談話」もあってか、韓国側は納得していないようで、韓国の裁判所では、民間から、従軍慰安婦関連の賠償の訴えも出ているという。

又、国際の場でも、韓国は、重大な人権問題としてアピールを行っているようだ。

 

 上述の、太平洋戦争当時の徴用工の件でも、当時の日本の企業が、民事案件として訴えられているという。

このあたりの、公的レベルと、民間レベルでの、国家が絡む賠償に関する国際的なルールはどうなっているのか知りたいところだ。

 

 

 公認の公娼制度の中での慰安婦は、Confort Womenだが、拘束度が強い、戦地での従軍慰安婦は、性的奴隷(Sexual Slaves)とも呼ばれるようで、調査・確認はしていないが、日本軍特有のものではなく、何処の戦場や駐留地でも、つきもののようだ。

当事者にしてみれば、個人の尊厳もあり、表沙汰にはしたくない気持ちもあって、名乗り出るには大変な勇気が要ることで、実体を把握するのは困難だが、日本軍には、韓国人、中国人など、数万人の慰安婦がいたとも言われる。 

 “彼女らは、今になっても、なんでもゴネれば金になると思っているだけだ、当時はいい稼ぎになるので喜んでいた”、といった捉え方もあり、更には、高給を稼ぐ、戦時売春婦と呼ぶ向きもあるが、このような見方は如何なものか。(慰安婦 - Wikipedia)(【よくわかる!】従軍慰安婦とは高給取りの戦時売春婦です。

 韓国にしてみれば、現在は、立派な国として、国際的にも認められていればいるほど、苦しめられた屈辱的な過去を齎した日本は、許せないということだろう。

加害者側は、疾うに忘れてしまっていることでも、苦しめられた被害者側は、何時までもそのことを、忘れないのは、世の常だ。

 

 先の経済協力金等で全て済んでいて、彼女達に救済が行き届いていないのは、韓国側の責任だ、と杓子定規に決め付けるのではなく、蒸し返しのようにはなっても、過去の被害当事者の気持ちに立って、彼女らの納得のいく措置(謝罪と賠償)が講じられる必要があるだろうと考える。

 謝罪したり、反省していることを、口先で表すことは簡単だが、こちらの誠意を相手に伝え、それを具体的な行動で示すことは容易なことではない。

 談話にあるように、反省と謝罪を、次の世代に残すのでなく、今の世代で解決することは重要だが、戦時行動の一環として、このような過去があった事実は、世代に亘って忘れてはならないことである。

   終戦前の日本地図 (ネットより)

 

◎中国との関係   

 中国との関係についても、談話では、日清戦争や台湾領有には触れておらず、満州事変とだけ出ているが、その後の中国大陸での日本軍の横暴ぶりについては、曖昧である。 

でも、ここで改めて、これらに触れることはしないが、ごく最近の話題について述べたい。

○中国の抗日戦争勝利イベント 

 この9月3日に、中国は、「抗日戦争勝利・世界ファシズム戦争勝利70周年記念式典」なる行事を行うようで、各国の首脳に、出席の招待状が送られ、日本にも届いたようだ。日本の総理は、国会審議等を理由に、欠席し、村山元首相が出席するようで、西側諸国の首脳も、軒並み欠席し、代理が出席するようだ。

 でも、中国と関係を持つ、世界30カ国程の首脳が出席し、ロシアは、プーチン大統領に加え、パレードに参加する軍隊も派遣するという。また、韓国の朴大統領も出席すると公表されている。

 

 このイベントは、軍事力を含めた中国の力を、世界や周辺諸国に誇示するのが狙いの様で、現指導部の体制固めも意図しているだろうか。 戦後50年、60年の節目の年には、この様なイベントは無かったが、今年、70年にして開催するのは、やや影が薄れた反ファシズム闘争の戦勝国を旗印に、国連での地位を確かなものとする狙いもあるだろうか。韓国出身の、ハン国連事務総長も出席という。

 日本の70年談話では、力の行使を否定し、積極的平和主義の姿勢を強調しているが、このイベントを、敢えて、「抗日戦争勝利」としたのは何故だろうか?

 

 

○台湾を巡って

 台湾は、日清戦争の結果、清朝との間の下関条約で、明治28年(1895年)、日本に割譲されて台湾総督府が設置され、終戦までの約50年間、日本の統治下にあったこととなる。

ポツダム宣言受諾による日本の無条件降伏により、解放され、中華民国に復帰した10月25日を、台湾光復節とし、国民の祝日になっているようだ。

 

 中国人民解放軍と中華民国と日本軍との相互の関係は、複雑だが、戦後間もない、1949年に、中国本土に中華人民共和国が建国されたことで、中華民国首脳は台湾に逃れている。

現在の台湾の国際的な地位は、ほぼ、独立国並みといえるだろう。中国政府は、一つの中国という建前のもと、台湾とは、デリケートな関係を保っているようで、力による統合・併合の意図は無いようだがーー。

 

 先日の8月22日、BSフジで放映された番組、

    新渡戸稲造の台湾~スーツを着たサムライ2015~

を観る機会があった。

 新渡戸は、明治後期、派遣された台湾総督府の下で奮闘し、現地の製糖業の発展等に尽力したようで、日本で製作された番組のため、手前味噌は避けられないものの、現在も、現地の人達に敬愛されているというのは、やや、驚きであった。

彼の活躍は、日本の統治下での事だが、現在のODAのように、対等な関係の下で、国際的な援助の一環等として行われていたら、どうだったろうか。

 

 

◎韓国と台湾

 筆者が、韓国と台湾を、それぞれ、複数回訪れたこれまでの体験では、日本に対する国民感情には違いがあるようだ。 台湾は親日的で、日本語も、年配者等には結構通じ、同じ漢字文化圏のため、看板等も理解できる。日本統治下にあった時間が長い事や、先述のような、先人の努力の御蔭でもあるだろうか。

 一方、韓国は、どこか親しみにくい空気があり、緊張感がある。 日本と同じ漢字文化圏なのに、使用する文字で、漢字を禁止して、ハングルだけにしていることも残念だ。

でも、日本のTVドラマでお馴染の韓流時代劇に出てくるのは、以前使用していた漢字の名前や書物だけなので、少し、ほっとさせられる。 

 

 韓国出張の合間に、仏国寺等の遺産・遺跡を巡るバスツアーに参加し、そこで親しくなった韓国人親子と一緒に行動したのだが、忘れられない、ハプニングがある。

ある史跡を見た時、“日本の武将の、信長、秀吉、家康の3人の中で、誰が好き?”、とまともに聞かれ、一瞬、ドキリとしたのである。

 “それぞれに個性があって好きだが、じっくり我慢し、戦の無い江戸幕府を作った家康かな”、と誤魔化して何とか凌いだことだ。あの時、朝鮮に2度も出兵した、“秀吉が好き”、などと言っていたら、その後は別行動になっていて、一緒に楽しんだ昼食もなかったかもしれない。

 

 

アジア諸国の中で、

   韓国、台湾、香港、シンガポール

は、戦後、経済発展が著しい国として、「アジア四小龍」と呼ばれるようだ。

日本や中国は、言ってみれば、大龍になるのだろうか。 又、今は小龍の韓国だが、いずれ北朝鮮と統一が出来れば、これも、大龍になるだろうか。

 

 韓国、台湾 どちらの国とも、今後、時間を掛けながら、理解を深め、融和していきたいものだ。

 

 

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夏から秋へ  

2015年08月18日 17時15分12秒 | 日記

2015年8月18日 (火)  夏から秋へ 

 

 厳しい残暑は続くものの、秋の気配が漂い始めている。

ワイフKが、我が家の屋上庭園の草花を切り取ってきて、久々に風呂場ギャラリーを飾ってくれた。  

           

      

 屋上の人工池で、大きく伸びている、シペラス(シュロカヤツリ)とパピルス(カミカヤツリ)双方には、直線的な美しさがあるが、やや、趣は異なる。

         

                 シペラス                パピルス

 

 赤紫色の小さな花が集まった、直線状の花茎はミソハギで、お盆の頃に咲く事から、別名ボンバナとも呼ばれる。 水辺に林立して、落ち着いた賑やかさを演出してくれる。

            ミソハギ

 

 黄色が鮮やかなオミナエシ(女郎花)は、秋の七草として、長年、この季節の主役だ。 

          オミナエシ

 

 フウセンカズラは、曲線状の蔓に付いた、大小の風船のような可愛い実が、薄緑から茶に色づいてきて、秋を知らせてくれるようだ。   

    

        フウセンカズラの蔓と実1          フウセンカズラの蔓と実2

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川内原発 再稼働

2015年08月17日 23時44分45秒 | 日記

2015年8月17日(月)  川内原発  再稼働

 

 

 この15日は、戦後70年となる節目の終戦記念日で、正午には、全国戦没者追悼式が、武道館で行われ、夕方には、総理大臣談話が発表された。

そして、NHKのライブ、深夜0時からの2時間番組、「解説スタジアム 戦後70年 日本の進路を考える」が放映され、ついつい、最後まで観て仕舞った。 

このところ、戦争と戦後に絡む話題が多いのだが、これらの関係については、改めて取り上げることとしたい。

 

 本稿では、川内原発の再稼働について、取り急ぎ話題としたい。

 

 

 先日の8月11日午前10時30分、鹿児島県にある、九州電力 川内原発1号機で、原子炉内で、核分裂の反応を押さえている制御棒を、徐々に引き抜く操作により、原子炉が起動され、いよいよ、再稼働に向けた作業が開始されたようだ。

 

作業は、ほぼ、予定通り順調に進んだようで、11日深夜に、核分裂反応が連続する、「臨界」状態になったようだ。

この臨界状態を維持しながら、制御棒の性能の検査や、発電用タービンのチェック等を行い、Ⅰ4日から、原子炉の熱で発生させた蒸気でタービンを回す発電を開始している。 状況を注視しながら、徐々に発電出力を高め、9月上旬に営業運転に入る計画という。

この1号機の炉の形式は、加圧水型軽水炉(PWR)で、定格出力は89万kWである。 

 この原発は、大震災後の、平成23年5月以降、4年以上もの期間、停止していることから、異常が無い事を確認しながら、慎重に進めているようだ。

同じ構成の2号機については、引き続いて、10月上旬に再稼働させる計画という。

 

 現在、国内で、新規制基準に基づく既設原発の再稼働に向けた適合審査に合格しているのは5基である。この中で、川内原発1、2号機の他では、差し止め仮処分中の高浜原発3、4号機は見通しが立たないことから、伊方原発1号機の再稼働が、次の焦点となろうか。      

 

 

 川内原発1、2号機は、原発に関する新規制基準に適合した最初の事案として、注目を集めてきた。

当ブログでも、何度も取り上げて来たので、詳細は省略するが、直近の記事は、

    原発再稼働の司法判断  (2015/5/13)

である。

 今回の再稼働に関しては、国内では、色んな反響があり、2、3触れることとしたい。

 

○世論調査

 大震災以降、原発の再稼働については、国論は割れているのだが、再稼働目前の2件の世論調査では、以下のようになっており、反対が大勢を占めている。

   ①   実施主体    毎日新聞社 8/7~8実施 

         方法          全国電話番号の無作為抽出(RDS法)

     サンプル数  1017 

          結果         再稼働 反対  57%

                                    賛成  30%  

                        (本社世論調査:川内再稼働に反対57% - 毎日新聞

  ②  実施主体 NHK  

      方法       8月実施 調査方法は記載されていないが、これまでと同様と推定。

          結果       下図

             

                                    (NHK NEWS WEB 川内原発再稼働 “原発ゼロ終わる”

  国論は、「反対」が多数を占める中で、事業者や政府は、再稼働を決めた訳だ。

   若し筆者が質問されたら、「賛成」と答えるところだがーー。

 

○安全性

 世論調査での反対の最も大きな理由は、安全性であろう。 

再稼働に当たって、色んな不安材料があるが、主なものは以下だろうか。 

*避難計画が不十分 

  川内原発の周囲30km圏内が、避難計画作成の対象だが、詳細は把握してはいないが、何とか具体化しているのは10km圏内で、それ以遠については、問題が多いようだ。老人施設や弱者への支援計画が不十分で、避難路の確保等も問題という。

 福島の事故では、周辺住民を、安全な地域へ的確に避難させる方策で、混乱したことは大きな反省点だが、でも、事前に、万が一の時を想定して、机上で避難計画をつくり準備し、更には、訓練も行うと言うのは、実行は難しい事だ。

 

 我が国の新規制基準では、IAEAの防護計画の第5層になる「避難計画」は、審査対象範囲には含まれていない。台風や火山の噴火災害時等の、地域防災計画と同様に、原発事故でも対処することとなっている、ということだ。このことが、避難計画への取り組みが不十分となる理由の一つだろうか。

 これらについては、当ブログの下記記事で触れている。

          川内原発の適合審査合格  (2014/9/14)

再稼働の判断そのものが、事業者任せで、国の責任が不明確という批判もある。 

 

*重要な施設が未完成 

 福島での事故後、関係者が終結する中心的な施設として機能した、免震重要棟だが、川内原発では、H27年度中に完成するとされ、それまでは、仮の緊急時対策所で対応することとなっている。 

 緊急時に、原子炉の圧力を下げて爆発を防ぐベント設備の整備は、再稼働の重要事項だが、原子炉の形式により、BWRの場合は必須だが、PWRの場合は、時間的な遅れが認められているようで、PWR形式の川内原発では、稼働後、H28年度中に整備されるようだ。PRWの方が、炉の容量が大きいので余裕があるという。

 

 電力会社により、採用している炉の形式が異なり、

         PRW:関西、九州、四国、北海道 の各電力会社、

         BWR:東京、東北、中部、北陸、中国 の各電力会社、

となっている。 事故を引き起こした、福島第一原発は、後者に含まれていることもあり、これまで、再稼働の適合審査に合格しているのは、全て、前者の、PRW形式炉である。 各社の再稼働計画に差が出て来て、今後の電力の自由化などで問題が出る可能性もある。

 

*原発への一般的な不安

 福島第一原発事故の記憶から、あのような深刻な事態が、原発の再稼働によって、再び起こるのでは、と恐れ、不安になるのは、当然でもある。

でも、抜本的に見直された、新規制基準では、

   ・当該地域で起こり得る災害リスクを、科学的、客観的に想定している。

   ・その災害リスクに対して、ハード、ソフト両面での、多重化された多様な対策が取られている。

   ・このことから、福島第一原発事故で起こった様な、重大事故となる可能性は極めて低い。

と筆者は考えている。

 仮定の上での事だが、現時点で、福島第一原発と同規模の原発を、同地に立地するとした場合、新規制基準に基づいて、災害リスクを想定し、対策を行えば、福島第一原発事故は起こらない、と考えるのだ。 これは、あくまで、筆者の理解できる範囲内でのことだがーー。

 

 福島第一原発事故は、汚染水問題などはまだ収束しておらず、中間貯蔵施設の建設も見通せず、廃炉作業も殆ど進んでいないのも事実だ。更には、最終処分場の建設に至っては、大震災以前から、宙に浮いたままである。

世論調査での、多くの反対意見も、この辺に根ざしていると言えようか。

  

○必要性

 再稼働に関し反対する他の理由は、必要性であろうか。 原発事故で原発が稼働しなくても、原発無しでやって来れたではないか、今、急いでやる必要は無い、と言うものだ。

 確かに、事故後暫くは、計画停電も行われ、電力会社相互間で融通し合うなどして、凌いで来たが、各レベルでの省エネ活動や、LEDの普及によって、可なりの節電が出来たのは事実で、一時的なものでない省エネ効果で、電力需要は、震災前の△15%とも言われる。

 

 でも、省エネだけで凌いで来れた訳では無く、電力会社では、原発の停止により、火力発電への依存度が高まり、LNG、原油等の資源の輸入コストのアップで、経営が苦境に立っているのも事実のようで、東京電力では、送電網の保守コストを削減していると言う。 このあたりの実情がどうなのかは、外部からは良く分らないところだがーー。 原発一基の稼働によって、年間、900億円もの収支改善になるとも言う。

 安価な電力を、安定的に供給することが、産業や社会生活や、国民生活の基本であることは言う迄もなく、国際競争力のアップや、国内への産業立地の面でも重要だ。

電力の安定供給と、エネルギー安全保障の確立が、基本であろうか。

( 川内原発再稼働|三橋貴明オフィシャルブログ「新世紀のビッグブラザーへ blog」Powered by Ameba

 

 地球環境保護のため、日本として、温室効果ガスの削減目標を実現するためには、再生可能エネルギーだけでなく、当面は、原発を活用し、火力発電を減らすことが必要となるようで、以下の記事で触れている。

    将来のエネルギーと地球環境  (2015/5/19)

 

 

 

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世界遺産の保護・保全

2015年08月11日 13時59分31秒 | 日記

2015年8月11日(火) 世界遺産の保護・保全

 

 

 この7月5日に、ユネスコの世界遺産として、「明治日本の産業革命遺産」が登録されたことから、当ブログに、以下の記事

       明治日本の産業革命遺産  (2015/7/8 )

を投稿したところだ。 

本稿は、その続編にあたるもので、前稿で予告したように、世界遺産の保護や課題等について話題としたい。 

 

◇世界遺産登録の狙いと保護責任

 我が国で初めて、世界遺産として、法隆寺、姫路城、白神山地、屋久島の4件が登録されたのは、20年以上前の、平成5年(1993年)で、それ以降、関係者の努力により、今回で、自然遺産が4件、文化遺産が15件と、計、19件に上っている。 

ユネスコの「世界遺産条約」は、1972年/75年に、成立/発効し、日本は1992年に締約国になったが、現在の締約国数は、191カ国になっているようだ。

 登録された、世界遺産の総件数は、今回で、1031件となり、その内訳は、

     文化遺産  802

     自然遺産  197

     複合遺産   32

となっているようだ。

 

 世界遺産として登録する国際的な制度の狙いは、改めて言う迄もなく、世界遺産条約にあるように、全人類に普遍的な価値を持つ遺産を、保護・保存し、将来の世代への伝達を行うことだが、このために、国際的な管理・援助体制が整えられている。

 世界遺産には、大きく、文化遺産、自然遺産の2種があり、以下のように定義している。

    文化遺産の定義の基本:歴史上、学術上、芸術上、顕著な普遍的価値を有するもの

    自然遺産の定義の基本:鑑賞上、学術上、景観上、保存上、顕著な普遍的価値を有するもの

提案元の国が中心となって、登録遺産を、適正に保護・保全していく事を、世界に約束するもので、その責任は極めて重いと言えよう。(以上 世界遺産条約 - Wikipedia等より)

 

 でも、この目的は、建前上でのことだ。

世界遺産として登録されると、広く世界に名前が知られ、観光資源としても大いに価値が上がり、訪問者が増えることが見込まれる。

このように、当該地域の発展と活性化のために役立たせることこそが、当事国としての具体的な登録目的であろう。 

この所は、我が国を訪れる観光客数も増加しているようだが、国内各地の世界遺産も関係しているだろうか。 

 

◇登録後の遺産の保護・保全

*共通の問題 

 観光資源として、多くの人が訪れるようになれば、それに伴う共通的な問題として、ゴミの問題、トイレの問題、交通渋滞と排気ガスの問題、等が、当然起こってくる。

これらの問題に対しどの施設でも、工夫をこらして取り組んでいるのは言う迄もない。

 

 この関連で、特に、富士山について簡単に触れたい。

富士山が登録される時は、ゴミやトイレが大きな問題となり、自然遺産としての環境保全が難しいことから、文化遺産に切り替えた経緯があるが、これらの問題は、その後、解決しているのだろうか。 

 山小屋等の施設のトイレについては、そのまま放出する方式から、環境配慮型に改善されているようだが、ゴミの問題の根は深く、未だに、ゴミを持ち帰らず不法投棄する登山者が多いと言う。

 これらの共通問題の解決や、登山の安全対策等のための資金として、昨年から本格的に始まった入山料(富士山保全協力金 1000円)の徴収だが、その徴収率は、2014年の年間実績で、55.8%と、目標を下回り、今年は、7月末時点で、43.7%と更に低調というのは、残念なことだ。(素通りされショック…富士入山料、協力率43% : 社会 : 読売新聞

 実は、富士山の世界遺産登録の時に、ユネスコとしては異例の事になるようだが、条件付きで登録が認められていたようだ。  

この条件とは、富士山全体の環境保全状況や、受け入れ容量と適正来訪者数、来訪者の安全確保等に関する、「保全状況報告書」を、2016.2・1迄に、日本政府として、ユネスコ事務局へ提出することとなっていたようで、筆者としては、今般、初めて知った事である。

報告される内容によっては、後述する危機遺産になる可能性もあるという。(世界遺産富士山 ごみ問題、トイレ問題で世界遺産取り消し危機!

 

 どの世界遺産も、日本や日本人にとって、大事なものばかりだが、とりわけ富士山は、別格であろう。それだけに、富士山に、この種の問題でクレームが付くのは、何としても避けたいところだ。 

 細やかな心遣いは、日本人の美徳の一つと言われ、おもてなしの原点でもあるが、一方で、思考が内向き(Private)になりやすく、外向き(Public)の自覚が弱い、という国民性も、よく言われて来たことである。この事から、公共的なマナーの低さも指摘されて来たことだ。

 でも、喫煙マナーや、乗り物内での携帯の自粛などに見るように、マナーも定着して来ていることから、ゴミ問題もクリアできるようになる、と思っている。 オリンピック開催を大きな切っ掛けとして、マナーアップが図られることを期待したいものだ。    

 

*自然遺産の難しさ

 これらの問題に加えて、自然遺産の場合は、更に、遺産自体の自然環境を守る、という課題がある。自然遺産には、来訪者が少ないほど自然環境が守られる、という、基本的なジレンマがある訳で、言う迄もなく、観光客を受け入れながら、環境破壊をいかに押さえるかがポイントである。

 国内で登録されている自然遺産は、白神山地、屋久島、知床半島、小笠原の4件だが、環境保護と観光との両立という、難しい課題と、今後も、継続的に取り組んで行かねばならない。

 

 最近の気になるニュースだが、2011年に、最も新しく世界自然遺産に登録された小笠原諸島で、同地域だけという固有種のカタツムリが、この所、絶滅の危機にあるという。(固有種のカタツムリ激減 世界遺産・小笠原諸島 - 47NEWS(よんななニュース)) 

 このカタツムリは、陸貝類に属する固有種7属の1つの、カタマイマイ属といわれ、小笠原諸島の兄島等に生息し、自然遺産となるための重要な生物種のひとつという。 

  固有種のカタマイマイ

 このカタツムリが、島の外来種であるクマネズミに、食い荒らされているようで、このままでは、絶滅のおそれがあるという。管理する環境省や都の関係者は、ネズミの駆除を行っているが、追いつかないようだ。 

このネズミは、登録後に、人や物の往来が増えた事に由来するものと思ったのだが、自然遺産に登録される以前から島にいたようだ。

 

 小笠原諸島は、残念ながら、筆者は訪れた事は無いが、日本では珍しく、亜熱帯に属し、東洋のガラパゴスとも言われる程、固有種が多いようだ。もし、このカタツムリが絶滅するなどしたら、危機遺産となり、引いては、世界遺産としての登録が取り消されるという、不名誉な事態もありうるだろうか。 

 世界遺産に登録後に、自然界の変化や災害、地域紛争による遺産破壊、密漁等による自然破壊、管理不十分による崩落、等々による状況変化で、遺産として維持する事が厳しくなって、危機遺産にリストアップされ、ついには、世界遺産の登録が抹消された事例もあるようだ。中には、ピンチを克服して復活した遺産もあるようだがーー。(世界遺産の一覧 (危機遺産リスト) - Wikipedia ) 

 

*建造物の維持・保全

 我が国の文化遺産には、多くの建造物があるが、これらの維持・保全は、重要な課題だ。

その中で、社寺仏閣は、信仰の対象や修行の場として、時代時代を通して、実際に使われたことで、当事者の努力によって、絶えず、保護、保全が行われて来たと言えだろうか。 また、登録されることによって、保護・保全もしやすくなる側面もあろうか。

 

 建造物の維持保全の関連で、国内で最初に登録された姫路城について取り上げたい。

5年間に及んだ、総工費24億円をかけた「平成の大改修」が行われ、この平成27年3月に完成し、再び、一般公開が行われているようだ。(【世界遺産】姫路城「平成の大修理」完成 期間5年半!費用24億円!職人15000人! | しらべぇ) 

 姫路城は、愛称で白鷺城とも呼ばれるが、その名にふさわしく、今回の改修による白さが、まぶしいと言う。今回改修した大天守の白さと、改修対象外だった小天守とを、対比できる図がネットで見つかった。(下図) 

 

               小天守閣   大天守閣                    

 この城は、昨年のNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」でもよく登場した、天下の名城の一つだが、筆者には、特別な思いがある。

実は、NTTの現役当時、縁あって、姫路城が在る管内を受け持つこととなり、自身は勿論の事だが、多くの来訪者をこの城に案内し登城したのは、数えきれないほど。

 東西2本の心柱に支えられた大天守閣の階段を、一段づつ、息を弾ませながら、足で上って行くのだが、最上階のやや小さな窓から、姫路駅方面に通じる、大きな通り(大手前通り)を見下ろし、遠く、播磨灘を眺めると、天下人になった気分である。 

姫路城の大天守閣の見事さは、言を俟たないが、取り巻くように周辺を形作る、小天守閣や櫓(やぐら)類等が、ほぼ完全な形で残っているのも、この城の大きな魅力で、他には例が無いのではないか。

明治期の混乱の中にあって、よくぞ、残してくれたものと、深い敬意を表したい。

 

 約50年程前、この城の「昭和の大改修」(8年間 昭和39年完了)が行われたが、当時、九州へ行く山陽線の電車の窓から見た、黒っぽく覆われた様子が、印象に残っている。 

定期的に、改修を行い保全する手間と資金等は、並大抵のものではないだろう。

 

*産業遺産の維持・保全 

 産業遺産の維持保全はどうだろうか。これらは、ある一時代、花形として実際に活躍した後、時代の流れの中で、その後は、お役御免で使われなくなり、施設の一部が、産業遺産として、現在に残っている訳だ。いずれにしても、それらを維持保全していくことは容易なことではない。

  日本での産業遺産は、石見銀山と、富岡製紙場と、今回の明治遺産群である。

数年前に、産業遺産として、初めて登録された、石見銀山に関しては、坑道などの施設の保全等はどうなっているだろうか。

また、昨年の富岡製紙場関連では、工場等の施設の保全は十分と思われるが、養蚕関連の登録遺産の保全等が気になるところだ。 

 

 そして、今回の登録遺産では、八幡製鉄所関連の施設のように、現役で、今も稼働している所もあるようだ。

一方、今回の登録遺産の中の、三重津造船所(佐賀市)は、発掘後埋め戻されたようで、現在は、何もない、広い空き地になっているという。でも、現地で貸し出される専用のメガネを掛けて、その風景を見ると、当時の建物の様子が、実際の風景の中に、重なって写し出されると言う、素晴らしい工夫があるようだ。

 

 今回で最も気になるのは、端島炭鉱(軍艦島)であり、以下に、少しく取り上げたい。(端島 (長崎県) - Wikipedia 等より) 

端島炭鉱は、明治初期に採掘がはじまり、その後、地下350mもある地下炭鉱からの採炭量も増え、狭い島に、従業員や家族、関係者が、最大で、5000人もの人が住んでいたという賑わいだったようだ。

 住居用敷地等を増やすために、小さな島の周辺を、下図のように、6度も埋め立てたようだ。(図の、1893年大きさが、当初の埋め立て前の端島)

  端島の埋め立て拡張図 

 時代の流れで、1974年(S47年)の炭鉱閉山以降、炭鉱施設の大半は、廃棄され、住宅等は、特別な保全はされずに、荒廃するままにされてきたようで、今にも、崩壊しそうと言う。登録された当時、荒廃した建物の状況が、TV等でも報道された。

皮肉たっぷりに、コンクリート建造物の径年劣化を調査する格好の見本とも言われる。

 

 報道等では、軍艦島全体が、遺産として登録されている様に言われている。この島に現在残されている住宅などの建造物の崩壊を防ぎ、今後保存していくには、最大で150億円もの資金が必要という。(【世界遺産登録へ】産業革命遺産、老朽施設の保全に課題 軍艦島の補修には最大150億円も(1/2ページ) - 産経ニュース

 一方で、今回の登録対象になった構成遺産は、港湾施設や、数度の埋め立て関連の遺構などだけで、炭鉱施設そのものや、住宅等は含まれていない、との、未確認情報もある。

軍艦島全体としては、国の指定遺跡になっているという。 

 いずれにしろ、施設の維持保全を巡って、地元自治体や国で、今後、どの様な取り組みが行われていくのだろうか、注目したい。

 

 

 

 

 

 

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プリンタの不具合

2015年08月01日 20時52分17秒 | 日記

 

2015年8月1日(土)  プリンタの不具合

 

 

 昨年暮れから、今年の初めにかけて、電気機器のトラブルが相次いだが、パソコン用プリンタもその一つで、この辺の事は、当ブログ記事

     プリンタの新調  (2015/1/15)

で触れた所だ。

 今般、この買って間も無いプリンタが、紙づまりのトラブルになってしまった。 

 結果的には、何の修理も要らずに、先日、問題が無事解決したので、良かったのだが、10日間ほどの間、手持ちのプリンタが使えない不便さの中で、プリンタをどうするか、あれこれ、思いを巡らし、不安定な日々を過ごしたのである。 

 今にして思えば、いい経験をしたとも言えるのだが、自戒をこめて、顛末を纏めて見た。

                                                                                 

◇トラブルの発生

 現用のプリンタ機種は、C社のインクジェット複合機で、2014/12初に購入したばかりのものだ。

この機種の給紙方式は、前面のカセットから行い、プリンタ内部で、用紙を転回させる機構になっている。 用紙は、通常のA4サイズ等は下段カセットに、小サイズの、はがき、L版、2L版は上段カセットに、セットする事となっている。 

 2週間程前、郵便用の宛名ラベル(ラベルシール)を印刷するため、ラベルシートをプリンタの下段カセットにセットして、印刷したところ、“ガガーツ”という音がして、ラベルシートが引っ掛かりながら出て来た。

 このラベルシートは、12枚のラベル用で、内、4枚は既に使っていて、まだ、8枚が残っていたものだ。

これで、宛名ラベル2枚を印刷したはずなのに、出て来たシートの5枚目のラベルは、少しずれて、やや斜めに印刷され、6枚目のラベルは、剥がれてしまって付いていなかった。(図a)

併せて、“カセット(下段)に用紙がありません” というエラーメッセージも表示された。(図b)

         

    図a 出て来たラベルシート               図b エラーメッセージの表示

 

・前面を開けて、インクタンク周辺を見ても、紙づまり等の異常はない。

 給紙用の、下段、上段のカセットを外して、懐中電灯で照らして奥を覗き込んでも、紙は見えず、異常はなさそう。

 プリンタのユーティリのメニューに、「給紙ローラークリーニング」があったので、有効かも、と思い実行して見た。でも、クリーニング終了後、通常の用紙を入れて再度印刷すると、紙づまりとなり、同様のエラー表示となった。

 

・カセットを外した状態で、横を持ち上げて、底を見上げたら、用紙が引っ掛かっているのを発見し、これだ! と思って、除去した。

でも、改めて印刷すると、やはり紙づまりとなって用紙が出て来ず、同じエラー表示となった。 

 

・今度は、プリンタの前面を持ち上げて、背面が底に来るようにして垂直に立てて、上、下のカセットを外してチェックした。本体を立てると、余ったインクを貯めているというタンクが溢れる懸念はあったがーー。(図c)

    図c 背面を底にして立てた状態 

この状態で、奥にある用紙の排紙口を覗くと、なにやら、紙が見える。(図d)

    図d 奥に紙が見える 

千枚通しやピンセットを使って、おそるおそる、紙を取り出した。(図e) 

   図e 取り出した紙、ピンセット 

 ここで、改めて、印刷すると、やはり紙づまりで、カセットに用紙が無い、との同様のエラー表示。

この作業を数回繰り返したが、結果は同じだった。 

 

・紙づまりが解消せず、修理に出すしかないか、とメーカ保証書を探したが、管理不備が祟って見当たらない。メーカのサイトを調べたら、1500円払えば、取りに来てくれる、「らくらく修理便」というサービスもあるようだ。

 偶々、都心に出かける機会があり、よく行く家電量販店に立ち寄り、プリンタコーナーに行ったら、当該メーカの説明員がいたので、トラブルについていろいろ聞いた。背面を下にして立てて調べる方法など教えてくれたが、結局、よく分らなかった。(後述の、背面カバーを外して調べろ、とは教えてくれなかった!)

 メーカのサポートセンターに電話して聞けば、色々と教えてくれたと思われるが、この種の窓口は、繋がるまでに手間がかかるのはいつもの事なので、パスした。 

 

◇救いの電子マニュアル

 半ば諦めていたのだが、もしかして手がかりがあるのでは、とふと思い、改めて、当該機の電子マニュアルをチェックして、紙づまりのトラブルの記述が無いか調べてみた。

そしたら、

 ⇒困ったときには ⇒用紙がつまった ⇒カセットにセットした用紙がつまった⇒--

と、明確に記述してあり、 説明図付きで、“背面カバーを外して調べろ”、とあるではないか! 

トラブル発生後、背面も一応は見たのだが、同色の黒でもあり、背面カバーが外せるようになっているとは、気が付かなかったのである。  

   

図f 背面カバー  左 通常は、ほぼ真っ黒                右 光を当てると、四角い穴が2個

 

 背面カバーの四角い穴に指を入れて挟んで軽く引くと、簡単に外れた。

背面カバーを引き出してみると、コピー用紙を転回させるツルツルした部分に、なんと、コピー用紙を取り込んで、ラベルシールが、堂々と貼りついていたのである!(図g) 

用紙を取り除き、ラベルだけにしたのが、図hである。

  図gラベルに取り込まれた用紙

  図h 用紙を除きラベルだけに

 これでは、何度、印刷を行っても、図gにある用紙が「通せんぼ」になって、ほぼ、パーマネントに紙づまりとなっていた訳で、現象としては、非常に明快なトラブルである。

 これらを剥がし取り、転回部分に着いていると思われる、のりも綺麗にして、印刷を行うと、正常に動作したことで、漸く、一件落着となった次第。

 ほぼ諦めかけていたプリンタだが、無傷で手許に帰って来た訳で、何ともいえぬ嬉しさである。                          

                                                  

◇ラベルがどうして貼りついた?

 年賀状の宛名やその他で、長年、ラベルシールを愛用して来ており、新規のシートだけでなく、使い残したシートで印刷した事も多いのだが、今回のようなトラブルは初めてである。

では、どんな原因から、図gの様な状況になったのか、ここからが難しいところだが、いつもの悪い癖で、以下に、あれこれ詮索してみた。

 

 図aを見ると、ラベルシートから、何らかの原因で剥がれたラベルシール1枚(全体の6枚目)が、隙間がある形で転回部分に貼り付いて残ってしまい、次の印刷の時に取り込まれた用紙が、貼り付いていたシールと転回部分との隙間に入ってしまって、以降これが、通せんぼになった、という2段構えの推測である。 

 では、まず、2段構えの1段目で、ラベルシールが貼り付いた原因は何なのだろうか。

下段カセットには、ラベル面を下にしてシートがセットされるが、シートがローラーで取り込まれた後、ラベルシール6枚目の先端部分が、少し剥がれかけていたと思われる。

転回部分の曲率半径は大きくないことから、ラベルの先端部分が浮いて剥がれかけ、ラベルが裏返りながら、転回部分に貼りついていった、と考えられる。

 印刷前にラベルシートを、カセットにセットした時は、簡単な目視しかしていないが、既に剥がれかけの異常があったとは思えないものの、実際はどうだったかは分らない。

 

 確認実験として、ラベルシールが転回部分にぴったり貼りついた図hの状態を、意図的に作って印刷してみると、紙づまりは起こらなかった。即ち、ラベルの厚さ程度の異物が、転回部分にぴったり貼りついただけでは、紙送りの障害にはならず、紙づまりは起こらないようだ。

 従って、続く2段目が想定されるのだが、1段目で、裏返りながら貼り付いていったラベルが、転回部分との間に、最後に隙間が出来た状態で残ったのだろうか。でも、こうなるとは、考えにくく、やや謎めいているのだがーー。

図hで、実験的に、貼りついたラベルの最後を持ち上げて、隙間が出来た状態にして、印刷してみると、隙間に用紙が入って行って、明らかに紙づまりとなる。

 つまり、次の印刷の時に、ラベルの隙間に用紙が入りこんで、通せんぼが出来た、ということだろうかーー。  

 

 また、図aにある、出て来たシートの先端部分が、斜めに少し折れていたのだが、これは、5枚目のラベルの印刷がずれたことや、或いは、6枚目が上記のように貼りついたことと、関係しているかも知れない。

又、シートの印刷の時、“ガガーッ”という音がしたのだが、どの段階で出たのだろうか。

 

 結局のところ、そもそも最初の原因が何で、それが、どのように次に繋がって行ったのか、謎は深まるだけで、よく分らない、と言うのが現在の状況なのである。

 

 少し前に使っていた機種は、プリンタの後部から給紙する方式だった。この方式では、印刷面と用紙の移動との関係が明快で、殆ど問題は無かった。

 一方、最近の機種の殆どが、スペースファクターをよくするため、プリンタの前面から給紙する方式に変わっている。こうなると、プリンタとしては、発想の転換で、当然ながら、カセットに用紙を設定する時は裏返しとなり、内部で、用紙の表裏を反転させて印刷する機構が必要となる。

一定の厚みのある用紙を、狭い内部で反転させる機構には、やや無理があり、一抹の不安を感じていたのだが、今回、この危惧が、現実となったとも言える。 

 前述のように、原因は良くは分らないのだが、用紙を転回させて裏返す機構部分に、ラベルが貼りついたことから、紙づまりが起こるという、とんでもないトラブルが、実際に生起したのである。

    

◇今後のこと

 最後に、今回のトラブルの経験から、今後の方向等について、幾つか記してみたい。 

*再発防止策

 自家用のプリンタの歴史はかなり長く、これまで、印刷に関係するインクがらみのトラブルはあるが、給紙がらみのトラブルは、殆ど起きていない。

印刷用の用紙については、新規のコピー用紙を使う時は、殆ど、問題は起きていない。

 一方、廃棄するゴミの量を減らすために、チェック用に印刷する時や、一寸したメモ用に印刷する時、試験的にコピーする時などは、新規の用紙で無く、一度印刷した紙の裏面を使って来た。

一度印刷した紙は、先端が折れ曲がっていたり、めくれ上がっている事があり、これらが原因で、給紙不良や、紙づまりのトラブルが、何度か、起こっている。また、ホッチキスで止めたままの資料を給紙して、引っ掛かった失敗もある。

 

 プリンタの給紙機構は、思ったよりもデリケートな面もあるようで、今後は、以下に注意して、トラブルの再発を防ぐこととしたい。

・用紙としては、新規のものしか使わない。 

 印刷済の用紙の裏面は、印刷用でなく、手書きメモ用紙等に。

・用紙のサイズや形状に関しては、下段、上段カセットへの設定を、指定に合わせて正確に行う。

 僅かな曲がりや、設置のズレ等に注意。

・ラベルシール等、のりが関係する用紙への印刷では、シール先端の僅かな剥がれ等も見逃さない。

・用紙の厚みについては、PCでの、用紙の種類の選択で注意する。   

 

*マニュアルとエラー表示について

 今回の紙づまりトラブルのエラー表示は、下段カセットに用紙が無い、という、図bにある表示であった。

紙づまりなのに、用紙が無いと表示されるのは何故? と思い、エラー表示の優先順位上から、この表示となるのでは、と思い、カセットに複数枚の用紙を設定して、紙づまりを起こしてみたが、表示は変わらなかった。

 下段カセットに用紙が残っているにも拘わらず、下段に用紙がありません、という表示になり、紙詰まりと表示されないのは、聊か、理解出来ないところだ。

 

 紙づまりというエラーメッセージは、用意されていないのだろうか?

今回の最初のトラブル時、たまたま、転回部分にラベルが貼りついて残った状態(図g)を調べている途中で、うっかりして印刷操作のボタンを押したので、紙づまりが起き、

     背面カバーを外して調べろ(背面を取り外す図付き)

との表示になった事が、1回だけあるのである。

 でも、その後、物は試しと、色んな状況を意図的につくって、紙づまりを起こしても、このようなエラーメッセージは表示されてはいない。

図aの様なエラーメッセージに表示されている、サポート番号の一覧にも、紙づまりに該当するものは無いようだ。

 今回、ラベルの印刷で最初に紙詰まりが起こった時に、このエラーメッセージがでていたならば、その場で背面カバーを外して、殆ど苦労せずに、短時間で問題が解決できたろうに、と思えるのだ。

 

 本稿冒頭にある、前機のトラブルの時には、印刷途中で大きな音がして、印刷不能となり、エラーメッセージは、

     “修理の依頼が必要なエラーが発生しました  サポート番号 B200”

であった。

 PCに残っている前機のマニュアルを改めて調べて見ると、紙づまりについては、現機のマニュアルのようには、明確な記述は無いものの、(紙づまり等の時に)背面カバーが外せる、と記述してあった。

 若し、トラブル時に背面を外して調べていたら、問題が解消して、買い換える必要は無かったかも知れない。今にして思えば、調査不十分のまま、処分してしまい、現機に買い換えてしまったようで、聊か、悔やまれるところだ。

  

*プリンタの重要性

 今回のトラブルで、一定期間使えなかったことで、プリンタの重要性を再認識させられたといえる。

・筆者の場合、文書の作成・保存や、電子メールの送受は、PCでペーパーレスで行っているので、通常は、プリンタは使わない。 

ただ、文書作成途中での内容の目視チェックや、紙ベースでの文書保存(ブログ投稿記事)や、文書を郵送したり、FAXで送る場合など、印刷が必要となるケースは多い。

 決して、ペーパーレスにはなっておらず、プリンタは、極めて重要な不可欠のパートナーであることを、思い知ったことだ。 

・今回のプリンタの不具合の期間中に、電子メールを使わない相手に、PCで作った文書を、印刷して郵送しなければならない事態が起こった。

 幸いに、小サイズ用紙の上段カセットは使えるので、苦肉の策として、A4の文書のページを半分ずつ、画像情報として取り込み、それぞれを、2L版の光沢紙に印刷した。これと、同じく上段カセットで印刷したはがきを加えて封書にし、宛名等は、ラベルシールでなく手書きで、郵送したのである。いつもと異なるスタイルに、受け取った相手は驚いたようだが、目的は達成できたのである。                                                

                                                                                   

   

 

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